一時間のトークバラエティと二十分のライブ。 司会は石橋哲也。
浮き世離れした人々の浮き世離れししたエピソードてんこ盛りの一時間。
まさに「ファンタジー」であった。
後半はライブ。 リップシンクかと思ったら、被せ強めだがきっちり歌っていた。
激しく動くので歌を安定させるためには被せは必要悪なのであろう。
見せ物としてきっちり組み上げられており、見事だった。
こちらも前半はトークバラエティ。 司会は佐藤遥(notall)(※訂正しました)
wallopを根城にするアイドル三組のメンバーから「直して欲しいところ」でアンケートを採り、くじ引き形式で箱から引いて話を膨らませる構成。
ソツなく進めてはいたが、引いたカード次第で話が膨らんだり膨らまなかったり安定しない。
CMの間にスタッフから助言があり、何枚かあらかじめ引いておいたカードで話を組み立てるように変えたら、より上手く転がりだした。
このあたりの飲み込みと切り替えの早さは流石。
自分が喋っている間にも、話を聞いている間にも、脳味噌の別の所で次の展開を考えていなければならないのだけれど、それが自然な形で出来ている。
後半はライブ。
椅子有りの形で行う予定だったようだが、片付けさせたい客の声の方が大きかったのでスタンディングに。
寿司詰めと言う程でも無かったので、AKB48劇場のように、前方座りの後方立ち見でも良かったのでは無かろうか。
ステージに高さのある立ち見前提のライブハウスと収録前提の低めのステージと着席観覧前提の収録スタジオでは箱の成り立ちから異なる訳であり、その場所に合わせた観覧スタイルが適用されるべきだと私は考える。
全員立ってしまうと、後ろの方は碌すっぽ見えない。
送り手各位には最大多数の最大幸福を目指していただきたい。
ここの難点として、収録前提のスタジオなので照明が完備されておらず、舞台前方と左右の端を照らすライトが無かったり、プロジェクターで投影する映像を照明代わりにしたりしていたが、今回限りなのか常設なのか天井吊り下げ式の照明が増えており、満遍なく明るくなった。
ライブは三組それぞれの時間の合いだに混成ユニットが挟まる構成。
夏祭りより関係性に深まりがあったようで、より自然に混ざっていた。
notall
大箱でのライブや海外遠征を成功させたこともあり、高いレベルで安定。
やるべき事をしっかりやれる下地があるからこその脱線や暴走もありつつ、しっかり本筋に戻ってくる。
兎に角、客を楽しませる術に長けている。
きゃわふるTORNADO
神咲くるみに或る程度周囲を見るゆとりが出てきており、一生懸命なところ以外も見せられるようになっていた。
目に見えての変化は道地文子で、表情に柔らかさが出て、カッコいいから可愛いまで必要に応じて出せるようになったのはグループとしても大きいのではないか。
宮瀬しおりは「わかりやすい可愛らしさ」を振りまきつつ、会場全体を巨視的に見てやるべき事を考える事が出来ている。
ふざけ合ってもふざけっぱなしにはせずに、まぁなんとか戻ってこられてもいる。
いつもの客だけはない現場を多くこなすことが、グループとしての成長にも繋がっているのだと思うが、苦労性の石川野乃花の肌の張りが良くなっていたので、上手く回っているのだと思う。
notallとCURATIONSが撮影自由なのに対してきゃわふるTORNADOは撮影規制が多いが、それは送り手の考える確固たるビジュアルイメージに反する画像の流布を防ぎたいからなのであろう。
指定ハッシュタグで検索しても石が多めの玉石混淆の感は確かにあり、致し方のない事ではあるが、そのあたりの大人の事情を全て無視しても撮りたくなるくらいの魅力はあるので、偶にで良いので撮れる機会も作っていただきたい。
CURATIONS
