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墨田ペトリ堂の身辺雜記 「二面楚歌」


二面楚歌 断章
二面楚歌 グラビアレビュー備忘録
寒空文庫(仮)
写真日記二面楚歌 隠居所
petri's fotolife
酒田へ行きたい
投票などするな!

投票行為は君たちの人間性の否定なのだ。
投票を依頼してくる連中など無視せよ。
連中は諸君の敵だ、連中は権力を握りたがっている。
すべての政治家はそれが共和派であれ、王党派であれ、
共産党であれ、われわれの敵だ、
投票用紙を破り捨てろ、
投票箱をぶち壊せ、
候補者だけでなく、選挙管理委員たちの頭もなぐり割れ。


1933年11月 CNT(Cofederacion Nacional del Trabajo)の声明より


2016-09-11 抒情的で質の高いグラビア [長年日記]

_ 週刊ヤングジャンプ 2016 41号

馬場ふみか
巻頭8ページ9カット見開き1か所、巻中4ページ9カット。撮影は藤本和典。
緩く結んだポニーテール、白の半袖ポロシャツにグレーの膝上丈のプリーツスカート、短めのソックス。 靴はアディダスの SS 80s だろうか、青のラインの入った古風な白いスニーカー。
制服っぽいようなそうでないような出で立ち。 身体の線を描き出し過ぎないブラウスのサイズと、スカートへの裾の入れ具合も程よく。
衣装などは伊井田礼子。

グラビアのモデルもやるが、服を見せるモデルも芝居もやっている。 これらの相乗効果で見応えの有る18カット。
服に「着せられた感」がなく、服だけを見せるグラビアにも自分だけを見せる写真にもなっていないのが良い。
水着はどうしても肉感的なところを強調したなるのであるが、服を着たカットでは露出は抑えて仕草や表情で見せる。
巻頭2ページ目上段のヘアゴムを加えて髪を束ねようとするカット、巻中の扉のワンピースの裾を少したくし上げるようなカットが、撮りも撮ったり撮られも撮られたり、頭抜けて良い。

水着も肉感的なところを生かしたものが選択され、煽情的ではありつつもあからさまなポーズはとらせず、程の良い色気。

そして小さめの活字のキャプションポエム。 これが珍しく琴線に触れた。

ロケーションや衣装まで含めて、ヤングジャンプらしい抒情的で質の高いグラビア。
藤本和典の仕事の中でも出色。

片山萌美
巻中3ページ6カット、撮影は唐木貴央。
写真集の広告のような感じであるが、悪くは無い。

早乙女ゆう
巻末5ページ10カット、撮影は細居幸次郎。
曇天の屋上が一枚ある他は屋内。
ワイシャツっぽい白のセーラーブラウスに臙脂のリボンタイ、ミニ丈のライトグレーのプリーツスカート、白のミニハイソックスに黒のペニーローファー。
合皮のスクールバッグを提げたり抱えたり。
一寸面白いデザインのブラウスなのだけれど、大きく使われたのは最初のページのみで、あとは小さく3カット。
リボンタイの結び方が雑なのだけれど、これが現実的な形なのかもしれない。
水着を見せなければならないので仕方がないと言えば仕方がないのであるが、道具立てが面白い。
「スタイリング:森千鶴子」これは記憶しておきたい。

薄いピンクと濃紺の三角ビキニ。
水着になると隠したり切り取ったりぼかしたりして粗を隠す戦略。
そこまでするのであれば服を着ているカットをもう少し増やしても良かったように思うが、まぁ色々あるのだろう。

柿崎芽美
欅坂46のメンバーが週替わりで12人プレゼントページに登場との事で、不覚にも見落としていて、これが3週目。
モノクロ1ページ1カット、カラー1ページ1カット、撮影は細居幸次郎。
一寸白く飛ばし過ぎなような気もしないでもないが、表情の切り取り方は良い。


2016-09-04 紅色高棉 [長年日記]

_ ・・・・・・・・・(the artist formerly known as ナカグロ(仮))初観測ライヴ(28.09.04)

「PIP思想の良質な部分を継承した、都市とメディアとアイドルを横断する意欲的なプロジェクト。」と言う感じの戯言が流れて来たので、確認するために足を運んでみた。

開場5分前くらいに現地へ。 既に開場を待つ行列が出来ていたが、主催者による整列などは行われず。

ライブハウスの告知ページに予約フォームが有ったのでとりあへず予約を入れたら確認メールが来たのだけれど、入場時にそのあたりの確認は無し。
PIP: Platonics Idol Platform のノウハウはこの時点で既に生かされていないことが分かる。

見たところ PIP: Platonics Idol Platform からの客は少なめ。 開場と同時に入った客は4~50と言ったところであったが、徐々に増えて開演までに二回ほど影アナでお膝送りのお願い。
お披露目から大入りと言うのは幸先が良いが、入れなかった客への対応は満員で入れない旨の貼り紙一枚。
木で鼻を括ったような対応に、入れなかった知己は憤慨していた。

