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墨田ペトリ堂の身辺雜記 「二面楚歌」


ペトリあんてな
二面楚歌 断章
二面楚歌 グラビアレビュー備忘録
寒空文庫(仮)
写真日記二面楚歌 隠居所
petri's fotolife
酒田へ行きたい
ザ・インタビューズ

投票などするな!

投票行為は君たちの人間性の否定なのだ。
投票を依頼してくる連中など無視せよ。
連中は諸君の敵だ、連中は権力を握りたがっている。
すべての政治家はそれが共和派であれ、王党派であれ、
共産党であれ、われわれの敵だ、
投票用紙を破り捨てろ、
投票箱をぶち壊せ、
候補者だけでなく、選挙管理委員たちの頭もなぐり割れ。


1933年11月 CNT(Cofederacion Nacional del Trabajo)の声明より


2015-10-04 トンネルを抜けて [長年日記]

_ PIP: Platonics Idol Platform「僕を信じて」発売記念イベント(新星堂サンシャインシティアルタ店)

池袋サンシャインシティの新星堂も、以前は駅に近いスペイン階段を上がってすぐの所にあったのあったのだけれど、商業スペース奥の奥に移転。
迷いつつも開演15分前くらいに現地着。 この時点でつばなれしていないどころかこの先つばなれする気配すらなく、予約済み者の優先入場が始まっても人が増えずに厭な汗が出たが、優先入場が終わった頃合いで客が入り始めて、なんだかんだで50人から入っていた。
店内にも近隣店舗にも時間潰しを出来るところが無く、開演する頃合いを見計らって現場に来た向きが多かったようだ。

ライブは「僕を信じて」「選ばれたから」「きっとぐっとサマーデイズ」「PIP Move On!」の4曲。
曲出しが遅かったり、エコーが強すぎたりしたくらいで、スタッフの仕事には特に問題なく。

危惧されていた「奇声を発しないと死んじゃう系の客」は、口に手で蓋をしてミュートを掛けた上で何やら叫ぶと言う、彼等なりに無い知恵絞って考えた妥協案を提示。
横合いに屯して、時折人波を掻き分けて最前列まで行って戻ってくるってのを繰り返し、拍手の一つもしないしそもそも歌なんざ聴いちゃいないと言う感じで、お行儀自体は地味に悪かった。

「選ばれたから」は長大なソロパートがあるのだけれど、現状で石川について書かれた歌詞しか存在しないので石川以外歌うことが出来ない。
歌詞の書き方についてのメソッドは既に濱野が提示しており、メンバーが下書きをして添削をさせれば良い。 それくらいはやるだろう。
喉を痛めたこともあったか、無理に張るような歌い方をしなくなったのは良い。 聴きやすくなった。

「PIP Move On!」は矢張り私の耳にはまるで引っ掛からず、何等の感興も催さないが、盛り上がる曲に育てようとする意欲は感じ取れた。

空井のMCは例によって旧社会党系の情宣っぽいが、喋り方には気をつけていると見えて、だいぶ柔らかくはなってきている。

小室は一字一句間違えないようにする余り棒読みになっていたが、慣れればこなれて来るだろう。

歌にも振り付けにも喋りにも柔らかさの出ていた瑞野。 
トンネルの向こうに見えた光明。

_ sharaku project vol.05 #NUDE

お馴染みのグループ展も6回目を迎え、今回も箱崎のクリエイションギャラリー日本橋箱崎にて開催。


門嶋淳矢
顔の無いヌード5点。

ここ最近のグループ展では色を強めに出す作品が多かったが、一転して落ち着いた色合い。
彩度は抑えているがカラーで、背景や仮面、腰掛は冷黒。 身体は温黒に近く表現。
身体の一部が隠れるようなポーズを付けて構図を工夫することによって、全体を撮りつつ欠損のあるように撮れている。
離れて見るとフォルムに目が行き、近付くと精緻な質感描写に驚かされる。


