外苑前の交差点から西通りを南へ少し下った路地裏にある「ときの忘れもの」と言うギャラリー。
ここに来たのは2012年6月、ドアノーとブレッソンを見に来て以来。
入って右の壁に1999年に撮影したもの、左の壁に2014年に撮影したもの。 どちらもベルリン。
1999年に撮影したものの内、入り口寄りの二枚が当時プリントしたもので、残りはすべて最近のプリント。
被写体との向き合い方、切り取り方に大きな変化はないと思うのだけれど、街の空気なのか撮影者の心持ちなのか、2014年に撮ったものの方が何というか写真が重い。
1999年のベルリンは街も荒れており、曇天なのだけれど、荒れたなり、曇天なりの軽さと明るさがある。
翻って2014年のベルリンは綺麗に出来上がっているもののつるりとした捉えろのどころの無さが、晴れた空にも重さがあり、夜の闇は深い。
私は2014年のベルリンの夜に惹き付けられた。
聳え立つビルの背後の夜空の、黒より黒い黒。 黒と灰色の間の色の黒寄りの部分と、ビルの放つ輝きの対比の妙。
一枚でも写真として成立する強さを持ちつつ、対比させても、纏めて見てもより面白い。
年々厳しくなる印画紙事情の中、今作り得る最良のプリントが目指されており、全体を見てもそれとは判りにくいのだけれど、細部に目を凝らすと秘術を尽くして焼かれているのが判る。
入念に仕上げられていつつ、「これみよがし」なところが無いのも良い。
プリンタで出力する写真も長足の進歩を遂げてはいるが、銀塩には銀塩の素晴らしさが矢張り有った。
最近足を運ぶ機会の増えた神保町画廊で金曜から始まった写真展へ。
服を着ていたり着ていなかったり、服ではない何かを纏っていたりするセルフポートレート。
カメラなりスマートフォンなりを手に持って撮ったものと、三脚などに据えて遠隔操作して撮ったもの。
服を着ていても着ていなくても、付け睫毛と瞳を大きく見せるコンタクトレンズは欠かさないのが興味深い。
私は目の光りや表情を殺してしまうコンタクトレンズを好まないのだけれど、全否定するほどの事は無いような気がして来ている。
先日見た七菜乃もそうであったが、付けていても気にならない寧ろ付けていることによって完成する写真もある。
村田タマの場合も、コンタクトレンズと付け睫毛を付けた状態が被写体としての「村田タマ」なのであろう。
「こう見せたい」なのか「ここは見られても良い」なのか「ここを見て欲しい」なのか様々な解釈が成立するし、幼いようでも成熟しているようでもあり、見ていて良く解らなくなってくる。
嗚呼、人生不可解。
金曜夜に東京タワー大展望台一階で行われている Night view DJ を折あゆみが担当とのことで、仕事帰りに大門へ。
コンビニエンスストアで扱っていた割引入場券の廃止以来、窓口販売のみに成ってしまったため、団体の観光客などとぶつかるとエラいことになったりもするが、幸い空いていてすんなりと展望台へ。
電波塔としての役割を終え、観光施設として回して行く事を考えてか、往時の「おのぼりさん御用達」な雰囲気は影を潜め、どこへ行っても洒落乙になってきている。
エレベーターガールも国際色が増し、私が乗った時は中国語の名残のあるイントネーションの女性であった。
展望台に上がると、こちらも洒落乙感溢れる仕掛けになっており、プロジェクションマッピングやら満艦飾のLED照明やら。 我々のような下町を這いずっている人間には敷居の高さを感じるしつらえ。
大展望台一階のステージ前に行くと、既にリクエストカードや曲本などが設置されていた。
曲本には折井の写真が貼られており、リクエストカードの筆記見本には今週のお題も記載。
これまでは番組内での告知だったため、お題に沿った投稿が集まらないこともまま有ったが、そんな事も無くなっていた。
施設の性格上「通りすがりの観光客」が多く、客を運んでくるエレベーターの発着に連動して客の波が出来てしまい、雑踏の喧噪に翻弄されたり、そこに人が居る体で誰も居ない空間に向かって語り掛けたりしなければ成らない事態が起こることもままあるのだけれど、一年間レギュラーパーソナリティーとして勤め上げただけあって、折井は何があっても動じない。
傍から見ていてハラハラするような事は何かしら起こるのだけれど、音だけ聞いていたら恐らく分からないと思われる。
声だけで芝居をする仕事が増えた為か、声を張り過ぎる事が無くなり、強弱緩急は付けつつも聞き取り辛いところは無い。
曲を紹介する際の英語の発音がFM局的な滑らかさになっていた。
大展望台一階にあるカフェ・ラトゥールから一品頼むコーナー。
新メニューのソフトクリームに心惹かれてかひとしきり語りつつ、「食べると喋れなくなってしまうので」いつものホットミルク。 DJミズノ氏は「寒いので」とキャラメルラテ。
大展望台はなぜか上の方の窓が開いており、何時になく寒かった。
折井あゆみセレクションとして何曲か掛けたのだけれど、そのうちの一曲が星野みちるの「YOU LOVE ME」。
細かい説明はせず「十年来の友人」とのみ前置き。 いろいろダメな人だが歌だけは凄いと言う実に的を得た説明。
そろそろ終わる頃合いで今後の告知など。
ちょっと早いかな・・・とも思ったのだけれど、告知する出演情報がドラマから映画から吹き替えの仕事から多岐に亘り、丁度良く終わっていた。
Night view DJ には不定期乍ら今後も出演するようなので、足を運んで行きたい。
16:30から始まるのだけれど、早めに現場へ。