一抹の不安を抱かせる所はなきにしもあらずなのであるが、それでも初見の頃から比べると未来の明るさは確実に増していると思うし、ライブ運びも見せ方も良い方向に転がり始めているのは間違いない。
「目標動員のあるライブ」とか「例のヤツ」とか、マイナス要因を逆手にとって告知できるしたたかさも身に着けた。
悲壮感が無い方が客も楽だという事を踏まえたやり方に変えてくれたので気軽に現場に出られる。
どうやら冬祭りもあるようなので、期待して待ちたい。
市ヶ谷にあるレンタル暗室「カロタイプ」のワークショップ、中藤毅彦・元田敬三ゼミの終了展を見に、四ッ谷のギャラリーニエプスへ。
広さと参加人数との兼ね合いで、前半後半で出展者入れ替え。
先ずは前半の三組。
菊田淳「トーキョーJACK」
距離感近めのストリートスナップ。
水平垂直はその時々の構え方次第。 撮られる人とのコミュニケーションはとらず、出会い頭にぶつかって行く撮影手法。
それ故の生々しさはあった。
松尾幸枝「WORM HOLE」
俯瞰や遠景なども取り混ぜて、今ある東京の姿を寄ったり引いたりして切り取る感じ。
俯瞰の写真に面白さを感じた。
多田洋「PHANTOM」
建設・解体現場を中心に、建物の描く縦横斜めの線で画面構成。
解体中の建物から露わになった、骨格の描く一寸崩れた縦横斜めが生々しかった。
橋本有史「NEW IDENTITY」
ガラスなどで、一枚隔てた東京。
映り込みを利用して奥行きを出した写真が良い。
一歩引いた、醒めた感じの視線。
ガラス越しではありつつ映り込みはないものもあったが、ここは揃えた方が良かったように思う。
写真としては一番面白かった。
デジタル全盛の世の中で暗室に入ってプリントをしよう、増してやワークショップに参加して修了展まで開こうというのは生なかのやる気では無いと思うが、それにしても熱気の溢れた写真展だった。
粒感もあり、黒も締まったプリント。
意欲が溢れて盛り込みすぎるところなきにしもあらずだったが、初めから枯れてしまっているよりは良い。
中藤・元田ゼミ修了展の後期日程の展示を見てきた。
「705」岡崎牧人(maki)
東京という街そのものではなく、街に暮らす人々と、さまざまな事情を抱えた人々がやってくる、居候していた部屋を撮ったもの。
長めのキャプションを付けることで、見ただけでは解りづらい部分を補完。
様々なもので酩酊することで辛うじて自我を保つような状況下の記録。
「化色」山野宏
街で見かけて興味を惹かれた人に声をかけ、承諾を得てから撮るスナップ。
懐に入ってから撮っているので強面の被写体でも表情は柔らかい。
「EUREKA!」道川峰久草
銀座、新宿、上野etc...
繁華街で声を掛けたり掛けなかったりして撮ったスナップ。
声を掛けないで撮ったものでも、あまり警戒されていない。
ピントを厳密に合わせていないこともあるが、その場にスルリと入り込んでいる。
撮れた物にブレと言うか揺らぎと言うか、本人も意識していないような手癖があるのが面白い。
ゆっくり撮って構図をきっちり切ったものと、急いで撮ったと見えて下が切れたものとが混在。
画面の中でどの辺りに意識が行っているのか、どうやって絵を作っているのかが解りやすい。
厳密に構図を切らなかった、どこか隙のある写真が、私には好ましく、面白かった。
「沈黙」今野聡
ピントを合わせることに必然性を感じていない撮り方。
目の前の物を漠然と捉え、大づかみにすることで写し取られた何か或る物。
なにがどうなっていたのか詳しく思い出せないが、重苦しい断片だけが記憶に残った夢のような写真。
全体的に生々しく、濃く、息苦しくなるような重めの写真が多かった後期日程。
見に来た知人に自作を語ったり、見た人が撮影者に感想を話したり、私が在廊していたそう長くはないあいだにも、其処此処で写真談義。
