エルガーの1番(フィルハーモニア管弦楽団、シノーポリ指揮)にしてみた。 退屈な曲なんで起きられないかと思ったら意外とそうでもなかった。
気がつくと降りる駅だった。 空しく発車する列車。
先月の給料でりょんりょんナイトの日に買ったブルックナーの6番(フランクフルト放送響、インバル指揮)を聴きながらの通勤だったのだけれど、このCDが曲者で、どこがどう良いってのは無いんだけど兎に角よく眠れる(苦笑)。
二つ前の駅までは意識があったのだけれど目を開けたまま寝ていたらしい。 末期。
仕事中にも意識が飛んだりしてどうにもしょうがないんで、残業を勘弁してもらって帰宅。 早々に晩飯を喰ってさっきまで寝ていた。
諸般の事情により下がっています。 いろいろ放置。
社食で飯を喰らいつつ「ドイツとブラジルの代表チーム帰国」というニュースを見ていたらドイツ出街カメコの中にファイターズ☆ミさんを発見(笑)
GO!GO!LIVE Vol.20 の予約クリック大会ですが、どうもやる気が出ない。 まぁ予約はしますが。
だいたい出演者は「ピカピカ他」と書いてあるのみ。 しかもピカピカは何人出るのか書いてない。 私は「澁谷さまは出るだろう」と高を括っているから鼻毛抜きながらヘラヘラしてられるけれど、「6月中の仕事はキャンセル」という告知があったっきりで7月ンなってもなにがどうなったのか判らないマコファンの人たちにしてみれば「ふざけんな!!」って事にもなろうし、VANVAN所属のほかの娘の客だって対処に困るだろう。 事務所側としても書くに書けない事が有る中で既に決まっているスケジュールを消化しなければならなかったり大変だとは思うけれど、金とってやる以上はそれなりの対応をして戴かないと客は困る。
先日のコンパクトディスコの時みたいに「最前列でズラリ並んだカメラ構えた客に向かってモッシュ」なんて言う普通の現場だったら殴り合いの一つくらい起こって何人か血だらけてぶっ倒れていてもおかしくない現場で揉め事一つ起きないってのは、事務所側への不信感とかそういう物がないから客の側に気持ちの余裕があって大抵の事は笑って許せるからだと思うのだけれど、ここの所のあれやこれやで客の側の気持ちも変化してきていると思う。 正直、閉塞感はある。
もう寝よう(苦笑)
家に帰ってVANVANサイトを見たら出演者 岩崎三沙子・森田有希・森谷佑子・久野さやか・ピカピカ(中略)※ピカピカのまこは出演いたしません。ご了承ください。の文字列、ライブインマジックの月間スケジュールにもピカピカ以外の出演者が漸く告知された。
情報開示の遅さが気になるが、それなりの事情も有ろうと思われるのでもうしばらく静観しようと思っている。 さて、クリック大会の準備でもしよう。
相も変わらず疲弊しておりまして、携帯からの更新が出来ないこっちは、パソコンの前に座って文字を打つ気力があるときだけになってしまっています。
日々の身辺雑記は二面楚歌 隠居所か、ミクシイの方にアップロードしてありますので、興味のある方はどうぞ。
モノクローム写真館に
SHIP さくらんぼまつりライブ サイン会
酒田市内 香梅咲 逢引き小路
をアップロード。
今日は文字助師匠がトリと言うことで、真っ直ぐ日暮里へ。
らく太 たらちね
志雲 呑める
談笑 幇間腹
龍志 こんにゃく問答
<仲入り>
志の吉 濁点撲滅委員会
談幸 馬のす
文字助 佐々木政談
厭な噺家が一人も出てこないのが嬉しい。
カフェ観戦の友人によると、昨日はスピーカーから音を出していたそうな。
おとついは何だったのだろう?
