キムラさん
呑まなきゃやってられない気分であったりするが、酒を呑んでしまうと何も出来なくなってしまうので、ハーシーのミルクチョコレートを喰っている。 旨い。
昨日から暇な時間にニーチェを読んでいるがやはり面白い、かさぶたをべりっとやられたり、傷口に塩を擦り込まれる様な所も多く、痛くて重いが、やはり面白い。
実は最近ニーチェを読んでも今一つピンと来なくて途中で止めていたのだけれど、それは自分に都合の良い文言を探しながら読んでいたからであったようで、素直に文字を追って行きさえすればのって読んでいく事ができるようだ。
のって読んでいると、自然に凄い言い回しにぶち当たるようで、今日はフランスパンを棒のまま齧りつつグレープフルーツジュースで流し込むと言う情けない二百四十二円の昼飯の最中に
「いつのことか、わたしは屍色をしたたそがれのなかを、陰気に歩いていた・・・」
なんてところを読んでしまって、思わず泣きそうになってしまったりした。
更に困るのが、電車の中で読みながら寝てしまうと悪夢に直結してしまうことだ。 特に夢うつつで現実と夢の境目がはっきりしない時にはその傾向が強く、
ふと目がさめると車内の人間がみな悪意を持ってこちらをみてるようなきがしたりして一寸びっくりした。
しかしこれではキチガイ野郎だ、明日から気を付けようと思っている。
Friedrich Nietzsche 「ツァラトゥストラはこう言った」より
「青い花」を読み終えた。 これはとても一回読んで理解出来得る代物では無い、これは凄い。
「ツァラトゥストラ」もそうだったが、この本も使える表現に満ちていて、しかも言葉を抜き出そうとすると忽ち陳腐になってしまって、どうにも書きようがない。 困った、が、はまった。
読み直す。 先に何が来るのか判っている分、落ち着いて読む事ができるので、きりの良い所で切って、ちびちび読むことにした。 この本について澁澤が何か書いていたのを思い出して、いろいろとひっくり返してみたが、何に出ていたのか良く判らなかった。
会社からの帰り道に有る最近出来た空き地で、生え始めたセイタカアワダチソウに混じってさらに頭一つ分高い草を発見。 もしや、と思って近付くと、やはりアレであった。 伊勢神宮のお札と同じ名前の、繊維原料と成る、ぎざぎざの葉っぱの、むしり取って持っているだけで手が後ろに回る、あのアレであった。
大学の時によく写真を撮りに行っていた崩壊した橋の辺りに生えていた野生種とは葉の形が違っていたので、たぶん小鳥の餌から発芽したものであろう。 しばらく観察を続けるつもり。
筒井康隆 「乱調文学大辞典」より
なんとか「文庫・新書」に写真を追加。 今日はもう寝る。
太宰治 「悶悶日記」より
昼間、仕事中に背中から鳩尾にかけて刺し貫かれる様な激痛が走って、暫く息が出来なかった。
昨晩は、地下鉄の駅のホームから突き落とされる夢を見た。
理由はなんとなく判る様な、判らない様な。 まぁ、多分そう言う事なのだろう。
なんでいつもこうなのだろう、とも、どうせだめなんだろうなぁ、とも思える。
気分がどんよりしてきて、仕事場の螢光燈すら、心なしか暗くなったように思える。
何かに追い掛けられている夢を見ている時は、いつも必ず長靴を履いている様に、
こう言う漠然とした物事を説明しようとしても、いつもどうにも上手くいかない。
書かないと決めている事もあるし、使わないことにしている単語や表現もある。
まぁ、とりあへずは、自虐的に煮詰まっておこう。
爪を噛む癖があるのを思い出した。 気がついたら爪を噛んでいた。
友達に拉致されて名古屋に連れていかれ、味噌煮込みうどんを喰って帰ってきた。
うどんを喰っただけでかえってきた。
表から行ける裏ページを作り、北京をアップ。 そんなこんなで未だ途中ですがとりあへず。
良く行っているホームページがあって、そこはうちと同じくジオシティなのだけれど、うちと決定的に違う所がある。
うちは広告があると気が散るので、トップページ以外は広告の表示をオフにしてあるのだけれど、そこはすべてのページに広告が表示されているのだ。 それでも中身が濃くて見た目のインパクトも強いので広告があってもぜんせん気にならない。 しかも更新の頻度も更新の中身の質も高い。 偉いです。
・・・と珍しくひとを誉めてみた(笑)。
「裏」に「日光・鬼怒川」を追加。
自分しか食べられないように奇矯な味付けの料理を作っても、家族に喰われてしまう事が多い。 この間もセロリとキュウリとトマトのレモン風味炒めってのを夜のうちに作っておいて、朝食べようと思ったら親父に全部喰われていた。 慣れてきたのだろうか。
Arthur Schopenhauer 「自殺について」より
写真を焼いていた。 一本のネガから五枚も当たりカットがあって吃驚した。
そのあと中野のPに引き伸し機を取りに行く。 これは友達に頼まれていた分で、フジのSS690と言う
6×9迄焼ける奴で、これにELニッコールの50mm/f2.8と105mm/f5.6とラッキーの引き伸ばし用露出計とネガキャリア三枚、そしてパピトールとミクロファインとフジフィックスが付いて壱福沢也。
安すぎ。
眠い、寝る。
開催が今週末に迫っているのに未だに休みがとれるのかどうか確定していない。 一月前から言ってあるのだけれど、休ませる気が有るのかどうなのかはっきりしない。 これで休めないとなると会社とのつき合い方を考え直さねばならない。
非常に気分も機嫌も天気も世の中も腹具合すらもわるい。 今日は馬鹿馬鹿しくなって夕方からふて寝をしていた。
Friedrich Nietzsche 「ツァラトゥストラはこう言った」より
仙台でやる写真展の為に、ひと月も前から申請してあった休みが没になった。 ひと月の間残業したり昼休みを削ったりして納期を前倒ししてきたのに、その分仕事を詰め込んだようだ。 にこにこしながら「金曜日はだめだねえ、土曜日に早上がりすることは可能だけど・・・」って、そんなことで済むならはなっから休みなんざ申請しやしねえってことが判らないらしい。
今後は仕事以外で会社の為に時間を使うのは止める事にした。 社員旅行には行かない、忘年会・新年会では酒を呑まずに中座する、必要以上に残業しない、納涼なんたらもトゥインクルレースも何もかもやめる。
人間関係がどうなろうと知ったこっちゃぁない。 正当な手続きを踏んでも休めないのなら、会社とは労働力を提供して賃金を貰うだけの関係に単純化して、それ以外の部分を切り捨てて自分の為に使える時間を確保するしかない。
許せないのはこの予定が以前から決まっていたにも関わらず、私が今週に入って確認しに行く迄黙っていた事だ。 面倒臭いことは判断を停止してなあなあで済まそうとする姑息さが厭だ。
とりあえず、金曜日に休みを貰えない事だけははっきりした。 明日、土曜日に休めるかどうかが決まる。
「本」に小説(戦後篇)を追加
Marcus Aurelius 「自省録」より
何とか五時半で切り上げた私は、一目散に家に帰り、荷造りをし、連絡をとったりなんだりをしているうちに七時半を回ってしまって、慌てて家を出て、タクシーを捕まえて上野へ。 新幹線と在来線を乗り継いで喜多方の友人宅へ。
飯を喰って翌日の予定を確認してとっと寝た。