家元談志亡き後集団指導体制と言うか親睦会というか、そう言う形に移行して真打昇進の仕組みも様変わり。 試験でもなく、年功序列でもなく、密室での会議でもないやり方として、真打トライアルを開催して客の投票に委ねることにしたのこと。
ちなみに私の考えはこちらに
「批評と審査 (私の規範について)」
平日開催で18時開場の18時半開演、開演後の入場者には投票資格無し。 見てもいないで投票する手合いを避けるのは判るとして、18時半開演に間に合う勤め人なんざ何処にどれ位居ると思っているのであろうか。 5人が演り終えて時計を見たら20時20分。 仮に21時完全撤収だったとしても、あと40分ある。
何が始まるのかと思ったら開票作業。 志らく師と談四楼師が出てきて繋いでる間に開票して上位二人を発表。
やりたい事は判らないでも無いし、チケット販売の仕組みなどで買収が行われないように頭を使っているのは判ったが、準備や後片付けが大変な催しをケツの決まった箱でやるこっちゃ無いと私は思う。
客に審査を投げてしまうと言うのが、そもそも判らない。 世渡りで審査する・されるのは仕方ないとして、素人に審査を投げっちまうってのは立川流としてどうなの?と言うこと。 出ている五人は他の協会ならとっくのとうに真打になっていてもおかしくないし、立川流に於いて真打にしても問題ないと思うのだけれど、その判断を客に投げる了見の問題。
談四楼師は客を信用しているのだと思うが、私はまったくとは言わないまでも信用していない。 一番後ろから見ていれば、誰の客がどれくらい来てるかまで分かり、誰の客か分かれば、どんな所で笑うか見ていれば質も分かる。
この日は何時もの日暮里より、些かものの分からない客であった。
「近日息子」らく里
「目黒のさんま」談奈
「合コン老人会」らく朝
<中入り>
「時そば」→「かっぽれ」錦魚
「五人廻し」志らら
定時で逃げ出したが、着いたのは七時前。 丁度一人目が終わった所で入れた。 前座さんが申し訳なさそうに投票は出来ない旨説明。 それはそれで私は構わない。
談奈さんの「目黒のさんま」はマクラで探ってから噺に入り、トチリもなく、客は重かったが悪くはない出来。
らく朝さんは自作の新作。 途中ダレ場はあったが、前の方の年寄りには実によく受けていた。
錦魚さんはマクラもそこそこにスッと噺に入り、軽い噺をテンポよく聴かせてからかっぽれ。 足元が悪く踊りにくそうではあったが、やった意味はあったと思う。
志ららさんの「五人廻し」は上手くはないのだけれど賑やかに楽しく。
志ららさんとらく朝さんは手銭で見ようとは思わない芸(好悪の点に於いて)なのだけれど、真打に相応しくないとは思わない。 客が付くのも受けるのも理解は出来た。
帰りがけ「そばが食いたくなった」「さんまが食べたくなった」と語る客も複数人見かけた。 わたしも一由そばまで歩いてゲソとマイタケ乗っけたのを手繰って帰宅。
会としての後味は良くなかったので口直し。
副題は「奇跡の全員参加なるか!? 久しぶりの定期公演で新カバーもやるぞ!いよいよPIPRO体制やPIP-KYOTOも明らかに!?」公演。
第10回になる訳なのだけれど、そのあたり特に言及無し。
70の予約枠は早々に埋まったが、台風が接近しており、またロハと言う気楽さもあってか入りは薄め。
予約が熾烈さを増している割に実際の動員は頭打ち。 公演の構成が「訳知り向き」に成りつつある事も要因の一つになっているように思う。
公演時間に対する意識を持たせる為か、会議室の掛け時計は舞台よりに移動。 マイクスタンドの出し入れや入り捌けへの意識は高まってきている。
出囃子代わりにボビー・ウーマックを丸々一曲掛けて、「タンポポの決心」のイントロで入場。 無理やり付けた物ではなく、濱野が矯めなかった結果極端化して個性が際立ちつつある空井と森崎だが、森崎は歌っているときの表情もなんと言うかヴェロニカ・ベネットの様なソウルフルな感じになり、目を惹く。
続けて「RUN RUN RUN」を演って自己紹介。 平安時代の合戦作法のような冗長で退屈極まる「名乗り」をやらなくなったのは良いが、自分の名前をはっきり言わなくなっている。 外部のライブに出演するようになれば訳知りの客だけを相手にしている訳には行かぬ訳で、些か客に狎れてしまっているように思う。 これはメンバーのみならず濱野の進行についても言える。 初見の客もいる前提でやれていない。
