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墨田ペトリ堂の身辺雜記 「二面楚歌」


ペトリあんてな
二面楚歌 断章
二面楚歌 グラビアレビュー備忘録
寒空文庫(仮)
写真日記二面楚歌 隠居所
petri's fotolife
酒田へ行きたい
ザ・インタビューズ

投票などするな!

投票行為は君たちの人間性の否定なのだ。
投票を依頼してくる連中など無視せよ。
連中は諸君の敵だ、連中は権力を握りたがっている。
すべての政治家はそれが共和派であれ、王党派であれ、
共産党であれ、われわれの敵だ、
投票用紙を破り捨てろ、
投票箱をぶち壊せ、
候補者だけでなく、選挙管理委員たちの頭もなぐり割れ。


1933年11月 CNT(Cofederacion Nacional del Trabajo)の声明より


2015-12-06 午後から駿河台下 [長年日記]

_ 村田兼一写真展「木枯らしの少女」

午後から駿河台下の神保町画廊へ。
村田兼一による、服を着ていたり着ていなかったり、一部だけ着ていたり一部だけ着ていなかったりする少女を、撮影場所から大道具小道具衣装メイクに至るまできっちり作り込んで撮ったポートレート展。

撮られているモデルも様々なのだけれど、共通点は無いようで有る。 総じて皮膚が薄い。
脱いだ脱がせたではなく、一部だけ着ている(または「一部だけ着ていない」)、それがその場では自然な状態であるように見える。 現実感のある非現実。

被写体の周囲に配されたあれこれには相応の寓意が込められていると思うのだけれど、残念ながら浅学な私には読み説けなかった。

私が行ったときが特別だったのかも知れないが、客層は男性に大きく偏っており、ポートフォリオのページを熱心に繰っているのに気負されつつ、写真集を一冊購入して退散。
美しい物を美しく撮っており寧ろ女子向けなのではないかと私は思うのだけれど、

写真集を購入して退散。 過去の写真展のモノも合わせてフライヤーを入れていただいたのだけれど、フライヤーそのものの出来も良い。


2015-12-13 濱野智史を骨までしゃぶって利用し尽くすべき [長年日記]

_ エコプロダクツ2015 PIP:Platonics Idol Platformトークショー

東京ビッグサイトで開かれている環境系見本市に濱野智史とPIPが出演すると言うので見に行ってきた。

イベントステージを見る分には入場者登録は不要と書かれていたが実際には必要で、そのあたりの手続きに手間取っている間にイベント開始時間を迎えてしまい、見られたのは途中から。

「日本のアイドルはエコロジーを超えた」なる濱野らしい煽りが付いており、

現代日本のアイドルは最先端のエコロジーモデル!? 自分たちの存在のみによって新たな価値を創造し、感動を与える日本のアイドル文化がサスティナブルな社会の実現にどう貢献できるのか、アイドルグループ「PIP」のプロデュースを手がける批評家・濱野智史氏と、PIPのメンバーによるトークショー。もちろんPIPのパフォーマンスもお届けします!

との事前告知はあったが、トークショー部分は事前の準備を碌にしていなかったらしく、薄っぺらな内容に終始。
「アイドルとエコロジー」について話す時間があることを予め伝えてあれば、また違った展開も出来たと思うが、メンバーは明らかに詳細を知らされないまま立っていて、ここ一年で培った舞台上での反射神経だけで乗り切っていた。
濱野の難点は喋らなくて良い事に関しては饒舌でありつつ、肝心な事を碌すっぽ説明しないところであり、それが厭な形でまた出た。
メンバーにしても裏方の大人にしても、一年余付き合ってその辺りは解っている筈であり、それを踏まえた上で利用するくらいの図太さは欲しい。
濱野の側からの説明や伝達が無ければ聞き出す努力はすべきだし、なんなら頭越しに先方の担当者を突付くくらいの事はしてもよい。

