写真纏めアップロード
Fight with Buddy ~バカって言うな!~ (29.10.28)
桐谷美帆(CURATIONS)生誕祭 ~やっぱ、可愛いだけじゃないんだなっ~(29.10.29 押上Wallop放送局)
カメラごとに分けるのを止めて、イベント毎に纏めてみたが、ちょっと違和感が有る。
入場受付開始の少し前に開場へ。
来れば確実に入れる状況なのを分かっている人々はのんびりやってくるらしく、開場時間近くになって人が増えてくる。
影アナは神咲くるみ。 文言のテンプレートはそのままだが、神咲なりにかみ砕いて読もうとしており、印象は柔らかくなった。
三分ほど押して開演。
出囃子が鳴り終えて、一曲目の「きゃわふるTORNADO」で飛び出してくる。
そこから約一時間ノンストップで手持ち楽曲総棚浚え。
「きゃわふるTORNADO」で始めて「きゃわふるTORNADO」で〆る構成。
ファンデーションを塗ったところと塗っていないところと、上気した肌とのコントラストがくっきりとするくらいで、呼吸器循環器に掛かる負担はかなりの物だと思うが、最後まで目が活きており、流石に最後の最後はヤケクソ気味だったが、歌声も振り付けも特には乱れなかったのは見事だった。
道地文子は過渡期の髪色。 極端に走ると伸びたときの違和感が激しいので、上手いこと落としどころを見つけて欲しい。
宮瀬しおりの「突き詰め方」が面白い。
沈み込んでからせり上がる動きなど、支える筋肉に負荷が掛かり、ともすれば早くなりがちな部分を敢えてゆっくりと。
すぅーっと動いてピタリと止めて、止めた位置を保つ。
このあたりの動きをきれいに見せる手法は日舞の技術としてあるのだけれど、恐らく宮瀬は別方向からのアプローチでこの技術を会得。
被せが強いオケの曲でもマイクは生きており、手抜き無しで歌わせていることがハウリングで判る。
ハウリングが起きた際に「先ず自分のマイクを疑う」ことがきっちり仕込まれている。
レッスンでしっかり「合わせて」いるのだと思うが、自主練習多めのグループにありがちな振り付け解釈の独自進化が見られず、それぞれの味は殺しきらずに刈り込んで見せているのが良い。
ソロパートが各メンバーに割り振られ始めてしばらく経ったが、不得手な方に意識が行きすぎて得意な物が疎かになることもなく、歌と振り付けがぴったり合ってきた。
最後に挨拶だけして退場して行ったので退出しようと思ったら客電が点かず、なんだろうと訝しんでいるうちに何やら告知ビデオが始まった。
長野県まで行って何故か恵那山に登ろうとして道を間違えて別の山に行ってしまい、登り直して時間切れというよくわからない内容。
まぁメンバーの人間性が炙り出されて面白くはあったのだけれど、些か長がかった。
簡単に纏めると一周年のライブを満員で開催するために様々な仕掛けを行っていく告知。
六人のメンバーが迎える一周年と言うことで、365×6=2190。
そこで標高2191mの恵那山で決意表明のVTRを撮るという企画だったようだ。
この手の企画は、兎角メンバーに負荷を掛けて、失敗するとペナルティーを与えたりすることが多いが、2190社に手紙を書いてオファーの有ったところに出向いてライブをやるなど、裏方も下準備で汗をかく企画になっているのは良い。
上手く行きますように。
む
伊藤紗治子
表紙と巻頭7ページ12カット、見開き1箇所。 撮影は桑島智輝。
歯見せ笑顔一辺倒で表情に幅も階調もないのを、桑島智輝が寄ったり引いたりしつつ背景で絵を作って填め込む。
陳腐に成りすぎず、写真の邪魔もしない。 キャプションの入れ方も割付も良い。
裏方が寄って集って盛り立てて成立させた7ページ。
加藤ナナ
巻頭5ページ12カット、見開き1箇所。 撮影はTakeo Dec.
