デックス東京ビーチの海側開放通路に簡素ながら舞台を設えての屋外ライブ。
雨が降っても大丈夫なようにか、建物の張り出し部分が庇状になった部分に舞台が設えられているので少々暗かったが、西日が差してくるとそれなりに明るく。
近隣で開かれている大規模アイドルイベントとは些か異なる客層。
そちらに行く層はそちらに行きっぱなしで、こちらに来る客とは棲む世界から違う感じ。
黒山とは行かない人だかりではあったが、広く売れるためのロケットの一段目の燃料となるのはこの種の人々なので、先ずはこの辺りに届く事を願いたい。
17:00開演予定で進めていたが、出演可能なアイドルが増えたとの事で、前倒しして15:45開演とのこと。
ザ・うれぴーナッツ
ミラクルキャンディーベリーの派生ユニットがオープニングアクト。
香具師のような風体のおじさんと注意事項などの告知をした後、「恋のバカンス」。
それで「うれぴーナッツ」か、と遅まきながら気付く。
ミラクルキャンディーベリー+
法被を加工したような衣装で夏らしい。
歌って踊る以外の部分が子供然としていて気まずかったのであるが、自己紹介を聞くと中学生。
元気に動くので時折表情が破綻するのだけれど、それもご愛嬌。
CURATIONS
舞台上の演者に気を遣いつつ、袖でそっと気合い入れの儀式的なものを執り行う姿が微笑ましい。
ワイヤレスマイクの調子がスコブル悪く、ハウリングともつかぬ異音に悩まされつつも、慌てず騒がず勤めおおせたのは良かった。
オリジナル曲だけでセットリストを組めるだけの手札がまだ無い為、前半はカバーで2曲。
人口に膾炙した曲は諸刃の剣であり、訳知りが多くを占める場所では「ノリやすさ」としてプラスに働くが、ライブハウスにアイドルを見には来ない層には「偽物」「紛い物」として見られてしまう辛さが有る。
演っていることの質ではなく、印象で、もしくは「自分が知っているか否か」で判断するのが一般大衆なので、今回のような「そうした人々」が多めの出演機会には、カバーでも借り物で有る事が分かりにくい曲を持ってきた方が良いように思う。
歌って踊れて煽りを入れるゆとりもある。 質的には客前で演れるレベルであるだけに、曲が知られている分余計借り物に見えてしまう。
後半はオリジナル2曲。 これが手札に加わったのは大きい。
見ている側が手応えを感じるくらいだから、演っている側は尚更だと思う。
自前の曲が有ると、演者としての説得力が違う。
オリジナル曲でないと(カバーを演るにしても必然性が無いと)呼んで貰えないイベントもあるので、手札は多い方が良い。
しかしオリジナル曲が「CD」と言う形になって未だ一と月。 まさに『ここから』。
並行物販なので、まだまだライブは続くがここで失礼して特典会へ。
会場は一寸離れたところにあり、知っていて見に来た人以外には何をやっているのか分かりにくい。
それでも衣装然としたものを着た女子が握手したり写真を撮ったりしていれば「アイドルが何かやっている」くらいの事は分かるようで、目当てで来ている人の周りに人だかり。
人だかりが出来ると更に人は寄ってくる。
目当ての客相手の特典会の前に、フリの客に 向けての「フリー写メ会」を持ってきた判断は良かったと思う。
送り手の意図通りハッシュタグを付けて拡散してくれたかどうかは分からないが、通りすがりの若者たちが盛んに写真を撮ってはいた。
知らない物には興味を持ちえないので、「知ってもらう」事で興味を持ってくれる可能性の種は蒔ける。
その種が目を出してくれると、私も嬉しい。
集客ノルマのある定期ライブと言う趣の催し。
長くアイドルを見ていると「人質商法」的なものは厭と言うほど目にしてきており、当事者として体験するする虚しさも身に染みているので、「ノルマ」の文言を目にしただけで忌避感情が湧くのは避けられない。
それでこれまで足を運ばなかったのだけれど、実際にライブを目にしてノルマ云々の部分を抜きにして考えれば費用対効果は高いと判断し、足を運ぶことにした次第。