最早私には枯渇してしまった生のやる気が漲った空間。 疎外感ではなく、私そのものが閉じて行くような感覚。
私は私の写真を撮ろう、と、改めて思った。
五人のカメラマンが五人のモデルを指名(重複した場合は籤引き)して作品を制作するグループ展。
ドラフト会議をネット中継するなど、遊び心もありつつ作品はしっかりと。
ドラフト会議が九月五日、十月五日からの会期に間に合わせるためには、丸一と月で撮影からプリントから額装までしなければならない。
レタッチが絵画的でありすぎたり、私が考える写真の枠の外にあるものもあったが、それは好悪の部分であり、質として劣る物は無かった。
まだ他の誰にも撮られていないモデルを選択した錦織智と、様々なカメラマンに撮影されてきており、自らも過去に何度も起用してきたモデルを選択した山本華漸。
初々しさはありつつ、そこに寄り掛からずにモデルそのものの魅力を引き出す錦織。
百戦錬磨のモデルにより、組み立てたイメージを形にする山本。
このあたりの対比の妙。
錦織の作品群は、生業としては成り立ちにくいライフワークに類する仕事だと思うが、それだけに諸々削ぎ落とされていた。
玄光社から写真集が出るのに合わせた写真展を神保町画廊にて観覧。
妻の居ぬ間に自宅で繰り返された情事の後の記録という設定。
経年劣化で褪色・変色したような色合いの写真。 サービス版を模したプリントを額装せず、壁に直貼り。
プリントの縁に「フジカラー79」とか「サクラカラー」と入れられていたり、へりがヤレたような加工がされていたり細工は流々。
情事のさなかではなく、事後の記録なので、生々しさはありつつもどこか醒めている。
設定からプリントから凝りに凝っているのだけれど、髪色であったり眉の太さであったり、流行が写り込んでしまったのが見えてしまうと醒めてしまう。
ざっくりした撮り方に見えて細部に凝ったところを見つけたりすると後味も良いのであるが、凝りに凝ったものの細部に綻びを見つけてしまうと、そこに捕らわれてしまって、現実に引き戻される。
良く出来てはいたと思うし、発想も面白いのだけれど、画竜点睛を欠いた感があった。
19:30受付開始とのことで、少し前に到着。
既に十人凸凹発券待ち。 並ぶでもなく、なんとなく屯するような状態。
受付に二人居り、入場料金分のチケットを買って待つよう言われてその通りにして待っていると、送り手側の人が通し番号入りのピクチャーチケットを持って登場。
本来は現金と引き替えでこれを渡す予定だったらしい。
ピクチャーチケットの件は指示されていなかったようなので仕方がないにしても、受付を任されていて混乱の収拾をつけようともしないのには呆れた。
会場側は並ばせる気が無く、客の側は並ぶ気がない。
今のところ客がそう多くはないから揉めずに回っているが、いつまでもこの調子では困る。
お披露目公演の入場時の混乱から何も学んでいない。 混乱があったことすら覚えていないのかもしれない。
楽曲やパフォーマンス、CDやDVDなど「成果物の品質」については誠実だと思うが、こと生身の人間相手だとソツが多すぎる。
「成果物の品質」さえ水準に達していれば商売に成ると言うものでもない。
混乱の芽はありつつも大過なく入場。
舞台を広く使う為か、入り捌けの演出もないらしく衝立の類は全てスタジオ外に出されていた。
天井の照明は常設の物となったらしく、6機増設。 明るく、見やすくなった。
影アナは六人でワイワイと。 諸々のトラブルに対して「一切の責任を負わない」「撮影録音禁止、発覚した場合は相応のお咎め」など、ワイワイのオブラートにくるみきれない角のある表現。
アイドルのライブに来る客の民度を考えると、予防線の一つも張っておかざるを得ないのだとは思うが、些か強権的。
契約書の取り交わしなどでは当たり前に使われる文言でも、耳から入ってくるとまるで印象が異なる。
