アイドルイベントやネット配信番組の司会進行と企画構成などを生業にしている石橋哲也が、見たい・聴きたいアイドルを集めて開催するごった煮ライブ。
こう言う形式のライブは苦手なのだけれど、顔付けが面白いので足を運んでみた。
チラシでは12:30開場となっていたが、開く気配が無いので調べ直すと、タイムテーブルでは13:30開場に変わっていた。
13:30にはきっちり開場。
TOKYO FM HALLは天井が高く、空調もしっかりしているので、ごった煮ライブ特有の暑苦しさや異臭などが濃くならないのが有難い。
前方は背もたれのある椅子が並び、年寄りに優しい。 後方は立ち見で、わいわい見る客はそちらへ。
中央ブロックの最前列は管理組合的な若いのが陣取って入れ代わり立ち代わり見たり見なかったりしていたが、諍いなどは起きず。
タイムテーブルが出ていて、出演者も掛け持ち、客も掛け持ちなので開演しても客の入りは薄く、どうなる事かと思ったが徐々に客は増えて中々の盛況。
並行物販なので客の出入りは激しいのは仕方が無いにしても、もう少しスマートに出入りできないものだろうか。
常識の持ち合わせがないのだと思うが、ライブのさなかにステージ前を堂々と横切ったりするのには呆れた。
出るにしても入るにしても、演目と演目の境目でささっとやるものだと思っていたが、昨今は寄席でも連中の親やその上の世代が臆面もなく出たり入ったりしているので躾けもへったくれも無いのであろう。
こういう形式のライブが苦手と言うのは、この躾けもへったくれも無い手合いと同じ空気を吸うのが嫌だと言う事。
閑話休題。
出演者の手配が付かなかったとのことで14:00からの最初の枠は石橋のDJ、繋いだり語ったり歌ったり煽ったり。
場を温めてから最初の出演者へ。
きゃわふるTORNADO
二月にお披露目ライブをやって以来、いくつかライブをこなしてきてはいるが、まだ斯界に知られているとは言い難く、ほぼオープニングアクトとして登場。
石川と杏斉が安定した歌唱で下支え。 別所と神咲は初々しく、道地は元気に、宮瀬は可愛らしくしっとりと。
歌って踊っての部分はしっかりしており、楽曲も(オケも)丁寧に作られている。
最低限の事は出来ているので、あとは「どう売るか」。
新曲が披露されたが、盛り上がる曲を作ろうとする目論見が透けて見えすぎてしまって、私は醒めてしまった。
最後は「星空ディスティネーション」で〆。 難しい歌いだしだが、別所の懸命さに引き込まれる。
キラーチューンに成り得る佳曲。 大切に歌って欲しい。
閃光ロードショー
映画をモチーフにしたグループ。
流行ったものが主だが、その映画のエッセンスを詰め込んだ楽曲が愉しい。
バスドラが疾走するイントロから激しい曲が始まったと思ったら胸の前に両腕でバツを作って飛び跳ね始めたのにはやられた。
映画とは関係なさそうだが、面白ければ細かいことは良い。
エルフロート
激しめの邦楽ロックの楽曲に可愛らしい歌声。 落差が面白い。
2o Love to Sweet Bullet
ミニ丈のチャイナドレスで登場。 髪は両側頭部でお団子にして、さながらリン・ミンメイ。
曲は当世風EDMだが、淡々とした曲調のものが多く、歌い踊っても感情を露わにしない。
フォーメーションに変更があったらしく、振り付けは間違えないものの移動が覚束ず、挙動不審なメンバーが居たが、覚束ないなりになんとかしているのが面白かった。
notall
芸人に 上手も下手も なかりけり 行く先々の 水に合わねば
なんて事をよく言うが、行く先々の水を変えて味方にしてしまうのがnotallのnotallたる所以。
出てきただけで場が明るくなる。
其処此処に潜伏していたnotallの客が一斉に隠し持っていたカメラを鞄から出して撮り始めるのも愉快と言うか滑稽と言うか。
最初期から仕事をしてきた石橋が男泣きに泣いているのを茶化し、舞台に上げて一緒に踊らせるなど、沸かせ方も心得ている。
格にしては浅い出番なのだけれど、これはまぁ定期公演との兼ね合いであろう。
ダイヤモンドルフィー
エルフロートと同じ送り手、曲調も同じく激しめの邦楽ロックなのだけれど、こちらは四人が四人ともきっちり歌えて、振り付けも自棄糞に激しい。
振り付けの激しさに髪飾りが外れて飛んで行ってしまったりもしたのだけれど、自然な動きで安全なところに蹴り出すなど、舞台度胸もあり、状況判断も的確。
沸かせに沸かせて降りるであろうnotallの後に上がって、しっかり自分たちの空気に換えていた。
(これは石橋の組み方も巧い。)
絶対直球女子!プレイボールズ
