富久町から坂を上り、四谷四丁目のギャラリー・ニエプスへ。
子育てで写真から離れている10年の間に撮り溜めたと言う写真群から、撰り抜いてプリントしたもの。
育っていく子供の成長の記録であり、育てる側の心象の記録でもある。
デジタルカメラで撮ったものをモノクロームに加工して出力したとの事だったが、粒感のある美しいプリント。
暗室作業の経験が矢張り生きるようで、銀塩の風合いを感じさせるもの。
子供と過ごす日常をさらりと掬い取ったようでいて、一本芯のような物はあり、寄ったり離れたりして見ているうちに気付く構図の厳しさ。
手間も時間もかけられない中で撮られた一と齣が、生まれ持った美的感覚と習慣として身に付いた構図を切る技術によって、切り取られた瞬間から作品としての命を宿している。
そしてそれが、プリントされることによって生まれ出た。
人形や縫いぐるみをズラリ並べて川の字になって眠ったり、暗がりの部屋の真ん中に据えた灯篭の周りにやはり人形や縫いぐるみを取り巻かせて何やら祀りを執り行ったり、物心がつく手前の時期の子供の不思議な行動を捉えた写真が神々しく、妖しく、美しい。
子供と共に暮らす日常と言うのは、(恐らく私は経験しないまま人生を終えると思うのだけれどそれはさておき)、時間的にも精神的にも「それ以外の何か」に割けるゆとりを持ち難いようで、身の回りの「撮る人」同士の夫婦でも、母となった人はカメラを置いてしまうことがままある。
そんな中で、纏めたり発表したりする時間的精神的ゆとり迄は持ち得なかったとしても、日常の中でカメラを持ち続け撮り続けた営為は、尊いものだと思う。
寄ったり離れたり、行きつ戻りつじっくり見て、咀嚼し、消化することで分からなかった事が分かり、見えていなかったものが見えてくる。
滋味溢れる写真展であった。
行きたい現場が三つ重なり、遠くて暑そうなので回避しようと思っていたところに「撮れる」の報。
横須賀線に飛び乗ればなんとか間に合いそうだったので山下公園へ。
2月のお披露目以来、撮れそうで撮れない現場が多かったが、撮れるのであれば俄然優先順位は高まる。
楽曲も振り付けも衣装もきちんと作って貰えていて、レッスンを積んだ上で客前に立ってはいるし、出演するライブやイベントも必然性のあるものを選っているので、自転車操業で消耗戦に陥るようなことは今のところないが、新鮮味のあるうちに客が付くに越したことは無い。
前述の通り準備に準備を重ねた上で客前に出しているので、お披露目からはまだ数か月だがオリジナル楽曲だけでセットリストを組めており、目当てで来ている客はまだ多くないが、目の前の客の多寡に関わらず足を止めて貰おうとする意欲が押しつけがましくなく出ているのは良いと思う。
6人のメンバーのうち、場数を踏んで来たのが3人、初々しいのが2人、トンパチが1人。 バランスも悪くない。
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道地文子
危なっかしいところ無きにしも非ずだが、物怖じしないのは良い。 何処から切っても絵になる。
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神咲くるみ
気を抜いて撮っていた訳ではないのであるが、虚を衝く形で訴求力のある仕草や表情を突っ込んでくるので、泡を食って取り逃がしかける事が何度かあった。
そう、こんな感じで。
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石川野乃花
ストイックに突き詰めすぎてているような危うさを感じる事もままあるが、舞台の上に立つ人としては信用も信頼も出来る。
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杏斉ゆか
笑うと目が無くなる愛くるしさと、射貫くような眼力が同居。
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別所佳恋
兎に角「汚れていない」これに尽きる。
舞台の上からも楽しげな表情を素に近い形で見せてくれる。
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宮瀬しおり
舞台の上でやるべきことはやりつつ、こうして殺しに来る。
いつの間にやらこんな物騒な芸当も出来るようになっていた。
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横浜港を背にしたイベントステージは、なんとか6人で歌って踊れる広さ。 日は傾きつつあったが、ほぼ順光。
行きたい現場が三つ重なった日であったが、これが撮れただけでも横浜へ足を延ばした甲斐はあった。
撮った写真はこのあたりに。
HASEO主催のグループ展へ。
会場は新装成った渋谷のギャラリー・ルデコ。
以前より狭くなったが、それでも目抜き通りに面したビルの3階から6階までブチ抜きで展示スペースになっているので、こうして大規模なグループ展も開ける。
