向井地美音
表紙と巻頭13ページ14カット、見開き1か所、撮影は山口勝己。
全篇スタジオ撮影だが、魔法少女がテーマになっており、ベロア地のワンピースは真紅。 バックルがリボンになっている、ワンピースより少し明るめの赤のベルト。 黒いレースの縁取りのある猩々緋のケープ付きマント。
足元は白のロークルーソックスに黒のアンクルストラップ付きパンプス。
これが1パターン目の基本の出で立ちで、徐々に薄着になり、ベロア地のビキニは矢張り真紅。
ビキニのみになると、足元は赤いオーバーニーのタイツに。 厚手のものだが、ここはこれが良い。
2パターン目は森の中で動物と戯れるような場景で白のキャミソールとショートパンツ。
髪は湿らせて、ざっくりとお団子に。
3パターン目はお団子をほどいたような髪型で白ビキニ。
床に描かれた魔法陣の上に寝そべる形。
状況ごとに表情の出し方も変えており、大道具小道具の扱いも上手い。
ただ手に持ったり掴んだりするのではなく、その行為に何かしらの意味を持たせている。
モデルと言うより役者なのだと思う。
その時々でやるべき事のヒントを与えると、「役」として消化して出してくる。
それを写真として固定する役割を担うのが山口勝己と言うのも、実に任に合った人選。
子役上がりの喰えない仕事師としては大島優子に通ずるところがあるが、大島ほどの過剰さはなく、胃もたれするような写真にはならないのは良い事なのか悪い事なのか、未だ一寸判断が付きかねる。
ただ、大きな役を振ればそれだけの仕事はする。 これだけは間違いないと思う。
朝長美桜
10ページ14カット、見開き1か所、撮影はサトウノブタカ。
固まった笑顔が自棄に多いが、レンズを見ると硬直する傾向があるのでその中でも見られる表情と言う事で笑ってもらっているのだと思われる。
6ページ目のカメラを見ないカット。 これのみ例外的に柔らかい表情。
ポーズの面でも苦心惨憺は偲ばれる。
村山彩希
9ページ14カット、撮影はHIROKAZU。
表情は諧調に乏しいが、カメラと素で向き合えているのは良い。
ウエストの位置が高く、スラリと細いのにデッコマヒッコマは合って水着映えしており、水着になっても表情が強張らないので使えるカットも多かったのではないかと思われる。
思わぬ拾い物。
佐藤七海
7ページ9カット、見開き1か所、撮影は門嶋淳矢。
AKB48でも、チーム8は乃木坂同様、いやそれ以上の縛りがあるようで、グラビアでも水着になることは無い。
そこが使い難さに繋がっているのか、素材の割に引き合いが無い。
ここが頭の使いどころであって、工夫次第で訴求力のあるグラビアを組み立て得ると言う絵解きの9カット。
藍色で白い丸襟の付いた古風な七分袖のワンピース。 袖口とウエストも白で纏めてある。
ウエストは緩めなのだけれど高い位置にあり、細かい襞のプリーツスカートの部分は長めなのだけれど、丈としては膝上10cmくらいと短い。
足元は白のソックスに黒のアンクルストラップ付きパンプス。
肩まである髪は真っ直ぐに下ろし、夏蜜柑の木陰に佇む姿から。
一寸斜に構えて立っているだけなのだけれど、身体の脇に添えた手は力を抜いて握るでもなく開くでもなく、所在無げな感じも良い。
撮られ慣れていない被写体を扱う門嶋淳矢の丁寧な仕事。
白のタンクトップとホットパンツの部屋着的なものは規制を守った上で肌と身体の線を見せる為の工夫なのであるが、佐藤七海の表情が硬くないのは撮影現場の空気の良さのお陰だと思う。
一と昔前のアイドルの歌衣装のような物を着ても微笑みを湛えてはいるが表情としては単調で、物足りなさは感じなくもないが、それでもカメラの前で作った表情で固まってしまっていないのは良い。
佐藤七海の魅力は充分引き出され、伝わっていると思う。
