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墨田ペトリ堂の身辺雜記 「二面楚歌」


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酒田へ行きたい
ザ・インタビューズ

投票などするな!

投票行為は君たちの人間性の否定なのだ。
投票を依頼してくる連中など無視せよ。
連中は諸君の敵だ、連中は権力を握りたがっている。
すべての政治家はそれが共和派であれ、王党派であれ、
共産党であれ、われわれの敵だ、
投票用紙を破り捨てろ、
投票箱をぶち壊せ、
候補者だけでなく、選挙管理委員たちの頭もなぐり割れ。


1933年11月 CNT(Cofederacion Nacional del Trabajo)の声明より


2000-12-15 [長年日記]

_ 先日来の

風邪で左耳が聞えづらくてどうにも埒があかないので朝から耳鼻科へ。

なにやら野戦病院のような医者で、広い診察室に診察台が3台、医者も3人。 壁際には吸入器がずらりと並び、患者が次から次へと捌かれてゆく。

私の番になり、何がどうしてどうなったのか碌に聞かれぬうちに聴覚検査室へ。 終わったらその結果を見せつつ早口で説明して、鼻から棒を突っ込んでグリグリ。管を突っ込んでブシュッと薬をぶち込んでおしまい。 直接治療しないとどうにもならないから出来るだけ何度も来てくれ・・・とのこと。 無理だ。

_ 一旦

家に帰って身支度をしてから喜多方へ。 12:05発の東北本線で宇都宮→黒磯→郡山→喜多方。 喜多方着17:40。 田中ん家へ行って蕎麦と大根おろし、長薯、等々を肴に一杯やりつつ写真の話など。 先日の写真展に出したヤツを額からひっへがして持っていったのだけれど、現像の後処理とか焼きの甘さとかを突っ込まれたりした。


2000-12-16 [長年日記]

_ 朝起きて

市内のG軒で朝飯。 ワンタンメンと餃子。 観光客が押し寄せる前のひまな時間だったのでちゃんと作っていて久しぶりにちゃんとしたのを喰った。 ちゃんと作っているときは流石に旨い。
ここは只のラーメンとワンタンメンでは微妙にスープが違うのだけれど、私はワンタンメンの方が好きだ。
そのあと軒の傾いだ和菓子屋で一個10円の饅頭を30ケと一個75円のきんつば゜(いはゆる「大判焼」)を5ケ購入して渋茶をすすりながらパクつきつつテレビゲームやらバカ話やら。 この10円の饅頭ってのがなかなかどうして侮れない代物で、親指と人差し指で○を作ったくらいの小さな物なのだけれど、本当に採算が取れてるのか怪しいくらいちゃんと作っていてとても旨い。
白饅頭のほうは小豆の漉し餡。 この漉し餡がちゃんと豆くさいあんこを使っていて旨い。 茶饅頭の方は、一寸しょっぱくて醤油臭い皮の中に白の漉し餡。 きんつばは弛めのつぶ餡でこれはこれで旨い。 他にもいろいろ売っていたけれどどれも大概100円以下であった。 恐るべし。
うめえうめえ言い乍ら喰っていたらおばさんが茶など点ててくれた。 煎茶には茶饅頭、抹茶には白饅頭が遭うに感じた。
晩飯はしゃけの焼きおにぎりとあぶらげの焼いたのと寄せ鍋。 またこのあぶらげが肉厚で旨い。 五枚くらいぺろっと食べたらおばさんが「東京には油揚げも無いのか?」と呆れていた。 東京にも油揚げと名の付くものは有るが、まるで違う。 東京はこう言う基本的な食い物がどんどん不味くなって来ているような気がする。 蕎麦然り、豆腐然り、ラーメン然り、饅頭然り。


2000-12-17 [長年日記]

_ 五時半に

おきて一番電車に乗り、ひたすら寝ながら東京へ。

昼過ぎに家に着いて、着替えて一息ついてから横浜へ。 みなとみらいのデオデオと言う電気屋に池田早矢加嬢のライブイベントを見に行く。

一時半・三時半・五時半の三回まわしだったのだけれど、流石に一時半の回には間に合わず三時過ぎに漸く会場に到着。 見知った客は既に揃っており、私も早速カメラの準備を。

大体の人はデジカメを持っているのだけれどそのデジカメもD−1やらサイバーショットやらの高級機がずらり、そして望遠ズームをつけたAF一眼レフもずらり。 さらには、どう見てもカタギの持ち物ではない巨大ビデオカメラを構えた怪しい人が二人。 私はと言えば、なにやら怪しいカメラを4台とっかえひっかえ(笑)。

_ この日は

フジカST605→オートタクマー35mm/f2.3 ツァイス・オプトンのテッサー50mm/f2.8 KMZのジュピター9 85mm/f2 ペトリ135mm/f2.8

ペトリFA−1→コムラー24mm/f3.5

ライカD−III→ズマール50mm/f2

プラウベル・ロールOP アンチコマー75mm/f2.8(セミ判のスプリングカメラ)

