デスウィシュ キング・オブ・リベンジに主演したのが72歳のとき。 なんとスタントマン無し、すべて本人で撮りきったと言う恐ろしい爺も、ついに鬼籍入りです。
三浦じゅんと田口トモロヲのコメントが読みたい。
残業。 帰れる・・・と思ったら大雷雨。 電車も止まっていたらしい。 私が駅についた頃、漸く動き出した。
ゲスト 阿部千明 って事で急いでいったのだけれど、着いたら終っていた。 挨拶だけしてしてみた。
池永亜美がケバケバしくなっていて驚愕。
阿部さんはすんなり帰れたようで良かった。 それが心配で見に行ったような物だ。
明治時代の娘義太夫ブームの頃、寄席を掛け持ちして勤めるのを追っかけまわして行く先々で「ドースルドースル」と合いの手を入れて歩いた連中を「ドースル連」とか「「追駆党」(←「おっかけとう」と読むらしい)等と呼んで忌み嫌ったそうで、まぁこのあたりがご先祖の行き止まりって事になりそうです。
ドースル連に関しては木下直之氏の書評とか鈴本の3代目の覚え書きなんかが触れています。
木下氏の書評に
当時の新聞『万朝報』は、「ドースル連」を「蛆虫(うじむし)の如(ごと)き青年の團体(だんたい)」と見なし、彼らの本名を紙面にさらして、糾弾キャンペーンを張ったというからすごい話だ。「ドースル連」は相手を変えて、今なお健在だろう。
と有ります。 年年歳歳ですな。
明治期の演芸と言えば外せないのが山本笑月老ですが、 岡本綺堂「明治時代の寄席」、山本笑月「娘義太夫」 これも必読。
明日も残業。
昨日紹介した綺堂の随筆に
「日露戦争前後から堂摺連も次第におとろえ、娘義太夫もまた衰えた。
・・・とあります。
「はいからさんが通る」のクライマックスは関東大震災ですから、その間約約20年。 アイドル冬の時代と言われる物と重ねてみると細々とでもやってた可能性はあると思います。 まぁ日本に始めて来たのが昭和4年のはずのツェッペリン飛行船が出てきたり、時代考証自体はいい加減と言えばいい加減なので、あまりつっこまない方が宜しいかと>『あのよろし』か?さん
何時の世も、人の考える事は同じだって事でしょう。 萬朝報の黒岩涙香は売れれば何でもいいような今のマスコミのご先祖ですから。>ケチャマスター マックス・マツヲカさん
ついた頃には9時を廻っていて、真ん中辺にぽつんと空いた席へ。 周りには「神」とか「悪魔」とか「二の腕鑑定師」とか「マクベス夫人」とか「ケチャマスター」とか
最初に喋っていた黄色いティーシャツの人より、後から出てきたヨーヨーの達人のほうが面白かった。 企画立案と司会進行は別の人がやった方が良いような気もした。
なんだかんだ言っても楽しい時間を過ごす事は出来た訳だし、わんこ☆閣下主宰だからこそ集まった面子な訳で、そのあたりは感謝したい。
夕ニャンだったかオールナイトだったか、そのあたりは不確かだけど、石橋が「哀愁のカルナバル」のあれを「鶴の恩返しポーズ」と呼んだからだったんじゃないかと思う。
気を遣いすぎるのも野暮なんじゃないかと思った。
あまり呑んでると財布もアレなので、終電前に退散して都内某所へ。 流石に何もする気にならず、そのまま寝た。
12時をまわってから目が醒めた。 最近は時計代わりにFM東京をつけっぱなしにしているので、番組で時間を判断している。 フィルム6本現像。 水温が25度になってるのに面倒くさくてそのままやったから盛大にオーバー。 焼きづらそうだ。
6時前に広小路亭へ。 今月で1部2部制は最後。 今回の1部は「志らく一門足跡座談会」って事で、志ら乃 らく次 志らら の3人で鼎談。 志ら乃さんがなんとなく進行し、らく次さんが冷静につっこみを入れ、志ららさんが・・・なんだったんだろう? かき回していた。 途中から こしら さんが乱入してさらに訳がわからなくなりつつ終了。 足跡は良く判らなかったが、志ら乃さんの宿酔とは思えない頭の切れには驚いた。