志田愛佳
10ページ9カット、見開き1か所、撮影はサトウノブタカ。
青藤色のブレザーに緑のタータンチェックのスカート、リボンタイは太めの緑。
シャツの第一ボタンは留めていないのだけれど、これがブレザーを脱いだりタイを緩めたりすると効いてくる。
キリッとしていたのが、徐々に気だるげに。
制服ではカメラを見据えるような表情だったのが、部屋着になると一転して柔らかさを見せたり、ページを繰るとカメラを見つめていたりする編集の妙。
最後は淡いピンクのワンピースで動と静。 翻弄されるのを楽しむ9カット。
廣田あいか
8ページ11カット、撮影は西村康。
昭和40年代から50年代にかけての調度に囲まれ、衣装を纏い、時が止まったような、薄気味悪さすら漂う空気の中で、あまり表情を作らずに立つ様に廣田あいか。
意図したとおりのグラビアにはなっていると思うが、見ていて気持ちの良いものでは無い。
カントリー・ガールズ
8ページ13カット、見開き1か所、撮影は佐藤裕之。
濃い目のアイラインに大げさなカラーコンタクト。
素材の力が強い嗣永桃子以外、個性が殺されてしまっている。
「素材を矯めて殺す」
ハロープロジェクトの悪弊が色濃く出た13カット。
浅倉樹々・山岸理子
7ページ8カット、撮影は西條彰仁。
屋外で撮った分は少々眩しげではあるが、それでも光を弱める工夫はしてあって、表情に破綻は無い。
屋内撮影分は非常に上手く光を廻してあって、顔の立体感も出しつつ、良いところを切り取っている。
浅倉樹々は振れ幅が狭く、安定しているが、山岸理子は光の当て方や切り取る角度によって当たり外れが大きい。
今回の山岸理子は大当り。
中元日芽香
10ページ13カット、撮影は長野博文。
出来として悪くは無いのだけれど、これだけしか引き出せなかったのかと言う不満はある。
長野の光の廻し方で長野の色、長野の写真特有の被写体を動かしてかっちり決めない構図。 最低限の仕事はしているのだけれどルーティンワーク以上のものは無く、やはり物足りない。
松村沙友理
10ページ12カット、撮影は熊谷貫。
細くて長くて昔ながらの店も残る、キラキラ橘商店街である。
肉屋の店先でコロッケ(と思しきもの)を齧り、キラキラ会館の向かいの花屋で鉢植えを眺め、ハトヤのコッペパンを頬張る。
塗ってもらったのはジャムだろうか、ピーナツバターだろうか。
カットソーにペナペナのスカート、パーカーを羽織ってバスケットシューズで買い物。
靴がコンバースのキャンバス オールスターであったり、パーカーのフードがチェックの裏地付きであったり、細かいお洒落が鄙には稀な感じを醸していて良い。
中盤は暗めの屋内で、熊谷貫らしい寄った構図でぐいぐいと。
虚ろな眼差しと閉じきらない唇。 吸い込まれるような負圧を感じる表情。
迫る熊谷貫を押し返すでもなく受け流すでもなく、ぴたりと止めて或る程度以上に距離を詰めさせない。
ビルの屋上を歩く2ページは蛇足なのではないかと思いながら眺めると、松村沙友理の陰と陽の振れ幅の大きさが現れていて、これはこれで良く見えて来る。
松村沙友理の魅力は「負圧」と「柔らかな拒絶」にあるのではないかと、ふと思った。
折れ口
想定読者のひとりであった旧友のR君が亡くなった。
長らく有難う。
浅草橋西口近く Gallery Drain で開かれている写真展。
鎌田紘子のプロデュースで撮影は全て黒澤奨平。
カラーコンタクト常備、しっかりメイク、決め顔・決めポーズ。
どう撮るかよりどう撮られるかに重きが置かれており、女性客がうっとり見蕩れていたのには納得が行った。 好悪は別として、これはこれで有って良いかたちだとは思う。