野澤亘伸
「足舐むる女」と題してタペストリー的なものを7点。
抱え込んでむしゃぶりついたり、ひょいと持ち上げて咥えたり、舐め方も様々に七態。
踏み込んで迫れるから出せる生々しさ。 明るくも湿り気のある写真。


吉田浩之
先日まで開かれていた個展と同様、掛け軸に仕立てたものを5本。
ヌードと言うテーマに沿わせてか、あぶな絵的なものを選っていた。
背景は無く、真っ白な紙に盛装の女性を配しているのだけれど、全体的に明るくカラリと描かれた中で陰になる部分があり、そこだけ湿り気を帯びた肌が覗き、目が吸い寄せられる。


小池伸一郎
2:4:4くらいの割で夜空、夜景、地面。 その地面の暗がりの中に写るか写らないか朧ろげに浮かび上がる裸婦一対。
スタジオなのかロケなのか、はたまた合成なのか判然としないが、表情が読み取れるか読み取れないかギリギリの暗さ。
3枚でそれぞれ微妙に照明を当てる角度が違っていたのだけれど、あれは意図したものだったのだろうか。


上野勇
畳の上に寝転んだり絡みついたり炬燵に入ったりするさまを、真上からと横から。
ざらついた紙に濃緑の縁を付け、畳に見立てたようなプリントをイーゼルに立て掛けて展示。
寄って細部を見ようとすると、横からの照明が邪魔になる。
一寸引いて見ると、丁度上から見下ろす格好になる事に気付いた。 屋根裏の散歩者の視点。
ゾクリとする背徳感。


松田忠雄
パネル5枚、それぞれにテーマがあり写真が3~6枚。
プリントが美しい。 肌であったり空であったり、白と灰色、黒と灰色の間の諧調が豊かで、且つ眠過ぎることも無い。
周辺を心持ち焼き込んだようなものも、それが解るか解らないかのところで抑えてある。 程が良い。

各パネルに一枚は好みの写真があり、被写界深度浅めのものに心惹かれる。
ピントの置きどころや深度がピタリと決まり、それでいて決まり過ぎていないから息苦しさが無い。

released from nude の左下。

attached a rubber の真ん中。

remove the eyeglass の下。

transfer of the lace は右。 芯のあるブレボケ。

flutters something の左端。 水玉のワンピースがボケと光線の加減で鹿の子絞りのように見えるのが面白い。


三輪憲亮
湊莉久を撮ったものを大小取り混ぜてズラリ。
髪のあしらいやメイクで描き分けて二態。 表情の切り取り方は悪くない。
ただ余白が多く、今一つ寄り切れていない事から来る隔靴掻痒感は有る。

矢鱈と点数が多く、散漫で冗長。 プリントはコッテリ色を盛った塗り絵。
これが良いと感じる向きもあるのだろう。

湊莉久の客相手であったようだが、自分の展示スペースの前で延々と自作を語る独演会。
自作を語りたくなるのも分からないではないが、先ずは写真で語るべきだと私は考える。
写真より撮り手が饒舌と言うのはぞっとしない。


2015-10-12 写真に正解など無い [長年日記]

_ 中藤毅彦ゼミ修了展「Gelatin Silver TOKYO」(前期)

鉄砲洲の日本写真学院のギャラリーで開かれている写真展。 Facebookでお誘いがあったので足を運んでみた。

専門学校的なものかと思っていたのだけれど、平日の夜に開講している社会人向けの講座の終了展とのこと。
広くは無い会場に受講生の写真をより多く展示する為、前期・後期に分けて展示を入れ替えるようで、今回見られたのは半分だけ。

決まったフィルムで撮ったモノクロのネガを大四つにプリントしたものを額装。 題材も東京で撮ったストリートスナップと言う事もあって、統一感のある展示。
受講者にカメラ買わせるところから始めて銀塩で撮らせており、暗室作業も未だ数ヶ月と言う事で、必ずしもファインプリントと言う訳には行かないにしても、人前に出せるレベルには既に達している。
良くも悪くもケレン味の無いプリントで、飛ぶところは飛び、潰れるところは潰れているのだけれど、露光の過不足や現像処理の手抜きによる変色などは見られず、丁寧に焼かれている。
教える人の作風や好みも影響してか硬めのプリントが多かったが、東京のストリートスナップとしてはこれで良いのかもしれない。