表情は些か単調だが、カメラと向き合えているのは良い。
水着的ななにかは纏いつつ、扇情的に見せない衣装とポーズ。
良く出来ている。
くるみ
巻末6ページ8カット、撮影は細居幸次郎。
これが見たかった。
光を柔らかく回しつつもあまり明るくない屋内、絞りを開けて撮ってピントは浅く、コダクロームのような濃厚で暖かみのある色合い。
ファッションだけでなく広告のモデルもやっているからか、自分を見せることも出来るし、作られた絵の中に構成するパーツの一つとして填まることも出来ている。
モデルとカメラマンと仕事の幸せな出会い。
今年のヤングジャンプのグラビアの中でも最良のものの一つ。
Niki
巻頭9ページ24カット、撮影はTakeo Dec.
カメラを向けられることには慣れていて、カメラマンが切り取るに任せている。
しかし全ての表情に作り物っぽいところがあり、そつなく振る舞えてはいるもの、面白味もない。
私が日差しの強い時間帯の浜辺で撮った目の死んだ写真を好まないのもあるが、埋め草としては及第点だが実に詰まらない9ページだった。
斎藤みらい
巻末6ページ14カット、撮影は kishimari
後加工でソフトフォーカス感を出した安直な撮影手法。
表情も切り取り方も単調。
写真としては退屈窮まるが、並べ方が上手い。
どうしようもない写真だが、そのどうしようもない写真で6ページ持たせる編集の仕事には見るべきものがある。
Aqours
巻頭・巻末合わせて12ページ37カット、見開き1箇所。 撮影は唐木貴央と中山雅文。 但し、どれを誰が撮ったのかは不明。
顔の出る芝居もする人と、顔の出ない芝居を主にする人が混在しているので、写真映えと言う点でも落差が有りすぎる。
「誰を」「何を」基準にするか曖昧なまま束で撮らされる悲劇。
これで良い人が多いからこの座組でグラビアが何本も組まれるのであって、需給のバランスは取れているのだろう。
松川菜々花
巻頭6ページ15カット、撮影はTakeo Dec.
太陽を背負わせようが何しようが眩しいものは眩しい。
眩しいのを我慢したり、我慢しきれなかったりしたカットのみで構成した何かの嫌がらせのような15カット。
アンジェラ芽衣
巻末4ページ15カット、撮影は桑島智輝。
珍しく「人の悪い桑島さん」。
肉感的な部分をブツ撮り的に強調。
それでも下卑て来ないのは流石。
齋藤飛鳥
巻頭7ページ12カット、撮影は細居幸次郎。
寄りでも引きでも絵を作れているのに驚く。
被写体が安心して撮られている。
商売用の部分ではない齋藤飛鳥まで含めて信託して撮り方をカメラマンに任せており、カメラマンの方もそれに応えている。
互いにとって幸福な仕事なのでは無かろうか。
このコンビの(出来れば今度は集英社で)纏まった写真が見たい。
被写体と撮影者(そして編集者が)上手く噛み合った仕事。
川崎あや
巻末4ページ9カット、撮影はTakeo Dec.
秋のアクティブハイレグ祭りとのことで、そちらに特化したグラビア。
下世話だが下品ではない程の良さ。
内田理央
巻頭8ページ18カット、撮影は桑島智輝。
連載マンガの人気キャラクターに扮してのグラビア。
そちらに寄せた部分と被写体本人を見せる部分と上手く分けて折り合いをつけており、内田理央も上手く演じ分けて地続きだが別のものになっている。
橋本梨菜
巻末4ページ8カット、撮影は藤本和典。
黒いのが売りなのは判るが、撮り方に作意が有りすぎて興醒め。
澤北るな
巻頭7ページ11カット、撮影はTakeo Dec.
下駄を履かせられた感はあり、売り文句ほどの魅力は感じないのだけれど、確かに前回よりは良くなっている。
歯見せ笑顔以外の部分は悪くないが、指示がないと同じ笑顔しか手札が無いと言うのは、この仕事をするに当たって致命的な事なのではないか。
今田美桜
巻末5ページ10カット、撮影はTakeo Dec.