撮られて映えると思うがグループを束ねる立場にあって一人仕事の少ない佐野友里子の写真が見られたのは良かったが、表情が諧調に乏しく、美点であるところの長い手足が生かされたカットが少ないのは残念。
ライブなどでは肉感的な部分を強調した衣装が多い藤田恵名も、珍しく隠した衣装。
これが男性からの見方の排除と言う事なのかもしれないが、些か偏狭なものの見方・切り取り方であるように感じられた。
隠したからこその良さは感じられず、カラーコンタクトで目の表情は死んでおり、ポーズも硬い。
撮る側が掘り出した被写体の魅力は出ていないが、被写体の側が撮られたい自分には近いのかもしれず、それが観覧する女性の恍惚に近い表情に現れていたのだと思う。
高野寛の「甘いだけのラブソングがあっても良いじゃないか」
佐藤春夫の「アイスクリームを 誰が噛むか」
ひたすら甘いだけの、解釈の必要のない、そんな感じの写真。
書割でも綺麗なものを見たい向きにはお勧めできる。
上野、谷中、根津、千駄木界隈で開催中の芸工展2016に併せて、谷中の個性的な店舗4か所で同時開催される写真展へ。
かつて色々なものを放り出して徘徊した思い出の地である谷中も、昨今は観光開発が盛んで、今日も漫ろ歩く人の群れが路地の奥まで。
もはや独りになりに行く街では無くなってしまっていた。
comSOkoya
マンション建設計画が頓挫して広大な原っぱとなり、今は防災広場となっている初音の森近くの路地の奥にある尺八道場。
引き戸を開けて敷居を跨ぐと、三和土の左右の壁に味わい深いおじさんたちの写真が数葉。 焚かれたお香の匂いに迎えられ、中の人に挨拶をして拝見、お礼を述べて退出。
nido
谷中銀座から突き当りを右に折れて、よみせ通りを少し北へ行ったところの路地の奥、右にマキシマ研究所、左にステンドグラス工房nidoと言う濃密な空間。
パリの街を撮ったスナップがステンドグラスの額に納めて展示してある。
小品ばかりなのだけれど、それ自体で意味を持つ額が小窓のように機能しており、そこから覗く世界のような趣。
薄暗い店内の雰囲気も相俟って、妖しくも美しく。
tokyobike Rentals Yanaka
三崎坂を登り切った交差点を右に折れたところにある、東京の街を走ることに特化して考えられ、設計された自転車を貸しだすお店。
常に開かれている入り口から左の壁にニューヨークで撮られた大きなプリント。
借りる人、返す人、お茶を飲んで待つ人、活気もあり落ち着きもある店内に合った写真。
丁度返しに来る人で賑わう時間帯に行った為、落ち着いて見られる状況ではなかったが、その雰囲気が写真には相応しくあった。
もう一か所、千駄木の Rainbow Kitchen と言うハンバーガーショップでも展示されているとの事。
説明すると長くなるが、私はハンバーガーなどの「綺麗に食べられないもの」が苦手なので、こちらは回避した。
好事家が集まってその月に読んだ本十冊について語り合うイベント。
それぞれが撰んだ十冊には、どこかしら繋がるところがあり、それを司会のドジブックス・佐藤が上手く拾って結び付けて行く。
倉庫の二階・村田席亭
アンソニー・ロビンス「あなたの「最高」をひきだす方法 こころの習慣365日」(2005/PHP文庫)
橘真児「シートベルトをゆるめたら」(2014/双葉文庫)
石原慎太郎「太陽の季節」(1957/新潮文庫)
渋谷勲・編「なぞなぞ」(1984/講談社文庫)
志摩阿木夫「甲州の地口 くらしの中から生まれた洒落言葉」(2001/山日ライブラリー)
天津木村「天津木村のエロ詩吟、吟じます」(2008/河出書房新社)
小島なお「歌集 乱反射」(2007/角川書店)
堂島昌彦「やがて秋茄子へと到る」(2013/港の人)
小池純代「梅園」(2002/思潮社)
「実用ことわざ小辞典」(1995/永岡書店)
