三日目になって中々の入り。
「青龍刀権次(3)爆烈お玉」玉川太福/玉川みね子
五年喰らって市ヶ谷監獄に入っていた権次。 生まれ故郷に帰って地道に暮らそうと思い立つも、生き別れた家族を探すうちにまたもや仇敵に巡り合ってしまう。
すぐに頭に血が上り、怒ると粗忽に拍車が掛かる小悪党の悲哀。
爆烈お玉は最後の最後に漸く出て来て、さぁこれから・・・と言うところで続きは次回。
良く出来ている。
「清水次郎長外伝 荒神山の間違い (3)飯田の焼き討ち」 神田春陽
こちらもおっちょこちょいの馬鹿が先走ってしくじる話。
大立者の出番は少ないのだけれど、脇役に味が有るのでじわじわと盛り上がり、さぁこれからと言うところでまた次回。
一回が30分としても十日で300分=5時間。 木戸銭が千円ポッキリと言う気楽さもあるが、続き物を細切れでじわじわ聴いていくかつての寄席の愉しみを追体験。
北島明、小林幹幸、笹口悦民、設楽茂男、中村和孝、舞山秀一、皆川聡。 6人のカメラマンがお仕事抜きで撮った写真展。
(それは恐らく世間的には写真なのであろうが) 私には写真であるようには思えなかったものもあったが、美術・工芸として捉えれば確かに美しくはあった。
会場は南青山の小原流会館の地下にあるhpgrp GALLERY TOKYO。 入口に扉の無い開放的な空間で入りやすいが、それは内と外との境目が無いと言う事であり、落ち着いて見られないのはいただけない。
地下一階に入る他のテナントは全て飲食店で、昼時に行った所為もあってか厨房からの排気が滞留し、様々な食べ物の匂いで溢れている。
悪臭ではないのだけれど、五感のうちの一つが常に刺激され続けている中で別の五感の一つを働かせると言うのは、中々に骨が折れた。
高いところから照らされているので、額装されたガラスの反射などは然程気にはならなかったが、照明は天井の蛍光灯のみ。 カラーの作品もある中、色温度についてどう考えているのか、考えていないのか。
写真を「見て貰う」と言う点に於いて、会場選びが雑だったのではなかろうか。
設楽茂男
木の葉や木片、貝殻などをじっくり撮った静物。
蝋燭の炎を撮った一点のみ、ガラス有りの額装だったが、ほかは全てむき出しのプリント。
スーっと浮き上がってくるように見えて驚き、瞬きをすると元に戻る。
小林幹幸
いつものスクールガール物。
写真そのものではなく、何かを足すことによって作品として成立させている。
自己模倣に陥りかけているような、美しくはあるが哀しい写真。
北島明
物と人の組み写真で7点。
真っ黒も真っ白も無い、黒に近い灰色と白に近い灰色とその間の色のなだらかな諧調が美しいプリント。
舞山秀一
長い事撮り続けている動物園の写真。
ぱっと見て全体を見渡せる大きさを超えると、受ける印象がガラリと変わる事を改めて感じる大写しの孔雀。
他の写真もそうなのだけれど、寄って細部を見て、離れて全体を、行きつ戻りつして見ていると、動物の居る部分に視線か吸い寄せられるような不思議な感覚。
これが面白かった。
前述の通りで私の思う「写真」とは異なる出品作も多く、図録のサイズにすると判らなくなってしまう作品も有ったので図録は見送り。
初の平日開催と言う事で、さすがに満員とはならなかったが、それでも中々の入り。
お席亭も含め、はねた後に出勤と言う向きもおられた由。
土日でもつばなれしないどころか客一人なんてことはザラにあったと感慨深げに暗黒時代を振り返る春陽先生。
客一人演者一人の状況をPK戦に例えていたのが可笑しかった。
平日で来られない人が多そうだと言う事で、続き物は一と休みして抜き読みで二席。
「天保六花撰 河内山と直次郎」 玉川太福/水乃金魚