B to B の商売のやり方を、B to C の商売にそのまま持ち込んでしまっている危うさ。
BGMがフェードアウトして出囃子。 鳴り終わって開演。
20時開演と言うのは仕事帰りの勤め人でも来られるように設定しているのだと思うが、そうではない客も当然居り、自分の荷物の扱い方が異なる。
クロークやコインロッカーなどは無いので、仕事帰りの客は自分の荷物は持ったままか足下に置くか、自分で管理できる状態にする。
そうでない客は壁際などに放り出して積んでおく。
これがライブ中に左右に移動したりサークルモッシュを煽ったりするとどうなるか。
当然大切な物を身近に置いている客は逃げまどう羽目になる。
手荷物の紛失盗難や場内での怪我など一切の責任は負わない旨開演前の影アナで念を押されるのだけれど、煽りに煽っておいてのそれは無責任に過ぎるように私は思う。
手応えを感じないと不安であるのは判らないでもないが、「楽しみ方」と言うのは人それぞれであり、声出して動いていないと「盛り上がっていない」と言う固定観念が執拗な煽りに繋がっていて閉口した。
生歌なので巧拙や声量の大小で凹んだり出っ張ったりするところはあるのだけれど、客から金を取れるレベルにはある。
どんな体勢からでも動き出せて、情緒もあり、止めるべきところでピタリと止められる。
レッスンで刈り込まれているらしく、振り付けの独自解釈は少なく、動きそのものは揃っていて、きっちり動いた上での余白みたいなところで遊ぶ人と遊ばない人、また遊び方で個性が出る。
杏斉ゆか
歌い上げるパートを任されることが多いのであるが、安定して上手い。 外さない。
歌い方が素直で、これ見よがしなところが無いのも良い。
石川 野乃花
きっちり作り込んでから舞台に立っている。
後天的な部分の積み上げ方が凄い。 歌唱は杏斉に次いで安定しているのだけれど、技術と鍛錬によって培われた種類の「巧さ」。
神咲くるみ
外連味が無いのが良い。 あざとく客に媚びるようなところが無く、至って普通にやるべき事をやっている。
自分の可愛らしさに対しての自覚が薄いようで、見せ方としては上手くないのだけれど。 押しつけがましさも無いので食いつきやすいのではないだろうか。
宮瀬しおり
細部を突き詰めることの積み重ねで全体が良くなっていた。
関節の可動域が拡がり、動かす筋肉も付いて振りが大きくり華やかに。
体幹も鍛えられたようで、動きに芯があり、ブレない。
基礎が固まったので多少ふざけたところで崩れないし、客席全体を見渡した振る舞いも出来ている。
喋る部分でもどんどん前に出られているし、非常によい循環で来ている。
このまま高いレベルで安定して欲しい。 いや、楽しくやれて居れば、安定しなくても良い。
別所佳恋
伸び代の固まり。 基礎が出来たので応用の幅も拡がりつつある。
きゃわふるTORNADOの良さはきっちり作り込まれた所ではあるのだけれど、それだけに表現が窮屈になりがちなところもある。
やるべき事はやりつつ、余白に色を塗るような自由な振る舞いが、舞台上の彩りに繋がっている。
道地文子
殻を破ることに自覚的。 「カワイイ」から「カッコイイ」までその時々に必要な手札を的確に切る判断力と、敢えての「逸脱」。
きっちり作り込まれた部分のデメリットである窮屈さを上手く壊している。
比較的自由に振る舞える立ち位置を与えられているのかもしれないが、それは固定化した役割分担であるとも言える。 自由であることから不自由であると言う、パラドキシカルな状態。
他のメンバーを巻き込むことで空気を変えられると、もう一と化けするのではないか。
白から青に変えた髪色はあっという間に抜けてしまい、紫がかった灰色に落ち着いたようだ。
極端な髪色を維持しようとすると、髪と頭皮の健康を損ない、財政も圧迫するのだけれど、中長期的に維持できるところに落ち着かせた方が、私は良いように思う。