商店街で撮ったカットと水着では、やはり表情に硬軟が出てしまっているのだけれど、硬いは硬いが肚を括ったようにも見える。
羞じらいと覚悟のバランス。 悪くない。
若月祐美
巻頭7ページ15カット、見開き1箇所。 グラビアの後に写真集の広告12ページ、オマケピンナップ付き。 撮影は桑島智輝。
「初の下着云々」なネットニュースの煽りもあったのでどんなものかと思ったら、そこはそれ桑島智輝が上手く撮っていた。
若月祐美は表情の幅こそ狭いものの、その狭い中に微妙な階調がある。
齋藤飛鳥と細居幸次郎の場合もそうだったが、商売用ではない部分も含めての丸投げ。
さらけ出されたところからの取捨選択の妙。
ちなみに写真集も良い出来だった(こちらは別項にて)。
久保史緒里
巻末5ページ11カット、撮影はTakeo Dec.
この人はもっと凄いと思うのだけれど、追い込み切れていない。
作った表情ではなく、滲み出てくる表情に妙味があるのだけれど、どう撮ったら映えるかより、どう言う絵が欲しいかが優先されてしまった感じ。
山広美保子
巻頭8ページ14カット、撮影は細居幸次郎。
課金競争企画の勝者に与えられる巻頭グラビア。
これまでは雑な扱いになることも多かったように思うが、今回はきっちりページを割いて、ロケもして、労力と知恵も注ぎ込んで撮って貰えている。
山広美保子は撮られ慣れていないので表情からポーズから万事硬く、痛々しい位なのだけれど、陰惨に成らないよう、湿り気を帯びすぎないように撮れている。
和室で撮ったカット。 室内の回す光は柔らかくしつつ、背後の障子の向こうを明るくすることで見た目の湿度を下げている。 同じような効果を狙ってか、庭をバックにしたカットも庭を明るく。
予想以上の出来。 眼福。
的場華鈴
巻末5ページ11カット、撮影は西村康。
「顔と名前だけでも覚えて帰ってください」的なグラビア。
それにしては道具立てが中途半端。 金が掛けられないなら知恵を絞るべきであって、金の掛かる企画を立てておいてケチ臭い真似をするのはよろしくない。
期待していなかった。
被写体としての若月祐美には、これまで取り立てて魅力を感じたことはなく、桑島智輝の写真を週刊ヤングジャンプの編集力で見られることを期待して購ったと言うのが正直なところ。
しかしこれが侮れない出来の、座右に置いて何度も見返したくなる写真集であった。
集英社だからこれで良しとしたのかもしれないが、水着は無し。 下着のカットはあるが、全体は見せない。
ベビードールとショートパンツでベッドの上に背を向けてぺたりと座り、脱ぎかけながらこちらを向いて微笑む。
そう、仄めかすだけで良いのだ。
「秘すれば花」である。
見せないから見せている、見えないから見えている。
隠してこそ見えてくるものがある。
若月佑美は見ることを促すような扇情的なポーズは取らないし、布面積の少ない衣装でも何処かしら隠して全貌を見せない。
然し乍らカメラを見つめる表情は無防備極まるもので、幾ら肌を見せたところで決して見えてこない、「商売用ではない若月祐美」の部分を出し惜しみせずにカメラの前に晒している。
甘美な毒である。
桑島智輝と言うフィルターを通してより純化した若月祐美が目の前に現れるような、畏れすら感じる生々しさ。
撮影者として透明なので、カメラの前で裸になる以上の「素」を晒していても、不思議と嫉妬の感情は起きない。
若月祐美は殊更表情を作らないのだけれど、暑ければ暑いなりの、疲れたなら疲れたなりの、眠たければ眠たいなりの顔を見せる。
それを桑島智輝は上から下から、左から右から、寄ったり離れたりしながら切り取る。
若月佑美の姿とともに、木立や彫像、食べかけの果物、お菓子の袋、脱いだパーカーetc...