会場は押上WALLOP放送局3階のスタジオ。
消防法の規定による定員98名に対し、集客ノルマは50名。
ほぼ半分埋めれば達成と言う事になるが、「1500円払って入った有料入場者で50名」なので、これが中々に難しい。
先に結果を書いてしまえば、有料入場者は36名でノルマ達成ならず。
達成のご褒美であるところの「オリジナルグッズの作成」は叶わなかったが、達成出来なかった事に対する懲罰も課されなかったので、後味は悪いなりに良かった。
notallは名古屋、きゃわふるTORNADOは渋谷でそれぞれライブ。 相互乗り入れではないCURATIONSのみの集客としての36名である事には留意されたい。
「首都圏アイドルファン300人説」と言うのが有って、誤差は有っても狭い商圏で客の奪い合いになっているのは事実だと思う。
その中でオリジナル曲や販売するCDなど「使える武器」が限られている中で潜在顧客を掘り起こすのは難しく、昨今の集客にも現実として出てしまっていたのだけれど、オリジナル曲が増え、それがCDと言う形になった事で打てる手も増える。
そしてCD発売から3週目。 漸く手応えを感じ始めた頃合いの7月30日。
ノルマ云々について語るにはまだ早いと私は思うのだけれど、出てしまった数字は受け止める他ない。
メンバーが一人々々所感を述べる中、感情が涙として嗚咽として溢れてしまう場面もあったが、これを見ている遣る瀬無さは筆舌に尽くし難い。
客はメンバーの責任ではないと思い、メンバーは客の責任ではないと言う。
どちらも或る程度正しいが、抜けているものがある。
送り手側の営業戦略の齟齬と言うか蹉跌と言うか、どうにもならなかったことに関してのどうにもならなかった原因は直視されるべきだと、私は考える。
この辺りの愁嘆場を除けば、楽しみ愉しませる良いライブが出来ていたと思う。
発券開始時間にリハーサルが行われており、漏れてくる音を聴くともなしに聴いていたのだけれど、時間が無い中でも要点を押さえた確認と指示。
見えるところも見えないところもしっかりしている。
感情を解放すべきところでは解放できていたし、歌い上げるところは歌い上げ、動きで見せるところは見せられている。
これを呼ばれたライブでも実践できれば、風向きは必ず変わると思う。
連れて行った知己も、ノルマに係る愁嘆場以外は楽しめたようだった。
武田あやな
表紙と巻頭7ページ14カット、撮影はTakeo Dec.
カメラに対しても布面積の少ない水着に対しても耐性が出来ているので、構えずにカメラと向き合えているのは良い。
ただ一寸笑顔が単調で、表情の諧調に乏しいのが瑕と言えば瑕。
1ページ目や6ページ目の、笑顔ではない写真に、私は惹かれる。
撮る側は撮られる側の引き出しを開けている訳で、それを選ばない者が居ると言う事であろう。
一寸勿体ない。
鈴木陽菜
巻中4ページ13カット、撮影は栗山秀作。
東宝シンデレラオーディションのヤングジャンプ賞。
初々しさと美少女感が良いバランス、この味は今しか出ない。
かつての制服コレクションを思わせるヤングジャンプらしいグラビア。
背景を縦横の線が横切り、微妙に首切り串刺しになってしまっているカットもあるのだけれど、そこはぼかして回避。
危険を冒しつつ敢えて背景に盛り込むことの画面効果の方を採った感じ。
解り難いけれどよくよく見ると凝っている、栗山秀作らしい13カット。
最後の河川敷に立つカットが特に良い。
背景と被写体との距離、カーブする道に対する被写体の配置、撮影者と被写体と背景との距離のバランス、レンズの選択。 全て噛み合っている一枚。
眼福。
ジャスミンゆま
巻末4ページ10カット、撮影は桑島智輝。
髪の量が多いのかあしらいに苦労が見られるように、少ないものを多く見せたり、その逆だったり、さまざまな細かい工夫の積み重ねで組み上げた4ページだが、少々無理があるように思える。