瞠目したのがメイクの変化。 髪色と顔立ちにあわせて人形のよう。
これによって、より表情が映える。
道地、別所の解りやすい変化と、宮瀬の解りにくい変化。
どちらも明るい材料。
予定調和のアンコールなし、入り捌けの演出無し、15分ごとの小休止はありつつ、舞台上に立ちっぱなしでみっちり一時間。
汗はかいていたが息は最後まで上がらず。 基礎からきっちり積み上げているのが判る。
送り手側には不満もないではないが、ライブそのものは良く出来ていた。
前回から約二た月、今回は動員数が目標に達するとオリジナルグッズが作れる。
「ノルマ会」と言う名称が楽しそうな印象を与えず、集客には寧ろデメリットに成っていることはメンバーも送り手も自覚しており、そう言う決まりで動いているので今回もノルマ会はノルマ会なのであるが、告知の際には「動員目標のあるライブ」とか「例のアレ」とか、いろいろと誤魔化していた。
正式呼称も「例のアレ」で良いのではないか。
受付開始時間ちょっと前に着くと、既に十人凸凹。
開場までにどんどん増えて、古いお客さんも「開演前にこんなに人が居るのは初めて見た」と驚いていた。
開場して中に入る。 集客に或る程度の手応えがあったのか、上手下手の壁際が撮影できる席。
盛り上がって見たい向きは中央に。
目標動員数は50なのだけれど、埋まってはいるものの隙間も無いでもない。 安心なようなそうでもないような心理状態で開演。
今回はこれまでにカバーしてきた曲からのリクエストアワー形式とのことで、飛び抜けて得票の多かった上位四曲が撰ばれた。
どういう曲が好まれるのか、傾向を知り今後に生かすためにも、良いタイミングで行われた企画だったと思う。
私は専ら撮る側なので、盛り上がる派の人々の反応は良く判らないが、ライブの出来としては過去最高を更新していたと思う。
特筆すべきはステージに立ってライトが当たって映えるメイクと、歌って踊っても破綻しない表情。
「見せ方」が格段に上手くなった。
五人から四人に。 奇数から偶数になるとフォーメーションが組み難くなるそうだが、二対二になるところでの組み合わせでの掛け合いはなかなか面白かった。
終盤に結果発表。
有料入場者58名で目標達成。 前回が37名だったので20から積み増したことになる。
純粋にCURATIONSのお客さんはどれくらいなのかと言うのは別の問題してあるにしても、集められたのは良かった。
ただ、結果発表の後のコメントで場が重くなってしまうのは如何ともしがたく、改善の余地ありではなかろうか。
次回のノルマ会は「ノルマ会」の廃止を賭けて12月17日開催。
集客に関して目の色が変わって、結果が出始めたのが秋からだと考えると、達成は可能な日程と目標ではある。
ともあれ、良いライブだった。
何が自分たちの売りに成り得るのか、それをどう伸ばすのか。
身軽になり、足並みも揃えやすくなり、やりたいことをやれる(やりやすい)環境にもなった訳で、あと二た月で出来ることを考えて実行する準備は出来ていると思う。
早くなってきた成長と変化を見逃さないよう、客の方も気が抜けなくなってきた。
写真を纏めてアップロード。
CURATIONSの「例のアレ」(the Live Formerly Known As ノルマ会)
都内全域雨予報の中、サンシャイン噴水広場のイベントにnotall出演(と言う事は、撮れる)と言う事で、都バス乗り継いで池袋へ。
KissBee が終演の挨拶をしているところに到着。
Apricot Regulus(アプリコット・レグルス)
どこかで聞いた様な・・・と思ったら、(事実上の)富永美杜と二代目馬場なつみの所属する声優系と言うかゲーム系と言うか、その類のグループであった。
茅野しのぶインスパイア系制服衣装で、金は掛かっている感じ。