チームAの値上げ前最終公演。
1stセットリストを初期ユニット(但し、宇佐美の替わりにミネギシ)でやったそうだ。
家で酒飲んでる場合ではなかった。
今日はスピーカーの音量も十分あり、楽しく観ている・・・と友人から。
縦長画面のDVDを観て寝よう。
泣きたい夜もある。
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検索しても今回の芝居を手放しで褒め称えるブログばかり出てきて正直なところ気持ちが悪かったのだけれど、観に来た別の劇団の役者さんと大堀ファンの女子のブログで嘘の無い批評が書かれていて安心した。 特に後者は的を得た指摘なので一読をお奨めする。
かく言う私も奥歯にモノの挟まったような書き方しかしていない訳だが、客席の反応を見るに俳優座劇場的な芝居ではなく浅草木馬館的な芝居を見に来ている向きのほうが多かったようなので、これはこれでアリなのかな・・・と。
そんな訳で戸島の話に絞って幾つか。
戸島の役は人格が三つ存在していて、それが脚本の中できっちり描き分けられて居らず、場面ごとに戸島の演技そのものでその時々の人格を現さなければならない。
最初の人格は、父の処刑を手伝わされると言う奇禍によって10歳で心を閉ざし幼児化したまま育った20歳の村娘。
夫の処刑を同じように手伝わされて正気に返ったのが第二の人格。 シャンヌ・ダルク化して領主に立ち向かって行くのだけれど、台詞としては精神が異常に昂揚した状態で口にする耶蘇の教典の言葉だけなので、変化は唐突ながら正気では無いと言う点に於いては何とか繋がっている。
問題は第三の人格で、何の説明も無いまま10年の歳月を埋めて全てを了解した二十歳の娘になり、何故か通りかかった遊芸の一座に身を投じてしまう。
最初の人格は良くやれていたと思う。 鸚鵡返しの間の良さとか、声音とか。 唄いながら登場した一と声目を聴いた瞬間「出来たな」と感じた。
オバQにおけるO次郎の「バケラッタ」のような、鸚鵡返しで本来の意味を喪失した言葉の断片にしっかり感情が現されている。
第二の人格になると、脚本の矛盾が出てくる。
戸島としては演出意図に沿った芝居をしており、声の細さと張った時の聞き取り辛さを差し引けば、うわ言のように耶蘇の教典の言葉を呟き、やがて叫び、民衆の先頭に立って領主に立ち向かって行く、マックス・ヴェーバーの言う所の「カリスマ」には成れていた。
10歳のままで時を止めた娘が覚醒して、いきなり成熟した女性としての演技を始める唐突さには頭を抱えたが、これは戸島ではなく演出・脚本の拙さ。
全ての役柄に言える事だが、登場人物の性格や行動に一貫性が無い。
一揆が城を攻め落として領主を殪すと、カリスマたるその娘は行方を晦まし、遊芸の一座というアジールに逃げ込む。
この第三の人格になると、自らの人生を了解し、成熟した女性として舞台に立っているのだけれど、それについての説明は無い。
正気に返ったところで10歳で成長をやめている訳で、大人への階段を一気に二段飛ばして JUMP したとしても、メルモちゃんの青いキャンディーを舐めたとしても、10年の歳月を埋めて立ち居振舞いから考え方まで二十歳の女性に成っていると言うのは無理がありすぎる。
戸島はその無理を無理として、前後の関連性はさておき、そこにいる二十歳の娘としての演技をしており、前後の関連性さえ閑却して演技そのものだけ見れば、及第点をやれるだけの仕事はしていた。
芝居の終わりに、これまた唐突に始まるダンサーの群舞にあわせて壇上で手踊りのような所作をするのだけれど、指先まで神経の通った美しい動きで、戸島の本領が出ていた。
以前にも引いたが、荷風は「見果てぬ夢」の中でこう書いている。
「つまり彼は真白だと稱する壁の上に汚い様々な汚點を見るよりも、投捨てられた襤褸の片に美しい縫取りの殘りを發見して喜ぶのだ。 正義の宮殿にも往々にして鳥や鼠の糞が落ちて居ると同じく、惡徳の谷底には美しい人情の花と香しい涙の果實が却て澤山に摘み集められる……。」
「的を射た」と「当を得た」、どちらも次善なんです。
どちらを使っても納まりが悪い。
だからちゃんと文章を練って書いていれば、どちらも使わないのです。
如何に私が流して書いていたかと言う事ですね。 お恥ずかしい限りです。
# ☆ミ [ドイツ最高!オリバ〜〜〜〜〜〜Cho→かっこうぃぃぃ〜〜〜☆ミ ・・・トコロでどんなカンジの☆ミさんだったのでせうか..]