濱野とメンバーのこうした公の場での遣り取りの特質は、メンバーの無知や無定見を論って笑いの種にしない事。
頓珍漢な発言があっても「なんだそりゃ」と驚きつつ「まぁいいんだけど」「まぁそれが○○らしさなのであるが」と深入りせず流してしまって枝葉を追わない。
これは美点でもあり困った点でもあって、論って晒し者にしない代わりに発言を掘り下げてメンバーそれぞれの魅力を伝える事もしない。
全ては濱野の中で完結してしまってお仕舞い。

頭の良さには「切れる」良さと「強い」良さと二通り有るとは坪内祐三の言であるが、石川や小室や空井が「切れる」方だとしたら、瑞野はじっくり考えて答えを導き出す「強い」脳味噌。 正解は導き出せるが機転は利かない。
メンバーの特質を理解し、美点を引き出そうとする気があれば、事前に考えるヒントくらいは与えておいて然るべきだったと思う。

「アイドル=エコ」である具体例としてPIP発足当時の理念や会議室時代の創意工夫が示されたが、一般層には目新しく映るかもしれないあれこれも長く見続けてきた客には既に破綻したものでしかなく、そこからどう展開していくかについての提案が無いまま終わったのは実に残念であった。
メンバーとの衣装も靴もそろそろボロボロであることに関する遣り取りも、「次の曲が決まらないと」とお茶を濁してお仕舞い。

PIPの強みは、濱野がプロデュースをしていることによって出演依頼が来たり、捻じ込めたりしているイベントが有る事であって、「客層が被ってパイの食い合いになるような対バンライブしか出る場所が無い為、それ以外の層に売り込む手段が無い」事による苦労は無くならないまでも或る程度軽減されている。
出したCDがそれなりに売れたとは言え、こうしたイベントに出られるのはプロデューサーとしての濱野あってこそなので、 完全に興味を失い、やる気を無くして「灰さやうなら」と手を引いてしまう前に、メンバーも裏方の大人も濱野智史を骨までしゃぶって利用し尽くすべきだと私は思う。

濱野が筆禍舌禍の人であることはPIP始動以前から判り切っていた訳で、最近の言動を問題にしての濱野不要論には、私は与しない。
濱野は感情を害するような言葉を意識的に(また無意識的に)発する事に無頓着で、それによって発生したしこりが意思の疎通を妨げることを意に介さないというか、避けられないリスクだと思っている節がある。
脱退や分派が相次いだ原因は其処に有るのだけれど、理解されない・伝わらない諦観の中に在るので、受け手が解釈して行かないと話が始まらないし始まっても続かない。

好悪と良否の別が付けられない向きが濱野のやった事・やろうとした事を全否定する勢いで腐しているのを目にすることがあるが、対象が人間ではなく感情を損なうことの無い実務的な部分であったり、対話を必要としない濱野自身の工夫で改善できる部分などを出来上がった状態で他者に移管できたところなどは、新しい試みであっても成り立っているものはある。

・発想は良く、手段を誤まらず、成果を得られたもの。
・発想は良かったが、手段を誤り、成果を得られなかったもの。
・発想から間違っており、手段も誤まった為にさんざんだったもの。

この辺りの検証と切り分けは必要になるが、濱野の描いたアイドル像が完全に間違っていた訳ではなく、やり方次第でまだどうにかなると私は考える。
濱野本人が飽きてしまった今、メンバーと残った裏方で何とか立て直していただきたい。

後半はミニライブ。
これまでワイヤレス(とダミーの)マイクでしかやったことが無い連中が生きた5本のワイヤードマイクを渡されて四苦八苦。
絡まぬようにフォーメーションの切り替わりでマイク受け渡しなんて小技を知る由も無く、哀れ舞台中央には絡み合ったケーブルの山が出来てしまった。
音響屋には災難だが、これは致し方ない。

アイドル目当てで来ている方が寧ろ少ない現場では、客の振舞いも場に即したものが求められる訳であるが、

・慎む(アイドル目当てではない民間人に同化した便衣隊)
・弁える(アイドルが来ていると言うので見に来た民間人に擬態して手拍子程度に留めるノンセクトラジカル)
・推し量る(周りが静かなので声援は控えめにして光る棒を振る穏健派)
・我を張る(やりたいことをやる突撃隊)