_ 三時半の回は

丁度日が翳り始める頃合で、刻一刻と露出が変化して往生したのだけれど、5時の回はスポットが何灯か焚かれていてまぁなんとかなりました。 三時半の回は3m、5時の回は2.5mくらいの距離を取り、絞り値で極端に描写の異なるレンズを揃えて来たのでなるべく開けたコマと絞ったコマと両方押さえるように心がけた。 で一眼は絞りを開けてピントを浅くして冒険し、ライカとブラウベルは多少絞ってピントを深くしてピントの厳密さよりしぐさ等のタイミングを重視してまわしてみた。 フィルムはモノクロのみ、感度はASA400。 
 で、肝心のイベントです。 正直なところ蜜柑箱に毛の生えたような小さなステージなのですが、その前には異様な道具立ての怪しい客が陣取り、その物々しさを訝しんだ買い物客が外側を取り囲みます。
 未だそんなに知名度のある娘ではないので、普通の人は「なぁんだ、知らないや」と通り過ぎてしまったりする物なのですが、現物がかわいくて衣装も凝っているためか足を止める人が意外に多い。
 そして歌が始まるとあまりの事に客が増えていきます。 150cmそこそこの小さな女の子が歌い始めた途端に物凄い存在感で周囲を文字通り制圧します。 通りすがりの人も逃げられません。 ところどころ歌詞を飛ばしたりしつつ(しかし動じることなく)クリスマスメドレーをひとしきりやった後、司会のお姉さんと近況などを喋って、オリジナル曲の「朱いメロディー」ってので〆めるんですが、流石に自分の持ち歌の歌いこなしは大した物でして、貧相な舞台も怪しい客も知名度の無さも全て吹っ飛ばして客を捕まえてしまう様には正直愕きました。
 大体こう言うイベント物の撮影では客とか会場の雰囲気とかも含めて、雑感を押さえるような撮り方をする事が多いのですが、こうなるとこちらもステージに集中せざるを得ません。 「可愛いだけではない何かを如何に写すか」とか自分には些か荷の勝った事を考えながら、珍しく実に一生懸命写真を撮りました。
 確かに蜜柑箱に毛の生えたような貧相な舞台ではあったのだけれど、オケとか衣装とか詰められる部分はきちんと詰められていて、現場でもスタッフの人々から細かい気配りがなされていました。 だから本人も頑張って仕事が出来るとは思うのだけれど、撮影の時に同じ表情しか出来なくてカメラマンにドヤされてピーピー泣いて仕事を流しちゃうような同い年のバカタレントの話を聞いたすぐ後だったので、池田嬢のえらさが殊更身にしみました。
 物凄い物を見てしまったってのと、まだまだ色んな引出しがあるんじゃないかってのと、気分としては半々だったりはするのだけれど。 素晴らしいステージであった事だけは間違いなく、ペシミストでニヒリストな私ではありますが、また暫く生きてみようとホントに思いました。
 ちなみにこの人、現在公開中の映画「バトルロワイアル」に主役の前田亜季の親友役で出てます。 そちらもチェックしてみてください。

参考

池田早矢加公式ホームページ
公式サイトです。

internet bubu
さやかちゃん
ルカさんによる。
公式サイトより詳しいファンサイトです(笑)

ごくらくwebネットワークホームページ
池田早矢加ちゃん応援ページ
ひろろん長官による。
既に画像付きレポートがアップロードされています。

ハイパープレイステーションのGIRLS ON THE WEB
近況と沢山の写真、そして動画があります。

蛇足(笑)
私の撮った池田早矢加嬢の写真 1 2 

2000-12-29 [長年日記]

_ 漸く仕事納め

3時に仕事が終わってさぁ帰れるかと思ったらなにやら納会なる物が始まってしまい、酒なんざ飲みたかぁ無いんだけど役付きの人間がやってきて次から次へと注がれる。 迷惑な話だ。
なんだかんだで40分拘束。
なんとか逃げ出して中野へ。 支払いを済ませて、修理屋から帰ってきたカメラを受け取って一先ず帰宅。
掲示板を巡って暇乞いをしたり、メールを書いたりしているうちに時間が経ってしまい、碌に支度もせぬまま家を出た。
紆余曲折あって、八戸へ移動するイナダ氏の車にひたひたと共に便乗。 いつものように東武佐野線の田島で拾ってもらってちんたら北上。 白石で車中泊。


2000-12-30 [長年日記]

_ 7時ころ起きて

仙台へ。 なんだか早く着きすぎてしまってHMVだのまんが喫茶だので時間を潰した後、北京餃子で朝飯。 餃子定食がまた安くなっていて驚いた。 餃子の数は3つ減ったのだけれど、餃子の具に占める肉の割合が大幅に増えた。 もちろん旨い。
借りたウィークリーマンションのチェックインには未だ時間があったのでその辺で時間を潰した後、とりあへず荷物を置いて中古カメラ屋をはしご。 帰りがけに多少買い物をしてマンションに戻り、暫くぼーっとしていた。
今回はことぶき氏に料理を任せて、私は私が食いたいものをちょろっと作っておしまい。 肉味噌を作って、油揚げを炙っただけ。 で、まぁ鳥鍋をつつきながら大いに飲んだ(私は途中で寝てしまったが)後、1時頃だったか?解散して、仙台の人々はそれぞれの家へ帰り、よそ者のわたしとひたひたはそのまま泊まった。


2000-12-31 [長年日記]

_ 夕方までに

弘前に着かねばならないため、7時半に起きて、寝ているひたひたに後片付けを頼んで仙台駅へ。 何か忘れたような気がしたのだけれど、案の定マフラーを忘れていた。
東北本線で盛岡まで北上し、花輪線に乗り換えて大館へ。 さらに奥羽本線に乗り換えて弘前に着いたのは四時半ころ。 車中はずーっとマーラーの五番とベルリオーズの幻想交響曲を聴いていた、・・・って言うか聴きながら延々寝ていた(苦笑)。
買い物をしてから飛良泉先生の下宿へ行き、荷物を置いてから下町の衛生湯と言う銭湯へ。 ここはなにが凄いってロッカーが無い、丸い籠のみ。 非常に銭湯らしい銭湯だった。 下宿に戻ってはまちの刺身やら蕎麦やらを肴に豊盃倶楽部と菊水の五六八を飲んで寝た。

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「按ずるに筆は一本也、箸は二本也。 衆寡敵せずと知るべし」
斎藤緑雨


文責:墨田ペトリ堂
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