で仙台へ。 駅のロビーでK嬢と待ち合わせて、喫茶店→散歩→喫茶店→散歩→喫茶店→散歩、を繰り返して帰って来た。 1日に紅茶とコーヒーを何杯飲んだかわからない。 持って行ったカメラはペトリMF−10とフジカST605とライカD−III。 レンズはフジノン55mm/f1.8とペトリ55mm/f1.8とズマール50mm/f2、オートタクマー35mm/f2.3とサン28mm/f2.8。 日がな一日写真を撮り続け、歩き続け、心理テストをやらされてどつぼにはまり、勾当台公園で年甲斐もなくシャボン玉を吹き、カメラを一台売り付け、丸善で「高村光太郎詩集」を買い、晩飯用の駅弁といつもより多めのビールを買い込み、新幹線の中で更にビールを買い足し、やけ酒をかっ喰らいつつ酩酊状態で帰宅。
日曜日に撮影した分のフィルムをラボ屋に出しに行ったら、お気に入りの怪しい中華料理屋「ハルビン料理」が閉店していた。 この店は向こうから帰って来たと思しきおばちゃんが一人でやっていて、怪しくて安くて旨くて、理想的な店だったのだけれど矢張り怪しすぎたようだ。
あぁ、ニラ入りとニラ抜きを選べた水餃子。 「ぴーるならつめたいの、ごはんならあたたかいのがあうね」と言っていた豚蹄。 ごはんなら3杯は軽くいけるにんにく入りの肉味噌、セロリの入った浅漬け。 あんなに旨いと思わなかったトマトと玉子炒め、キュウリと玉子いため。 豚頭、豚耳。 「辛くして下さい」と言ったらホントに辛かったマーボー豆腐。 食べていないメニューも沢山有ったのに・・・。 地震以来店を閉めたままの中野の台湾料理屋と言いここと言い、汚くて居心地の良い店が無くなって行くのは辛い。
撮影したフィルムの打率は、腰を据えて撮った分いつもより高く、半分くらいは当たっていた。 とりあへず夕方迄に撮り終えたカラーフィルム2本のみだけれど、いろいろ使ったレンズの中ではペトリの55mm/f1.8が一番良かった。 次がオートタクマ−の35mm/f2.3。 フジノンの55mm/f1.8は写り過ぎてあまりポォトレヱト向きではないようだ。 傾向としては、特定の人物の話題になると途端に表情がよくなるので、その辺りが面白くも有り、また、痛くもあった。
「高村光太郎詩集」には、P98に栞が挟まっていて、棚から引っ張り出して、手に取って開くと丁度「米久の晩餐」と言う詩であった。 米久というのは、今でも浅草の観音様の裏手、ひさご通りにある老舗の牛鍋屋で、空襲でその頃の建物は燃えちまったと思うが、今も木造の二階家で商売をしている。 まぁ、この詩が心地よくて「これなら大丈夫だろう」と多寡を括ってレジに持って行ったのだけれど、「智恵子抄」から収録されたお仕舞いの方は恐れていた通りの凄まじさで自虐的な気分になっていた私に取っては丁度良い買い物であった。 「智恵子抄」からの収録が少ない為、「智恵子抄」そのものも購入。 ついでに「滞欧日記」澁澤龍彦、と、月刊東京人1月号を購入。
怪我をする前の部署に戻ってから、尾篭な話になるけれどずーっと下痢が続いている。 夜も碌に寝られない。 精神的にもおかしい。 夢と現実の境目が曖昧になって来た。 忙しいから病院にも行っていない。
仕事もしくじり続きでそれが更に問題を深刻化させている。
そして今日、怪我をした方の手に鈍痛がした、と思ったら、急に手が重くなって動かせなくなった。
動かなくなったと言うよりは「動かし方が判らなくなった」という感じだった。 すぐに動く様になったのだけれど、「もう一回やったら、次はこの程度では済まないだろうなぁ・・・」と思ったら物凄く憂鬱になってやっている仕事をうっちゃらかしてどこかへ行ってしまいたい衝動に駆られた。 そろそろ潮時かな、とも思う。
帰りの地下鉄のホームで一瞬自分が今何をしているのか判らなくなった。
肯定してばかりいるのは、自分の人生を肯定できないからだ。
忘年会に行った。 来れば買う客、来ても買わない客取り混ぜて二十八人。 なにかしらの景品を持ち寄って交換会をやると言う事でヤシカにフジノン55/2.2を付けて出したらペンタコンの50/1.8が来た。 マイヤーの物(オレストンあたり)だと思っていたらツァイス(パンカラー)らしい。 出した人曰く「非常に力弱い写りをする」とのこと。 早速使ってみる事にした。 ついでに店主が当たったペトリフレックスVも身請けして来た。 これはペトリマウントになった最初のペトリで探してもそうそう見つかる代物ではないので調子は悪かったがまぁしかたがない。 十二時半頃帰宅。
病院へ行って来た。 消炎・鎮痛薬と神経のクスリと胃薬を処方してもらい、仕事の部署も多少楽な方に変えてもらった。 年内はなんとか乗り切れそうだ。
プ◯ズムへ。 ゼニットIR 100mm/f1.5と付属ボディであるミノルタα-7000を購入。
