高橋朱里
巻頭8ページ10カット、見開き1か所。 撮影は佐藤裕之。
・表情は諧調に乏しく
・仕草に意味を持たせる事も出来ない上に
・カラーコンタクトで目が死んでいる
と言う三重苦。 苦し紛れの作り笑いが無いのが救いではあるが、それだけ。 何もない。
表情の単調なのは切り取り方で変化を付け、能動的に動けないところは指示を出し、体形の粗は衣装とポージングで補正。
高橋朱里を盛り立てている人々で営為で何とか間を持たせた8ページ。
当たりカットを選って大き目に使った割り付けも良い。
「佐藤裕之のブツ撮り」と言う、滅多なことでは見られないものが載っていると捉えると、これはこれで良いような気もして来る。
横からの光による陰翳で身体の線を描き出したカットは美しい。
モデルとしての高橋朱里には何もない事は露呈してしまったが、それを補って余りある裏方の仕事振りは堪能出来た。
ほのか
巻末5ページ9カット、撮影は唐木貴央。
前半は夏の晴天の浜辺やプールサイドで水着、後半は薄暗い屋内で水着。
太陽を背負わせようが何をしようが眩しいものは眩しい訳であり、前半はほぼ固まった笑顔。
後半はどう振る舞えば良いのか分からなくなっているような表情。
カメラマンの腕以前に、編集者の発想の貧困によって予め失敗が運命付けられている悲劇。
「PIP思想の良質な部分を継承した、都市とメディアとアイドルを横断する意欲的なプロジェクト。」と言う感じの戯言が流れて来たので、確認するために足を運んでみた。
開場5分前くらいに現地へ。 既に開場を待つ行列が出来ていたが、主催者による整列などは行われず。
ライブハウスの告知ページに予約フォームが有ったのでとりあへず予約を入れたら確認メールが来たのだけれど、入場時にそのあたりの確認は無し。
PIP: Platonics Idol Platform のノウハウはこの時点で既に生かされていないことが分かる。
見たところ PIP: Platonics Idol Platform からの客は少なめ。 開場と同時に入った客は4~50と言ったところであったが、徐々に増えて開演までに二回ほど影アナでお膝送りのお願い。
お披露目から大入りと言うのは幸先が良いが、入れなかった客への対応は満員で入れない旨の貼り紙一枚。
木で鼻を括ったような対応に、入れなかった知己は憤慨していた。
舞台の奥の壁に白い衣装が掛け並べてあって、無言で出て来たメンバーがそれを身に纏い、整列したところでライブが始まった。
全員サングラスを掛け、動いて落ちるのを防ぐためか黒いレースのリボンを巻いてあるから表情どころか面相もはっきり見えない。
自己紹介もしないので誰が誰なのかも知り得ないし、そもそも何人出て来たのかすらだにも分からない。
メンバーは楽し気に喋ったり歌ったり踊ったりしているが(スタッフも楽しそうであった)、何の説明もなく手前勝手な世界観を押し付けられ続ける我々は良い迷惑であり、最前列に張り付いた客と後方でオダを上げている連中がワイワイやっている他はおいてけ堀を喰らって困惑の体。
グループ名の表記は ・・・・・・・・・ なのだけれど、
「読み方は決まっていません」「皆さんで決めてください」
マークになってしまった時のプリンスですら、読み方についてのルールはあったが、それすらも無い。
図に示した通り、検索エンジンからも拒否されてしまう。
読めない上に検索すら出来ないグループ名を付けてしまうと言うのは、全く理解できない。
面倒なので以下「ナカグロ(仮)」と表記することにする。
メンバーの心拍が感じられると言う小道具も回ってきたが、そもそもどのメンバーのものかも分からないし、そのメンバーについての情報も提示されていない。
何の思い入れも無い状態でそんなものを渡されても気味が悪いだけであり、客席を盥回し。
演る曲はと言えば、別にアイドルがやる必要も無さそうな当世風のロック。
振り付けや歌は、お世辞にも上手いとは言えないが、上手くなくても良いと思ってやっていそうな捻りの無いもの。
前述の通りサングラスを掛けっぱなしで表情も面相も窺い知れないのだけれど、その奥にあるものに興味を持たせるような演出も無い。
これは中の人が誰でも良いと言う事なのかもしれないが、メンバオーディションに落ちたと話している女子が見に来ていた。
コンセプトも杜撰に過ぎるが、何も考えないで考えたふりをしているのだろう。
ボーカロイドが歌っている間に踊っていたり、直立不動で立っていたりするのまでは我慢して見ていられたが、最後が酷かった。
ひとり一冊文庫本を持って並び、インストゥルメンタルの曲に合わせて朗読を始めるんだが全く聞き取れない。
そのうちに文庫本のページを破り捨て始めた。
書物は人類の叡智を象徴するものであり、それを破り捨てるのは文化文明の否定である。
何らかの寓意が込められていたのかもしれないが、実に不快だった。
そして曲の終わりとともに全員が倒れ込み、開演時に着込んだ白い衣装を脱ぎ捨てて楽屋へ引っ込んで行く。
全員が引っ込んだ頃合いに楽屋から「ありがとうございました!!」と叫び声。
客電が灯って終演。
コンセプト倒れと言うかコンセプト負けと言うか、小一時間拙い自慰を見せられたような後味の悪さ。
本を破いて捨てるのは文化文明の否定であり、顔を見せない名前も明かさないのは個の人格の否定である。 それをインテリ崩れの大人が指示して、良く分かってない子供を使嗾してやらせる。
さながらクメール・ルージュ。 醜悪以外の何物でも無い。