(事実上の)富永美杜が凄い。 モノが違う。
callmeと較べると、フォーメーションも振り付けも難易度低めなので、歌って踊っての部分は三味線弾いてる感じ。 バミリにも一人だけ忠実。
振り付けに余計なオカズなどは入れず、余力で全方位の客を目で殺しに掛かる。
地下一階からから三階まで、満遍なく目配りの三点バースト。
Dorothy Little Happy の高橋麻里のような、あざとさを解放して客全員殺す気のパフォーマンス。 「カッコイイ」寄りの立ち居振る舞いの多いcallmeとは全く逆の「カワイイ」に振り切った事をサラリとやってのけていた。
自己紹介とMCは声優口調の(事実上の)富永美杜。 完全に割り切って出稼ぎに出ているのが見て取れる。
退出時には、馴染みの古い客に表情で「見つけた」アピール。 確実に仕留める老練の技。
いやはや拾い物で凄いのを見た。 コアなファンだけでなく、好事家こそ見ておくべき類の職人仕事。 眼福。
notall
アイドルを含めた芸界の階層が未だに「テレビに出ている」と「それ以外」に分かれており、このイベントを目当てで来ている客以外のその場にいる大半は前者しか知らない。
この現実を現実として受け入れ、殆ど凡ての客が自分たちの事を知らない前提で舞台に上がっている。 なかなか出来る事ではない。
例によって例の如く、伸び伸びと明るく楽しく「何か楽しそうなことをやっている」雰囲気を作って買い物客の足を止める。
そもそもの話、CDを売ることを止めたグループがCD販売店主催のイベントに出られてしまう事(旧譜を売ったようであるが)が凄い。
通りすがった買い物客の記憶に「notall」と言う単語だけでも残ってくれると、私も嬉しい。
七時半受付開始と言うことで、少し前に受付へ。
「受付は七時半からですか。」
「はい」
「待機列とかは出来ますか。」
「このへんにできると思います」
いやまぁ、それを仕切るのも受付の仕事なのであるが、無能と言えば無能だし、怠惰と言えば怠惰だが、彼女は所詮「被傭者」に過ぎず、指示されていないので有れば仕方がない。
自動販売機でのチケット購入が必要だったり、現金での決済だったり、イベントによって異なるので、予め指示は出しておくか、客に判るように受付に明示しておいて然るべき。
客の側にも自律性は無く、何となく屯していて受付が始まると群がる「万人の万人に対する闘争」に何の疑問も持たない手合いなので致し方ない。
入場待機列は作るようになったので、送り手の側も入場時の混乱を改善する意志はあるようだ。
集客に影響する要素は演者以外にも多岐に亘り、送り手の仕事振りなども含まれる。 巨大な会場でのライブをグループの目標として掲げるので有れば、送り手の業務もそれに見合った物になっていかなければ成らない。
コンテンツの質に対しては誠実な仕事をしていると思うが、ライブの主催者としての仕事は感心しない部分が未だ散見される。
知己がカメラ持参だったので(斯く言う私もそうなのであるが)「撮影可になったんですか。」と訊くとそうではなく、とりあへず持ってきているとのこと。 来てみてから撮影可だと泣くに泣けない。
「常にじゃなくて『たまに』でも良いし、『一部』でも構わないんですけどね」など、意見が一致。
撮られることに集中する時間を設けると言うANNA☆Sの遣り方は最適解の一つだと、私は考えている。
そんなこんなで些か愉快ならざる状況から開場、そして開演。
ライブはきっちり作り込まれているので始まってしまえば楽しい。
何曲か終わって自己紹介と近況など。 口数の多寡はありつつも、一人ではなく常に何人かで話を転がすのが良い。
杏斉ゆか
他のメンバーのソロパートも増えてきたが、それは杏斉に掛かる負荷が減る事にも繋がり、より重要な「歌い上げる部分」への集中度は増しているように感じた。