野球モチーフのグループなので衣装もユニフォーム然としたもの。
足元はコンバースのバスケットシューズだったので訝しく思ったが、よくよく見ると野球のボールのような赤い糸のステッチが入っていた。
打ったり捕ったり、野球に因んだ楽曲は総じて明るく楽しく、振り付けは体育会系の体力勝負のもの。
グローブやメガホンの小道具も楽しい。
見世物としてきっちり練られているので、アイドル目当ての客のいない野球絡みのイベントでも受け入れて貰えているのだと思う。
オケのレベルが上げ過ぎなのではないかと思うくらい大きく、被せも強めなのだけれど、見世物としての均質さを考えての事だと考えると納得が行く。
前半の〆には相応しく、お祭り気分を盛り上げて降りていた。
長丁場のライブは耳が持たないので、ここで失礼したが、木戸銭以上に愉しむことが出来た。
大箱でのライブではないにしても、長らく別形態イベントは打っており、芸人としての常識もある所為か、開場開演も時間通り。
自らのDJの時間を調整用に確保しつつ、その必要が無いくらいタイムテーブル通りの進行。
仕切りに関しては専業のイベンターよりしっかりしているくらいで、主催者側に起因する不愉快は皆無。
次回開催にも期待したい。
前日の昼間に思い出して予約サイトを見たところ、前売りの枠が残っていたので予約して見た。
チケットの販売方法に会場のwallop放送局ならではの決め事が有り、チケット引き換え開始時間(19:20)以降に3階の受付に行き。
1. チケットの自動販売機で、チケット代金と同じ額のものを購入する。
2. 受付に渡して予約番号を申告する。
3. チケットに予約番号を記入してもらう。
これでチケット購入が完了。
予約番号はそのまま入場順となる。
当日券が出ることもあり、その際は予約番号の手続きは無く、予約者の後からの入場になるとの事。
19:30から21:00までは2階の別室で事前物販。
その後、ライブ会場となる3階のスタジオ前で整列し、21:20ころから整理入場と言う流れ。
鉄道が2路線通っておりバスの便もあるとは言え場末と言えば場末の押上だが、21:20入場なら勤め人でも頑張れば間に合わない事は無いし、ライブが正味一時間だったとしても、22:30ならまだ帰れる。
終演後物販は厳しいが、前倒ししてライブ前にやれば一定時間確保できる。
よく考えられた時間設定。
定員の98人が動員目標(※これを3回連続で達成すると、別の場所で無料イベントが打てるらしい)なので、椅子は片付けられて立ち見のみ。
撮ろうとすると2列目までならまぁ何とかという感じ。
notallは撮りたい層とわいわい盛り上がりたい層が上手く共存しており、統制はされないが一定の秩序はある状態。
前の方に撮る客がいても場は盛り上がっているし、場は盛り上がっていても撮っている客が邪険にされる事も無い。
場内で掛かっていたBGMの音量が上がり、客電が落ちて開演。 出囃子が掛かって手拍子が始まる。
notall目当ての客が集まる主催興行とあって、客とメンバーが分かち合って喜ぶ祝勝会のような雰囲気。
感極まりそうな雰囲気はありつつも、笑顔多めの祝祭空間。
DSC_9491 posted by (C)2petri2
そもそもが収録用のスタジオなので音響は兎も角照明に関しては厳しいところはあり、着席観覧前提の舞台なので舞台も低い。
ライブ会場としては難しいところは有るのだけれど、本拠地ならではの気安さと使いやすさもあり、今のところは良いバランス。
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ライブはほぼ一時間。 予定調和のアンコールなどは無く、すっきりした構成。
木戸銭も安く(1500円)、ダレ場も無くたっぷり見られる(聴ける)。
対バン形式のライブなどで気になったら、見に来やすい敷居の低いライブだと思う。
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写真を纏めてアップロード。
RSSnotall@バシフェス(29.05.05)
notall定期公演(29.05.05)
オリンパスのショールームとギャラリーが神田から新宿へ移って二周年と言う事で開催されているイベントの一つ。
PEN-F(※現行の)のカメラ側の設定で、どれだけ撮りたいイメージに近い写真が撮れるかと言う機能解説と、写真そのものについての話が半々。
