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墨田ペトリ堂の身辺雜記 「二面楚歌」


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酒田へ行きたい
ザ・インタビューズ

投票などするな!

投票行為は君たちの人間性の否定なのだ。
投票を依頼してくる連中など無視せよ。
連中は諸君の敵だ、連中は権力を握りたがっている。
すべての政治家はそれが共和派であれ、王党派であれ、
共産党であれ、われわれの敵だ、
投票用紙を破り捨てろ、
投票箱をぶち壊せ、
候補者だけでなく、選挙管理委員たちの頭もなぐり割れ。


1933年11月 CNT(Cofederacion Nacional del Trabajo)の声明より


2000-11-14 [長年日記]

_ 諸般の事情有り々々で

おおっぴらに告知出来なかったのだけれど、神宮前のギャラリーで知り合いと合同で写真展をやっていた。
この日は会期中最後の日曜日で、私も午后から会場に詰めて、控え室で飲んだりクダを巻いたりしていた。 一の蔵の本醸造が七分目まで残っていたのでそこらにあった菓子を魚に引っ掛けてみたものの、どうにも味気ないのでつまみを調達しに出かけてみた。 会場最寄の酒屋は場所柄からか侮れぬ品揃えで凝った乾き物を並べており、とりあへず舶来のクラッカーを買うことにしてから上に乗せるものを物色。 チーズは無かったので缶詰5種から選ぶ事に。
レバーパテ、フォアグラパテ、サーモンパテ、アンチョビ、オイルサーディンが有ったのだけれど、塩辛を舐めたい気分だったのでアンチョビにしてみた。 無印にも行ってみたのだけれど、茶請けは有ってもつまみになりそうなものは無かった。
別のところに買い物に出かけたカメラマンのホソヤさんがチーズを買ってきてくれたので、それらをクラッカーに乗せて再び飲んだり喰ったり飲んだり。 会場を閉める頃合にはすっかり出来上がってしまった私は、そのまま高円寺へ移動して引き続きひたひた及びカッバくんと竜屋長兵衛で呑み。
親の意見はさっぱり効いてこないのだけれど、乾き物で飲んだ冷酒はあとからテキメンに効いてきて、碌に飲み食いしないうちにどうにもヤバイ状態になってしまったので中座する羽目になった。
電車に乗ったまでは良かったが四ツ谷あたりで臨界に近くなってしまい憚りへ。 個室に30分くらい篭城してすこし醒ましてから再び電車に揺られて帰宅。 なんとか朝まで吐かずに持たせることには成功したが、牡蠣のクリームコロッケを食いそびれたのは返す返すも残念であった。



「按ずるに筆は一本也、箸は二本也。 衆寡敵せずと知るべし」
斎藤緑雨


文責:墨田ペトリ堂
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