舞台の奥の壁に白い衣装が掛け並べてあって、無言で出て来たメンバーがそれを身に纏い、整列したところでライブが始まった。
衣装
衣装を着る
全員サングラスを掛け、動いて落ちるのを防ぐためか黒いレースのリボンを巻いてあるから表情どころか面相もはっきり見えない。
自己紹介もしないので誰が誰なのかも知り得ないし、そもそも何人出て来たのかすらだにも分からない。
歌い踊る
歌い踊る
メンバーは楽し気に喋ったり歌ったり踊ったりしているが(スタッフも楽しそうであった)、何の説明もなく手前勝手な世界観を押し付けられ続ける我々は良い迷惑であり、最前列に張り付いた客と後方でオダを上げている連中がワイワイやっている他はおいてけ堀を喰らって困惑の体。

グループ名の表記は ・・・・・・・・・ なのだけれど、

「読み方は決まっていません」「皆さんで決めてください」

マークになってしまった時のプリンスですら、読み方についてのルールはあったが、それすらも無い。

検索できない
図に示した通り、検索エンジンからも拒否されてしまう。
読めない上に検索すら出来ないグループ名を付けてしまうと言うのは、全く理解できない。
面倒なので以下「ナカグロ(仮)」と表記することにする。

メンバーの心拍が感じられると言う小道具も回ってきたが、そもそもどのメンバーのものかも分からないし、そのメンバーについての情報も提示されていない。
何の思い入れも無い状態でそんなものを渡されても気味が悪いだけであり、客席を盥回し。

演る曲はと言えば、別にアイドルがやる必要も無さそうな当世風のロック。
振り付けや歌は、お世辞にも上手いとは言えないが、上手くなくても良いと思ってやっていそうな捻りの無いもの。

前述の通りサングラスを掛けっぱなしで表情も面相も窺い知れないのだけれど、その奥にあるものに興味を持たせるような演出も無い。
これは中の人が誰でも良いと言う事なのかもしれないが、メンバオーディションに落ちたと話している女子が見に来ていた。 コンセプトも杜撰に過ぎるが、何も考えないで考えたふりをしているのだろう。

ボーカロイドが歌っている間に踊っていたり、直立不動で立っていたりするのまでは我慢して見ていられたが、最後が酷かった。

ひとり一冊文庫本を持って並び、インストゥルメンタルの曲に合わせて朗読を始めるんだが全く聞き取れない。
そのうちに文庫本のページを破り捨て始めた。
本を破る
書物は人類の叡智を象徴するものであり、それを破り捨てるのは文化文明の否定である。
何らかの寓意が込められていたのかもしれないが、実に不快だった。

そして曲の終わりとともに全員が倒れ込み、開演時に着込んだ白い衣装を脱ぎ捨てて楽屋へ引っ込んで行く。
全員が引っ込んだ頃合いに楽屋から「ありがとうございました!!」と叫び声。
客電が灯って終演。

コンセプト倒れと言うかコンセプト負けと言うか、小一時間拙い自慰を見せられたような後味の悪さ。

本を破いて捨てるのは文化文明の否定であり、顔を見せない名前も明かさないのは個の人格の否定である。 それをインテリ崩れの大人が指示して、良く分かってない子供を使嗾してやらせる。
さながらクメール・ルージュ。  醜悪以外の何物でも無い。

終演
「ナカグロ(仮)」は PIP: Platonics Idol Platform の遺伝子など欠片も無い、天一坊みたような食わせものだった。

映像記録スタッフとして元PIP: Platonics Idol Platformの瑞野が入っていたが、元演者として演者の人格を否定するようなもの、PIP: Platonics Idol Platformの後継者を僭称するような紛い物に関わることについてどう考えているのであろうか。

PIP: Platonics Idol Platform のお披露目は、駄目なりに良かったと言うか、その後の展開に希望を持てるところがあったが、「ナカグロ(仮)」のお披露目は、其の底に希望すらだにも残らない、絶望のみが詰まったパンドラの匣であった。
衣装の残骸

_ その他の写真は

こちらに。


2016-09-01 Water [長年日記]

_ 週刊ヤングジャンプ 2016 40号

高橋朱里
巻頭8ページ10カット、見開き1か所。 撮影は佐藤裕之。

・表情は諧調に乏しく
・仕草に意味を持たせる事も出来ない上に
・カラーコンタクトで目が死んでいる

と言う三重苦。 苦し紛れの作り笑いが無いのが救いではあるが、それだけ。 何もない。

表情の単調なのは切り取り方で変化を付け、能動的に動けないところは指示を出し、体形の粗は衣装とポージングで補正。
高橋朱里を盛り立てている人々で営為で何とか間を持たせた8ページ。
当たりカットを選って大き目に使った割り付けも良い。

「佐藤裕之のブツ撮り」と言う、滅多なことでは見られないものが載っていると捉えると、これはこれで良いような気もして来る。
横からの光による陰翳で身体の線を描き出したカットは美しい。