良い循環。
神咲くるみ
大きく踊れている。 上手くはないが小さくまとめようとしないのは良い。
何か落ちても動きの中で自然に拾えるようになっていた。 これは周りが見えているからでもある。
別所佳恋
得意な動きや好きな振り付けはやる気が漲り、そうでもないところはそれなりに。 ムラはあるが、それが良い。
粗いところは粗いが、弾けている。
目を潤ませたり膨れたり笑ったり、今日も喜怒哀楽大盛りで天真爛漫。
宮瀬しおり
動きをピタリと止められるようになったので、そこからの動き出しも美しい。 考えずに動ける、頑張らなくても出来ることが増えてきたからか、歌の面でも新機軸。 ソロパートが増えた。
この辺り、よく考えられ見極められて負荷が掛けられている。
甲高すぎて何を言っているのか判然としない煽りも面白い。
道地文子
振り付けの枝葉を追わず、幹の部分で見せてくる。
一寸引いたサイドキックのような立ち位置に妙味。 膨らませたり、ツッコミを入れたり、収拾を付けたり。
石川野乃花
言いにくい事やらお詫びめいた事やら、年の功で任される。
このあたり「リーダーではない最年長」の重みが利いている。
左右の移動やサークルモッシュは客が学習したらしく、荷物を足下に置く仕事帰りの連中は左右壁際か後方に。
淘汰なのか棲み分けなのか。 私には前者であるように感じられるが、現在の想定顧客層からは外れているのであろう。
間奏部分を引っ張った編曲になったオケを作り、生バンドでやるような客との掛け合い。
定期ライブの作り込み加減には唸らされるし頭も下がる。
一寸延びたが、尺としてはほぼ一時間。 予定調和のアンコール無しで濃く纏めていて、費用対効果は高い。
入場時に待機列を作ったり、舞台と客席の間に1m程度緩衝地帯を作ったり、改善していく意思は見て取れるし、実際居心地自体は良くなっている。 更なる改善を期待したい。
予備知識無し、CURATIONSの春名あかりが出演と言うことで見に行ってきた。
「史上最低の学力テスト王決定戦」と「史上最高の脳筋馬鹿決定戦」、合間にライブと言う感じの、事前に説明を読んでもよく分からない組み合わせの催し。
前半は学力テストパート。
春名あかりが女教師的な格好、生徒役の柚希未結とみくるは制服的ななにか。
新卒教師に従わない百戦錬磨の女子高生的なバツを付けられた回答でもなんとか点を貰おうとゴネるさまが楽しい。
国語と英語は予め記入して貰った答案の答え合わせの形式、社会は早押しクイズ。 中学生レベルの問題ではあるのだけれど、生きていて正答を求められる局面も少ない類の知識、知らなくても死にはしない類のことなので、ほぼ正解が出ない。
分からない部分を気合いと根性とヤケクソで埋め、結果として生まれた珍答からさらにボケまくり、正解にはボヤキとツッコミ。
ここでも何とか点を貰おうとする駆け引きが笑いを誘う。
後半は体力テスト。
攻守交代して春名あかりが生徒役、柚希未結が先生役、みくるは引き続き生徒。
この体力テストが容赦ないもので、体力バカが自分基準でなんとなく考えているので過酷どころの騒ぎではなく、図らずも生徒役の二人の人間性が炙り出されていた。
やらされる側にはお気の毒だが、見ている分には実に面白い。
体力テストで負けた人はフラフープを回しながら歌うことに成っていたのだけれど、負けたみくるは全く回せない。
一曲歌入りオケが流れる間フラフープと格闘するみくるを、客と出演者がフラフープを回しながら見守りつつ歌ったり踊ったりする世紀末的な光景。
「上に行くぜ!」的な立身出世感皆無で、その場を刹那的に楽しみ切る潔さが漲っていた。
人を撰ぶイベントだとは思うが、人をもてなすアイデア(思いつき、とも言う)と工夫に溢れた良企画。
機会が有ればまた足を運びたい。
# さとはる(概念) [遙じゃなくて遥だよ〜]