「ナカグロ(仮)」は PIP: Platonics Idol Platform の遺伝子など欠片も無い、天一坊みたような食わせものだった。
映像記録スタッフとして元PIP: Platonics Idol Platformの瑞野が入っていたが、元演者として演者の人格を否定するようなもの、PIP: Platonics Idol Platformの後継者を僭称するような紛い物に関わることについてどう考えているのであろうか。
PIP: Platonics Idol Platform のお披露目は、駄目なりに良かったと言うか、その後の展開に希望を持てるところがあったが、「ナカグロ(仮)」のお披露目は、其の底に希望すらだにも残らない、絶望のみが詰まったパンドラの匣であった。
馬場ふみか
巻頭8ページ9カット見開き1か所、巻中4ページ9カット。撮影は藤本和典。
緩く結んだポニーテール、白の半袖ポロシャツにグレーの膝上丈のプリーツスカート、短めのソックス。 靴はアディダスの SS 80s だろうか、青のラインの入った古風な白いスニーカー。
制服っぽいようなそうでないような出で立ち。 身体の線を描き出し過ぎないブラウスのサイズと、スカートへの裾の入れ具合も程よく。
衣装などは伊井田礼子。
グラビアのモデルもやるが、服を見せるモデルも芝居もやっている。 これらの相乗効果で見応えの有る18カット。
服に「着せられた感」がなく、服だけを見せるグラビアにも自分だけを見せる写真にもなっていないのが良い。
水着はどうしても肉感的なところを強調したなるのであるが、服を着たカットでは露出は抑えて仕草や表情で見せる。
巻頭2ページ目上段のヘアゴムを加えて髪を束ねようとするカット、巻中の扉のワンピースの裾を少したくし上げるようなカットが、撮りも撮ったり撮られも撮られたり、頭抜けて良い。
水着も肉感的なところを生かしたものが選択され、煽情的ではありつつもあからさまなポーズはとらせず、程の良い色気。
そして小さめの活字のキャプションポエム。 これが珍しく琴線に触れた。
ロケーションや衣装まで含めて、ヤングジャンプらしい抒情的で質の高いグラビア。
藤本和典の仕事の中でも出色。
片山萌美
巻中3ページ6カット、撮影は唐木貴央。
写真集の広告のような感じであるが、悪くは無い。
早乙女ゆう
巻末5ページ10カット、撮影は細居幸次郎。
曇天の屋上が一枚ある他は屋内。
ワイシャツっぽい白のセーラーブラウスに臙脂のリボンタイ、ミニ丈のライトグレーのプリーツスカート、白のミニハイソックスに黒のペニーローファー。
合皮のスクールバッグを提げたり抱えたり。
一寸面白いデザインのブラウスなのだけれど、大きく使われたのは最初のページのみで、あとは小さく3カット。
リボンタイの結び方が雑なのだけれど、これが現実的な形なのかもしれない。
水着を見せなければならないので仕方がないと言えば仕方がないのであるが、道具立てが面白い。
「スタイリング:森千鶴子」これは記憶しておきたい。
薄いピンクと濃紺の三角ビキニ。
水着になると隠したり切り取ったりぼかしたりして粗を隠す戦略。
そこまでするのであれば服を着ているカットをもう少し増やしても良かったように思うが、まぁ色々あるのだろう。
柿崎芽美
欅坂46のメンバーが週替わりで12人プレゼントページに登場との事で、不覚にも見落としていて、これが3週目。
モノクロ1ページ1カット、カラー1ページ1カット、撮影は細居幸次郎。
一寸白く飛ばし過ぎなような気もしないでもないが、表情の切り取り方は良い。
金子理江
巻頭7ページ10カット、撮影は桑島智輝。
海辺の町で撮った水着多めのグラビアなのだけれど、夜の浜辺、林の中、木陰etc...、夏らしさは感じさせつつも光が強く当たり過ぎない状況下で撮っているので、1ページ目のような光溢れる海に立ち眩し気にこちらを見つめるカット以外は表情が生きている。
眩しさに必然性があれば、強い光の下でも写真にはなる。
髪の傷みが激しく、安手の鬘のような質感。
仕事で染めなければならない事情があったのであれば仕方がないが、趣味嗜好で色を入れたり抜いたりしてこうなってしまったのであれば、自分の仕事に対する思慮が浅すぎる。
やるなら破綻しないように金と手間は掛けるべき。
髪はあしらい方で上手く誤魔化せているところもあり、破綻しているところもあるが、肩甲骨の下あたりまで伸ばした髪を出来るだけ写り込ませずに撮って絵を作る桑島智輝の仕事には唸らされる。
水着は大き過ぎたり小さ過ぎたり、意図してサイズの合っていないものを着せているが、見せ方が下衆でいただけない。
サイズの合わないものを敢えて着せる事によって身体の線を描き出そうとしているのかもしれないが、成功していない。
眩しげであることに意味を持たせた1ページ目と、髪が傷んでいない生え際の部分でうねりを出して視線を誘導する6ページ目が上手い。
モデルは撮られるがままで仕事をしていないし、衣装も首をかしげざるを得ないが、桑島智輝の腕で持たせている。
毀誉褒貶相半ばする金子理江であるが、人の心に波風を立てる何かは持っていると思う。
それがプラスに働くと、この撮影のように裏方に盛り立てて貰えることもあるが、マイナスに働くと「盛り立てて貰えている事」自体が不快に思われてしまう。
私は何というか、気味が悪い。 関わると不幸になりそうな、躓きの石。 Loreley 的な何か。
人の心に波風を立てる何かは幻想に過ぎず、中は空洞なのではないか。
堀みづき
巻中4ページ8カット、撮影はTakeo Dec.