曲師の違いでどう変わるかも見ていただきたいと語っていたが、幕が開く前の調子の合わせ方から違う。 衝立の向こうで座る位置も一寸奥の方。
一音々々に張りがあると言うか、引き立てるより掛け合いと言った趣の弾き方、食い気味のグルーヴ。
河内山と直次郎だと河内山の方が一枚も二枚も上なんだが、直次郎も権次と較べれば格段に肚が据わっている。
その辺りの悪い奴の描き方の違いもまた、面白かった。
「柳沢昇進録 浅妻舟」 神田春陽
柳沢昇進録だが生臭い話ではなく、英一蝶と宝井其角の友情譚。
私は毒にも薬にもならないがほのぼのとした、こう言う話が好きだ。
連続読みの箸休め、のんびり聴けた二席。
十日間連続読みの会も漸く半分。
再び暦も休日となり、ほぼ一杯の入り。
「青龍刀権次(4)血染めのハンカチ」玉川太福/玉川みね子
前回爆裂お玉が登場してさてどうなるかと盛り上がったところが切れ場で、さてどうなるかと思ったら、並行する別のエピソードが挟み込まれる憎い演出。
上手く出来ている。
曲師も戻って何というか耳への当たりは柔らかいが勁い音、合わせて被せてくるようなグルーヴ。
「清水次郎長外伝 荒神山の間違い (4)仁吉の離縁場」 神田春陽
段々に役者が揃って、緊張感が増してくるのだけれど、殊更張るようなところもなく、淡々と語るので聴いていて草臥れない。
登場人物も格が上がるほど声を荒げないので、静かに盛り上がって行く。
さぁて、どうなりますかと気を持たせてまた明日。
日本橋亭がはねて、午後の靖国講談会まで時間が空いたので、近くで開かれている写真展へ。
レンズは確かにノンライツだがカメラはライカだったり、ノンライツのレンズだがRF機では撮っていなかったり括りとして看板に偽り有りや無しやと言う感じがしないでもなかったが、写真展としては面白く拝見。
落ち着いて見られる環境と言うのが先ず良い。
新しくは無いビルなので天井は低いが、照明の当て方は考えられていて、見難いところは無い。
作品として一本立ちをしているものにも唸らされたが、私個人の嗜好としては作例と作品の間で揺蕩うような感じのものに惹かれた。
アンジェニューのアリフレックス用シネレンズをライカLマウントに改造したものにL-Mリングを噛ましてXマウントアダプターに付けてX-Pro1で撮ると言う回りくどさにも痺れたし、昼寝から目覚めたら目脂が溜まって目が霞んだようなアンジェニューならではの芯はあるもやもやも良い味。
アンスコシネマットの40mm/f6.3の、これぞ三枚玉と言う感じの暴れ方も良かった。
R-BIOTAR 5.5cm/T0.85レントゲンレンズで撮ったもの。
イメージサークルが狭いんで写真は文字通りの日の丸なのだけれどド真ん中の写りは良く、それを生かしてきっちり絵にしてきているのには感心した。
好事家ならニヤリとさせられる道楽の極み。
半蔵門のJCIIフォトサロンから靖国神社へ。 下って上って靖国通りに辿り着いたら、丁度ペトリカメラの東京営業所のビルのあったところだった。
境内で火遊びをしたバカのお陰で未だ空気はピリピリしており、其処彼処に背広を着た警備。
偉そうに踏ん反り返る村田蔵六の野郎を右に見つつ、拝殿に額づいてから靖国会館へ。
貞花先生の差配なので年寄夫婦の客が多く、携帯鳴らしたり一人で三席占拠したり傍若無人気味乍ら、女流にちょっかいを出す厄介は少な目。
貞花先生以外は若手からの顔付け。
「酒呑童子」宝井琴屯
「熊田甚五兵衛」田辺いちか
「沢村才八郎」一龍齋貞鏡
「魚屋本多」神田山緑
<中入り>
「赤穂義士銘々伝 大高源吾」宝井琴柑
「円山応挙の幽霊画」田辺一乃
「関ヶ原異聞・八丈島物語」一龍齋貞花
貞鏡さんは硬さと柔らかさのバランスの良い口調になっていた。