素材としては悪くないが、カメラマンの更に向こう側にあるもの、良く見せようとする意志が見えすぎる。
柏木由紀
表紙と巻頭7ページ15ページ、うち見開き1か所。 撮影はTakeo Dec.。
肌や髪には年相応以上の綻びも見られるのだけれど、それを補って余りある撮られ方の巧さ。 今が一番良いのではないか。
全カット殺しに来ていて「素の柏木由紀」なんてものは何処にも無いのだけれど、酸いも甘いも嚙み分けた柏木の手練手管に翻弄されるのも悪くないし、ただの狐ではない柏木をそうと分かった上で撮るTakeo Dec.も上手い。 そしてそうなるように仕組んだ担当編集も人が悪くて良い。
倉持由香
巻中2ページ9カット、撮影はHIROKAZU。
広告としての扱いなので表紙にも目次にも載らないが、グラビア的に見開きでの掲載。 独立独歩でここまでやれている倉持には敬意を表したい。
渡辺梨加
巻末4ページ8カット、撮影は阿部ちづる。
表情はほぼ一種類、ポーズと髪型と服だけが異なる8カット。
顔のパーツが正面を向いているので、美しく見える角度もそう広くはない。
これで押し切る渡辺梨加の素材としての強さも驚きであるが、小道具などを使いつつも全てを当たりカットにした阿部ちづるが上手い。
武田玲奈
頑なにカラーコンタクトの装着を続けてカメラの前に立っていた武田玲奈が、それを外したと言うのが第一の驚きであった。
全カットそうなのかは分からないが、それと分かる1ページ目のカットは訴求力が高い。
その辺りもあってか、人としての感情が宿ったような写り方に変わっていて、私は良い傾向であると感じた。
阿部ちづるは寄りでの画面構成が巧い。
きっちり構図を切りつつ、表情は生きているのが良い。
梅澤美波
巻末5ページ8カット、見開き1か所。 撮影はTakeo Dec.。
表情は諧調に乏しいが、カメラとの向き合い方は自然で、一寸硬いが悪くない。
ハイキーに飛ばし気味の撮り方は好みでは無いが、撮り方としては上手い。
脚の長いのを強調するポージングと構図、それを生かす割り付けも良い。
発売日に書店に行けば買えるだろうと多寡を括っていたらまさかの売り切れ。 区内から秋葉原、神保町まで足を延ばしたが全滅。 一と月待って漸く手に入れた。
撮影は中村和孝。 ページを繰って行くと、写真は悪くない。
同じ服、同じ水着でも、綺麗と艶で撮り分けているから、男性女性どちらが見ても満足できる。 それぞれが見たい泉里香が其処には居る。
ただ、衣装ごとに短い物語が展開され、終わる。 それぞれの物語に繋がりは無く始まりも終わりも唐突。 写真集としての通底した物語は存在しない。
泉里香と中村和孝の仕事を纏めたポートフォリオとしては及第点だが、写真集としては落第。
中村和孝にその力量が無かったのか、そこまでの仕事は任せなかったのかは分からない。
しかしSDPが出版社として無能であることは明らかである。
写真集全体の物語を紡ぐことの出来なかったのは編集者の力量不足であり、写真集とは写真の繋がりによって物語を作り紡いで出来上がるものであると言うことを知らなかった出版社としての無知に起因する。
芸能事務所が収益率を上げるために多角化し、出版に手を染める事例が散見されるが、大抵プロの仕事と言うものを舐めている。
発売当初の品薄も、需要を読み切れなかった事によるものであり、機会損失は小さくない。
餅は餅屋に任せるか、餅を搗ける体制を整えるか、何れにしても肚を括るべきであろう。
澤北るな
表紙と巻頭、撮影はTakeo Dec.
「夏だ海だ水着グラビアだ」と言う感じの、良く言えば古典的、悪く言えば退屈極まる8ページ12カット。
ほぼニコパチの、眩しくて目の開かない歯見せ笑顔。 身体を見せるものと考えればこれで良いのであろう。
仲村美海
巻末6ページ8カット、撮影はTakeo Dec.