2部は全部落語
らく太 「子ほめ」
隠居まで当世風の話し方なのはどうかと思った。 途中で一瞬出囃子が流れたりしたが、動ずる事無くやり過ごした。 そつは無かった。
らく朝 「不精床」
まくらも面白いし口調にも味があるんだけどなんか、こう、違和感がある。 時事ネタの使い方が悪くて、そこでダレる。 嫌いじゃないんで見ていて歯がゆい。
志ら乃 「崇徳院」
これは良かった。 さすが二つ目。 どう褒めていいんだか判らない。 兎に角良かった。 大いに笑った。
中入り
こしら 「王子の狐」
良い意味で「落研」っぽい。 新作に近いくらいの改作で、時代設定も良く判らないし、会話のやり取りより主人公の独白が多かったり、なんか変なんだけど、どうにも面白い。 これも良かった。 そう言えば、この人のHPもおかしい。 こんな感じ なんだか判らない。
志らく 「あくび指南」
これぞ落語。 いやいや、良い物を観ました。 落語は読むものでも聴くものでもなく、生で観てナンボのものだと言う事を痛感。 上手側に向いたときに丁度演者の顔が向く位置に座っていたのだけれど、こっち向くたんびに志らく師と目が合う。 いや、私そのものを見てるわけじゃないんですがこれは怖かった。 これで2000円は安い。
客で酒井莉加。
巻頭巻末グラビアは、今年度のミスマガジンであるところの岩佐真悠子。 グラビアの出来は兎も角、トヨタとのタイアップページの写真がまるで別人の(悪い意味で)物凄い仕上がり。
なんだか歯並びから何から、なんとなく疑わしくなってきた。 根拠は無いんですが。
癌の手術を終えた直後だったようです。
私の中での評価は「オリンピア」より「意志の勝利」の方が上だと昨日書いたわけですが、それは美しくない物を如何に美しく見せるかの手練手管が尽くされているからです。
オリンピックに出るくらいの人なら適当に撮ってもそれらしく見せられますが、ナチにかぶれた中年のドイツ人が熱狂するさまなんてのは中々美しく映像化できません。
たしかシュペーアだったと思いますが、「ヒトラーが演説をすると、女達は皆びしょぬれになる。」なんて事を書いた居たのを思い出しました。 「意志の勝利」を見れば、そのあたり得心が行くと思います。
9/12〜15 後輩の結婚式
9/20・21 酒田
9/28 某撮影、夜は不動院寄席
コンクリ床に思い切りニースタンプ。非常に痛い。
都内某所に置きっぱなしになっていた礼服を回収。 ついでに富士ランチで晩餐。 「本日のスペシヤル」820円也。 何度も書くが旨い。 並んでまで表の松屋で定食食ってるやつらは馬鹿じゃねぇかと毎度ながら思う。
後輩の結婚式への旅。 先ずは喜多方へ。
目黒で文字通り「おいしい」イベントがある。
第8回 目黒のさくま祭り である。
ちらしによると・・・
い・・・狗も歩けばさんまを食べる
今年も岩手県宮古港から新鮮さんまが五〇〇〇匹。炭焼きで食べ放題!
生さんまのお持ち帰りもあり!宮古物産展もあり!
幸福は目黒にあり!
ろ・・・論よりすだち
おなじみ徳島県神山町からは芳醇すだちが増量一〇〇〇〇個。
炭焼きさんまに搾って良し!生ビールに搾れば喉ごし良し!
徳島県物産展も良し!論ずるより搾るが良し!
は・・・花より大根
炭焼きさんまの旨さを引き立てる大根おろしは栃木県高林産。
高林物産展では栃木の太陽を浴びて育った新鮮牛乳とコシヒカリをプレゼント!
太陽サンサンご機嫌さん!
に・・・憎まれっ子世は満足じゃ
さらに入場無料「目黒のさんま寄席」
フリーマーケット、駄菓子屋台、ペットボトル駄菓子交換、
白バイ展示会大道芸コンテストと今年も大満足!