琴柑さんは演出過多と説明的に過ぎる部分(これは客層を考えると仕方がないのかもしれないが)気になったが、安心して聴いていられる。
トリの貞花先生、「面白い話ではないですが、情景を思い浮かべていただければ」と前置きして八丈島に配流された宇喜多秀家の話。
途中で先代文楽の大仏餅の一件の一歩手前の、間なのか絶句なのか良く分からない沈黙が何度もあってヒヤリとしたが、それ以外は流石の「聴かせる芸」。
顔付けを見て逡巡したが、行って良かった会。
貞花先生、中入りで引き出物を配ったり募金箱を持って回ったり八面六臂。
まだまだお元気そうだったので安心した。
「青龍刀権次(5)乳母の義心」玉川太福/玉川みね子
権次が出て来ないエピソードの続き。 わたくしといたしましては、いない方が楽しんで聴ける。
これまでのあらすじを語った後、眼鏡を外して本編に入るのだけれど、そこまでの時間が日に日に長くなって行く。
浪曲に耳が慣れてきたので、節回しを味わう愉しみ方も分かりかけてきた。
ここから面白味が増していくのだと思う。
「清水次郎長外伝 荒神山の間違い (5)仁吉の最期」 神田春陽
ついにクライマックスの切った張った。 血生臭いところなのだけれど、ねっとり演らずに、さらり淡々。
湿っぽくなりそうな部分も適度にクスグリを入れて軽く明るく。
引き込まれて聞き入ってしまうが、草臥れないのが良い。
明日から後半戦である。 気を引き締めて早起きしたい。
湿度は低いが日差しは強く、真夏日となった。
靖国会館は本日も大入り。
「村越茂助 左七文字の由来」田辺凌天
「回向院 猫塚の由来」神田こなぎ
「太閤記 本能寺の朝駆け 右大臣信長の最期」宝井梅湯
「石川一夢」一龍齋貞寿
<中入り>
「赤穂義士本伝 楠屋勢揃い」一龍齋貞弥
「爆裂お玉 三泥棒出会い」神田すず
「加賀騒動 紅葉山の闇試合」一龍齋貞花
こなぎさんは初見だが、特徴のある声。 ソプラノ。
この声がしっくりくる口調と演目が出来てくれば面白いのではないか。
中トリの貞寿さんが良かった。 語り込むべきは語り込み、客を引き込んだところで一寸はぐらかす。
基本的なところがしっかりしているので崩しても変な崩れ方はしない。
気持ちよく手玉に取られる。
良否の否では必ずしもないが、好き嫌いだと嫌いで、まぁ耳を塞ぎたいような局面もあったが、出たり入ったりも出来ないので心を無にして耐える。
貞花先生は今聴けて良かった。
黄金週間 十日間連続読みの会(七日目)
「任侠流れの豚次より"任侠流山動物園"」玉川太福/玉川みね子
「清水次郎長外伝 荒神山の間違い (6)仁吉の焼香場」神田春陽
黄金週間 十日間連続読みの会(八日目)
「天保水滸伝より"鹿島の棒祭り"」玉川太福/水乃金魚
「清水次郎長外伝より"小政の生い立ち"」神田春陽
黄金週間 十日間連続読みの会(九日目)
「青龍刀権次(6)涙の刑事部屋」玉川太福/水乃金魚
「清水次郎長伝より"次郎長の生い立ち"」神田春陽
黄金週間 十日間連続読みの会(千穐楽)
「青龍刀権次(7・大団円)権次の改心」玉川太福/玉川みね子
「清水次郎長伝より"心中奈良屋"」神田春陽
荒神山は七日目で大団円。 次郎長の株は上がるが、差し当たって誰も得をしない幸せにならない結末。
八日目は読み切り、九日目と楽日は次郎長の生い立ち。
侠客ものと言うのは題材としてあまり好きではないが、淡々と楽しく聴けた。
青龍刀権次も七話なので「任侠流山動物園」と「鹿島の棒祭り」。
「(春陽先生が次郎長伝なので)そのあたりのものを」で何を演るのかと思ったら「三遊亭白鳥作・・・」ここでまず一と笑い。
その件には触れずにじわじわと空気を換えて荒神山に入る春陽先生も良かった。