こちらも良く言えば初々しく、一寸硬いが、光が柔らかく廻る環境で撮っているので表情は辛うじて生きている。
粗を隠して美点を見せるポージングも相俟って見られる出来。
中井りか
表紙と巻頭8ページ14カット、撮影はHIROKAZU。
或る程度自由に振る舞える媒体では水を得た魚の中井りかであるが、静止画との相性がよろしくない。
謎の拘りがあったりして撮る側も大変だとは思うが、宥めたり賺したり試行錯誤を重ねて撮ればそれなりに当たりカットは出来て来る。
これがコンスタントに出て呉れれば楽なのだけれど、当たればデカいがホームランか三振。 打率2割1分8厘でホームラン39本のような感じ。表紙をめくると現れる扉の写真なぞは、まさに先頭打者ホームランの趣だが、打棒爆発とは行っていない。
丸くなったら詰まらなくなってしまうのかもしれないが、撮られる事には慣れて欲しい。
倉野尾成美
巻末6ページ11カット、撮影はHIROKAZU。
トヨタらしいと言えばらしい、アイドル界の都市対抗・・・の、ようなもの、AKB48チーム8熊本県代表の倉野尾成美。
目まぐるしく変わる表情を見せたかと思えば、カメラと素で向き合うことも出来る。
撮る側撮られる側撮らせる側、息の合った佳品。
えなこ
表紙と巻頭6ページ13カット、撮影は桑島智輝。
この手の限られた材料で組み上げて行くグラビアは矢張り巧い。
元になる漫画に寄せ過ぎると窮屈で退屈なものになりがちなのだけれど、換骨奪胎して被写体を生かしている。
コスプレ方面のモデルは「見せたい自分」しか見せたがらないのだけれど、八割満足させて二割やりたくない事もやらせるような人の悪い撮り方。
小日向結衣
巻中4ページ12カット、撮影はHIROKAZU。
こちらは「コラボグラビア」を言い訳に、最低限の部分でやるべきことをやったら、あとは野となれ式のもの。
モデルの特質は生かして撮れている。
加藤里保菜
巻末5ページ13カット、撮影は西村康。
眼鏡ありきでの人選だったのか、全篇眼鏡。
同じデザインでレンズ入りのものとレンズ無しのものを使い分けるなど、芸は細かい。
眼鏡が同じだと、視点が引っ張られてしまって表情に変化が付きにくいのだけれど、口の開け閉めを大袈裟にしてアクセントにしている。
この辺り、伊達に長くやっていない。
竹内愛紗
6ページ18カット、撮影は藤本和典。
「あの事務所が好きそうな顔だ。」と言う友人の評に唸る。 よくもまぁ見つけてくるものである。
表情は単調なのだけれど、動かすことで引き出しを開けている。
顔見世としては充分以上の出来。
松下玲緒菜
巻末6ページ9カット、撮影は細居幸次郎。
屋外撮影分をアクセントに、屋内でじっくり撮る細居幸次郎の横綱相撲。
撮り手が古谷完ではこうは行かない。 引き合いに出して上げたり下げたりするのは好まないが、マネジメントをしたいのか手活けの花にした上で見せびらかしたいのか判然としない遣り口には毎度辟易していたので、腕っこきのカメラマンにきちんと撮らせたグラビアになっていたのは喜ばしい。
ウエストを細く見せようとするあれやこれやにが苦笑を誘うが、写真としての出来は悪くない。
振替休日の月曜だが SUNDAY GIRLS 、早くもと言うか漸くと言うか5回目の開催。
「神保町試聴室」だが住所としては西神田3丁目。 神保町駅からも九段下駅からも水道橋駅からも、等しく遠い。
周囲は学校とオフィスビルなので、休日の午後は人影もまばら。
例によって10分ほど遅れて開場。 西日にたっぷり焙られたあとのビールが沁みる。
次のライブがあって出演後に移動するSAKA-SAMAが前物販。 お祭りムード。
前物販が終了し、BGMの音量が上がって下がってフェードアウトして開演。
姫乃たま
訳知りの演者と訳知りの客。 確信犯同士のの腹の探り合い。
良く出来た予定調和の中で進行するライブ。
韜晦なのか前面には出さないが、丁寧に作り込まれた楽曲も良い。
SAKA-SAMA
何とも形容しがたい奇天烈な曲。
仕掛ける大人の趣味嗜好が出た楽曲だが自由に歌い踊っており、実に愉しそう。
やらされてる感が無いのは良い。
戸惑いつつ見始め、あっけにとられているうちに終わった。
宗像明将×関美彦×姫乃たま(鼎談)
宗像明将はリリースイベント週が終わると精神状態が悪くなるとの事で、不機嫌だが饒舌な状態で始まった。
「Stereo Tokyo はっきり解散しないままサイト削除」な話など、昨今の宗像の「不愉快の種」についてひとしきり。
関美彦が制服向上委員会に楽曲提供(初のアイドルへの提供曲が制服と言う修羅の道 )したことを発表するも、宗像が話の腰を折って終了。