受講生の作品の他、ゲスト作家として中藤毅彦、元田敬三、セイリー育緒が1点ずつ。
中藤の出展した作品は、95年の初個展に出したものをプリントし直した物。
受講生の素直なプリントの中にあって目を惹く「秘術を尽くした」プリント。 構図も焼きも厳しい。


中藤毅彦と元田敬三で講評などを交えつつトークショー。
写真に対する考えは異なっているものの、「どちらも正解ではない」と言うことが互いの了解としてあるので喧嘩にはならない。
そう、写真に正解など無いのである。

カメラが便利すぎると「撮ろうとして撮ったもの」と「撮れてしまったもの」が混じりがちで、「撮れてしまったもの」は見栄えは良いのでつい焼いてしまい、取捨選択する際に悩むと言う話や、24×36の所謂「ライカ判」の細長いフォーマットだと、縦で撮ったものと横で撮ったものとで印象が異なる話など、トークショーの中身は実に面白かった。
言葉で圧伏せしめようとするところが無く、写真に対する考えは語るがそれ以上に写真そのものでそれを表現しようとしている先達からは学ぶところが多い。

一点だけ出されていた後半の出展者の作品が私好みであったので、入れ替わった頃合いにまた足を運ぼうと思う。


2015-10-18 落魄の美 [長年日記]

_ 週刊ヤングジャンプ 2015 46号

柏木由紀
表紙と巻頭グラビア8ページ22カット、見開き1箇所。 撮影はTANAKA。

廓噺を演る咄家は見ておいた方がいい。
文違いのお杉が、品川心中のお染が、藁人形のお熊が、鰍沢の月の戸がそこに居る。
脂っ気の無い髪、燻み弛んだ肌、疲れた作り笑顔。 カメラマン、メイク、スタイリスト、レタッチャーetc...が寄って集って糊塗しようとして糊塗しきれていない、柏木由紀一世一代の「落魄の美」。

基本的にカメラを前にした柏木は商売用の自分しか出さないのだけれど、繕い切れない綻び、住み替えを重ねた人生の疲れのようなものが、(恐らく本人の意図しない形で)滲み出ている。
柏木由紀のグラビアとしては、これまでで一番「柏木由紀」が出ているように思う。

山下エミリー
巻末グラビア5ページ8カット、撮影は小池伸一郎。
寄ったのと引いたのと、服を着たのと水着と、選ったカットを1ページで使つて売りになる部分をしっかり見せた上で、表情の変化を4カットで1ページに纏めてある。
カメラの前で見せる表情はまだ硬いが、無意識に表れる感情の移ろいを掬い取ったカットは味わい深く、化ける可能性は大いに感じられる。
文字情報は多いのだけれど、邪魔にならない配置。 写真とともに紙面を構成するものとして生きている。
文字か入るのであれば、ここまで突き詰めたグラビアが私は見たい。

_ 生誕100年 写真家・濱谷浩 ―もし写真に言葉があるとしたら

用賀からバスに揺られて砧公園の世田谷美術館へ。
生誕百年を迎えた濱谷浩の、最初期から1960年代くらいまでの前半生の作品を纏めて見せる写真展を観覧。

「モダン東京-1930年代・モダン都市東京の諸相」「雪国―新潟・豪雪地帯の人々とその暮らし」「裏日本―日本海側の風土、漁農村における生」「戦後昭和―終戦後の日本から、安保闘争をめぐる〈怒りと悲しみの記録〉まで」「学藝諸家―昭和を生きた文化人たちのポートレイト」と、展示スペースを5つに分けて展示。

展示は1930年代の東京を撮ったものから始まる。 年表によると桑原甲子雄からライカC型を譲り受けたのが1935年とのことで、鏡越しのセルフポートレートに写っているのがそれだと思われる。