青龍刀権次は馬鹿で強欲な小悪党の情けない上にも情けないエピソードを味わう演目だと思っていたが四日目から風向きが変わり、白浪物から探偵小説へ。 強引なまでに登場人物の因果が絡み合う江戸風味と、理詰めで犯人を追い詰めていく開化めかした部分の同居。 派手な登場のわりに殆ど何もしない爆裂お玉など、物語として詰め切れていない部分をどう聴かせるかと言う苦労は有ったと思うが、刑事が登場して以降の部分は特に面白く聴けた。
十日興行に九日通うと言う酔狂な連休。 流石に最後の三日は草臥れ果てていたが、お陰で早起きのサイクルを崩さずに済んだ。
「中年男性が女子小中学生に声をかけて撮影しただけの写真を集めました。 それが、声かけ写真展。」
池上中学校の使われていない部分の校舎を利用した世田谷ものづくり学校の三階が展示会場。 冊子が付いて入場料1000円。
教室の机の上に写真が並べられている。 「声かけ写真展」なのだけれど望遠レンズで撮ったものもあり、そうなると合意形成についても怪しくなってくるのだけれど、その辺りには触れずに冊子のコメントが「懐古」「肯定」「夢よもう一度」ばかりだったので頭が痛くなる。
まぁ否定する立場からコメントを寄せることも無いと思うが。
四人四様で被写体の選択、相手との距離、撮り方、似たような状況乍ら写真として出来上がった物はさまざまで、自分の欲望をオブラートに包むか隠すか、もしくは欲望が顕在化としてしまっている事に本人だけ気付いていないところまで写真に現れている。
青山静男の撮る写真は自律的且つ抑制的で良かった。
謎の自動予約システムが発動し、金策もついたので観覧。
飯田橋と水道橋と神保町と九段の丁度真ん中と言うか、どこからも遠いと言うか、そんな西神田三丁目の試聴室 神保町が会場。
出演は星野みちる、小林清美、姫乃たま、Chicago Bass (大友真美 [ex.ブリッジ]、松村元太)、Pastel Pants (里本あすか a.k.a. asCa)、越智灯子、宗像明将、関東MUSIC 、青野りえ。 そして関美彦。
ばらばらで脈絡が無いようでいて、どこか筋の通った顔付け。
以下、順不同で散文的に。
Chicago Bassは「絵を描いていたり、スポーツ大好きだったりしてなかなかメンバーが揃わない」とかで2人での出演。
Bridgeが好きで、アルバムのみならず一曲だけ入っているトラットリアのコンピレーションなども探して買い、解散後のカジ、大橋、清水のものも買っていたのだけれど好みに合わず、それは大友真美の歌声が無い事も大いに影響していたと思うのだけれど、いつしか追いかけることも無くなってしまい、忘れかけたころにその大友真美の居るバンドに出くわした。
エフェクターを数珠繋ぎにした松村元太がギターの音色を決め、リズムマシンを操作して速さを決め、それで大友の合意を得てから(偶に再考を促したりもする)ギターを弾きはじめ、歌が乗っかっていく。
スタジオでのセッション遊びを覗き見ているような不思議な感覚。
大友真美の歌声は大友真美ならではの、甘く、可愛らしく、一寸舌足らずでありつつも凛としたものであった。
小林清美は手掛けているPeach sugar snowが病欠でプロデューサー本人のみ出演と言う変則的な形態。
Peach sugar snowが歌うはずだった曲と自作曲の弾き語り。
この弾き語りが実にどうもどうかしていて、打楽器的奏法で伴奏の域を超える音圧。
床を文字通り踏み鳴らすようにリズムをとり、手拍子を促す。
弾く人格と歌う人格がシンクロしつつも別々に存在しているかのような迫力。
歌う曲によって無垢な少女のようにも成熟した女性のようにも、「成る」と言うか「降りて来る」と言うか。
下手に関わると命を落としそうな、それでも悔いが残らなそうな、兎に角凄いものを見た。