(※ちなみに作詞はサンダル高橋。)
宗像明将がサンダル高橋の政治的言動について腐していたが、あんなのは所詮ファッションでやっているにすぎないので、政治でも何でもない。
そもそもサンダル高橋に人の道を説く資格なぞ無い訳で、真に受けてはいけない。
宗像は「知っている事」について語っている時は放言でも聞き流せるが、したり顔で知りもしない昔のことを語り出すのはいただけない。
ボロしか出ないのだから止めた方が良い。
小林清美
様々なアイドルに提供した楽曲をセルフカバー。
アイドル的な振る舞いをしながら歌う事に味を占めたらしく、楽し気に客を煽る。 ひとしきりそんな感じで歌った後、ピアノ弾き語りに移行。
「さよなら惑星」に感服。 Peach sugar snowの儚げな歌声とは打って変わって、力強いピアノと毅然とした歌唱。
別趣の物になっていたが、これがまた良かった。
作文と化してしまった歌詞が蔓延る昨今であるが、小林清美の書くそれは、解釈と想像の余地を残した詞であり、詩である。
歌い手が変わり、解釈が変わるとまた別の意味を持ってくる。
Mi-Ⅱ
「Mi-Ⅱ?」と思ったら曲が始まって石田彰プロデュースの富士山麓アイドルであったことを知る。 歌って踊っての部分がしっかりしていて更に驚く。
間繋ぎのお喋りでは、近況として「自校(※自動車教習所の意)に通っている」てな感じで、じつに牧歌的。
曲が始まると鋭く激しく踊ってしっかり歌う。 もっと緩い感じのものだと思っていたので意外だったが、感心しつつ堪能。
ユメトコスメ
ユメトコスメはサポートバイオリンを加えた3人編成。
こともなげにやっているが恐ろしい技巧。 長谷泰宏のピアノが、いつもながら洒落乙で華やか。
長谷泰宏はピアノを弾く姿も実に絵になるのだけれど、今回は下手に座れなかったので撮れていない。 優しくも強くも弾けるのだけれど、タッチが柔らかいので耳への辺りは穏やか。 そして要所々々でグリッサンド奏法、これが良い。
譜面台を二個並べて長大な楽譜と向き合うユメトコスメサポートバイオリニストの田中氏。
ポロシャツに半ズボンと言う夏休みの少年のような出で立ちでいて腕っこき。
やさしくせつない歌声。 華やかで明るいピアノ。 的確に音を刻み耳をくすぐるバイオリン。
何も考えたくなくなり、何も考えなくて良い。 ユメトコスメの音楽にひたる至福のひととき。
南波志帆
出囃子代わりに The Cardigans の "Lovefool" を流し、口ずさむような口ずさまないような感じで、何やら良い香りを漂わせつつフワリと登場。
得も言われぬ良い香りを纏い、歌えば場を支配し、語れば相手を手玉に取る。 そして舞台からの「圧」が桁違い。
徳が高い。
後半はユメトコスメの長谷泰宏を呼び込み、ピアノ伴奏で。
モニタースピーカーからの返しが弱くて音がとり辛かったらしく、ミキサーとやり取りをしつつ歌っていたのを見ていての対応だと思うが、いつもより強めの大きな音で弾いており、南波志帆も歌いやすそうだった。
音数が多く、諧調が豊かで、演奏として聴き応えのあるものでありつつ、伴奏としても機能している。
南波志帆は「世界の長谷」と執拗に持ち上げていたが、そう言わせるだけのことは有る至芸。
外はうだるような暑さ、中も冷房は機能していつつも静かな熱気に満ちていた。
SUNDAYGIRLSは関美彦の顔付けが素晴らしい。 目と耳の肥えた音楽家が「見たい」「聴きたい人」を呼ぶシステムだからハズレが無い。
そして呼ばれた人と呼ばれた人が繋がり、其処此処で新たな化学反応。
Mi-Ⅱの出番が終わり、目当てで来ていた客が物販に行って空いた最前列の席に、南波志帆目当ての客が移動してきたのだけれど、ユメトコスメの出番中にずっと携帯と睨めっこでLINEをやっている。
で、南波志帆の出番後半にゲストピアニストで長谷泰宏(ユメトコスメ)が登場すると、臆面もなく拍手で迎える。
天知る地知るどころではなく、客からも演者からも可視化されている状態でこの振る舞い。
「人と人との繋り」に鈍感な人と言うのがコアな客の中に居たのに驚いた。
どの面提げて物販に行くのだろう。
昨日気になったのは、なんと言うか「聴けない客」。
聴くと言う行為に集中できない客が、隙あらば手拍子を入れてくる。 それも繰り返しの部分が表になったり裏になったり。
長谷泰宏の伴奏を超えた伴奏と、さらに挑発するような南波志帆の歌声。 スリリングな駆け引きが行われているのに、聴けない。
「手拍子=盛り上がっている」と言う短絡的発想。