中山涙
三宅隆太「スクリプトドクターの脚本教室・初級編/中級編」(2015・2016/新書館)
羽海野チカ「三月のライオン」12巻(2016/白泉社)
吉田修一「横道世之介」(2012/文春文庫)※親本・2009
吉田修一「パレード」(2004/幻冬舎文庫)※親本・2002
光原百合「十八の夏 新装版」(2016/双葉文庫)※親本・2002→文庫・2004→新装版
梶本レイカ「コオリオニ」上・下(2016/ふゅーじょんぷろだくと BABYコミックス)
羽海野チカ「三月のライオン おさらい読本 中級編」(2016/白泉社)
司馬遼太郎「酔って候」(2003/文春文庫) ※新装版
門井慶喜「家康、江戸を建てる」(2016/祥伝社)
李龍徳「死にたくなったら電話して」(2014/河出書房新社)
丸岡巧
「Weekry SCOOP!」 ※「SPA!」臨時増刊(2016/扶桑社)
「大東京ポッド許可局2016in中野サンプラザ 公式パンフレット」(2016/TBSラジオ「東京ポッド許可局」)
林真理子 見城徹「過剰な二人」(2016/講談社)
野坂昭如「俺はNOSAKAだ ほか傑作選」(2016/新潮社)
嵐山光三郎「桃仙人 小説深沢七郎」(1997/ちくま文庫) ※ちくま文庫 → 中公文庫
篠原勝之「骨風」(2015/文藝春秋)
村瀬秀信「4522敗の記憶 ホエールズ&ベイスターズ涙の球団史」(2016/双葉文庫)
田中啓文「地獄八景」(2016/河出文庫)
平山夢明「ヤギより下、猿より上」(2016/文藝春秋)
吾妻ひでお「産直あづまマガジン5」(2016/アズママガジン社)
書肆ヘルニア・池田
山中恒「ボクラ少国民と戦争応援歌」(1989/朝日文庫)
保坂正康「敗戦前後の日本人」(1989/朝日文庫)
岡崎武志「女子の古本屋」(2011/ちくま文庫)
田中美穂「わたしの小さな古本屋」(2016/ちくま文庫)
津田大介 牧村憲一「未来型サバイバル音楽論 USTREAM、twitterは何を変えたのか」(2010/中公新書ラクレ)
さやわか「僕たちとアイドルの時代」(2015/星海社新書)
くるり 宇野維正「くるりのこと」(2016/新潮社)
春日太一「鬼才 五社英雄の生涯」(2016/文春新書)
中川一徳「メディアの支配者」上下巻(2009/講談社文庫)
「このマンガがすごい!」編集部・編「『この世界の片隅に』公式アートブック」(2016/宝島社)
ドジブックス・佐藤
桑原茂一2・監修 構成執筆・吉村栄一「これ、なんですか? スネークマンショー」(2003/新潮社)
大場ひろみ 矢田等「チンドン 聞き書きちんどん屋物語」(2009/バジリコ)
外山滋比古「異本論」(2010/ちくま文庫) ※親本・1978
佐藤義和「バラエティ番組がなくなる日」(2011/主婦の友新書)
みうらじゅん「マイ仏教」(2011/新潮新書)
堺すすむ「「な~んでか」誕生三十周年 堺すすむの爆笑!な~んでか888連発」(2014/メディアクラフト牡牛座)
橋本治「大不況には本を読む」(2015/河出文庫) ※中公新書ラクレ・2009→河出文庫
立川吉笑「現在落語論」(2015/毎日新聞出版)
吉野嘉高「フジテレビはなぜ凋落したのか」(2016/新潮新書)
「いとうせいこうを探せ! デビュー30周年ハイブリッドブック」(2016/講談社)
丸岡巧は「大東京ポッド許可局2016in中野サンプラザ」、ドジブックス・佐藤は「いとうせいこうフェス」、書肆ヘルニア・池田は「この世界の片隅に」と、大きなイベントや関心事に関わる本を読み、その話題を中心に。