Pastel Pantsはオケにシンセを被せるやり方で生っぽさを演出。 一人ユニットで自己完結できる分、エレクトリックリボン時代より悲壮感が薄いと言うか、大変そうだが楽しそうでもある感じ。
姫乃たまは殊更「地下アイドル」と言う看板を掲げたがる(そしてその割に「地下アイドル」と言う物の定義が曖昧だったり起源を知らなかったり)ところがあまり好きではなかったのだけれど、曲のつくりは面白く、オケも金より手間を掛けたタイプの分厚く複雑な音。
あまり合理的ではない作り込み方が、却って面白く感じられた。
何故か出てきた宗像明将とのデュエットは完全に弁当幕。 舞台の上を這うケーブルやシールドの類を踏み荒らして踊っていたのには、見ていて痛みすら感じた。 舞台の上に上がる者としての常識が欠如している。
歌い終えてから主催の関美彦を交えてのアイドル談義(ほぼ宗像のひとり語り)。
肉フェスで客の一部が暴れて官憲の介入が入った一件を日刊Spa!が面白おかしく取り上げた事について苦言を呈していたが、こんなのは今に始まった話でもなく、萬朝報の堂摺連糾弾キャンペーンの昔から無軌道な青少年と社会の木鐸さまとは相性が悪い。
この裏を取らずに感覚でモノを言ったり書いたりするところが私は嫌い(※ピカピカについて書くにあたり、事もあろうに虚言屋の綿井にだけインタビューして、裏を取らなかった件に関して、私は立腹している。) なのであるが、その軽さ故に読みやすく、受け入れられてもいるのだろう。
越智灯子は前座で出て来て(他の出演者も巻き込んでゴム飛びなどしつつ)三曲、中盤に関美彦のピアノ伴奏で一曲。
まぁ私は楽曲大賞系イベント全否定なので、この人とは考えが合わない事も多いのだけれど、やっている事は面白い。 大体に於いて、どうかしている。
久しぶりに見た星野みちるは、一寸ふくよかになったような気がしないでもないが、下顎が小さく、尖っているので割と痩せては見える。
ボソボソとヤマも落ちも無い話をするのだけれど、それが妙に可笑しい。 歌以外の全てが出鱈目な感じ。 この辺りは変わらない。
弾き語りは指がキーボード慣れしてしまっていて、弾くより押すに近いような音だったが、歌を引き立てるような弾き方にはなっていた。
驚いたのは振り付けのある曲でもっともらしく踊れている事で、勿論間違えないしきまり悪そうな顔もしない。
歌割りが有る部分と無い部分(無い部分の方が多い)でダンスの説得力に乖離が有り過ぎたのは過去の話で、今は全て自分で歌っている訳であり、歌っていさえすれば情念の籠った動きになる。
歌う事で評価され、評価されることで良い出会いもあり、良い曲良いスタッフに恵まれて良い歌が歌えている。
その「歌う事によって得られた幸せ」が、聴く者にも伝わる良いライブであった。
弾き語りと伴奏で4人のピアノを聴いたのだけれど、それぞれの個性が出ていた。
聴く者を圧伏せしめるかの様な小林清美、ピアノが蹴躓くと歌も蹴躓く越智灯子、ピアノが蹴躓いても歌は蹴躓かない星野みちる。 陰に陰にと回り込むような関美彦。
三時半に始まって終演が八時。 体感時間は「あっという間」ではあったが、みっちりと四時間余。
心地よい疲れとともに帰宅。
サキドルエース SURVIVAL 5
グループアイドルから一人代表を出し、表紙と巻頭グラビアを掛けて投票させる企画。
巻頭巻末16ページ、一人1ページ1カットずつ。 撮影は細居幸次郎。
根本凪(虹のコンキスタドール)
雨宮伊織(妄想キャリブレーション)
久松かおり(サンミニ)
荒川優那(アキシブproject)
安藤咲桜(つりビット)
横井ほなみ(FES☆TIVE)
星名はる(アイロボ)
天照大桃子(バンドじゃないもん!)