中藤はモノクロ、コムロはカラーを担当。 今年の一月に見た中藤の写真展『Sous le ciel de Paris』が、やはりオリンパスのマイクロフォーサーズ機で撮られたもので、これが「デジタルでのモノクロ表現も此処まで来たか」と感嘆させられる作品群であったのだけれど、スペインや東京で撮ったものも含め、撮影時の話や、使ったレンズ・機能について。
コムロミホはキューバやパリで撮った写真を中心に、光の状況や出したい色に合わせせてのカメラの機能の使い方について。
特定の色をカメラ側の操作で抜いたり盛ったりできるので、キューバの車の原色の鮮やかさを増したり、水銀灯の緑かぶりを消したり、朝のもやもやした光を引き締めたり。 色の出し方や差し引きの匙加減の上手さには唸らされた。
共通しているのは「RAW現像をしない」と言う事。
中藤がカメラの設定を予め済ませておくことにより、RAW現像をせずとも意図した色合いに近づけられることに美点を感じているのと対照的に、コムロはフォトショップでの作業と同質の事を、より簡便にカメラ側で行えることに美点を感じており、その違いが興味深かった。
これはカラーとモノクロとで求める物が違う事と、ウェットダークルームでの作業経験の有無に起因するものだと思われる。
モノクロームで撮る場合、カメラ側での条件設定は「フィルムや印画紙の種類」「現像液の種類と処理温度や時間」にあたるので、ここを決めておけば上りは或る程度コントロール出来るのだけれど、オリンパスPEN-Fはかなり細かいところまで弄れるようで、コントラスト調整用のフィルター機能やNDフィルターの機能まであるとのこと。
パソコンで写真と睨めっこをして調整すると、一枚々々はそれなりに仕上がっても、組み写真にした時に色味が揃わないことがままある。 それが防げるだけでも作品を仕上げる効率は上がる。
思わぬところで物欲を刺激されて嫌な汗をかいた。
腐食が進んで銀の被膜がはがれかかった鏡に映したポートレートについての裏話のなかで、「 LOVE ON THE LEFT BANK(セーヌ左岸の恋)」にあった同種の写真を意識して撮った事が語られたのだけれど、傷ついた心の暗喩のようなエルスケンのそれに対して、モデルの女性が来ていたヨレヨレのTシャツを隠すためにそう撮った中藤の悪戯心が面白かった。
また、夜のパリを撮るに際しては嘘か本当か「良い写真が撮れますように」とブラッサイの「夜のパリ」に手を合わせて祈ったとか。
一寸残念だったのは、転がると面白いこの二つの話題が転がらなかったこと。
知っているから、見たことが有るから良い写真が撮れるとは限らないが、どちらも人生を豊かにしてくれる写真集だと私は思う。
見たことが無かった、知らなかった人は、一度手に取って眺めてみて欲しい。
中藤の話の進め方で感心したのは、相手が知らないかもしれないことを考慮して「エルスケンって知ってますか?」「ブラッサイって知ってますか?」と確かめていたこと。
知っていれば知っていたなりに話を進められるし、知らなければ説明から始める。
最後は駆け足になってしまったが、見応え聴き応えのあるクロストークだった。
出口でオリンパスの方から冊子とカタログをいただく。 オリンパスPEN-F、実に悩ましいカメラであった。
四谷四丁目のギャラリー・ニエプスで開催されているフランス人写真家による日本をテーマにした2人展。
入って左側の壁面ににクレモン・パラディ、右側の壁面にマキ。
それぞれの紹介文が、母語がフランス語であることもあってか、詩的で且つ晦渋。
ドアノーの写真に添えられたプレヴェールの文章に面食らったことを思い出す。
クレモン・パラディ(Clément Paradis)
長方形の部屋の左側の壁の長辺と短辺にモノクロームの巨大コラージュを貼り付け、その上にカラーやモノクロの小品を額装して展示。
色を抜いた粗目のモノクロームとこってり色を乗せたカラーの対比の妙。
マキ(MAKI)
粒感の強いモノクロームのプリントを額装したもの。
連れ合いの女性を撮ったと言うか写し込んだと言うか、そう言う作品が何点か有ったのだけれど、横断歩道を渡る二人の影を撮った作品が印象に残った。
どちらも切り取り方に土着の人間では気付きにくい視点があり、唸らされる。
モノクロームで切り取った街の風景への文字情報の入れ方。
ささくれのように目に引っ掛かる。
文章ではなく、文字そのものの意味が文章から離れて刺さる不思議な感じ。
そんなマキのポストカードを、一枚購って帰宅。
乃木坂46から選り抜きで4人。 「至高の美少女カルテット」て銘打って巻頭から巻末までぶち抜き25ページ。
西野七瀬
表紙と巻頭7ページ38カット(うち27カットは過去に撮影された分をコラージュ的に小さく)、撮影はTakeo Dec.