撮影行の中で若月祐美が関わった様々なものが記録され、収集されている。
そしてそれらが若月祐美の過ごしたスペインの旅を、立体的に見せてくる。
若月佑美は遠からぬ未来に乃木坂46と言うグループからは離れて新たな人生への一歩を踏み出すだろう。
もしかしたら永遠に我々の前からは消えてしまうかもしれないし、そうはならないかもしれない。
未来は不確かであるが、2017年の一時期の若月佑美は、永遠を閉じ込めた一瞬として写真と言う形で固定され、見返すことが出来る。
この写真集を手に出来た人は、幸せである。
ポッカリ穴が開いてしまったタイミングでnotallの定期ライブが迫り、予約クリック合戦に参加したら何とか撮れそうな番号だったのでカメラ担いで押上へ。
「後半四曲は撮らないで見てね」との事だったが、一寸厭な予感がしたので念の為軽装備。
予め整理番号が判っているのと、訳知りが多いのとで、発券も入場もスムーズ。
撮る人見る人踊る人、趣味嗜好は様々ながら、自分が過ごしやすい場所に陣取るので、予約番号が若くても前には行かない人も居り、予約30番台でも何とか撮れる位置には就ける。
衣装はTシャツをリメイクしたもの。 同じTシャツからメンバーの個性に合わせて手を入れてある。 この辺りは渡邊ちこの仕事であろう。
前半は楽しかった、見せる聴かせるのバランスが良く(田崎礼奈のマイクが死にかけのままだったのはいただけないが)、見る人撮る人踊る人、それぞれがそれぞれの楽しみ方で過ごしていた。
後半四曲で状況は一変する。
「カメラは仕舞って、『見て』下さい。」と言うのを私は字義通りとって「真に受けた」訳であるが、「見て下さい」は「沸いて下さい」と言う意味であった。
舞台の上から拳を突き上げるように促されるまでは良かったが、客同士で肩を組んで大声を出すよう強要する客からの同調圧力が強いのには閉口。
身の危険(機材の危険でもある)を感じるくらいになってきたので後方へ退避すると、盛り上がった光景を撮ろうとPA席からスタッフが降りてきた。
そこから見ていたのでは、一生涯判らないだろう。
舞台の上からは、またPA席からは「盛り上がった」状態に見えたかもしれない。
しかし、その盛り上がりの渦の中では虎の子のカメラ抱えて怯える者、のんびり見るつもりが狂騒に巻き込まれて当惑する者、執拗に肩を組むことを迫られる者、楽しいだけではない様々な光景があった。
私は「逃げやすい場所」に「逃げやすい装備」で居たから逃げおおせることが出来たが、重装備で奥の方にいたら、それこそ軽い地獄。
「撮らないでね」と言う要請は守った。 しかし、のんびり見る自由まで取り上げられるとなると私は受け入れられない。
「肩組み同調圧力」の強い現場は「どんな楽しみ方も許容される現場」では既に無い。
アンコールの声が響く中、これ以上ここに留まっても楽しく過ごせないのは明らかなので退出。
おかげで終バスには間にあった。 塞翁が馬。
最前列仁王立ちで撮りっぱなしと言うのは私もどうかと思うし、撮影に制限を掛けたいのも理解は出来る。
然し乍ら、行きすぎたそれは気軽にのんびり見たい客も排除することに成ることは忘れないでいただきたい。
見かけ上の「盛り上がり」を重視して、そちらを好む客層に沿ったライブの構成にして行くのであれば、撮ること見ることを好む者は「招かれざる客」であるので、静かに引いて行く。
「みんなでプロデュース」の "みんな" からは員数外であるのであれば、まぁ仕方がない。
祐天寺のギャラリーカフェ的なお店で開かれている写真展へ。
フォトクロームは話せば長くなるがペトリカメラが製造を請け負い、すったもんだの挙げ句販売はされずにお蔵入りになり、何かの切っ掛けで世に出てしまった謎のカメラ。
販売されなかった専用のフィルムを使う構造上、当初の仕様では撮影できず、物好きが魔改造して撮影できるようにしてある。