野田仁美(READY TO KISS)
中根もにゃ(STARMARIE)
水着2パターン、Tシャツ、ステージ衣装と限られたページ数にこれでもかと突っ込んである。
私の身の回りでは(関東圏では)既に品薄になっているようだが、全国的に売れるかどうかは一寸判らない。
撮影スケジュールに関しては人数と手間に見合った時間が取れているように見受けられるが、やはり流れ作業的なものにはなっているようで、顔と身体の肌の色が著しく違っていたり、表情が強張りに強張っていたりもするのがあったり、完璧ではないものの細居幸次郎らしさの欠片くらいは出ていて、顔見世グラビアとしては及第点以上の出来。
肚を括った根本凪が出色。 カメラと向き合う事に困惑と恐怖を感じている兆候が見られた安藤咲桜も、今回はそれなりに柔らかい表情。
照明のかつちり組まれたスタジオで水着になる、撮られる機会などは無い者が多かったと見えて、総じて表情は硬いのだけれど、ステージ衣装でカメラに向かうと表情も生きて来る。
投票企画は嫌いなのであるが、そうでもしないとこうした面子が紙面に載ることも無い訳で、痛し痒し。
前座勉強会になると、前座二人にゲストで真打と言う構成になる。
開演も10分前倒し。
並んで会場を待っていると、中から太鼓の稽古をする音が漏れて来るのであるが、どちらが叩いていたのか、これがまた空っ下手で微笑ましい。 微笑ましいが延々聴かされると中々つらい。
「出世藤堂」田辺いちか
「寛永宮本武蔵伝 天狗退治」神田みのり
「寛永宮本武蔵伝 熱湯風呂」神田みのり
「天狗退治」を読み終えたところで「まだお時間があるようですので」と「熱湯風呂」を読み始める。
読み終えたところでお席亭が出て来てゲストの宝井一凛先生休演のおしらせ。
食ってかかったり文句を言ったりする客もおらず、無事御開き。
二人共蹴躓いたり抜けたりトチったりする場面はあったが、自分の口調とリズムは出来掛けているように思われる。
「粗いな」と思うところと「おや、これは。」と膝を乗り出すところと綯交ぜになっているのが前座勉強会。 腐すのは野暮と言う物。
一凛先生の入りの遅れ→休演をどの段階で知らされたのかは分からないが、それが動揺に繋がったのかもしれないし、そうではなかったかもしれない。
入りの遅れとか休演、抜いちゃうなんて事は常に有り得る事なので、これを糧にしていただきたい。
馬場ふみか
巻頭8ページ16カット、見開き1か所。 撮影は佐藤裕之。
肉感で攻める衣装だが、布面積を少なくすることで面を見せるものと、布面積を多くすることで線を見せるものと、二通り使っており、相互作用で悶々とするような仕組み。
馬場ふみかの表情は諧調に乏しいのだけれど、上手い事引き出して切り取っている。
6ページ目に息を呑む。
早乙女ゆう
巻中3ページ10カット、撮影は細居幸次郎。
3ページに無理算段して押し込んだので些か窮屈ではあるが、写真の選択は悪くない。
2ページ目下段、窓から差し込む光で身体の線を描き出したカットが良い。
桜井日奈子
巻末5ページ11カット、撮影は細居幸次郎。
表情に薄っぺらな作為が有ると言うか、素でカメラの前に立てていない。
何とかしようとしている細居幸次郎の報われない営為を眺める5ページ。