白ホリで白ワンピース、これまでに撮られた写真の夥しい数のプリントを床に散乱させた上に黄色のTシャツで座らせたり寝そべらせたりと2パターン。
これまでのグラビアを振り返りつつシンプルに。
西野七瀬の魅力は負圧を帯びたものだと私は考えるのだけれど、素でカメラと向き合うだけで表情に愁いを帯びるその特質をよく捉えており、笑顔と組み合わせることで「負圧の陥穽」に誘導される。
若月佑美
巻中4ページ7カット、撮影は桑島智輝。
画面内を様々な直線が走るのだけれど、水平垂直から自由でありつつ、見る側の平衡感覚に違和感を与えない。
これは被写体が屈んでいたり、首を傾げていたり、そもそも水平も垂直も無いと言う事でもあるのだけれど、被写体と撮影者の撮り撮られる呼吸が合っているため、其処に惹き込まれるのではないか。
そんなことを考えた。
与田祐希
巻末5ページ11カット、撮影は細居幸次郎。乃木坂も三期はまだスケジュールにゆとりがあるのか、山奥の木造校舎でのロケ。
五月の頭の発売とは言え、桜の花を花入れに活けたり手にしたりしている事から考えて、それなりに遠くまで行ったのだと思う。
乃木坂特有の閉塞感、何をどうすれば現状を変えられるのか分からない絶望のような物を未だ知らないが故の無邪気さがそこかしこに。
スーフィーの旋舞のようにワンピースの裾を翻すカット。
階段の下から見上げるように撮っているのだけれど、膝頭が覗くか覗かないかくらいの角度に止め、透けそうで透けないのも良い。
曇天の光を柔らかく廻すことで、晩春の山間部の空気の湿り気まで伝わる。
齋藤飛鳥
8ページ8カット、撮影は細居幸次郎。
袋綴じのオマケ写真集なのだけれど、横長に開く凝った造りに、写真集企画を他社に持って行かれた悔しさが滲むようにも感じられる。
見開きごとに衣装3パターン、暗めの屋内7カット、最後に屋外で1カット。
閉鎖空間での濃密な空気感のあとに晴天の屋外を持ってくる配置も良い。
屋内あっての屋外。
他社から出た写真集も良い出来だったとは思うが、齋藤飛鳥ならではの、肉感由来の物とは別趣の色香を引き出し得ているヤングジャンプの手による写真集も見てみたかった。
馬場ふみか
表紙と巻頭8ページ14カット、見開き1か所。 撮影は細居幸次郎。
連載漫画との「コラボグラビア」と言うのは、短絡的な仮装の域を出ないものばかりで、見るべきものは無かったのだけれど、初めて面白いものに出くわした。
ボクシング漫画に因んだものなので、グローブを付けたりリングに立ったりしているのだけれど、寄せ過ぎていないのが良い。
表紙と1~2ページ目迄の導入部でノルマ?を済ませた後は、「汗を搔いたので温泉へ」。 ここからが本番。
屋外から始まって屋内へ。 湿り気のある、光の柔らかく廻る場面。 深度を浅くして撮る細居幸次郎は、やはり巧い。
身に着けたもの、纏ったものを見せる振る舞いも、自らそのものを見せる振る舞いも出来るし、何か与えられた役割を演じる事も出来る稀有な被写体。
肉感的な部分を切り取られがちな馬場ふみかの、演技者としての部分。
柔らかな表情や仕草、身に纏った空気や、醸し出す「何か或るもの」。
これらを上手く掬い取った8ページ。 眼福。
安藤咲桜
巻末6ページ17カット、クレジットが無いので撮影者は不明。
前号の予告ページでは細居幸次郎となっているが、巻末の目次では佐藤佑一となっている。
集英社サイトのグラビアアーカイブでは「(c)Yuichi Sato/SHUEISHA」と入っているので、佐藤佑一で間違いなさそうではある。
