柏木由紀
表紙と巻頭グラビア8ページ22カット、見開き1箇所。 撮影はTANAKA。
廓噺を演る咄家は見ておいた方がいい。
文違いのお杉が、品川心中のお染が、藁人形のお熊が、鰍沢の月の戸がそこに居る。
脂っ気の無い髪、燻み弛んだ肌、疲れた作り笑顔。 カメラマン、メイク、スタイリスト、レタッチャーetc...が寄って集って糊塗しようとして糊塗しきれていない、柏木由紀一世一代の「落魄の美」。
基本的にカメラを前にした柏木は商売用の自分しか出さないのだけれど、繕い切れない綻び、住み替えを重ねた人生の疲れのようなものが、(恐らく本人の意図しない形で)滲み出ている。
柏木由紀のグラビアとしては、これまでで一番「柏木由紀」が出ているように思う。
山下エミリー
巻末グラビア5ページ8カット、撮影は小池伸一郎。
寄ったのと引いたのと、服を着たのと水着と、選ったカットを1ページで使つて売りになる部分をしっかり見せた上で、表情の変化を4カットで1ページに纏めてある。
カメラの前で見せる表情はまだ硬いが、無意識に表れる感情の移ろいを掬い取ったカットは味わい深く、化ける可能性は大いに感じられる。
文字情報は多いのだけれど、邪魔にならない配置。 写真とともに紙面を構成するものとして生きている。
文字か入るのであれば、ここまで突き詰めたグラビアが私は見たい。
用賀からバスに揺られて砧公園の世田谷美術館へ。
生誕百年を迎えた濱谷浩の、最初期から1960年代くらいまでの前半生の作品を纏めて見せる写真展を観覧。
「モダン東京-1930年代・モダン都市東京の諸相」「雪国―新潟・豪雪地帯の人々とその暮らし」「裏日本―日本海側の風土、漁農村における生」「戦後昭和―終戦後の日本から、安保闘争をめぐる〈怒りと悲しみの記録〉まで」「学藝諸家―昭和を生きた文化人たちのポートレイト」と、展示スペースを5つに分けて展示。
展示は1930年代の東京を撮ったものから始まる。 年表によると桑原甲子雄からライカC型を譲り受けたのが1935年とのことで、鏡越しのセルフポートレートに写っているのがそれだと思われる。
桑原と比べると引いたり寄ったりしているカットが多い。
或る程度の人間関係を築かないと入れない、劇場の中や楽屋で撮ったカットが良い。
木村伊兵衛や桑原甲子雄のような掏摸でも、土門拳のようなかっぱらいでもなく、とりあへずは相手の了解を得た上で取る寸借詐欺のような写真。
替わって現在の新潟県上越市にある桑取谷の小正月の風俗を10年に渡って撮り続けた写真群から。
集落に完全に溶け込んではいないが、異物でもない。
コロイドとして漂いながら撮ったような客観的視点。 醒めた熱気のようなもの。
展示の境目は曖昧だが、日本海側で撮った連作へ。
撮影地でどちらに属するか判断しながら見る。
ペンタックスの一眼レフ(恐らくS2)に135mm/f3.5を付けた物とライカM3を併用して撮っていたようで、その取り合わせも面白い。
標準で寄って撮るにはレンジファインダーのライカ、精緻なピント合わせが必要な望遠は一眼レフと言う合理的選択。 ニコンではなくペンタックスと言うのも、なんとなく「らしく」思われる。
終戦の日のセルフポートレートと太陽を撮ったものから始まる「戦後昭和」。
戦後の風俗から60年安保へ。
60年安保と言う物についての見解は、同時代人として現場に在った濱谷と異なるのだけれど、権力に立ち向かい圧伏せしめられた者の怒りと悲しみは良く描き出されていると思う。
放水、衝突、女学生の死の3枚は胸に迫る。
写真でじっくり見せた後、濱谷の書いた文章が資料とともに。
今、私は昭和史の外にたって、これからの昭和史を見つめている、再び時代の渦にまきこまれないだけの自覚の強さが私には備わっている。
(「新潟日報夕刊「私の昭和史」、1965.2.19)
「学藝諸家」を最後に持って来て昂った感情を落ち着かせる趣向。
宴席での写真三態(荷風、安吾、谷崎)。
荷風が晩年の歯抜け写真と言うこともあるが、如何にももてそうな谷崎が小面憎い。
学藝諸家を撮った際の揮毫帖と併せて終戦の日の日記を展示。
戰爭ハ終リ
日本ハ敗レタリ
語ナシ
コノ日マコトニ晴天
雲悠々、寫眞機ヲトリテ
コノ太陽トコノ雲トヲ
ワケモワカラズ寫シテイタ
(後略)
展示の仕方には不満もあるが、纏まった量を見られるのは有り難い。
東京で撮った物には伊達と酔狂、日本海側や国会前で撮った物には意地と反骨と瘦我慢が詰まった、実に江戸前な写真だった。
展示作品が入れ替わったので足を運んでみた。
展示スペースと出展数との兼ね合いだとは思うが、ゲスト作家の作品を端に寄せ過ぎてしまっていたのは気になった。
このあたりはまぁ、仕方が無い事ではある。
飯田夏生実
粒子粗めだがしっとりした重めのプリント。
粒子が集まって絵が出来ており、三次元的な奥行きが感じられる。
ベレー帽の後ろ姿、夜のビニール傘の写真が良い。
良し悪しより好悪の部分で惹かれるので書き難いのだけれど、雨だったり曇りだったり、夕方だったり夜だったり、光が柔らかく廻る状況を選って撮っているので色合いに統一感がある。
橋本有夫
神田をテーマにした連作。
素直で丁寧なプリント。 黒が締まってしっかり出ている。
それにしても良い黒だと思ったら、印画紙はイルフォードが品切れでベルゲールを使った由。
かつては我々貧乏人には手の出し辛い高級印画紙だったベルゲールが、今や値上げ続きのイルフォードより安いとの事。
間が良過ぎる構図が多かったが、一寸外したものは面白かった。
ササガワヨウイチ
新宿で撮った連作。
4号くらいで硬く焼いて白く飛ばしたり黒く潰したりしたプリント。
最終的にどんな色合いにプリントするかを考えたネガを作っていないようで、丁度良い頃合いに出る部分がコントロールし切れていないのが気になった。
ネガがどうでもプリントでどうにかなると思っているのかもしれないけれど、ネガに記録されていない情報はどうやってもプリント出来ない。
先ずは良い(自分にとって)ネガを作るところから。
ネガが良ければ、もう少しプリントの折り合いも付け易かったであろうし、試し焼きで追い込む過程も短くて済む。
(ネガを見て類推できるなら別だが。)
ハイライトの飛んだザラついたネガにしたかったのであればそうなっていないのは失敗作であり、逆に意図しない形で白飛びしてしまったのであれば、それもまた失敗作である。
「こうしたい」と言う意思は通底しているように思えたが、そこに至る過程での技術を軽視しているのが気になった。
不思議なもので良いプリントを見ても「あぁ、良いなあ。」で済むところが、そうでないものを見てしまうと何故か気になってしまう。
五月蝿く思えた先達もこう言う思いだったのであろうか。
社会人向けの写真講座のグループ展をここのところ幾つか纏めて見ているのだけれど、講師に定見がきちんと有り、且つそれを押し付けずに考えさせているところの写真展では、面白いものに出会えている。
私は教わるより自分で試行錯誤するのが性に合っているので、こうした講座には興味が向かないが、私ほど臍や旋毛が曲がっていない向きには、写真人生の幅を拡げる良い機会になるのではないかと思う。