ギャラリーとしては、非常に良い。
先ず6階に上がる、丁度HASEOの作品解説が始まる頃合いで自棄な混み様。
HASEO作品は落ち着いて見られないどころか作品の前まで辿り着けない状態。
仕方のない事ではあるが、作品解説待ちの観覧者が他の出展者のスペースまで侵食して歓談、6階はざっと見て5階へ。
こちらも出展者と来客が作品の前で歓談しており、写真をじっくり見るような雰囲気ではなかった。
錦織智の作品は相変わらず美しく在ったが、作為と露悪が強すぎるようにも感じられた。
これは写真展のテーマに寄せた結果であり、別なところで別な形で見ればまた印象も変わると思う。
4階へ移動。
山本華漸の写真が何時もながら小洒落て狡くて美しい。 この人の写真は大仕掛けに纏めてドンと見たい。
全体的に撮ってから後の工程に力点を置かれたようなものが多く、予想はしていたがそれ以上に私向きではない展覧会だった。
写真と絵の間にある、絵寄りの、写真に似た何か。
良否ではなく、好悪に属する感情を刺激するもの。
美しくはあっても、見ていて心が浮き立たない。
厭悪ではなく、何と言うか、「俺はいいや」と言う諦めに似た感情。
出展者と来客、楽し気に歓談する祝祭空間。
煙草と食べ物と人いきれ、それに新築の建材の臭いが混ざった空気に耐え切れず、3階は見ずに退散。
役者をやっているショートカット女子の鏡越しの、毎朝の寝癖の状態を記録したセルフポートレイトをコピー用紙にプリントしたものを、集積する感じで薄暗がりの部屋の隅に貼り付けてある。 これを遠巻きに眺める。
一枚一枚の写真ではなく、それを集めた寝ぐせの集合体に意味を持たせたような、現代美術寄りの展示手法。
部屋のもう一方の隅には、起き抜けのベッド、壁に寝姿が投影され、生活音が流されている。 寝室に忍び込んだかのような後ろ暗い気持ちと、覗き見のワクワク感。
寝起きのすっぴんの寝ぐせ写真でも成立するビジュアルレベルが有ってこその虚構と現実のはざま。
見世物としては上手く出来ていた。
1人のモデルを様々なカメラマン( Jelly、Koujiro KANAZAWA、ムーニーカネトシ、舞山 秀一)が撮った写真、イメージして作られたアクセサリー(saku×labo(サク))などを集めた写真展。
親しみやすい雰囲気と、侵すべからざる何かが同居したような勁さ。
撮る側が投影するもの、撮られる側が放つもの。 このバランスによって、撮る人ごとに、まるで違う人のようにすら見える。
小ぢんまりした会場に溢れるくらいの量。 売れるたびに作品差し替えだったようで、何度か来るべきだったが、後の祭り。
最上もが
表紙と巻頭7ページ24カット、撮影はいつもの桑島智輝。
染めた金髪とカラーコンタクト。 作り込みに作り込んであるのだけれど、手入れは行き届いていて破綻は無く、ここまでやられてしまうとこれはこれで良いような気もして来る。
モデルの撮られたい自分と媒介側の欲しい写真の折り合いを上手く付けて回を重ねたことによる信頼感の醸成が見て取れる。
桑島智輝の、仕事師としての側面。
鈴木友菜
巻末5ページ11カット、こちらも撮影は桑島智輝。
適度に凹凸が有って手足も長い。
役でも服でもなく自分を見せなければならない撮影には慣れていないと見えて表情が単調なのは瑕だが、桑島智輝が構図とポーズ指示で引き出した造形美で帳尻を合わせている。
足の長いのを長くきれいに見せると言うのもなかなかどうして難しいのだけれど、この辺りが巧い。
給料が出たので、定期で購っているものを4冊買って帰ってきたのだけれど、フォトテクニックデジタルが出色の出来だった。
北原里英、中村歩加
表紙と巻頭14ページ25カット、見開き2か所。 撮影は細居幸次郎。
外でも撮っているが屋内中心。 外で撮ったものをアクセントにして、中で撮ったものを見せる手法。
技術誌らしく撮影機材とデータが載っているのだけれど、オリンパスはマイクロフォーサーズのOM-D E-M1 MarkII に17mm/f1.8と25mm/f1.2、ライカM9にはズミルックス 50mm/f1.4ASPH。
単焦点の標準レンズと一寸広めの換算35mm。
かなりのソフトフォーカスになっているのが2カットあるのだけれど、どちらも25mmで撮ったもの。 開けて撮っただけでここまでの絵にはなるのか、あるいは何かしらの細工をしているのか。 兎に角、良い。
中村歩加は撮られ慣れていないが故の硬さが出ているカットもあるが、北原の寄り添い方が上手く、和らいだところを細居幸次郎が逃さず掬い取っており、中でも10ページ11ページの2カットは、中村歩加の被写体としての魅力を良く引き出している。
北原も寄り添いつつ、脇に廻り過ぎずに自分の色は出している。
北原が良いから、中村も良くなる。 良い循環。
私がこの雑誌に期待しているのはアイドルグラビア誌にも年寄り向け月間写真誌にも載らない類の、想定読者層であるコアなアイドルファンに迎合せず、権威に寄り掛かったような分別くささもなく、それでいて質の高いポートレートなのである。
今月のフォトテクニックデジタルは、この巻頭グラビアの為だけでも購う価値がある。