少し西に行った所に有る鉄橋で、C57-180を撮った・・・わかりにくいかな。 磐越西線の新津-会津若松間を走る蒸気機関車を撮りに行った。 私達が着いた頃には既に何人かが三脚をおっ立てて線路際に陣取っていたのだが、そのマナーの悪さと言ったらもう酷い物で、或る物は路盤の砂利にはみださんばかりにせり出し、また在る者は信号機の梯子段にカメラバッグを置き、ゴミくたは散らかすは、吸い殻は草むらに捨てるわ、滅茶苦茶であった。 しかも「このへんで蒸気吹いてくれないかなぁ」などとタワケタことを言っている。 全身火傷して死ぬぞ。 漸く列車が近付いてきたら、なんだか自棄に汽笛を鳴らしている、これは線路際にバカがとぐろを巻いてるために鳴らしているのだと思うが、鳴らされた当人はへらへら喜んでいる、世も末だ。 思ったより汽車が速かった為、置きピンで一齣撮ってお仕舞い。
この日の使用カメラは、ペトリFT1000+カールツァイス・フレクトゴン35mm/f2.4。
フィルムはコニカパン100。
ラーメンを喰って、午後から野沢駅へ。 点検のため構内で停車している所を撮影した。 ここでもバカはてんこ盛りで、線路内に入るわ、汽車に触るわと大変な騒ぎ。 二眼レフのファインダーを覗いていると視界が真っ暗に成ったので、驚いて顔を上げるとAF一眼をもった鉄ちゃんが、私の写線を切って前を塞いでいる。 素人の家族連れとか近所のおじちゃん・おばちゃんなら仕方ないが、鉄の癖にマナーのかけらも無い。 こう言うクズ共が居ない時にまた来ようと思った。
この日の使用カメラはライカD-III+ジュピター3 35mm/f2.8、ライツ・エルマー 35mm/f3.5、ローライコードI型ツァイス・トリオター75mm/f3.8、ペトリFT1000+ペトリ55mm/f1.8。
フィルムは35ミリはコニカパン100、ブローニーはアグファパンAPX400。
新潟に移動して友達の家で呑んだ。 呑み始めて早々に、空手家と謎の武術家の乱取りが始まったと思ったら綺麗に一発入って空手家は「旗本退屈男」に成った。 当てた方も当たった方もカタギでは無かったので額が割れるだけで済んだが、危うく白い液体と赤い液体と肌色の豆腐状の物を掃除する羽目になる所だった。 くわばらくわばら。
角田浜で友人が映画を撮っているので手伝いに行った。 私はスチル撮影とカメラアシスタントをやらされた。が暇だった。
この友人「ヤマモトスタジオ」主宰、山本佳宏監督(仮名 28歳)は「和製エド・ウット」とでも言うべき凄い作風の映画・・・の様な物を自費で撮っている奇特な男であり、今回撮影した作品「不協和音」は十一月に長野県駒ヶ根市で公開される予定。 これ迄の作品はビデオにダビングされているのでご覧になりたい方は私にメールを出して頂けば奴に連絡がつきます(あまりお勧めはしませんが・・・)。
呑みになったが、主演女優のおねぇちゃんが誰彼かまわず「好きな女優は誰ですか」と聞き始めた。 主演男優は普通の人なので「そうだなぁー、・・・松嶋菜々子とか」なんて言っていた、私にも聞いてきやがったので「んっ?俺?・・・北林谷栄」と言ってみたが「だれですか?AVですか?」と聞かれてしまった。
時間が無いので無理矢理撮影に入った。 前日は半袖でも汗ばむ様な陽気だったのに矢鱈と寒く、セーターと革ジャンで完全装備する羽目になった。
主役の男は右腰を包丁で刺されていることになっていたが、血だら真っ赤にするには血糊の量が足りなくなったため仲間うちの謎の男が血糊を造った。
普通は・・と言うか本物は豚の血に色々な物をまぜて造るのだが、そんな物は売っていないので、その色々な物だけで造ることになった。 材料は水、障子貼り用の糊、シャチハタの赤インク、トマトピューレ、食紅。 トマトピューレは種を、糊はダマを取るために茶漉しで漉しながら水で延ばして色調と粘度を調整していた。 これをペットボトルの頭をぶった切った奴の中でぐゅぐちゅまぜて、手をぐーぱーぐーぱーするとなかなかリアルなねちょねちょ加減になっていて面白かった。
裏方の気合いが乗ってくると、役者の演技にも気合いが入って目に見えて良くなってきて、この日撮ったのはラストシーンだけだったのだが、ここだけは別物の様な素晴らしい出来になった。