ペトリカメラ盲目的耽溺期(ロゴの入ったシリカゲルすら集めていた)に買うか買うまいか悩んで、結局買わなかった曰く因縁のあるカメラ。
私には「撮る工夫」が思いつかなかった。
それを使えるようにしてしまったという事は、少なくとも私より業の深い道楽者であり、出来上がった写真も、矢張りどうかしていた。
突き抜けた道楽は面白い。
元々は大名刺判くらいの専用印画紙に直接カラー印画するものだったようだが、前述の通りブローニーであったり35mmであったり、フィルムを使えるようにしてある。
レンズは100mm/f4.5。 三枚玉らしく、アウトフォーカス部分は結構暴れる。
ここまで暴れるなら買っておくべきだったかもしれないなどと後悔もしつつ、もう暗室は閉めてしまったので後の祭り。
写りは矢張りペトリ。 カラーだと、ペンキを塗った部分、ビニール、雑草など、庶民の身の回りにあるようなものがそれらしい色で写り、モノクロだと力弱く柔らかい写り。 締まった黒を出しているプリントも有ったが、焼きで苦労したのではないか。
ギャラリーカフェなのでコーヒーを一杯いただいていたら、旧知のカメラ仲間が入ってきた。 常連らしい。
どうかしているカメラを使ったどうかしている写真展だったが、常連もどうかしていたので安心した。
また伺いたい。
衛藤美彩の乃木坂46加入以前の活動がこの写真集で現在に繋がり、肯定された。
私の好みからは外れるが、衛藤美彩にとっては意味のある仕事であったと思う。
「写真集としての見せ場として水着もあります」的な乃木坂メンバーの写真集にありがちな取って付けたようなものではなく、水着やそれに類するものを纏ったカットふんだんに有り、「そこから先」も有るのだけれど、その前後にも紙幅を割いているので唐突さは無い。
ミスマガジン時代からの積み重ねもあり、衣装の布面積の多寡で表情がブレないのは流石。 美点を強調して粗は隠す身のこなしも見事。
ただそれはカメラに対して常に一寸構えているからでもあり、正体を現さないしたたかさには感嘆しつつも、演出の入った「見せるための表情」が多い物足りなさも感じる。
これは求められる自分を演じた衛藤美彩の責任ではなく、「講談社的、あまりに講談社的」な写真集としての構成上の問題ではあると思う。
次があるとしたら、予め作った物語に当て填めて作る「講談社的な文法」からは外れた、衛藤美彩そのものを撮った写真集が見たい。
江戸川橋のギャラリー NIWへ。
モデル主催の写真サークルの写真展。
一寸厭な予感はあり、その正体を確かめに行ったようなところはあったが、厭な予感そのものが其処にはあった。
このギャラリーは手前から三部屋に分かれており、おおよその写真展は中央の部屋を受付とか物販に使い、関係者はここに居ることが多いのだけれど、そのようには使われていない。
一番奥の部屋に入ると、中央にテーブルを設えてお茶会の最中。
もはや写真を見て回れる状態ではなかった。
写真を広く見せる為ではなく、仲間内で見せ合う為の催し。
客が来ることを想定していないからこそ、動線を塞いでお茶会が出来る。
モノクロに特化した出品者の作品が気になったが、もはやじっくり見る気も失せたので早々に退散。
閉じた内輪のお祭りなら、閉鎖空間でやっていただきたい。
客観的に場をコントロール出来る、状況を引いてみられる人がいない写真展は、得てしてこうなる。
フォトテクニックデジタル主催の私家版写真集を募った公募展の入選者による写真展。
写真集の公募展なので、出品作のパネル展示の傍らには入選した写真集が置かれる。 規模の割に観覧者の滞留時間が長い、濃密な写真展。
午後にトークショーが入っており、それを外して見に行ったのだけれど、トークショーからそのまま残った人が多かったようで、写真を見るでもなく写真集のページを繰る訳でもない、「出品者と語らう」目的の人々で溢れていた。