それぞれの関心事に絡めて話が進むうち、別の人の読んだ本の話題に近付いたり、思わぬ接点があったり、個人的な読書の楽しみの一つである「読んだ本がいつの間にか有機的なつながりを持ち、仕入れた情報が知識となって定着していく心地よさ」がより早く強い形で起こる。
堺すすむの「なんでかフラメンコ」といとうせいこうのデビューが同じ1984年であり、「なぞなぞ」の発行年も同じであったり、関係なさそうなものに同時代性があったり、影響を与えていたり受けていたり。
捕れるか捕れないか瀬踏みしつつも危ない球を投げ合って言葉と話題のキャッチボールをするドジブックス・佐藤と村田席亭。
気を抜いていると牽制球が来て、いちいち刺されて凹む中山涙。
このあたりの遣り取りも楽しい。
次回は 11月19日(土) 神奈川公会堂和室にて開催との事。
知己からお知らせがあり、二回目には間に合いそうだったのでソラマチへ。
業平橋側の入り口から延々エスカレーターを登っていくと、館内に入ってすぐのところがイベントスペースになっている。
青年期の懊悩を無軌道に騒ぎ散らかすことで解消しようとする傍迷惑な単細胞生物はおらず、青年期を通り過ぎつつある世代が中心の客層。
声を出してステロタイプな「アイドルファン的な振る舞い」をする向きは少なく、静かに激しく振りコピーをする人々が多数派。
callmeは振り付けの難易度が高く、早くて細かいので客も必死に喰らい付いていく。
振り付けの追従度は高いのだけれど、ハンドクラップは壊滅的にダメで、食ったり遅れたりするのが良く分からない。
アイドルの現場としては珍しく、非常に静かなのだけれど、静かなりの盛り上がりは感じられる。
昨今、煩く騒いでいるのが「盛り上がり」であるように捉えて客に強いるアイドルが多く、客もそれに馴れてしまっているが、愉しむことと騒ぐことは=ではない。
十人居れば気は十色、客の数だけ楽しみかたはあり、それが振りコピーをする方向に偏っているだけの話。
舞台上で起こっていることを味わいたい私のような者には、割と居心地の良い現場。
ユニット発足当初にあった「無理をして背伸びをするような息苦しさ」も無くなり、同い年で長い事同じ釜の飯を食って来た三人の風通しの良さから来る息の合った動き、難しい事をさも簡単であるかのように涼しい顔でやってのける技量と体力、激しい動きの中でもぶれなくなった歌唱力。
さまざまなものが上手く噛み合って来つつあり、安心して楽しく見ていられる。
「主役然とした主役、皮肉屋、よく食べる人」と言うゲッターロボ的なバランスの妙。
秋元瑠海がサモエドとかピレネー犬とかそういう感じの「大型犬の圧迫感のある愛嬌」を振りまいていて実に良い。
callmeは判り難い曲しかないので広く売れにくい、訳知り以外入り込みにくいのが難点ではあるのだけれど、判り難い曲だけで30分間を持たせているのは瞠目に値する。
これをどう商売にするのか、という点に於いての危惧は相変わらずあるが、見世物としては良く出来ている。
キラーチューン一曲あれば変わると思うのだが、今のところ変化球しか投げて来ていないのでそこは期待薄。
上手く商売にしてほしい。
土曜の夕方から四ツ谷のギャラリーニエプスへ。
入っては見たが、良否・好悪ではなく、苦手な写真。
見せたい、写真に残したい自分のある人のセルフポートレート。
見せたい何かが写真から押し寄せて来るような圧迫感に耐えられず、逃げ出してきた。
私が好きな写真は「引き込まれる」ようなものであるのだけれど、この写真展は一枚に盛り込まれたものが向こうから「押し寄せて」くる。
「見せたいものが有る」と「見て欲しいものがある」の、「刈り込む」と「盛り込む」の違い。
饒舌で、解釈する隙を与えず、受容させようとするような、そう言う写真が好きな人にはお勧めできる。
飯田橋の ii-BRIDGE で開催中の写真集を見せる写真展へ。