表情は悪くないが、こちらも髪の傷みが激しい。
プールで撮るのにかこつけて髪を濡らして撮ったのは良い。
作為は有るが笑顔になると表情の諧調は豊富で、そこに特化した写真の選択と割り付け。 力技ではあるが見られる物にはなっている。
加藤里保菜
巻末5ページ6カット、撮影は西村康。
眼鏡がトレードマークになっている訳であるが、眼鏡と言うものは実に厄介で、正面から撮らないと目に掛かってしまう事がまま有り、目に掛からないようにすると位置が不自然になってしまう。
レンズが入っていれば透過した光は影響を受けてしまうし、表面の反射も邪魔になる。
そんな訳で顔を撮る事の出来る角度が限られてしまう為、些か冗長。
ポーズも表情も、湿板時代のそれのような固まった写真。
退屈な5ページだが、カメラマンが何とかしようとしている形跡はある。
モデルが頑なだと写真にはなりにくい。
宮脇咲良
表紙と巻頭16ページ17カット、うち見開き2か所。 撮影は山口勝己。
大道具小道具衣装、すべてが宮脇咲良の透明感を強調する為に透明、銀、白に揃えられている。
山口勝己が新機軸。 動きのあるカットに驚く。
それでも被写体ブレなどは皆無で、時は止まっているのが山口勝己らしさか。
UTBでは桑島智輝に撮らせる事の多い種類の写真だが、求められる物を取りつつ、「らしさ」は存分に出している。
被写体の宮脇咲良は高いレベルで安定しており、その場その時に求められる宮脇咲良としてかっちり決められた構図の中に納まっている。
ところどころあどけなさの残る表情も見せているが、すっかり大人びた。
古畑奈和・大場美奈
11ページ16カット、撮影はTakeo Dec.
過去の一時期精彩を欠いこともあった大場美奈もすっかり復調、柔らかく優しい表情。
古畑奈和は表情が諧調に乏しいのが疵だが、悪くはない。
二人共、縦長で良い臍。
太田夢莉
10ページ13カット、撮影はサトウノブタカ。
メイド服、水着、制服の3種。 メイド服はミニ丈のものとロング丈のものと2種類。
ロング丈のものは、クラシカルなデザインかと思いきや透ける生地になっており、内側に着るものによって、また付けるエプロンによって、清楚にも挑発的にもなる。
1ページ目を4分割にしてメイド服2種を見せ、2ページ目でロング丈、3ページ目でミニ丈。
ページを繰ると4ページ目5ページ目は黒のチューブトップワンピース水着、6~8ページ目は白のビキニ。
流れの作り方が上手い。
最後に夏服の制服なのだけれどブラウスが黒、黒と言うかブルーブラックと言うか。
判り難く書くとローラー&クライナーのライプツィヒアンブラックのような、濃い濃紺と黒の間の色。
非実在制服だと思う(汗を掻くと白くなってしまうので現実的ではない)のだけれど写真映えはする。 臙脂のリボンタイと言うのも良い。
太田夢莉は口が閉じきらない表情が多いのだけれど、引き結んで閉じたり歯を見せて微笑んだり、微細な変化で表情に諧調を持たせているのが良い。
スカートの裾であったりカーテンであったり、何かを掴ませたり握らせたりすると手に表情が出る。
これが自然に出来るようになると、もう一と皮剝けるのであるが。
太野彩香
9ページ11カット、撮影は佐藤裕之。
服を着ているカットと水着のカットで表情がガラリと変わる。 無理に作った泣き笑いのような笑顔はさておき、表情を作らずにカメラの前に立ったカットはなかなか良い。
笑うと口角が上がり過ぎるきらいがあり、表情がクシャッとしてしまうのだけれど、意識して口を閉じると楚々とした感じに。