桑原と比べると引いたり寄ったりしているカットが多い。
或る程度の人間関係を築かないと入れない、劇場の中や楽屋で撮ったカットが良い。
木村伊兵衛や桑原甲子雄のような掏摸でも、土門拳のようなかっぱらいでもなく、とりあへずは相手の了解を得た上で取る寸借詐欺のような写真。

替わって現在の新潟県上越市にある桑取谷の小正月の風俗を10年に渡って撮り続けた写真群から。
集落に完全に溶け込んではいないが、異物でもない。
コロイドとして漂いながら撮ったような客観的視点。 醒めた熱気のようなもの。

展示の境目は曖昧だが、日本海側で撮った連作へ。
撮影地でどちらに属するか判断しながら見る。
ペンタックスの一眼レフ(恐らくS2)に135mm/f3.5を付けた物とライカM3を併用して撮っていたようで、その取り合わせも面白い。
標準で寄って撮るにはレンジファインダーのライカ、精緻なピント合わせが必要な望遠は一眼レフと言う合理的選択。 ニコンではなくペンタックスと言うのも、なんとなく「らしく」思われる。

終戦の日のセルフポートレートと太陽を撮ったものから始まる「戦後昭和」。
戦後の風俗から60年安保へ。
60年安保と言う物についての見解は、同時代人として現場に在った濱谷と異なるのだけれど、権力に立ち向かい圧伏せしめられた者の怒りと悲しみは良く描き出されていると思う。
放水、衝突、女学生の死の3枚は胸に迫る。
写真でじっくり見せた後、濱谷の書いた文章が資料とともに。

今、私は昭和史の外にたって、これからの昭和史を見つめている、再び時代の渦にまきこまれないだけの自覚の強さが私には備わっている。
(「新潟日報夕刊「私の昭和史」、1965.2.19)


「学藝諸家」を最後に持って来て昂った感情を落ち着かせる趣向。
宴席での写真三態(荷風、安吾、谷崎)。
荷風が晩年の歯抜け写真と言うこともあるが、如何にももてそうな谷崎が小面憎い。

学藝諸家を撮った際の揮毫帖と併せて終戦の日の日記を展示。

戰爭ハ終リ
日本ハ敗レタリ
語ナシ
コノ日マコトニ晴天
雲悠々、寫眞機ヲトリテ
コノ太陽トコノ雲トヲ
ワケモワカラズ寫シテイタ
(後略)

展示の仕方には不満もあるが、纏まった量を見られるのは有り難い。

東京で撮った物には伊達と酔狂、日本海側や国会前で撮った物には意地と反骨と瘦我慢が詰まった、実に江戸前な写真だった。

_ 中藤毅彦ゼミ修了展「Gelatin Silver TOKYO」(後期)

展示作品が入れ替わったので足を運んでみた。
展示スペースと出展数との兼ね合いだとは思うが、ゲスト作家の作品を端に寄せ過ぎてしまっていたのは気になった。
このあたりはまぁ、仕方が無い事ではある。

飯田夏生実
粒子粗めだがしっとりした重めのプリント。
粒子が集まって絵が出来ており、三次元的な奥行きが感じられる。
ベレー帽の後ろ姿、夜のビニール傘の写真が良い。

良し悪しより好悪の部分で惹かれるので書き難いのだけれど、雨だったり曇りだったり、夕方だったり夜だったり、光が柔らかく廻る状況を選って撮っているので色合いに統一感がある。

橋本有夫
神田をテーマにした連作。
素直で丁寧なプリント。 黒が締まってしっかり出ている。
それにしても良い黒だと思ったら、印画紙はイルフォードが品切れでベルゲールを使った由。
かつては我々貧乏人には手の出し辛い高級印画紙だったベルゲールが、今や値上げ続きのイルフォードより安いとの事。
間が良過ぎる構図が多かったが、一寸外したものは面白かった。