高校生と思しき少女の四季を記録したような体裁になっている。
セーラー服、ブレザー、夏服冬服、体操着に水着。 部屋着、普段着からよそ行き迄。 ガーリィなものからボーイッシュなものまで各種取り揃えてお届け。
撮影は青山裕企なのであるが、全てのカットに生駒里奈の意思が反映されており、青山の写真にありがちな下司張った覗き見趣味みたいなもの控えめ。
偶にある「下司な魂胆」の透けて見えるカットも、生駒里奈のお目こぼしがあって存在している。 すべてはお釈迦さまの掌の上の出来事。
下心のある下僕としての青山裕企は、存外有能なのかもしれない。
(こちらも良く出来ていた)生田絵梨花の写真集で唯一の蛇足は水着の部分であったが、生駒里奈は蛇足である部分を敢えて作ることで必然に転換すると言う魔法を使った。
体育館の倉庫で夏服を脱ぎながら下に来ていたスクール水着になっていくのだけれど、体育館と廊下で全てが完結してしまう。
水泳帽を被ったり、髪を濡らしたりしたカットはあるが、暗喩としてしかプールは出て来ない。
水着になるシーンではなく、水着になってみせるシーン。 恩賜の水着。
これで殊更作ったような表情で溢れていると醒めてしまうのだけれど、カメラと向き合った上で必ず虚構ではないが必ず現実でもない表情を見せており、醒めるどころか引き込まれてしまう。
生駒里奈の意思が詰まり過ぎた息苦しさは有るものの、それは生駒里奈が逼ってくる息苦しさでもあり、ページを繰るひとときは、重くはあるが甘美なものとなった。
錦織智による、私家版写真集。 流通はしていないがこちらで購える。
(写真も何点か見られるので、一読をお勧めする。)
生駒里奈の写真集は商業ベースに乗ったものであり、被写体の側に主導権があったのに対し、こちらは私家版であり、撮影者が主導権を握っていると言うか、カメラの前で被写体が生き生きと振る舞えるようにしつつ、絵を作る意思は撮影者の側にある。
対照的だが、実に良く出来ている。
頒布価格は4千5百円なのだけれど、平綴じで紙質も印刷も良く、 規模の経済性から考えると殆ど利益は出ていないと思われるし、物の対価として適切。 寧ろ安い。
カヤメンタリー4と題されている通り、同じ被写体を撮り続けた連作の4冊目。
他のカメラマンには撮らせていないようで且つモデルを生業にもしていないようなので名前は出て来ないが、被写体としての魅力はある。
撮られることを赦している被写体の信頼を勝ち得つつ、少し裏切る。
表紙で使われているスカートが風に煽られるカットも、斜め下から撮りつつも信頼を損なうような下卑た写真にはなっておらず、しかし煽られたスカートから覘く膝上数十センチの白さが網膜に焼き付くような鮮烈さはある。
タイミングを逃さない下準備を周到にしつつ、それがあからさまに出ない巧さ。
混みそうなので早めに出たが、九時前に着いて既に蕎麦屋の前辺り。
あとから来たのが何やら写真を撮っているなぁ、・・・と思ったら楽屋口近くに並んでいた連れ合いだか何だかに話しかけて、なし崩しに割り込みやがった。
中に入ってみたら桟敷のド真ん中に陣取って居やがる面の皮の厚さ。
こういう客もいる。 割り込まれた後ろの客が何も言わないのが悪い。
「天保水滸伝 相撲の啖呵」神田松之丞