が存在し、比較的静かな見本市会場に突撃隊系の客の奇声が響き渡る愁嘆場。

濱野は自前のイベントでは可能な限り統制をしない方針を貫いており、それは自前イベントに於いては間違っていなかったと思うが、呼ばれて出演した外部のイベントでは、それなりの配慮をすべきだったと思う。
現状でPIP客の情報源はほぼインターネットであり、SNSで発信する情報で客の凡そには伝えることが出来るので現場ごとにどこまで可能であるか・何が不可能であるかについての情報は共有され、統制することなく一定の秩序を保つことは可能である(これはCDのリリースイベントでも実証されている)
それをしなかった場合どうなるかというのが、今回のイベントの惨状であり、こちらも今後に生かしていただきたい。

_ 2015年12月 PIP定期公演(空井生誕)

小室と瑞野が学校、濱野が体調不良でお休み。 山下が珍しく出演。
実質、歌って踊れるのが石川・空井・福田の3人だけ。
定期公演ではあるがイレギュラーな日程なのでバラエティー番組部分も無し、と言うことは司会の石橋もいない訳で、全て自分たちだけでやらなければならない。

ライブ以外の部分はそれなりに練られており、トータライザーを使った「ぶっちゃけトーク」的なものや年末の定期公演内でやる「PIP紅白」の前振りなどで間を持たせ、ライブはライブで何とか形にはしていた。
三人半しか居ない状態で公演を公演として成立させられたのは褒めて然るべきであるが、それは内向きの話であり、対外的な訴求力に成り得るかと言うとなかなか難しい。
これだけの損耗率にあって組織的な抵抗が出来ているのは驚嘆すべきかも知れないが、反転攻勢に出る余力までは持ち得ていないし、年末を以って福田も辞めてしまうとなると現状維持すら厳しい。

空井の生誕コーナーでは、間繋ぎの意味合いも有ってか出演メンバーを含めてお祝いビデオレターが流されたが、CD選抜組以外は休業中の豊栄と永瀬、開店休業中の山下のみで派生ユニットに行った森崎と工藤からのものは無く、正式な告知はないものの袂を分かったものと思われる。

エコプロダクトの件も含めて色々書き連ねたが、そんな事は百も承知で且つそれ以上の懊悩を抱えつつやっているアイドル稼業だとも思う。
年内に何かしらの打開策が提示されることを願いつつ、年末の定期公演を待ちたい。


2015-12-20 裸体というドレス [長年日記]

_ 七菜乃写真展「裸体というドレス」

落ち着いて見たかったので、開場する時間に合わせて駿河台下の神保町画廊へ。

既に先客はおり、何やら語らいながらじっくり見ていた。
確かに考えさせれれるし、語りたくもなる。

小さめだが揃いの白い額に装丁されたプリントが25点、同じようにチェキを額装(昆虫標本のようになっている)ものが5点。
身長165cmの私の目の高さより若干低めに飾られており、平均身長に近い女子だと、丁度見やすそうな高さ。
額と額との間隔も含め、広くは無いスペースと見せたいものの数と見易さのバランスに腐心した跡が見られる。

裸体と言ってもさまざまな状態に在り、何も着ていなかったり、下着のみだったり、何も着ていないようでいてよくよく見るとそうではなく。
魂魄が肉体を纏い、更にその肉体が光であったり影であったり、水であったり空気であったり、はたまた衣服であったりを纏ったり纏わなかったりするさまが、写真と言う形で紙に描かれている。

桜色に上気していたり、寒さでか白くキュッと締まっていたり、水に濡れていたり乾いていたり。 撮った状況や被写体の状態によって、肌も表情を変える。
変わらないのは、手を触れたら吸い付きそうな、白く薄くしなやかな皮膚。
喜怒哀楽がはっきりとは表れない、如何様にも解釈できる顔貌。

「裸体というドレス」と言う概念が感覚的に解ってくる写真たちであった。



「按ずるに筆は一本也、箸は二本也。 衆寡敵せずと知るべし」
斎藤緑雨


文責:墨田ペトリ堂
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