ササガワヨウイチ
新宿で撮った連作。
4号くらいで硬く焼いて白く飛ばしたり黒く潰したりしたプリント。
最終的にどんな色合いにプリントするかを考えたネガを作っていないようで、丁度良い頃合いに出る部分がコントロールし切れていないのが気になった。
ネガがどうでもプリントでどうにかなると思っているのかもしれないけれど、ネガに記録されていない情報はどうやってもプリント出来ない。
先ずは良い(自分にとって)ネガを作るところから。
ネガが良ければ、もう少しプリントの折り合いも付け易かったであろうし、試し焼きで追い込む過程も短くて済む。
(ネガを見て類推できるなら別だが。)

ハイライトの飛んだザラついたネガにしたかったのであればそうなっていないのは失敗作であり、逆に意図しない形で白飛びしてしまったのであれば、それもまた失敗作である。
「こうしたい」と言う意思は通底しているように思えたが、そこに至る過程での技術を軽視しているのが気になった。

不思議なもので良いプリントを見ても「あぁ、良いなあ。」で済むところが、そうでないものを見てしまうと何故か気になってしまう。
五月蝿く思えた先達もこう言う思いだったのであろうか。


社会人向けの写真講座のグループ展をここのところ幾つか纏めて見ているのだけれど、講師に定見がきちんと有り、且つそれを押し付けずに考えさせているところの写真展では、面白いものに出会えている。
私は教わるより自分で試行錯誤するのが性に合っているので、こうした講座には興味が向かないが、私ほど臍や旋毛が曲がっていない向きには、写真人生の幅を拡げる良い機会になるのではないかと思う。


2015-10-25 吸い込むオーラ [長年日記]

_ 女体愛好家 七菜乃による七菜乃展

オーチャードホールの横合い、雑居ビルの5階にあるアツコ・バルーにて開催されている、女体愛好家の七菜乃が特殊モデルの七菜乃を撮った(割った話が「セルフポートレート」)写真展へ。
一寸遅いかなと思うくらいの時間に着いたが、開場は2時からとの事で少々早く、松涛を一回りしてから再訪。

受付で木戸銭を払い、靴を脱いで上がる。 木の床。
最初から或る程度の集客が見込めないと難しいとは思うが、この「五百円ワンドリンク付き」と言う敷居は頃合いであるように思われた。
ロハでないと来ない客層と言うのは中々タチの悪いものであって、木戸銭がドリンク代として担保されていれば心理的抵抗も少ない。

一と通り見終えてから喉を潤したが、ジントニックはビーフィーターをウィルキンソンのトニックウォーターで割ったもので、なかなか良心的。


作品はチェキで撮影したもので、丁度良い大きさのアクリル板に貼り、目の高さくらいの位置にズラリと並べて飾ってある。
何枚か組み合わせたコラージュ物も含め、通し番号で100以上。

全ての作品は購入可能。 但しチェキなので全て一点モノの売り切れ仕舞い。
一枚だと21000円だが、沢山買うと安くなるシステムとなっており、売れたものは通し番号の横に Sold out と書き込まれる。
見ている間にも何点か Sold out となっていた。


10秒のセルフタイマーを使って撮影しており、光を強く当ててコントラストを上げたり、柔らかく廻して下げたり、精緻にピントが合っているものもあれば、意図してアウトフォーカスにしたものもある。
逆光もあり順光もあり、しかし色乗りは飽くまで淡く、86×54mmの覗き穴の向こうに広がる異世界。

撮り方のみならず作品として仕上げる際の技法も様々。
シネカリ的に乳剤を削ったり、乳剤面のみを剥がしてアクリル板に挟んだり、インスタントカメラならではの不完全な現像を利用した表現もある。
写るようにも写らないようにも、硬くも柔らかくも出来て、撮った写真をその場で見て試行錯誤できるインスタントカメラの特性・チェキと言うカメラの可能性を引き出している。

何も着ていないことが、布を身につけていないということが、nudeということが
曝け出している(裸)ということでは全くなく、只、内臓があって骨があって脂肪があって
皮ふで覆っているだけのことであって、その自然の人間の持っている女体を
私はとても美しいと思っています。