結局撮影は5時半迄かかり、家に帰り着いたのは夜中の一時半過ぎであった。 そして一日雨の中でつっ立っていた私は見事に風邪を引き、今も咳が止まらない。
起きたら雨がやんでいたので、神田祭に行った。 浅草の三社祭りと日程が重なっていたのだけれど、よりお祭りらしい神田明神を撰んだ。 兎に角細かい町内会ごとの神輿や山車が沢山出ていて、そこに更に魚河岸だのやっちゃ場(青果市場)だのの大神輿が混じっていて壮観だった。
ゲンナリして帰ってきた所に友達から電話が入り、外に晩飯を喰いに行った。 「何か面白い店は無いのか?」
と聞かれたので、隠し玉の「ハルビン料理」という名前からして怪しい店に行った。 とりあへず「ニラ水餃子」と「豚足のあったかいやつ」と「豚耳」を頼んだら、突き出しで「ザーサイと豚肉炒め」と「線キャベツをごま油と塩とニンニクで和えたもの」が出てきたのだがこれがまた謎に旨い。 それらを平らげたあとに「春巻き」と「トマトと玉子炒め」を友達が頼んだら、「春雨と豚肉の炒め煮」と「キュウリと玉子炒め」が出てきた。 何がどうなってこうなったのかは良くわからないかこれらもまた謎に旨かった。
コレに御飯二杯、ビール中ジョッキ四つで締めて五千円也。 やはり胡散臭い店は楽しい。
宮武外骨「スコブルとは如何」より
しがらみから「まぁ買ってやってくれや」と言われて、椎名林檎なる歌手のCDを買った。 まずジャケットとブックレットの写真で奴が手にしているカメラからして巫戯けていて、ニコンF2+モードラ、ニコンF3P、キャノン旧F-1、ジャケット写真の中に写っているカメラはAFのプラスチックカメラ4台はどうでもいいいとして、ペンタックスSPが2台、SVが1台、ミノルタSRT−101Tが一台。 しかもニコンは私物らしい(これだけでも既にただ者ではない、FとF2とF3を持っているとのこと)。
で、ブックレットは緑がかったクリーム色・・・というかモノクロフィルムのベース面の色(ネオパンSSっぽい)で、歌詞は縦書き。 「そうそう日本語は縦書きで無くては」とニヤニヤしながらめくっていくと、写真の代わりにピールアパート式ポラロイドの剥がした方の紙ポジが使ってあったり、なかな凝った悪戯がしてある。
中身はと言うと、コレがまた凄くて、声量は半端では無いし、音域も広いし、基本的には巻舌で、そこにファルセットが絡み、ウィスパ−隠し味が入り、エフェクターにマイクを繋げば声でライトハンドやらハーモニクスやら速弾きをやらかし、「ヘルタースケルター」風味のオチをつてみたり、緩急強弱の付け方が絶妙で、歌詞もちゃんとした日本語で、楽器も生の物が中心で音も適度に厚く、作詞も作曲もすべててめぇでやっているし、・・・なんだか上手く説明出来ないが結論から言うと「はまった」、久しぶりに重いものを買ってしまった訳だがなんだか一日中聴きっぱなしであり、今もヘッドホンの中で鳴っている。 多分寝る迄聴きっぱなしだろう、明日もそうだろう。
ここのところ重いものを聴かなかったかと言うと、日本語が日本語として聞き取れると文法上の間違いが異様に気になって腹が立ってきたり、歌詞を咀嚼する方に脳味噌を喰われてしまって他の事に手がつかなかったり、疲れている時にそう言う物を聴くと矢鱈と涙腺が弱くなって電車やバスの中で感情の処理に困ってしまったり、兎に角疲れるからであったのだが、そんなことおかまいなしに完全に中毒症状を起こしていて聴いていないと落ち着かなくなっている、かなりヤバい。
なんだかこの人はカラオケではレベッカをやったりして、それもまた凄いらしいのであるが、久しぶりに生で聴きたい気分に成っている。
Karl von Clausewitz 「戦争論」より
Friedrich Nietzsche 「ツァラトゥストラはこう言った」より
写真展に出す作品を仕上げなければならないのだが、一向に進まない。 家に帰ってパソコンを立ち上げてしまうともう何もする気がしなくなり、気がつくと二時をまわっている悪循環がくり返されている。 撮影はしているので焼く物は幾らでも有るのだが、引き伸ばし機を稼動させるには全面的に部屋を片付けねばならないのだ。 土曜日はベッドの上から物をどかして布団を干しただけで厭になって止めてしまい、日曜日も本棚の整理をしただけで終わってしまった。 何だか馬鹿馬鹿しい、もうだめだ、明日から眼張ろう。
ニコロ・マキアヴェッリ 「政略論」より