この落差をうまく使えるようになれば、表情の諧調も豊かになると思う。
肌の白さは七難隠すと言うが、難の無いところに持ってきて肌が白い。
斜めからの光を使って身体の線を下品にならない程度に描き出す佐藤裕之の撮り方も相俟って、意外に水着映えしている。
中田花奈
10ページ9カット、うち見開き1か所。 撮影は西田幸樹。
インタビューの中で細かい指示の入る撮影だったと語っているが、それを踏まえて見ると様々な発見がある。
左目が光に敏感で、ともすれば瞼に力が入って表情に険しさが出てしまうのだけれど、光を柔らかく当てたり、険しく見えない角度で撮ったり。
5ページ目の、一寸俯き加減に横を向いたカット。 表情もさること乍ら、首筋の陰翳が美しい。
1ページ目2ページ目も、似たような角度ながら顎を引くか上げるかで異なる印象。
どう撮れば映えるか、観察し考察し、伝わる指示を出すことで成り立った9カット。
渡辺みり愛
10ページ10カット、うち見開き1か所。 撮影は西條彰仁。
判型の大きさを生かした割り付け。 紙幅を割いてもらっているからこそなのであるが、大きめの写真で押す構成。 風に髪が揺れるカットがアクセントになっている。
光を柔らかく回したカットではカメラと上手く向き合えており、2ページ目6ページ目、8ページ目が良い。
鈴木美愉
10ページ13カット、撮影はサトウノブタカ。
浴衣姿で木桶に冷やした胡瓜や西瓜を頬張り、お茶目なところを。
ページを繰ると縁側に腰掛けて水を張ったブリキの盥で足を浸ける、日本画の題材にありそうな、いにしえの夏の光景。
引いた構図で切り取ってあるので、裾から覗く白い脚を垣根越しに見るてしまったような、そこはかとない背徳感。
浴衣を着て映えると言う事は、細くは無いと言う事でもあるのだけれど、
部屋着のような白いキャミソールも、ウエストはゆったりしていて身体の線は描き出さない種類のもの。 これはこれで良い。
扇風機を両手で挟むように持ち、吹き付ける風に声を震わせて遊ぶようなカットや、前述の頬張るカットなど、ところどころにお茶目さを鏤めて楚々とした部分との対比で見せている。
中山莉子
6ページ12カット、撮影は上原朋也。
スターダスト所属のアイドルグループは、事務所主導での企画物めいたグラビアが多いのだけれど、今回はケレン味薄めで綺麗に撮ってある。
綺麗には撮ってあるが些かファッション誌的な道具立てと構成。
私が見たいのは服でも小道具でもない。 それらは主たる被写体たるモデルを引き立てる物であって欲しい。
高木悠未
6ページ7カット、見開き1か所。 撮影は唐木貴央。
グループの看板を背負っているだけの事は有り、隙の無い7カット。
私にはその隙の無さが息苦しくもあり、商売用の自分を不足無く少し多めに出すそつの無さが詰まらなくもあるのだけれど、万人向けの顔見世グラビアとしては最適解に近い。
無理に表情を作らずにカメラと向き合った4ページ目は良い。
矢島舞美
10ページ11カット、見開き1か所。 撮影は西條彰仁。
貶すところが、無い。
撮る側も撮られる側も、やるべき仕事をきっちりやっていて、完璧に組み上げれば組み上げられるところを、一寸外す。
カメラを虚心に見つめる事も出来るし、カメラを見ずに意識だけを向ける事も出来るし、まるでカメラなど無いかのように振る舞う事も出来る。
4ページ目。 鎖骨から肩にかけてのライン。 高く聳える鼻梁。 思わせ振りに少し開いた唇。 何かを語るかのような指。
様々な要素の詰まった一カット。
眼福。
兒玉遥
10ページ11カット、見開き2か所。 撮影はTakeo Dec.