さんまは12時から生でも配布。 焼いたのも配るだけじゃなく「さんま食べ処」ってのがある。
FMが入るラジオ持ってけば、さんま食ってて寄席会場へいかれなくても88〜89MHzで聴けます。
ブラ房、らく次、志の吉、勢朝が面白いのは私が保証します。
残念ながら私は今年も行かれない。
会津バスの新宿〜会津若松の便が満席だったため、今回も東武→野岩→会津鉄道→只見線→磐越西線を利用。 寝たら起きられないのは目に見えているので朝まで起きていてそのまま出発。 これから疲れに行くのに、そもそもこの時点で大間違いだとは思うのだけれど、起きられないんだから仕方が無い。 鐘ヶ淵から北千住に出て快速を待ち、快速に乗ったら終点の会津田島まで熟睡。 田島から若松までのディーゼルカーの中も熟睡。 若松から喜多方まで、いつもは30分くらい接続待ちが有るのだけれど、臨時の快速が有るってんでそれに乗ることにした。
入選してきた快速「白虎」を見て驚いた。 国鉄の頃のままの583系。 シートの頭の当たるところに付ける白い布が無い所にJRのくだらないケチケチ商法を感じて少し厭になるが、それでもあのままの583系。 短い時間では有ったが堪能した。 しかし、稲刈りを控えた田んぼの中にうじゃうじゃ居るマナーもへったくれも無い鉄ヲタにはゲンナリ。
3連休のラーメン屋の惨状は判っているので、山都まで足を伸ばして某店で天ざる。 訳の判らない野草と、申し訳程度に乗った海老と烏賊。 この野草のてんぷらが実に旨い。
なにやら団体の予約電話が入り、親爺が「焼き魚ですか?うちは蕎麦屋だからありません。」などと受け答え。 なるほど、メニューには煮魚定食しかない、蕎麦屋だから。
1ケ10円のひと口饅頭でもうけたのか、いつも買っている軒の傾いた和菓子屋が場所を移して新装開店。 売っているものは一緒で安心した。
夏場はかき氷もやっているのだけれど、謎のメニューがずらり。 チョコレート氷なんてのははじめて見た。
生協でつまみと酒を買って総務部長の家へ。 後輩の到着を待って一旦風呂に行ったらいきなり土砂降り。 ゆっくり呑んでいる余裕は無くなり深夜に出発。
この後輩が出かける先には常に荒天が付きまとう。 今回は馬鹿でかい台風を連れて来やがった。 断続的に強い雨、継続的に強い風。 交通情報を聴けば先の方は通行止め。 「災害により」としか言わないので何だか判らなかったのだけれど、風倒木だったらしい。
明け方に到着。
弘前市の南にある大鰐温泉の山の上にある酔狂なホテルでパンを焼いている後輩の結婚式なので、会場はそのホテル。 さながら山城のそのホテル、大手は夏季用道路で勾配はきついが比較的綺麗な道。 搦め手は冬季専用道路。 勾配は緩いが、採石場のダンプが通るため道は凸凹。 夏はゴルフ、冬はスキーが楽しめるのがミソらしい。 流石に眺めは良く、津軽平野を一望。
早目に着きすぎたので、呼ばれてないのでチャペルでの結婚式を遠くから眺める。
送迎用にディムラーのリムジン。 ロールスを使わないところが良い。
披露宴から出席。 絵に描いたような田舎の結婚式で、ベタベタの進行。 ベタベタな・・・って言っても、そこはそれプロの仕切りであって、地元の人にはこうでないと受けないのであろうし、必然性は有るのだろうとは思うが、苦痛な物は苦痛なんで、その場に居るだけで非常に疲れた。
定型の披露宴の中で、新郎新婦が譲らなかったのが式の中で使う音楽。 やむを得ない物以外は全編ブルーハーツとハイロウズ。 これでかなり救われた。
現実と折り合いはつけつつ、ギリギリのところで踏ん張って守るべき物は守る。 偉いなぁ・・・と、つくづく思った。
当日の午前二時から仕込んで焼いたという引き出物のパンも力強い味の、良いパンだった。