フォトテクニックデジタル主催の「私的写真集選手権」の入賞作品と応募作の全てを展示。
ii-BRIDGE の入り口はガラス面積が大きくで開放的。
扉は常に開け放たれており、中で楽しそう何かが行われている事は伝わってきて、入らないまでも足を止めてゆく通行人も見られた。
入賞した出品者は写真集からの選り抜き的にパネルで1枚から2枚展示し、その下に写真集が置かれている。
観覧者はそれを順繰りに手に取って見る。
大き目の机に椅子が4脚設えられており、そこに座って見ることも出来る。
入賞作品以外は、入り口に近いところの机の上に纏めて並べられていた。
しっかりと製本したものから冊子状のもの、果てはリングで纏めただけのものまで装丁は様々。
応募作品の全てを見られると言うのは面白い。
写真だけで押して行くものと、キャプションを入れるものとあったが、文字が目に引っ掛かると言うか、流れて行かずに文字が言葉として残る写真集は、フォント選びにも心を砕いていた。
入賞作品には流石に無かったが創英角ポップ体を安易に使っている写真集は、総じて陳腐なものだった。
どこまで凝った装丁にするかと言う事と、写真集として心を動かされるかどうかは別なのだけれど、入賞したものは少なくとも人に見せることを前提とした体裁にはなっていた。
入賞していない作品の中では、前述のリングで纏めただけのものであったり、悪い意味で「なんだこりゃ」なものも無くはなかったが、とりあへず自分の撮った写真を写真集と言う形にして人に見せようとする強い意志のようなものは篭められていた。
それに中てられてしまって思いの外消耗したのだけれど、良い意味で「これは!!!」と思うものと悪い意味で「これは…」と思うものと両方見ることによって、自分にとって良い写真集とはどんなものか、朧気乍ら掴めて来た。
・ページが繰りやすいこと
・判型と割り付けに意味があり、変化が有ること
・写真の順序や配置に意味があり、物語が感じられること
この辺りを満たしていると、写真そのものの好悪はさておき、写真集には入って行ける。
印象に残った物をいくつか。
「未完成組曲」
A4を横に使っており、見開きで使うとパノラマ的な構図になる。
それを要所々々で生かしつつ、変化に富んだ割り付けで飽きさせない。
カラーで始まり、モノクロが挟まってカラーに戻る構成も良かった。
「きみ と ぼく」
A5くらいの冊子に、写真は敢えて小さく手札判程度に小さく入れて、余白を多くしてある。
頁の下半分が余白。 この余白が利いている。
「fragile」
B5くらいの冊子なのだけれど、こちらもスクエアフォーマットの写真をページ中央に置いて、上下に余白を取っている。
「泡沫えれじい」
河川敷に暮らす猫の暮らしの記録。
街の野良よりも生活環境は厳しいらしく、痩せていて尖った顔付き。
蛇や鼠、昆虫などを狩る姿から塒で寛ぐ姿までを腰を据えて撮っていて、切なくも美しく、愛らしくて力強い。
「メッセージ」
卒業式の一日を追った冊子。
ピントが甘かったり、写真としては粗も多いのだけれど、上手過ぎないところに生々しさが有る。
この技巧に頼らない写真として強さが、入賞に繋がったのだと思う。
「カヤメンタリー 4」
展示されている写真集には撮影者が被写体の一人として 写り込んでいるものから影も見せないものまで様々あったが、この写真集は撮影者と被写体の関係性の上に成り立っていつつも、撮影者が透明であるのが良い。
時間を掛けて撮る事の出来る状況では無い事が分かる繁華街や店の中でのカットも、仕草や表情だけでなく、背景も含めてきっちり切り取れているおり、流してページを繰っても面白いが、一枚々々をつぶさに見ていくと、見る度に発見がある。
「鳥の歌」