そう悪くはないのだけれど、頑張りが見えてしまうのが興醒め。
可愛くなろう美しく在ろうと言う意欲と言うか義務感と言うか、そう言うものに囚われ過ぎているような息苦しさ。
これを健気さと受け取る向きには好まれると思う。
そう、良否ではなく、好悪に係る部分。
競合誌が増えて来たのは二匹目三匹目の泥鰌が居ると踏んで、算盤が合うと判断しての事だと思うが、載せて金になるアイドルの原資は限られており、それを捌けるカメラマンも無限に居る訳ではない。
そう言った状況下にあって、UTBはしっかり手間と時間と智慧を投入しているのが、見ていて判る。
指名買いの出来る品質を安定して保っている事には敬意を表したい。
新たな写真展が始まっていたので四ツ谷へ。
市ヶ谷富久町のバス停から歩いてみたが、四谷三丁目の駅から歩くよりも近かった。 路地が入り組んでいるのが難だが、歩いて楽しい道ではある。
街の中で暮らす小動物や昆虫を撮った写真なのだけれど、小動物や昆虫そのものではなく、暮らしている場所まで含めて切り取っているのが面白い。
背景の中にある直線や曲線を組み合わせて画面を組み立てて、そこにそれらが収まる。
ブロック塀の上でこちらを窺う蟷螂、地を這う芋虫、谷中と思われる墓地の野良猫然とした野良猫のふてぶてしさ、雨上がりの路地に這い出してきた蟇蛙、カーテンの隙間から撮ったふくら雀の集会、どちらに行こうか思案する蝸牛。
嫌われがちな生き物に対しても温かい視線。
血を吸って満腹になった藪蚊に対しても、憎しみは感じられない。
私が苦手なうねうねと動く種類の虫を撮ったものもあったのだけれど、グロテスクな切り取り方はしていないのでなんとか我慢して見られた。
富久町からバスを乗り継いで俎橋。 駿河台下まで歩いて神保町画廊。
絵画的な写真を撮る人として認識していた HASEO の作品展へ。
大変な労作だが、私の中の基準では写真ではなく、レンズが描き出した部分が筆で上塗りされている事への違和感が拭い難く、私向きではないのでざっと見て退出。
分かってはいたが、改めて私向きでは無いことを確認してきた感じ。
深川麻衣・堀未央奈
表紙と巻頭15ページ12カット、見開き3か所、撮影は西田幸樹。
二人組のグラビアは、時として 1+1 が 3 にも 4 にもなることがあるが、そうした稀有な例の一つ。
深川はいつもの諦観と言うか、出さずに引き込むと言うか、受容する柔らかな表情。
堀は対照的に感情の揺らぎのような物を見せるのだけれど、その悲しさや寂しさを湛えたまま微笑んだを見せられるのも、棒組になったのが深川であったればこそであろう。
それでも徳俵で堪えて土俵を割らないのは堀らしい。
深川麻衣は身体が横を向いたカットが多く、9ページ目はこちらを振り返るような形。
乃木坂46からの退場を象徴するような、印象的な写真。
こうした暗喩に敏感に反応出来る堀未央奈の感情の揺らぎが、良いアクセントになっている。 眼福。
秋元真夏
10ページ11カット、見開き1か所、撮影は長野博文。
長野らしさが出過ぎて単に露出オーバーになって収拾がつかないだけのようにすら見える白っ茶けた写真はいただけないが、光を柔らかく回すことによって表情は切り取れている。
岡田奈々
10ページ14カット、見開き1か所、撮影は桑島智輝。
表情に険と疲れがあるのだけれど、それは(遅きに失した観はあるが)カメラの前に素で立てるようになったと言う事でもある。
水着になると痛々しさが勝ってしまうが、服を着たカットは辛うじて「儚げ」くらいで踏みとどまっている。
復調後に期待したい。
太田夢莉
9ページ11カット、見開き1か所、撮影は山口勝己。
カメラを睨めつけるように撮ると映える。
ポケットに親指を掛けたり、指を組ませたり、何らかの指示を与えると手に表情が出る。
素材も勘も良いと思うのだけれど、ポーズも表情も一本調子で少々物足りない。
樋口日奈
8ページ10カット、撮影は佐藤裕之。
短い紙幅の中にも物語があり、畳の上に投げ出した爪先を撮ったブリッジのようなカットが利いている。
アパートと言うより下宿屋然とした昭和の日本家屋。
畳まれた布団、糊の利いたシーツ、しなだれ掛かる樋口日奈。
干された布団の温かみと日向の匂いが感じられるような一齣。
共同物干し台の便所サンダルも輝いて見える。
中山莉子
8ページ14カット、撮影は細居幸次郎。
屋内と屋外両方での撮影だが、曇天が細居幸次郎に味方した。
総じて柔らかい表情、薄い深度、的確なピント。
中山莉子はカメラの前で余計なことをすべき時とすべきでない時の見極めが出来ており、役を与えられた中山莉子と中山莉子本人役の演じ分けが出来ている。
平手友梨奈
10ページ9カット、見開き1か所、撮影は熊谷貫。
熊谷貫がぐいぐい迫るように撮っており、平手友梨奈もたじろいだような表情は見せているのだけれど、一定以上の距離からは詰めさせないような、存在としての強さがある。
歯応えのある被写体を前にして仕事以上の仕事をした熊谷貫の写真を久しぶりに見た。
橋本愛奈
7ページ7カット、見開き1か所、撮影は西田幸樹。
