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墨田ペトリ堂の身辺雜記 「二面楚歌」


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投票などするな!

投票行為は君たちの人間性の否定なのだ。
投票を依頼してくる連中など無視せよ。
連中は諸君の敵だ、連中は権力を握りたがっている。
すべての政治家はそれが共和派であれ、王党派であれ、
共産党であれ、われわれの敵だ、
投票用紙を破り捨てろ、
投票箱をぶち壊せ、
候補者だけでなく、選挙管理委員たちの頭もなぐり割れ。


1933年11月 CNT(Cofederacion Nacional del Trabajo)の声明より


2009-07-04 [長年日記]

_ 戸島花の演技

検索しても今回の芝居を手放しで褒め称えるブログばかり出てきて正直なところ気持ちが悪かったのだけれど、観に来た別の劇団の役者さんと大堀ファンの女子のブログで嘘の無い批評が書かれていて安心した。 特に後者は的を得た指摘なので一読をお奨めする。
かく言う私も奥歯にモノの挟まったような書き方しかしていない訳だが、客席の反応を見るに俳優座劇場的な芝居ではなく浅草木馬館的な芝居を見に来ている向きのほうが多かったようなので、これはこれでアリなのかな・・・と。

そんな訳で戸島の話に絞って幾つか。

戸島の役は人格が三つ存在していて、それが脚本の中できっちり描き分けられて居らず、場面ごとに戸島の演技そのものでその時々の人格を現さなければならない。

最初の人格は、父の処刑を手伝わされると言う奇禍によって10歳で心を閉ざし幼児化したまま育った20歳の村娘。
夫の処刑を同じように手伝わされて正気に返ったのが第二の人格。 シャンヌ・ダルク化して領主に立ち向かって行くのだけれど、台詞としては精神が異常に昂揚した状態で口にする耶蘇の教典の言葉だけなので、変化は唐突ながら正気では無いと言う点に於いては何とか繋がっている。
問題は第三の人格で、何の説明も無いまま10年の歳月を埋めて全てを了解した二十歳の娘になり、何故か通りかかった遊芸の一座に身を投じてしまう。

最初の人格は良くやれていたと思う。 鸚鵡返しの間の良さとか、声音とか。 唄いながら登場した一と声目を聴いた瞬間「出来たな」と感じた。
オバQにおけるO次郎の「バケラッタ」のような、鸚鵡返しで本来の意味を喪失した言葉の断片にしっかり感情が現されている。

第二の人格になると、脚本の矛盾が出てくる。
戸島としては演出意図に沿った芝居をしており、声の細さと張った時の聞き取り辛さを差し引けば、うわ言のように耶蘇の教典の言葉を呟き、やがて叫び、民衆の先頭に立って領主に立ち向かって行く、マックス・ヴェーバーの言う所の「カリスマ」には成れていた。
10歳のままで時を止めた娘が覚醒して、いきなり成熟した女性としての演技を始める唐突さには頭を抱えたが、これは戸島ではなく演出・脚本の拙さ。
全ての役柄に言える事だが、登場人物の性格や行動に一貫性が無い。

一揆が城を攻め落として領主を殪すと、カリスマたるその娘は行方を晦まし、遊芸の一座というアジールに逃げ込む。
この第三の人格になると、自らの人生を了解し、成熟した女性として舞台に立っているのだけれど、それについての説明は無い。
正気に返ったところで10歳で成長をやめている訳で、大人への階段を一気に二段飛ばして JUMP したとしても、メルモちゃんの青いキャンディーを舐めたとしても、10年の歳月を埋めて立ち居振舞いから考え方まで二十歳の女性に成っていると言うのは無理がありすぎる。
戸島はその無理を無理として、前後の関連性はさておき、そこにいる二十歳の娘としての演技をしており、前後の関連性さえ閑却して演技そのものだけ見れば、及第点をやれるだけの仕事はしていた。

芝居の終わりに、これまた唐突に始まるダンサーの群舞にあわせて壇上で手踊りのような所作をするのだけれど、指先まで神経の通った美しい動きで、戸島の本領が出ていた。

以前にも引いたが、荷風は「見果てぬ夢」の中でこう書いている。

「つまり彼は真白だと稱する壁の上に汚い様々な汚點を見るよりも、投捨てられた襤褸の片に美しい縫取りの殘りを發見して喜ぶのだ。 正義の宮殿にも往々にして鳥や鼠の糞が落ちて居ると同じく、惡徳の谷底には美しい人情の花と香しい涙の果實が却て澤山に摘み集められる……。」

芝居としての完成度はさておき、戸島の演技だけとって見れば見るべき物はあったと、私は思う。
昨年の東京体操の動画のナレーションは私の期待値を下回るものだったので、初舞台でどれだけの事が出来るか不安だったのだけれど、その不安を払拭し、演技者としての戸島花の可能性を断片的ながら見ることが出来たのは収穫だった。

_ レスなど

「的を射た」と「当を得た」、どちらも次善なんです。
どちらを使っても納まりが悪い。
だからちゃんと文章を練って書いていれば、どちらも使わないのです。
如何に私が流して書いていたかと言う事ですね。 お恥ずかしい限りです。

本日のツッコミ(全3件) [ツッコミを入れる]
# 墨田ペトリ堂 (2009-07-04 08:40)

http://plz.rakuten.co.jp/jetcokemania/diary/?act=view&d_date=2009-07-01&d_seq=2&sact=c&lp=0

飛べないようなので、とりあへず携帯から。
帰宅したら直します。

# 洗車男 (2009-07-14 12:28)

いつも楽しく拝見しています。

細かい表現への突っ込みで恐縮です。
「的を射た」指摘
「当を得た」指摘
のどちらかが適当かと…

# Dwightsa (2014-02-05 16:28)

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「按ずるに筆は一本也、箸は二本也。 衆寡敵せずと知るべし」
斎藤緑雨


文責:墨田ペトリ堂
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