何も着ていないと言う事が「曝け出している」と言うことではないとは七菜乃の言であるが、撮影時の気温や体温によっても、季節によって纏う衣服が異なるように肌の質感も装いを変える。
骨格標本との多重露光のものにも「ヌードは着衣のひとつ」が表れていた。


在廊していた七菜乃は、何と言うか負圧を感じて振り向くとそこに居るような「吸い込むオーラ」。
雄が覚醒するのか、観に来ていた爺さん連中がおやかってしまって見苦しかったのだけれど、本人を前にすると急に鎮まる。


奥ではプロジェクターでスライドショー。
大きな画面で見るとまた違った趣。


撮影用のスペースがあり、七菜乃在廊中なら女性は撮って貰う事も可能。
私が見ている間にも撮影が行われていたが、時間を掛けて語らいながら和やかに。
奥の一角に展示されていたが、人の撮り方撮られ方が解っているのでこちらも面白い写真だった。

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

# シャイニングおじさん [ブログの内容とコメントが違いすいませんm(_ _)m 先日タワーのイベントに久しぶりに行きました。ペトリ堂さんもい..]


2015-10-28 敢えて描き出さない。 [長年日記]

_ Love to Eros展 [R18]

仕事帰りに箱崎へ。 Love to Eros展を観覧。
読んで字の如くな写真展なので18歳以下入場お断りになっている。

場内は初日から結構な入り。 オープニングパーティー的な盛り上がりではありつつ、客筋が良いのか乱痴気騒ぎにはなっていない。

概ね「明るいエロ」。
客も出品作も生命力に満ち溢れていて、そう言う物が苦手な私は場違い感に苛まれたりもするのだけれど、そんな中でも静かな、一寸引いたような写真もある。 直接的ではないエロが私の嗜好には合っているのは改めてわかった。
暗喩と仄めかし。 語らずして語る。 敢えて描き出さない。 そう言った写真。


人集りが出来過ぎて滞留してしまったりした際にはスタッフがやんわりと流したり、こうしたグループ展ではよくある「仲間内だけで盛り上がる事に疑問を感じない閉じたコミュニティ」の厭な感じがないのは良い。
良否ではなく好悪に属する部分での私との相性はあれど見るに堪えない低劣な作品はなく、こうした「明るいエロス」を好む向きにはお勧め出来る。

宴のあとのテーブルにネミロフのハニーペッパーがあったので、ちょいと引っ掛けつつ気になったところを見直す。
酔いが回ってくると、喧噪も気にならなくなり、写真に没入できる。
気になったものを幾つか。


一鬼のこ×七菜乃
細いが適度に皮下脂肪はあり、皮膚か薄くてしなやかなのが縛ることによって視覚的に理解できる。
撮り手によってガラリ印象が異なるのだけれど、芯は七菜乃で在り続ける。

北田智史
敢えて描き出さない、核心に迫らない3枚。

いずみ
ブラウスの釦と釦の間から覗く小宇宙。

有末剛
縛った写真より解いた写真。 肌に残る縄目の生々しさ。

ムーニーカネトシ
炬燵の中で絡み合う脚。 赤く照らし出されるソックスの埃と毛玉。

常盤響
悪い大人の明るい悪ふざけ。

jely
大人のようにも子供のようにも見えて、自信ありげにも不安そうにも見える。 そして様々に変化するそれぞれの姿は、確からしくも不確からしくも思える。
振り回されたい。

錦織智は展示作品より写真集の方が甘く切なく、より私好みであった。
全部揃えたい。


作品はすべて均一価格で販売。
A3 12000
A2 20000

出品作がそのまま収録されている訳ではないが、写真集も販売。
こちらは部数限定の売り切れ仕舞いとのこと。


半年前なら見に行こうと思わなかったであろうと思われる類の写真展であり、私向きかと言うとそうでもないのだけれど、それでも見ておいて良かったと思えた。



「按ずるに筆は一本也、箸は二本也。 衆寡敵せずと知るべし」
斎藤緑雨


文責:墨田ペトリ堂
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