Chelipはインストアイベントそのものも中身の濃いものにしてくるのだけれど、開演前には公開リハーサル、公開リハーサルの前には音響チェックも兼ねてかアイドルポップスを中心にした選曲のDJタイムもある。
プロデューサー氏によるDJは、曲を掛け乍ら喋り、歌い、踊り、そして煽る。 このDJスタイルからして「こちら側」の人なのだけれど、仕事は仕事としてきっちりしている。
曲出しのタイミング、繋ぎもスムーズで、その場で許される最大音量で心地よい現場を作ってくれる。
タワーレコード TOWERmini汐留店は新橋駅から続く地下通路にあるが、地下通路は半吹き抜けになっており、風は吹き抜けるので地下とは言え寒い。
Chelipの二人も初めは寒そうだったが、動くと汗ばんでくる。 ライブが終わってこれが冷えると危ないのだけれど、そのあたりのケアは出来ているようだった。
歌って踊る部分はスクール出身だけあって二人共しっかりしているのだけれど、喋る部分は藤井美音が「これだけは喋らなければいけない部分」を井次麻友が「それ以外」を担当。
昭和のいる・こいるで言うと、「のいる」担当が藤井美音、「こいる」担当が井次麻友。 掛け合いが実に楽しい。
アイドルというジャンルに属するものを、その客ですら見下すような風潮は根強くあるが、Chelipは演者も裏方もアイドルと言う物に対する愛着も誇りも持っていつつ、他の芸能ジャンルと較べても何ら劣るところの無い「娯楽」を提供してくれている。
「重大発表」がなされるとの告知の効果か予約の出足は久しぶりに良く、80に設定された予約枠はすぐに埋まって100に増やされ、最終的には105まで。
但しこれは無料での枠押さえなので、当日来るとは限らないし、経験則から言って1/3くらいは来ない。
蓋を開けてみたら矢張りそうであった、此処のところの低調な動員からは脱したが、大入りには程遠い入り。
前半は例によってバラエティ番組収録。
「おにぎり対決」的なものから始まる。
オチ要員であることを自覚して不味いものを作る役を演じる者が居るのは構成上仕方が無いとしても、食い物を粗末にする企画は不愉快。
後半は「知ったかぶり対決」的なもの。 こちらは楽しく見られた。
会話の中で、小室が学校行事の都合で昼間は出演出来ず、その為に番組の放送時間も含めて夕方からになった事が明かされる。
学業なり脇の仕事なりの場合は通常休む訳で、無理をして出てきたり、増してや開演時間を動かすなど凶事の前触れでしかない。
半年振りに出演の永瀬も、推薦か何かで内定を貰って高校受験に一定の目処が付いたのかと思いきや、滑り止め校の試験が済んだだけで本番はこれからとの事。 司会の石橋も、そこまで引き出しつつそれ以上は掘り下げない。 これも異常。
今後の活動についてのお知らせにも、次回定期公演が入っていない。
そして客席には節目に現れる元PIP京都の面々。
告知されていた「重大発表」が明るいものではないことを覚悟しつつ、後半のライブに備える。
新しい曲も織り込んで工夫はしているが、基本的にはこれまでやってきた曲の順列組み合わせ。 閉塞感は否めない。
暗い空気の中永瀬が選抜衣装で登場。
「選抜」と言えど既に定員割れして久しく、有名無実化はしているが、それでも着られるのは嬉しいのだろう。 明るい笑顔。
絵に描いたようなポツダム少尉だが、将校で終われるのは良い。
公演の時間を動かしたため、いつもより尺が短く、石川の生誕コーナーも手短に。
曲の途中で語りに入ったのだけれど、辞めて行ったメンバーに言及するのは分かるとして、「最後までついて来てくれたメンバー」との言い回しに秋風を聞く。
重大発表は当日出演していた六人と休業中の豊栄がPIP:Platonics Idol Platformを卒業するということ。
アイドル界隈で濫用される「卒業」と言う言葉には、不都合な現実を糊塗するようなお為ごかししか感じないのだけれど、この七人の決断には合っている様に思う。
ちなみに開店休業中の山下緑の去就についての言及は無し。
まぁ卒業といってもプロデューサーに対する「バカヤロー解散」の様でもあり、 「複雑怪奇なる新情勢を生じたので、我が方は之に鑑み従来準備し来った政策は之を打切り、更に別途の政策樹立を必要とするに至りました」と言う理由での総辞職の様でもある。
兎も角、事此処に到って PIP:Platonics Idol Platform は瓦解した。
プロデューサーたる濱野智史からの statement は未だ無い。
気になったので再訪。 まぁ、再訪と言うか三度目なのであるが。
好き嫌いでも良し悪しでも、私が嵌まる要素は思い当たらないのだけれど、妙に気になる。
展示作品が追加になったとも聞いたので、気になっている点を確認がてら神保町画廊へ。
前出の通りで(恐らく)全てのカットでカラーコンタクトを装着し、目尻に付け睫毛を入れている。
これが少女に擬態し、被写体としての「村田タマ」になる為の小道具なのであろうか。
カラーコンタクトを入れると矢張り目から表情は消えてしまって読み取れない。
そして顔を画面に入れないカット以外、カメラと顔の向き合う角度がほぼ一定。
ところが表情が死に切っている訳でも無く、 写真として詰まらなくは無いし、寧ろ程の良い生々しさが有って面白い。
それが何に起因するのか、見れば見る程判らなくなる。
ポートフォリオ的なものがあれば欲しかったのだけれど、作品以外の販売物は缶バッジなどしか無く断念。
作品を見た代価というか喜捨と言うか、何某か落として帰りたかったのだけれど、丁度良いものが無かった。
もやもやしたもの(不快では無い)を抱えつつ帰宅。