こうなるとじっくり見られるような状況ではなく、目当てのカメラマンの最新作と目に付いたものを見ただけで退散。
滞留時間が長くなる事を考えて展示スペースを考えておらず、そもそもが手狭なところに写真を見るでもなく写真集を手に取るでもない人々が屯していれば写真を(写真集を)見るどころではなくなるのは目に見えている訳なのだけれど、主催者側にこの状況を客観的に見てコントロールしようとする者がおらず、見る環境としては最悪と言って良い。
見れば語りたくなる写真であり写真集であるのは判るし、自作について語りたくなるのも判る。 私も聞きたい。
然し乍ら、他の出品者の作品の前を塞いで自作を語る会を開いて仕舞うなどと言うのは論外。
広く見て貰う為にやっている写真展で「閉じた仲良しクラブ」「出品者の為のお祭り」みたいなことを始めたら邪魔にならない方法を考えたり交通整理したりするのが主催者の仕事。 それが全く出来ていない。
写真集ではなく、写真展が悪い意味で私的なものになってしまっていた。
ちなみに目当てで見に行ったのは錦織智の新作で、こちらの出来は素晴らしかった。
七時過ぎに開場着。 もう少し時間を潰してからとも考えたが、如何せん寒い。
今回から各所で配布しているクリアファイルを持参するとそれがチケット代わりになるシステムが始まる為、受付担当者にも周知していた。
クリアファイル効果は目に見える形で出ており、開場する直前で50弱。
開演してからも増えていたようなので、実数としてはもっと行っていたのではなかろうか。
先ずは見て貰ってナンボなので、集客が多いのは喜ばしい。
前の番組が終わってから開場までに15分しかないので入れ替えやら音響の調整やらリハーサルやらでバタバタするのは仕方の無い事で、五分ほど遅延して開場。 開演は更に遅れた。
影アナは石川。
石川なりの味付けで硬い文面の諸注意や免責事項も柔らかく。
今回は人気投票で決まった順位でのセットリスト。
手持ち楽曲のすべてをやることにはなるが、投票の結果はメンバーも知らされておらず、スタッフがインチキDJ的に曲名を発表して初めてメンバーも客も次の曲がなんだか判る。
立ち位置でバタバタはするものの、振り付けと移動は頭にも身体にも染み着いており、目立ったトチリは無い。
途中で一曲新曲も披露。 まだ遣り慣れてはいない硬さはありつつも、既に人前で演って金の取れる出来にはなっていた。
神咲の振り付けに柔らかさが出てきた。 正確な動きの先にあるものを掴みつつある。
勢い余って一寸逸脱するところもある別所。 それもご愛敬。
石川は体調も精神状態も悪くはなさそうで安心した。 弱みを見せまいとする営為が完璧すぎて、煮詰まると atmosphere に出ることがある。
杏斉の歌が新境地。 心浮き立つような楽しさを聴く者に与える。
道地は情熱と冷静を同居させ、意識を半歩引いたところに置いたように客を煽ったり弄ったり。
煽ると甲高い声になりすぎて何を言っているのか判らなくなる宮瀬。
そのあたりを含め、宮瀬ファン某氏と話すと「楽しそうだからまぁ、いいんじゃないでしょうか。」と言うところに落ち着く。
上位に来るのは盛り上がる系統の楽曲。 聴かせる系統の楽曲の出来も良いのだけれど、現在の客の殆どが「ライブに来る客」なので、これは仕方がない。
私は一位になった「星空ディスティネーション」と七位の「メリーゴーランド」が好きなのだけれど、どちらもベースラインが変態的なまでに唸る。
良く出来ていて、且つよくよく聴くと「どうかしている」。
そう言う曲がもっと聴きたい。
只でさえ押し気味の進行のところへ持ってきてインチキDJ風のMCが長いのが結構なダレ場だったのだけれど、急に「これを遣れ」と言われて即応できる練度を目の当たりに出来たのは良かった。
次回はカバー公演とのこと。
二週間で何処まで煮詰めて自家薬籠中の物とするか楽しみである。