薄着の仕事に拒否反応を示していた次期もあった安藤咲桜(それは無理からぬことではある)であったが、肚を括ったのか生きた表情でカメラの前に立てている。
その辺り斟酌してか、水着映えする安藤咲桜に合わせた衣装の選択でありつつ、誇張するようなポーズは控えめにして、可愛らしく見せる方に振っているのは良い。
武田玲奈
表紙と巻頭7ページ16カット、撮影は阿部ちづる。
長崎ロケ。軍艦島、グラバー邸、ホテル室内の3部構成。
上りが良いと盛り込みたくなるのが編集者の性だが、細切れになり過ぎないように「選り抜き」の写真で構成。
見開きでベッドに横たわる写真を載せつつ、上下をトリミングして作った隙間に縦位置横位置で4齣貼り付ける割り付けが巧い。
ここでふと気付いてトリミングされたカットを較べてみると、実に厳しい構図で切っている。
上は窮屈にならないように少し空けて、下をぎりぎりで切る。
阿部ちづるが使えるカットを揃えたから出来た芸当だとは思うが、このグラビアの成功は担当編集の妹尾真理子に依るところ大。
ネガサイズの縦横比から自由なトリミングと割り付けのセンスに唸る。
解り難いが、実に良く出来ている。
伊東紗冶子
巻末4ページ11カット、撮影は桑島智輝。
仕草や表情に曲が無く、些か面白みに欠けるが、造形美と言う点に於いては評価されて然るべきであろう。
伸びやかではある肢体を曲げたり畳んだりして画面構成をした物撮り写真。
首から下で何とかするように考え抜かれたような4ページ。
重馬場に強い桑島智輝、今回も何とかしている。
撮影ワークショップであり、撮影会でもあるSHOZO CLASS PROJECTへ。
モデルは水瀬りんこ。
機材面で試したいことがあり、元々不得手なポーズ指示などはせずにお任せだったのだけれど、良い意味で撮られ慣れていてシャッターを切る度に表情や仕草に変化を付けてくれる。
撮り易いモデルさんで助かった。
自然光編のポイントは、ポージングとポジショニング
動かない光源に対するアプローチを考えます。
先ずスタジオ内で、広い天窓から入る光をレフ板で拾って当ててみる。
晴れてはいたが風が強く、気まぐれな雲の動きに翻弄される事で、図らずも自然光で撮る事の難しさを知る。
ひとしきり撮ったところでスタジオの外へ。
街を歩きつつ背景として映える場所、良い具合に光のある場所を探して撮影。
初夏の午后、日向に出ると強すぎるが日陰では一寸暗い。
そこで頃合いの光が有る場所を探すのだけれど、木漏れ日であったり、周囲の建物の窓や壁からの反射、道路からの照り返しなど、晴れていたからと言うのはあるが、思ったより選択肢には幅が有る。
その光源に対してモデルをどう配置するのか、撮りながら試行錯誤。
日向に出ると流石に暑いが、日陰に入れば吹き抜ける風は未だ涼しく、一時間近く歩きながら撮ったが、然程汗もかかずに済んだ。
撮影した写真はこのあたりに。
ワークショップ帰りに四ツ谷のギャラリー・ニエプスに寄って写真展を見て来た。
脳梗塞で療養中の父との九州への里帰りの日々を撮った写真。
ベッドに横になっていたり、介護用車椅子に乗っていたり、自らの意志で出来る事が限られている状況ながら目には光が有り、表情は柔らかい。
そうした父の姿と、撮影者の心象を現すかのような風景や動物、草花の写真が並ぶ。
浜辺に居る首の長い鳥が鷺ではなく鶴であるところに九州を感じる。
流れる車窓、燃えるような赤い花、枯草に絡んで風に靡くビニールなどから、その時々の撮影者の思いを推し量り、父と過ごした最期の日々を思い起こす。
静かで強い写真だった。