帰りに運転する連中には無理はさせないようにしたり、マージャン部屋になっちゃって寝そびれた連中なんかにも布団を割り当てたり、最後まで見届けて就寝。 流石に疲れた。
8時過ぎに目が醒めた。 帰り支度をして9時半ころ帰路に。
18:05発の会津田島行き→会津高原→下今市→新栃木→鐘ヶ淵・・・と細切れの乗り継ぎ。 鐘ヶ淵で友達に拾ってもらい、晩飯を食って帰宅したら日付が変わっていた。
日付が変わってからごりぱん邸着。 早朝迄仮眠。
運転できないならせめて寝ないくらいの気遣いはしようと思っていたので、起きていたい人もいたようだが、とっとと寝かせてもらった。
眠い。 ごりぱんさんも体調が悪そうだったので眠くならない様にこまめに話し掛けたりなんだりして那須高原へ。
鬼畜皇帝 相模大野幹夫陛下 がついに酒田へ行幸。那須高原で合流して北上。
中町モールの中央にいつもと違い西向きに設置されたステージと言うか足場というか、その上でのライブ。
開始前に少し時間があったので、米沢屋へ駆け込んで焼きそばを掻き込む。 大盛いか肉玉、680円也。 食べ飽きない、旨い、速い、安い。
西向きになっている為、順光で撮影出来た。 いつもは露出補正に手間取っているのでかなり楽。 楽だった分構図や位置取りに凝る事が出来た。
ライブそのものは9曲もやったり、かなり充実した内容。 ただ りり は学校終らず欠席。 急にテストが有ったらしい。 学校行事を優先して人間的な生活を保障するのは、当たり前のことでは有りつつ、なかなか出来ない事であり、このあたりがSHIPの美点の一つであると私は思っている。
観客はそこそこ。 メンバーの友達らしき女子中高生がちらほら。
ライブ終了後、来年度のカレンダー用の追加撮影。 職権を濫用し過ぎないように自戒。
浪漫亭にて川柳食堂のラーメンを啜りつつ、カレンダーの打ち合わせ。 フォトコンテスト入賞者がひと月分づつ担当するので、月ごとのコンセプトやらなにやらを詰める作業。 なんだか想像以上に大変な事になってきた。
今回はいつものステーションホテルが満室だったので別の宿へ。 山居倉庫の向かいにあるグリーンホテル。 夕焼けをバックに山居倉庫。 実に良い眺め。 部屋も綺麗でなかなか良かった。
夕方から浪漫亭に集まって深夜まで呑み且つ飲んだ。 庄内風の芋煮が実に旨かったのを忘れないうちに記しておこう。 味噌仕立てで肉は豚。 千切り蒟蒻や葱などの具。 味噌は米どころだけに米の入った白っぽい物で、仙台のそれより甘みがあってまろやか。 内陸の牛肉・醤油仕立ての物より、庄内の物の方が私は好きだ。
ジャック・ダニエルをストレートでかっぱかっぱ空けているうちに12時を廻ってしまったので撤収。
今更だが NanshoKids は凄い。
松崎夏希のダンスは物凄い。 化け物。
明け方に突然目が醒めてガバッと起きた。 昼過ぎに、友人のワレナベ氏からの電話で共通の友人が明け方に病死したと聞いて驚く。 その後、ワレナベ夫人のトジブタさんから葬儀の日程などの連絡。 行かれないので帰宅後に仏壇に線香を上げて冥福を祈った。 まだ20代なんだが・・・。
最後に会ったのはワレナベくんとトジブタさんの結婚式の二次会いや三次会か。 明け方まで語って別れたのだけれど、その時はそんなに悪いとは思わなかった。 飛良泉先生から危ないと言う話を聞いたのがつい先日。 結局、あれが最後になってしまった。
で、22日。 仕事終わりで片付けをしていたら来た。 笑っていたので成仏したのだと思う。
良い奴から先に死んで行くね。
そんな事は知らないまま8時半に起床。 このホテルは部屋に電話が有り、・・・ってまぁ当たり前では有るんだが、それに自動モーニングコールの機能が有ったので使ってみた。 電話がいきなり鳴ると反射的に目が醒める。
ひとっ風呂浴びてからチェックアウト。
鞄と銀箱担いで歩かなきゃならないので、そんなに遠くまでは行かれないが、山居倉庫の前の川沿いから中町の裏道あたりをぶらぶら。