入賞作以外では、これが印象に残った。
モデルの女性が雨の降りしきる中、濡れ鼠になって行く様を追った連作が面白い。
写真集を見る写真展とあって、私を含め長逗留してじっくり見ていく向きが多かったように思う。
二時過ぎに見始めて、気が付いたら夕方。
こってりと濃い写真展であった。
フォトテクニックデジタルのサイトを見たところ、編集部からのお知らせの中に写真展「私的写真集選手権」Vol.4開催 パネル展示・参加者募集と言うものがあり、これを読むとパネルとともに展示されていたのは入賞作品と言う訳ではなく、有料でこの展示方法も選択できたと言う事らしい。
入賞作品との違いは、どうなっているのか分からなかった。
写真の配置が文法に則ったもので固まってしたまっているものが散見されて、そこは惜しかった。
印刷の都合もあるとは思うが、判型と割り付けまで含めて考えていない写真集は、アルバムの域を出ていなかった。
飯田橋駅前から都バスで俎橋へ。 駿河台下まで歩いて神保町画廊。
好みに合う合わないはあるが、とりあへず見ておきたくなる写真展をやってくれるのは有り難い。
海辺の岩場や石切場、洞窟などで4×5で撮ったモノクロプリント。
現像時にネガについてしまったゴミや埃の黒い跡、プリントに付いてしまったホコリの白い跡を無理に消さないのが生々しくて良かった。
光沢の印画紙なのでより目立つし、消しようもないのだけれど、このあたりを含めた味わい。
プリントは硬めで、潰れぬよう飛ばぬよういろいろ手が入った感じ。
暗室の匂いのする写真だった。
生田絵梨花
表紙と巻頭8ページ22カット、オマケピンナップ付き。 撮影は細居幸次郎。
更にモノクロでインタビューが8ページ。
売れに売れた写真集と同じスタッフでの沖縄ロケ。 晴れた日の海辺では目の開き切らないカットも散見される。
そう言うカットも使わないと沖縄で撮った意味は無いし、表情としては悪くないので、これはこれで良い。
柔らかく光を廻したり、強い光源は背負わせたりしたカットは、より変化に富んだ表情。
オマケピンナップの表面など、カメラを見ずに意識だけを向けたカットが実に良い。
見開きで大小さまざまに写真を鏤めた中にもハズレカットは無い事にも驚く。
カラーページぶち抜きでも良いくらいの質と量。
優希美青
巻末4ページ5カット、撮影は細野晋司。
アップになったカットは塗り絵レタッチが過ぎて出来の悪い鏝絵のようになってしまっているが、表情そのものは良い。
ほぼ見開きになっている2~3ページ目。スクエアフォーマットに近い形で配置された3齣。 全て目が生きている。
特に左上の弓を構えたアップ。 目は的を見据えていて視線どころか意識も来ていないのに、見る者を気圧する力がある。
神保町ブックフェスティバルと神田古本まつりの同時開催で自棄な人込み。
飲食店は軒並み満員、空きっ腹を抱えたまま落語カフェへ。
「阿倍善四郎 隅田川乗っ切り」田辺いちか
「三方ヶ原軍記 酒井の太鼓」一龍斎貞橘
「寛永御前試合 仙台の鬼夫婦」神田すず
「青砥藤綱 裸川由来」一龍斎貞橘
<中入り>
「左甚五郎伝 水呑みの龍」一龍斎貞橘
他の演者目当てで行った朝練講談会で文字通り「出くわした」のが、貞橘先生を選って聴きに行くようになった発端。
ゴリッとした口調と腹から出る声で惹きつけておいたところで、すっと逸らす。
脱線が過ぎてトチることもあるが、誤魔化し方がまた良い。
色々と見聞きするうちに、落語も講釈も演者の好みがはっきりしてきた。
「面倒臭い人」
「心地よい日本語」
「緩急自在だが『緩』多め」
「脱線多めで時に事故」
「掘り起こす人」
総じて言えるのは「ケチケチしないしガツガツもしない人」
貞橘先生は今後も聞きに行きたい。
いちかさんは張らなくても声が通るようになってきた。