私は読み解くのが下手なのであるが、どの光が何処からどう来てどう当たっているのか、考えながら見ると面白い写真。
ピントの置きどころ、どこまで絞るかなど、教科書的なヒントの詰まった7ページ。
小芝風花
5ページ7カット、撮影は橋本雅司。
役者属性の人にありがちな、役になっている自分でないとカメラの前で上手く振る舞えない人であるようで、演技過多なカットが私には物足りなく感じられる。
逆に何らかの役になることでカメラの前に(この場合は役としての小芝風花)立っているので、破綻は無い。
これが良い人には良いのだろう。
工藤遥
10ページ11カット、見開き1か所、撮影は大江麻貴。
前半の浜辺で撮った水着グラビア然とした水着グラビアは陳腐。
後半の服を着た写真は上手い事表情を切り取ったり掬い上げたり出来ている。
欅坂46(今泉佑唯、平手友梨奈、鈴木美愉、渡辺梨加)
17ページ18カット、見開き1か所、撮影は西田幸樹。
まだ海のものとも山のものともつかない時期のグラビアなので顔見世的に一人2ページ2カットずつ顔見世的に使い、学校モチーフで。
今撮るとまた違ってくると思うが、公立高校的な制服とスポーツウェア。
平手友梨奈にも未だ他を圧する貫禄のようなものは無い。
月日の経つのは早いものだ。
6ページ目、鈴木美愉を正面から撮ったカットが素晴らしい。
小嶋真子
10ページ15カット、見開き1か所、撮影は小池伸一郎。
背景に直線があるところでは例によってそれで絵を作っているが、何もないところでも遠近感を上手く使って奥行きのある写真。
4ページ目が良い。
小嶋真子はそつは無いが表情が単調で面白味は薄い。
矢倉楓子
9ページ17カット、撮影は佐藤裕之。
ベレー帽にスモッグのようなワンピース、マルマンのスケッチブック。
三菱鉛筆のの9852EWはHBのみなので、スケッチ向けには適さないが、鉛筆としてわかりやすい形ではある。
矢倉楓子は素でカメラの前に立たせると幸薄そうなのが際立ってしまうが、鉛筆を鼻の下に挟ませてみたり、お茶目なところを挟み込むことで中和。
部屋の中で着ている水着は毛糸で編んだビキニ。 これにニット帽やマフラーをあしらって季節感を出している。
冬のグラビアとしては面白い出来。
山下エミリー
8ページ11カット、撮影は桑島智輝。
青い空と白い雲の描かれた背景紙の前でオーソドックスなセーラー服。
ここまでは柔らかい表情なのだけれど、水着になると少々硬い。
硬いとは言え、ガチガチで右手と右足が一緒に出てしまうようなオモチャの兵隊トテチテタ感までは流石に無いので、初々しさと言えなくもないが、もう少し布面積の多い衣装で見てみたい。
吉岡里帆
8ページ15カット、撮影は西條彰仁。
そろそろ役者一本で食えそうな吉岡里帆。
カメラに対する向き合い方が程よく、直視しても意識だけを向けても絵になる。
水谷果穂
6ページ8カット、撮影は長野博文。
昔ながらの「水着もある写真集」からの蔵出し。
私が良いと思うカットは扱いが小さく、青少年のリビドーを刺激したい為に採ったであろうカットは扱いが大きい。
写真の良し悪しは兎も角、編集が退屈。
平祐奈
6ページ8カット、撮影は西條彰仁。
カメラを前にしても全く物怖じするところが無いが、射すくめる様な視線に見る側が気まずさを感じるくらいカメラを見ているので少々重い。
山岸理子・谷本安美
7ページ8カット、見開き1か所、撮影は佐藤裕之。
反政府ゲリラの捕虜になった正規軍の兵士の見せしめビデオのようなどんよりした表情のバストアップを見開きで使って始まる意図の判らない構成。
バレエのレッスン風景のような3~4ページ目、特徴的な椅子から自由学園明日館と判る5~6ページ目は良いのだけれど、眩しがると冴えない顔になってしまう山岸理子を屋外で撮ったのは失敗だった。
ロケーションも衣装も良かっただけに、画竜点睛を欠いた観がある。
井上小百合
10ページ11カット、見開き1か所、撮影は丸谷嘉長。
ポーズでも仕草でも表情でも語れる井上小百合。
扉の前で真っすぐ立っているようでいて、若干左肩が上がっているカットが生々しい。
巧まず衒わずカメラの前に立っても絵になっている。
身体を捻ったカットが少なく、もう少し動かしても良かったように思う。
松村沙友理
10ページ12カット、見開き1か所、撮影は長野博文。
長野博文にしては珍しく、切り分けた林檎タルトを食べる絵で鼻の頭にクリームをつけて見たり、ベタな演出が目にも鼻にもつくが、松村沙友理の人徳と言うか人柄と言うか、そのあたりで中和されて許せる出来。
先入見というのもあるとは思うが、笑顔はまだ無理に作ったように見えてしまい、カメラと素で向き合えば虚無的な表情に見えてしまう。
そうなると過度であろうと何だろうと演出はせざるを得ない訳で、こうなるのは必然だったのかもしれないし、松村沙友理をなんとか笑顔にしたいと思ってしまうのも判らないではない。
これはこれで良かったのかもしれない。
私立恵比寿中学
表紙と巻頭15ページ15カット、見開き1か所、撮影は佐藤裕之。
8人となると、15ページあっても顔見世で始まって終わる。
