富久町から坂を上り、四谷四丁目のギャラリー・ニエプスへ。
子育てで写真から離れている10年の間に撮り溜めたと言う写真群から、撰り抜いてプリントしたもの。
育っていく子供の成長の記録であり、育てる側の心象の記録でもある。
デジタルカメラで撮ったものをモノクロームに加工して出力したとの事だったが、粒感のある美しいプリント。
暗室作業の経験が矢張り生きるようで、銀塩の風合いを感じさせるもの。
子供と過ごす日常をさらりと掬い取ったようでいて、一本芯のような物はあり、寄ったり離れたりして見ているうちに気付く構図の厳しさ。
手間も時間もかけられない中で撮られた一と齣が、生まれ持った美的感覚と習慣として身に付いた構図を切る技術によって、切り取られた瞬間から作品としての命を宿している。
そしてそれが、プリントされることによって生まれ出た。
人形や縫いぐるみをズラリ並べて川の字になって眠ったり、暗がりの部屋の真ん中に据えた灯篭の周りにやはり人形や縫いぐるみを取り巻かせて何やら祀りを執り行ったり、物心がつく手前の時期の子供の不思議な行動を捉えた写真が神々しく、妖しく、美しい。
子供と共に暮らす日常と言うのは、(恐らく私は経験しないまま人生を終えると思うのだけれどそれはさておき)、時間的にも精神的にも「それ以外の何か」に割けるゆとりを持ち難いようで、身の回りの「撮る人」同士の夫婦でも、母となった人はカメラを置いてしまうことがままある。
そんな中で、纏めたり発表したりする時間的精神的ゆとり迄は持ち得なかったとしても、日常の中でカメラを持ち続け撮り続けた営為は、尊いものだと思う。
寄ったり離れたり、行きつ戻りつじっくり見て、咀嚼し、消化することで分からなかった事が分かり、見えていなかったものが見えてくる。
滋味溢れる写真展であった。