いつもはイベントの時間に合わせて来て、終ったら帰って行くのでこう言う時間は取れないんだけど、歩いてみると矢張り面白い。
私はSHIPだけじゃなくて、酒田と言う街そのものに用が有って来ているんだなぁ・・・と今更乍ら思った。 こういう道楽に他の人をつき合わせるわけにも行かないので、行く頻度が減っても別の旅程を組んだ方が良さそうだ。
酒田の町の中心部にはファーストフードのチェーン店が無い。 だから朝方10時前にめしを喰おうと思っても殆どの店が閉まっている。
例外的に開いているのが以前書いた五郎兵衛食堂。 ここは7時過ぎからやっている。 但し絵に描いたような大衆食堂なので、そう言うのが嫌いな人にはお奨めできない。
何故、朝からやっている店が無いのか不思議だったんだけど、朝飯は自分の家でちゃんと喰ってるって事なんじゃないかと考えた。 需要が無いから存在しないのでは無いかと。 それなら納得が行くし、そうだとしたらそれが「まっとうな生活」なんじゃないかと思った。
酒田で過ごす時間が心地よいのは、地味ながらも真っ当な生活が送られている事による緩やかな時間の流れの中に身をおけるからなのかもしれない。
一旦集合した後、私以外は皆「仏壇のさとう」さんへ。 私は朝飯が食いたかったので、Sさんが話していた「ホテル新栄の近くの爺さんがっている喫茶店」を捜しに行った。
暫らくうろうろしたのだけれど、その喫茶店は見つからず、仕方が無いので五郎兵衛食堂へ向かった。 500円の定食を注文。 卵と納豆が選べるので卵にしてみた。 焼き魚は鮭の粕漬け。 味噌汁は豆腐とキャベツ。 漬物は沢庵と茄子とキャベツ。
ダメな人はダメだと思うが、私はこう言う食堂も好きだ。 強くお薦めはしないが。 コンビニ飯にするよりは1000倍マシだと思う。
五郎兵衛食堂を出て中町モールの入り口まで来たら米沢屋の暖簾がもう出ている。 11時開店だと思っていたのだけれど、それは隣の三日月軒で、米沢屋は10時半の開店だった。
なんだか悔しいのでそのまま店に入ってイカ肉玉を注文。 旨いから喰えた。
我ながら何やってるんだろうなぁ・・・とは思う。
仏壇屋さんへ行った面々は時間が無くて飯抜きだったらしい。 別で動いていて良かった。
イベントの時以外は別に動いた方がお互い幸せだとつくづく思った。
念の為書いておくが、これは余計な軋轢を起こさないためにも、生活のペースが違う部分は違うままに過ごした方が精神衛生上良いと言う事。
酒田の外れから鶴岡に至る国道7号線のバイパスの開通に合わせたお祭り。
バイパスの3車線のうち2車線を使ってステージと客席スペースを作り、残りの1車線は見学会のバスが通る。 天気は曇りで気温は9月半ばにしては低く、上着が欲しいくらいだった。
12:00からと13:30からの二回廻し。 集客もそこそこ。 れっぴぃにファンレターを渡しあぐねる女子中高生が居た。 すれていない子が多い。
最近、イベントの中身に言及し無い事が多いが、それは@古川市民氏のレポが客観的且つ詳細で、備忘録として敢えて自分の日記に記す必要が無いから。
@古川市民氏のイベレポ「S.H.I.P Archives」
ここを見れば大体の事は判ります。
イベント終了後、私の分のカレンダー用写真追加撮影。 鳥海山をバックに りり。
柔らかい表情が撮りたかったので、りり推しのマサーシー氏に来て頂き、場の雰囲気を和らげてもらった。 大いに助かった。
友人の葬式の連絡とかもあったので、相模大野巨匠の車に乗せてもらい帰宅。 おかげさまで予定より早く着くことが出来た。 感謝。
訳が判らない。 5人でやっていた仕事を3人でやっている。 終る訳が無い。