モデルとしての高橋朱里には何もない事は露呈してしまったが、それを補って余りある裏方の仕事振りは堪能出来た。

ほのか
巻末5ページ9カット、撮影は唐木貴央。
前半は夏の晴天の浜辺やプールサイドで水着、後半は薄暗い屋内で水着。

太陽を背負わせようが何をしようが眩しいものは眩しい訳であり、前半はほぼ固まった笑顔。
後半はどう振る舞えば良いのか分からなくなっているような表情。

カメラマンの腕以前に、編集者の発想の貧困によって予め失敗が運命付けられている悲劇。


2016-08-31 額装したポストカードに見る心配り [長年日記]

_ From Life ― 写真に生命を吹き込んだ女性 ジュリア・マーガレット・キャメロン展

廃れてしまった技法でも、やり残したことは必ずある、と私は考えているのだけれど、神保町画廊で開催されている七菜乃の写真展で感じたピクトリアリズムの可能性についてのヒントになるかもしれないと思い、足を運んでみた。

絞り込んでパンフォーカスにせず、ピントを薄くして前後をぼかす手法の嚆矢ではあるのだけれど、意図したところには焦点を合わせられていない隔靴掻痒感と、長時間の露光が必要であったために仕方がない事なのであるが硬直した表情とポーズがどうにも好みに合わない。
良し悪しではなく、好悪に係る部分の問題。

ただ、人物の配置で有ったり、小道具大道具衣装に込められた寓意には唸らされる。
その作り込みが鼻に付いたりもするのであるが。

ジュリア・マーガレット・キャメロンの作品はさておき、親交のあった同時代人としてチャールズ・ラトウィッジ・ドジソン(ルイス・キャロル)の作品が一点、影響を受けた写真家としてアルフレッド・スティーグリッツの作品が数点展示されていたのが、私にとっては有り難かった。

丸の内の三菱一号館美術館で開催される本格的な写真展は初めてとの事であったが、見やすい配置と照明でストレスなく鑑賞。

写真を見るための必要最低限の照明を高い位置からのLEDライトで柔らかく当てており、目にも作品にも優しい。
説明文は重要度によってパネルの大きさもフォントも変えられており、多くの人が立ち止まることが想定される位置にあるものは大きく、スポットライトを当てて明るく見やすくしていた。
こうした心配りは写真専門のギャラリーでも出来ていない事が多く、私の中の三菱の企業イメージは向上した。

もう一つ良かったのは、ミュージアムショップの品揃え。
開催されている写真展に合わせて関連作家の写真集やオリジナルプリントなどが丸の内ならではのブルジョア価格でずらり。 想定顧客層の財布の厚さと紐の固さ緩さを勘案した絶妙の値付けと品揃え。
私には手が出ないが眺めるだけでも心が豊かになる。

懐に年中秋風が吹いている私のような者にも優しく、ポストカードも何種類か置かれているのだけれど、見本が額装されているのも良い。
ポストに投函する葉書としてではなく、手元に置いて眺める写真として購うと言う選択肢をさりげなく提示。

館内様々なところに心が配られた、快適な美術館であった。


2016-08-30 「たっぷり」 [長年日記]

_ 朝練講談会 第193回(28.8.28)

うっかり寝過ごしたが、バスの接続が良く、なんとか開場する頃合いに到着。

講釈師でも噺家でも、その芸風によって付く客筋は異なるのだけれど、今日はは「楽しい時間を過ごしに来ている客」が多かったように思う。
私も久しぶりに声を出して笑った。

「円山応挙の幽霊画」 一龍齋貞寿
貞寿さんは「サザエさん」の花沢さんのような、「洒落小町」のガチャ松っつぁんのような、ざっかけない感じなのだけれど、狙っていない色気があるのが面白い。
召し物も清潔感は有りつつ華美ではなく、読み物の邪魔にならないような物を選っている。
南左衛門先生のに教わった「円山応挙の幽霊画」を掛けたのだけれど、稽古風景や酒席での様子など、師の人柄を伝える楽しいマクラをたっぷり振ってから。

他所で聴いたものと設定が異なっており、応挙が描くことになる花魁が臥せっているのが行燈部屋(あんどべや)。 髪をおどろに振り乱し、饐えたような臭いすらする惨状。
生きているうちに幽霊として下絵に描かれた姿と、息を引き取ってから全盛の姿で夢枕に立った本当の幽霊としての姿の対比の妙。
為にする演出無しにゾクリと背筋を寒からしめる話術。
良いものを聴いた。

「幸助餅」旭堂南左衛門
貞寿さんのマクラを受けて、講談界の東西交流や稽古会が始まる以前から稽古に来ていたことなど、たっぷり枕を振ってから「幸助餅」。
かっちりした講釈の口調で有りつつ、上方ことばの柔らかさもあり、聴きやすい。
気前は良いが優柔不断で見栄っ張りな幸助にやきもきさせられたが、最後の最後でハッピーエンド。
時計を見たら一時間以上経っており、まさに「たっぷり」。
心地よい疲れを感じつつ外へ出た。



「按ずるに筆は一本也、箸は二本也。 衆寡敵せずと知るべし」
斎藤緑雨


文責:墨田ペトリ堂
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