六月四日の自分の誕生日の会で天保水滸伝を通しで演るんだが、浚う場がない。 「朝練」ですからと前置きして天保水滸伝の発端を。
これはまぁ照れ隠しのようなもので、読み始めればみっちりこってり。
過剰と言えば過剰であり、見る者を聴く者を巻き込む力が強いので草臥れるのであるが、この過剰さが見られるのも今のうちであると思われ、今しか見られないものに浸り、味わう。
「大岡政談 鰯屋騒動 伊勢の初旅」神田春陽
立川談志の「人情八百屋」の元になったと言う演目。 担ぎの八百屋が長屋で出会った親子に掛けた情けが仇となる。 「唐茄子屋政談」のようでもあり、「人情八百屋」のようでもあり。
陰惨な場面もあるのだけれど、春陽先生が要所々々で空気を入れるので重くなり過ぎない。
心地よい疲れを感じつつ、広小路亭へ移動。
朝練講談会で松之丞さんが顔付けの苦労を語っており、愛山先生がトリと言うのも魅力的だったので広小路亭へ。
日本橋亭から流れるかと思いきやそんな事も無く、そこそこの入り。
聴きたいものと苦手なものが混在し、後者が多い。 最初と最後が聴きたいので耐える。
開口一番で前座が二人。 十五分ずつ貰えるのは良い。
最初見たときは良い印象の無かった神田みのりさんが、かなりこなれて来ていた。
「天保水滸伝 鹿島の棒祭り」神田松之丞
「相撲の啖呵」の続き。 お馴染み平手造酒が例によって酒飲んで暴れるお話。
繁蔵んトコへ転がり込むまでのぶぶんをたっぷりと、残り時間を袖に訊いてから、残り10分で棒祭り。
平手の酒の上の悪さ、駄目さ加減と、剣客としての凄みを堪能。
紫先生の髪型が後家の切髪のようで年相応でもあり、召し物にも演目にも合っていた。
蘭先生は出で立ちから口調から客の弄り方まで女である事を前面に出したもので、私が最も苦手な部類なのだけれど、修羅場の言い立てになると、これが上手い。
良し悪しではなく、巧拙でもなく、好きか嫌いかに係る部分なのだなぁ、と改めて。
「就活物語」神田愛山
「行った方が良いですよ」と方々から言われつつ、なかなか足を運べず、生で聴くのは今日が初めて。 初めてなのに難易度の高い演目。
現代が舞台の新作なのだけれど、これまで聞いた講談の新作と違い、会話より地の文の方が多い。
地の文と会話のバランスが講談を講談足らしめている事を再確認。
客の弄り方に愛山先生の人としての面倒臭さが出て来るが、語り口は飽くまでも格調高く、聴いていて心地よい。
色々有ったが差し引きでプラス。
どんな講釈が見たい(聴きたい)のか、いよいよはっきりしてきたのも収穫だった。
吉﨑綾
巻頭9ページ16カット、見開き1か所。 巻末5ページ8カット。 撮影は桑島智輝。
沖縄ロケで巻頭巻末ぶち抜きである。
ハイキーに撮って漆喰で塗り固めた左官屋みたいな写真になっているのが幾つか有り、全部が全部良い訳ではないが、衒わずにカメラと向き合えてはおり、粗を無理に隠すような撮り方もしていない。
ハイキーに撮る理由を考えながらページを繰っていたら、なんとなく判ってきた。
良くも悪くも生成りと言うか露地物と言うか、粗と言えなくもないところが見え隠れしており、それを整えて出したら作為的になり過ぎてしまったのだと思う。
髪型一つ、撮る角度一つでガラリ印象が変わる。 これだけの紙幅を割くだけの事はある素材ではあった。