帰宅して一休み。 終バスを目の前で逃し、地下鉄で錦糸町へ出て、国鉄で都内某所へ移動。 暗室作業をする気力も無かったんだけど、カレンダーの締め切りが有るので、頑張ってブローニー3本現像。
買い置きの泡盛を呷って寝た。
目が醒めたら携帯にメールが入っていた。 打ち上げ終わりで山都へ蕎麦喰いに行く・・・と。 新宿で呑んでた筈なんで「連れてけ」メールを入れるも連中は既に群馬。 馬鹿馬鹿しくなって二度寝。
機能から碌な物を喰っていなかったので起き出して駅前へ。 祭日だが富士ランチはやっていたのでBランチ(ポークカツと魚フライ)を食す。 540円也。 きめの細かいパン粉で揚げたポークカツはトンカツではなく、将に「ポークカツ」。 旨い。
ブローニー1本と35mmを4本現像。 ここ数日の冷え込みで、水道水の温度が21度まで下がってきたのがありがたい。
水洗待ちの時間つぶしに古本屋巡り、出ないときにはさっぱり出ないが、出るときには固めて出るもので、未来社から出ていた埴谷雄高の評論集を3冊見つけた。 先ず、一軒目で「垂鉛と弾機」(おもりとばね)、500円也。 二軒目で「墓銘と影絵」350円也を発見、レジに持っていったら「鐘と遊星」が有って、「むむっ」と唸ると店主が「そっちは署名入りなのでちょっとお高くなります。」 「うーむ・・・」と考え込むと、「べらぼうに高いわけじゃありませんよ」と苦笑い。 開けてみたら1000円だったので購入。
浮かれて富士ランチで「本日のスペシャル」。 チキンカツとハンバーグ。 いつもながら旨い。
浮かれついでに東急ストアでまぐろのカマ焼きを購入。 それを肴に泡盛をぐびり。
眠くなったので仮眠。 今日は1日寝てばかりいた。
起きたら10時を廻っていた。 あわてて帰宅。
「1日の2/3を自分のために使えない人生は無意味だ」・・・とかなんとかニーチェが書いていたような気がする。 昼休み返上で12時間以上働かなきゃいけないような人生は実に無意味だ。
久しぶりに友人と中野で飲み。 お絞りが臭い。
寝た。 大いに寝た。 桑田が酔っぱらった状態でラジオをやっていたのが記憶に残っているが、その後はわからないから、多分日付変更線の手前で沈没したのだと思う。
気がついたらキャビネ判の印画紙が大分減っていたので、昼飯喰いがてら新宿へ。 ニセはなまるで冷しょうゆ大、451円。 揚げ玉がかっぱえびせん見たいな奴なのが気に食わない。 印画紙買って中古屋を冷かして帰還。
山達の旦那の番組が始まる前に準備を済ませて、聴きながらプリント。 なんだかんだで5時過ぎまでやって干して六本木へ。
立川志らく一門の こしら 志ら乃 らく次 の3人会。 志らく一門でも活きの良いところが雁首を揃えているので、当日券1200円で入っても満足できる。
都内某所の後片付けを済ませて会場に駆け込むと丁度 らく次 さんが上がる所。 なんとか間に合った。
今月は「苦手分野強化月間」と言う事で らく次 「禁酒番屋」、これはお侍の噺が苦手ってことだと思うんだけど、面白く聴けた。
こしら 「三人旅」、これは「前座時代に何度やっても上手く出来なかった噺」で「8年ぶりにやってみる」・・・とのこと。 確かに3人でてくると誰が誰だか判らないし、馬子の田舎言葉も変だったけれど、みていてなんとなく可笑しい。
志ら乃 「品川心中」の(上)。 何が苦手何だか判らないくらいの良い出来。 多分「廓噺が苦手」って事なんだろうと思う。 確かに廓の中のやりとりより仕舞いのところの頭の家でのドタバタの方が生き生きしていたような気もする。
中入りを挟んで「近況座談会」。 志ら乃さんがやった司会仕事の話を中心になるほど納得大笑い。
この3人は今見ておくと10年後に自慢できる噺家だと思う。 来月は「秋の新作発表会」。 10/25なのでお暇な方は是非。
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