8人横並びの見開きで始まり、続いて一人1ページ1カットずつ。
そこから3人2人2人、・・・一人足りない。
続く全員のカットも判り難いながら7人しか確認できない。
最後の最後の集合は8人揃っているのだけれど、やはり途中で一人抜けている。
(居ないカットが有るのは柏木ひなたらしく、体調不良による休業期と重なっていたものと思われる。)
流して見ていると分からないように誤魔化してあって、この辺りは編集者が上手い。
紅白のマントで全体の色味を揃えつつ、それぞれに合わせた小物で差別化する衣装も良い仕事。
顔見世グラビアとしては良く出来ている。
木﨑ゆりあ
11ページ14カット、撮影はサトウノブタカ。
その言動から馬鹿扱いされがちであるが、撮られる人としての勘は悪くない。
指示されてやっているところは勿論あると思うが、言われたから出来る物でもない。
4ページ目の身体を反らせつつ横向きに立ったカット。
前後方向には細いウエストと量感のある臀部の対比、ぽってりとした唇とつぶらな瞳。 粗を隠して美点を上手く見せている。
切り取り方も良いし、それに答えた立ち姿も良い。
松岡菜摘
10ページ10カット、見開き1か所、撮影は熊谷貫。
カーブする高速道路を借景に、見上げる形のカットから。
熊谷貫が例によって例の如く寄って撮っても動じないし、構えない。
相性としてはかなり良いと思う。
撮り甲斐があると意気に感じて良い仕事をするカメラマンと、がっぷり四つに組んでも寄り切れる松岡菜摘。
特に表情を作るでもなく、切り取るに任せているが、カメラの向こう側にあるものを巨視的に見据えているような、大きな表情。
見れば見るほど味わい深い10カット。 眼福。
NGT48(加藤美南、山口真帆、太野彩香、荻野由佳、山田野絵、中井りか)
11ページ10カット、見開き1か所、撮影は西條彰仁。
覚醒前夜の中井りか。 旧ソ連式に集合写真の並び順から序列を読み取ると真ん中から下くらい。 これが海千山千を手玉に取る今の中井りかに化けるとは思わなかった。
閑話休題、県内だけでなく、他県から来たメンバーも多いのだけれど、面相も様々。
上手く集めたものだと思う。
しかし目に付くのは中井りか。 しどけない、へたり込む様なしなだれかかる様な座り方をさせたら右に出る者はいないのではないか。
桜井玲香
10ページ9カット、見開き1か所、撮影は大江麻貴。
衣装と大道具小道具に凝った外連味たつぷりの写真。
小細工なしに撮った10ページ目は良い。
若月佑美
10ページ9カット、見開き1か所、撮影は西田幸樹。
魔術と言うか幻術と言うか、光を自在に操る西田幸樹。
屋内はまだわかるのだけれど、屋外で撮ったカットも細工がありそう。
ミリ単位の角度調整の指示などを出されていそうな若月佑美であるが、カメラマンの撮影意図をきっちり咀嚼してポーズを取り、表情を作っている。
乃木坂46は撮られる仕事についても多士済々であるが、その場で何が求められているかを嗅ぎ分ける能力に於いては若月佑美も中々のものだと思う。
渡辺梨加
10ページ9カット、見開き1か所、撮影はサトウノブタカ。
インタビューの中では全開の撮影で口の力を抜くよう指示が出たと語っているが、確かに口元が強張ることで表情を硬くしている。
意識して口を開けるのではなく、意識を抜いて口元を弛緩させられれば良いのだけれど、こうして選ばれて撮られる機会を生かしていけば、構えずにカメラの前に立てるようになる。
真野恵里菜
10ページ10カット、見開き1か所、撮影は上原朋也。
コダクロームっぽい、黄色味掛かった色合い。
粒子粗目と言うかノイズを乗せたと言うか、ざらっとした質感。
あまり好きではない撮り方だが、真野恵里菜は流石にカメラとの向き合い方が上手く、すべてのカットで求められる真野恵里菜であり続けている。
聞間彩
2ページ4カット、撮影は國方大。
メンバーカラーである赤の背景紙に赤の小道具。
気負いなく撮られているのは良い。
夕方から恵比寿の tokyoarts gallery へ。
15:00まではレセプション的なものがあると聞いていたので時間をずらして伺ったが、まだ祝祭の余韻の残る廊内。
写真は全て販売されており、かなり頑張らないと購えない物、頑張ればなんとかなりそうなもの、頑張らなくてもなんとかなるもの。 各種取り揃えてある。
最後の水着姿と銘打たれているが、衰えて止める訳ではなく、体型も崩れてはいない。
肌の張りは二十台半ばのそれではあるが、塗り絵的な補正をしなくても絵にはなっていた。
メイクはある程度しているものの厚くはなく、前述の通り塗り絵的な補正もしていないので肌の質感は生々しいが、それでも絵として破綻しない強さはある。
正面奥の右側に飾られた、木の床に横たわった写真が印象に残った。
手前の床から顔までが被写界深度内。 若干前ピンかなとは思ったが、近付いたり離れたり、まじまじと見てみると、顔から先がぼけている事で視線が手前に誘導されている。
相手の懐にすっと入って撮れる桑島智輝と、小細工せずにありのままを撮らせる杉本有美の、息の合った写真。
新井愛瞳
6ページ13カット、撮影はTakeo Dec.