ついでにひたひたに頼まれていたゼニター16mm/f2.8も購入。 ゼニットの100mm/f1.5はノクトヴィジョン用の物を改造した物で・・・って、この間かいたとおもうけど、まぁ、そう言う物です。 メリットは兎に角明るい事とコ−ティングが怪しく青い事で、デメリットは最短撮影距離が5mと長い事、絞りリングに目盛りが無い事。 しかし5mは意外に近い事が判明、結婚式とか怪しいイベントの撮影には良さそうだ。
「春木屋」で初めてラーメンを喰った。 もっと威張った店だと思っていたのだけれど意外に客あしらいも丁寧で、ラーメンも旨かった。 非常にオーソドックスなラーメンなのだけれど非常にバランスが良く、似た味の他店のラーメンが如何にバランスが悪く尖った味であるかが判った。 けなす隙の無い味。
初めてこの日が休みになった。 昼過ぎに起き出してとりあへずお茶の水・神田へ。
明大の新しい建物はなんだか大学らしさが無いと思ったらゲバ字の踊る立て看板が一つも無い。 これはいただけない。
明大脇の坂を下りて神保町へ。 予備校の頃から行っているカリスマとんかつ屋はいつのまにか代替わりしていて、若主人が元気に働いており、当分潰れない様子で安心した。
ここの先代の爺ぃの何がカリスマなのかと言うと、ふだんは風采の上がらない爺ぃなのに、混雑してくるとガラリ人が変わって気配で客の行動が読める様になり、椅子席に座ろうとした客を揚げ油を睨んだまま「今日はカウンターだけだよ」と脅しつけたり、菜箸を使うのがまどろっこしくなると素手でとんかつを揚げ始める始末。 引退しちまったのか、どうなのか、この日は店にいなかった。
肝心の味の方もなかなかの物で、値段はと言えば、丼めしにしじみ汁、山盛りの線キャベツとスパゲッティのケチャップ和えの上にとんかつが鎮座ましまして十年前から七百円ぽっきり、濃いお茶も一杯付く。 赤身とロースが選べる。 ちなみに海老フライ八百円、カキフライ八百五十円。
食欲を満たした後三省堂へ。
平賀源内捕物帳、久生十蘭、朝日文芸文庫
酒場漂流記、なぎら健壱、ちくま文庫
くわんおん、水原紫苑、河出書房新社
を購入。
荻窪のプリズムへ。 店でいつもの様にぐだぐたしたあと、良い人悪い人ダメな人取り混ぜ、総勢八人で駅前の呑み屋「かみや」へ。 鮟鱇鍋、鱈鍋、牡蛎鍋、キムチ鍋、その他各種つまみを餓鬼の様にぱくつきつつ、デンキブランを飲み、飲んだ。 開いたボトルは2本半。 残りはキープされた。
翌日は案の定宿酔。
セットして置いたのだけれど見事に二度寝してしまって起きたのは6時過ぎ。 とりあへずトイレに入り、便座に腰掛けて一発放屁したらひたひたに渡すレンズを忘れていた事を思い出した。 危ない危ない。
そんなこんなで北千住駅から常磐線に乗車したのは七時頃。 北に行くに連れて車内が暖かくなって行くのが面白い。 寒い土地程、車内の暖房を強くするようだ。
仙台着、とるものもとりあへず駅前アメ横ビルのウンノカメラを覗いて変なものが出ていないかどうか確認してから、ろうきんギャラリーでやっているバクさんの写真「彼岸」へ。 相変わらずな状況なのでリンクは張りませんがバクさんのホームページに詳細が載ってます。
写真の方は地下通路とか砂浜とかのいつも感じの物なのだけれど、印刷物やブラウン管で見るよりもオリジナルプリントを見た方が良いのは当たり前の事で、焼き付けやフレーミングの微妙さ・厳密さが物凄く、凝視し過ぎて目が疲れた。 「良かったのか、悪かったのか?」と聞かれれば「良かった」と答えるよりほか無いのだけれど、どうにも凄すぎてパクり様の無い写真ばかりで気分は陰々滅々としてきて正直疲れた。 久しぶりに濃い写真展を見た。
ごそごそ起き出して散歩。五ッ橋からフォーラスの辺りをぶらぶらして本を買い込んで夕方迄部屋の中でごろごろしていた。
夕方からバクさんとことぶき氏がやって来て飲み会の準備。 肴は「海鮮チゲ」と「鶏だんごシチュー」。
鍋をつついているうちに六条、わた虜、ニッパーくんがやってきてだらだらとのんでいると「日付けが変わる迄に仕事が終わるかどうか微妙である」とひたひたから電話が入ったり「今仕事が終わりました、行かれません」とM田くんからも電話が入ったりして世の中の世知辛さもつまみに加わった。
悲劇は十二時過ぎに起こった。 漸く仕事を終えて会場の入り口に辿り着いたひたひたの前に暗証番号を入力しないと入れないオートロックの玄関が立ちはだかり、おりしも回線がパンクしかけていたPHSは繋がらず、結局リダイヤルしつづけること三十分。 やっと電話がつながって、中に入った頃には顔からは血の気が引き、目は血走って恐ろしい形相になっており、あわてエサを与えて御機嫌を伺った。
結局3時頃にお開き。 元朝参りもへったくれもなくとっとと寝た。