松之丞さんの出る回は相対的にも絶対的にも混むので、早めに室町へ。
今日も結構な入り。
「薩長同盟と坂本龍馬とお龍」 一龍斎貞弥貞弥
司馬遼太郎的な視点からの幕末譚。
地の文少なめの、科白劇のような講談。 声による演じ分けは流石に上手い。
講釈の音便や読み下しから自由なのは良いのか悪いのか。
新作なのでこれはこれで良いのかもしれない。
「和田平助 鉄砲斬り」「寛永宮本武蔵伝 狼退治」「播髓院長兵衛 芝居の喧嘩」神田松之丞
先代山陽の命日で且つ自分の入門記念日と言うことで、入門の日の思い出から当代山陽の三席短目に畳み掛ける手法で先代山陽の得意根多を。
それぞれ短く刈り込んだり、半ばまでで切ったりしつつ、美味しいところを摘まんで盛ったワンプレートランチ的に。 みっしり詰まった時間。
中井りか
表紙と巻頭7ページ13カット、撮影は桑島智輝。
気は強いが脆いのが凶と出て、撮られ慣れていない事もあってか表情は硬く単調、目も虚ろなのであるが、そこを上手く誤魔化して巻頭グラビアとして成立させている。
何とか拾い集めた使えるカットからより良いものを選って大き目に使い、1ページ目は猫を被った感じに、3ページ目はあざとく。
この2カットで或る程度は伝わるであろう。
身の回りに(斯く言う私も、であるが)嬉々として振り回されている向きも多く、素材としては良いので何とかなっていただきたい。
佐々木希
巻中2ページ見開きで5カット、撮影は川島小鳥。
写真集の宣伝も兼ねてのグラビアなのであるが、上手く撮り・撮られている。
川島小鳥の撮る女性は安心して撮られているのが表情から窺えることが多いが、気を許していると言う事はそれを裏切れないと言う事でもあり、明るい中にも哀しみがある。
遠山茜子
巻末4ページ9カット、撮影はTakeo Dec.
グラビア映えする体形と綺麗に見える角度が上下左右に広い。
作った笑顔が不自然なのが瑕だが、カメラと素で向き合えているので当たりカットは多い。
光が強く当たると上瞼に力が入って表情が厳しくなる傾向があり、晴れた日の屋外でどうなるか不安はあるが、素材としては上々。
武田あやな
巻頭9ページ14カット、見開き1か所。 巻末6ページ5カット、見開き1か所。 撮影はTakeo Dec.
口の開け方閉じ方で表情に変化が出ているのだけれど、まだ上手くコントロール出来ていない。
どのくらいどうするとどう映るのか把握して、意識はしつつも不自然にならぬよう振る舞えるようになれば化けると思う。
唇の閉じ方、引き結び方でここまで表情に諧調が出せるのも珍しい。
八木莉可子
表紙と巻頭8ページ17カット、撮影はTakeo Dec.
表紙は塗り絵のようなレタッチで、あまり好みではない写真なのではあるが、今回は連載漫画の主人公に扮してのグラビアなので、これはこれで良い。
若さ故の肌の瑞々しさと言うか湿り気や光沢が出てしまうと、現実に寄り過ぎてしまう。
その辺りの現実を光を強く当てることで飛ばしているカットと、そうも行かなかったカットでブレが出てしまっているが、糊塗しきれない現実の方に、私はより惹かれる。
松本愛
巻末6ページ9カット、撮影は藤本和典。
珍しく全体を通して煽情的なグラビア。
部分的に見せたり隠したりしているカットの、悪戯っぽい表情が良い。
最上もが
表紙と巻頭6ページ10カット、巻中3ページ6カット。 撮影は桑島智輝。
例によって銀髪のショートボブなのだけれど、纏めたり濡らしたりして変化を付けている。
作り込むのも此処まで突き抜ければ寧ろ自然なように見えて来る不思議。
鈴木茜音
巻末4ページ8カット、撮影はTakeo Dec.
セミロングの髪の揃わない毛先とうねり、薄めのメイク、硬めの表情が生々しい。
生成りのグラビア。