間違えて講談社の青年マンガ誌を買ってしまったかと思うほど塗り絵補整が激しい。
身の丈に合わない箱でワンマンライブを打つ羽目になって集客に苦労しているにしても、グラビアにそれを絡めて来るのも判らない。
送り手の独りよがりの物語をメンバーに背負わせて悦に入るいつもの遣り口。
新井愛瞳そのものは悪くないのであるが、寄ってたかって駄目にしてしまっている。
小細工なしに撮っても、十分絵に成り得る被写体だと私は思う。
アップアップガールズ(仮)の送り手は小細工以外にすることは無いのだろうか。 武道館が埋まらなければ例によってメンバーに責めを負わせるのだとは思うが。 毎度そう言う儀式を見せられるのは気分が悪い。
西野七瀬
巻中6ページ7カット、撮影は川島小鳥。
イタリアとマルタで撮った写真集からのグラビア。 フジではなく、コダックとかアグファのような色合いが撮影地の町の建物や調度、光の強さや回り方に合っている。
5ページ目、ベッドに横たわり蒲団を抱きすくめるカット。 潤ませた目と、蒲団を抓むような掴むような指の動き。
写真集への期待を高める7カット。
黒田真友香
5ページ8カット、撮影は藤本和典。
一枚羽織ったり穿いていたりはするが、ほぼビキニと言う割り切った構成。
ティーン向けファッション誌とは勝手が違うようで、笑顔が硬直。
4ページ目だけは、硬いなりに訴求力のある表情。 体形上の美点も捉えられていると思う。
手に取ってみると、厚さの割に重い。 カラーページの紙に薄い(安い)ものを使って頁数を稼いでいる。
印刷は頑張っていると思うが、色校が甘く追い込みが足りないと言うか、写真集品質には程遠いのであるが、価格を考えれば妥当なところか。
写真とインタビュー中心の読み物と、どちらも充実させようとしているのは面白い。
商業ミニコミ誌としては良く出来ている。
然し乍ら白夜書房からいかがわしさの欠片も無い出版物が出ている事に驚く。
白石麻衣
表紙と巻頭18ページ14カット、見開き4か所、撮影は桑島智輝。
ページ毎の色味がばらばらで、白く飛ばし過ぎたところは見るに堪えないのだけれど、これはカメラマンではなく編集者に係る部分であろう。
8ページ目の肩越しに軽く振り向くようなカット。 写真そのものは良いだけに勿体ない。
暗い部屋で撮ったカットは、まぁなんとか見られる出来。
写真を生かすも殺すも編集次第。
衛藤美彩
10ページ9カット、撮影はLUCKMAN( 樂満直城 )。
スタジオでの撮影風景のオフショットのような体。
身体の線を出そうとする衣装の選択があからさまに過ぎるのは興醒め。
ル・コルビュジエのグラン・コンフォールに寝そべらせたカット。 取らせたポーズは下衆なのであるが、衛藤美彩と言う素材が中和。
乃木坂46
16ページ14カット、撮影は細居幸次郎。
齋藤飛鳥、若月佑美、生駒里奈、中元日芽香、秋元真夏、高山一実、白石麻衣、星野みなみ、北野日奈子、堀美央奈、衛藤美彩、生田絵梨花、松村沙友里、西野七瀬が、夏に因んだテーマで1ページ1カット(齋藤飛鳥と西野七瀬のみ2ページ)ずつ 。
衣装は伊勢丹とのタイアップとなっているが、Tシャツに紺のプリーツスカート。
細居幸次郎の無駄遣いでさして面白くもない企画グラビアだが、蚊取り線香を親指に嵌めて謎のポーズをとる堀未央奈は、妙に可笑しい。
向井地美音
10ページ9カット、見開き1か所、撮影は熊谷貫。
スリップドレスであったり、上はビキニで下はスカートだつたりとか、多少は工夫をしているものの、ほぼ水着。
仕草も表情も悪くないし、水着にして映える体形ではあるのだけれど、その上で不自然に寄せて底上げしたところを見せられても蛇足以外の何物でもない。
向井地美音はきっちり仕事をしているが、編集者の下衆な魂胆が透けて見えて不快。
平手友理奈
7ページ17カット、撮影は松田忠雄。
新極真会に入門の巻。
練習風景では和やかな場面も見せつつ、突きや蹴りでは真剣な表情。
後ろ廻し蹴りの打点も高いのだけれど、楽し気な表情ながら目だけ笑っていない。
付録のポスターの裏面が黒バックの前で半身に構える平手友梨奈なのだけれど、目に気圧される素晴らしい出来。 眼福。
長濱ねる
6ページ13カット、撮影はこちらも松田忠雄。
着付けがしっかりしている。
詰めたアンコが多すぎるのは疵だが、襟の合わせ方、帯の高さなど、「らしく」着せている。
髪も編み込んで纏めつつ、鬢だけ残して垂らし、アクセントに。
少し斜め下から見上げるように撮ったところに、流し目。
思わず背筋が伸びる。
柳ゆり菜
10ページ11カット、見開き1か所、撮影は小塚毅之。
白夜書房らしい、湿り気のある猥雑なグラビア。
被写体貶める様な衣装やポーズ、下卑た構図などはなく、肉感的なところを切り取りつつ、綺麗に纏めてある。
中綴じから平綴じになったのを「創刊」と銘打つ羊頭狗肉ぶりは白夜書房らしいし、巻頭は写真の出来を台無しにするようなところもあり、指名買いをするほど信用は出来ないのだけれど、巻末の松田忠雄の撮影によるグラビア2本は実に良く出来ていた