Google+のハングアウトで京都と繋いでPIP京都の新メンバーのお披露目をしてみたり、LINE通話で体調不良欠席メンバーに話を聞いたり、この辺りは濱野ならではの趣向。
台風が来るので短めにと前置きはありつつ、ユニットコーナー。
福田、橋田、小室、工藤の「夢見る 15歳」は初披露の時より練れて来ており、小室が突出しなくなった。 ハロプロ楽曲は地味に難しいので技倆の差が目に見える形で出やすいのであるが、なんとか見られるものにはなっていた。
歌って踊る部分が平均化すると、橋田の放つ「華」が際立つ。
澤村・瑞野の「高嶺の林檎」は見るたびに良くなっている。 外見はそうでもないが、気質の点で似ているのだと思う。 綺麗な相似形。
北川・柚木の組と濱野・羽月の組で続けて「てもでもの涙」
北川は柚木からしっかり盗めているようで、立ち居振る舞いが目に見えて美しくなっている。
北川が良くなると、それに比例して柚木も良くなる。 柚木が上手くなるのではなく、相方の技倆に合わせて無意識に自制している部分が解き放たれる。
見せる北川・柚木に対して、聴かせる濱野・羽月。 体調不良が長引いていた羽月はまだ声に張りが無いように感じられたが、歌唱そのものは安定。
永瀬・空井・牛島・森崎の「向日葵」
永瀬は何をやっても破綻しない。 器用貧乏のきらいはあるが、公演の下支えにはなっている。
こちらも体調不良が長引いている空井。 声は出ていなかったが、それ以外はいつもの空井。 森崎はここでも振り切れていて面白い。
4本立っていたマイクスタンドを1本だけ片付けて豊栄・石川・小林の「ハート型ウィルス」。
隙だらけの豊栄と隙の無い石川。 どのユニットに突っ込まれても自分の色は変えず、ユニットの色も変えずにユニットに溶け込む小林。
濱野智史が私財を叩いて購入した怪しげな機械を使用して、ウソ発見企画。
緊張のあまり余計な汗をかいて機械にウソ判定され、「違うの!違うの!!」と取り乱す橋田が可愛らしい。
プロデューサー候補生として入った森崎、濱野、石川、牛島、栗城、羽月でその辺りの話をしたあと、「孤独なランナー」
私はSDN48には良い思い出が欠片も無いので興醒めしつつ見ていたが、客の受けは悪くなかった。
羽月・濱野・小林の「初恋サイダー」、小林・橋田の「Hello, Again 〜昔からある場所〜」で〆。
短いと言っても何時もと比較しての話で、内容としてはテンコ盛り。
お行儀の悪い振る舞いの高齢ピンチケ層、転調に付いて行けずに表拍で手拍子をし始める壊れたゼンマイ仕掛けのチンパンジーみたいなの。 気が滅入るような事が無いでもないが、概ね平和裏に。
副題は「PIPはメンバー数が多いのでまとめてやります!10月生誕メンバー(福田・小林・牛島)合同生誕祭!」公演。
台風は大きいだの強いだのさんざ脅かされたが、いつごろやって来やがるのだか判然としない。 開演時間を繰り上げて台風が来る前に終わらせると言うので足を運んでみた。
体調不良や交通機関の都合で濱野、御坂、高城、山下、瑞野、栗城がお休み。
出囃子から一曲目「夢見る 15歳」(福田、橋田、小室、工藤)。
津軽から米俵担いで出てきた工藤は背負っているものの重さが出ちゃっていてどうにも辛気臭いのだけれど、このあたりは私の好みに合わないだけで質としては悪くない。
橋田はフワリと柔らかい表情。 小室は緩急のつけ方に一日の長があり、上手く抜いているから重くならない。 福田は天然の妙と言うか、考えてやっている訳ではなさそうなところが上手く嵌っている。
「さくらんぼ」(羽月、小林)。 ガイドメロディ付きのオケをしれっと使ってしまう濱野の拘りの無さは、今は身軽さとして吉と出ているが、外部のライブやイベントに出る際には凶と出るのではないか。
歌える二人だけに破綻無く。 ただカラオケ大会然としていて面白みは薄い。
チョーカーやニーハイソックス(もしくはタイツ)など、小林のさり気無いお洒落に唸る。
「ハート型ウィルス」(澤村、石川、豊栄)は衣装も秋服に移行。
動きそのものは抑制されていて慎み深いのに妙な色気のある石川のハニートラップ感。 どこまでも健全な澤村との対比の妙。
華はあるが脇にも廻れる豊栄。
「向日葵」(永瀬・空井・牛島・森崎)、久し振りに生気のある空井。 歌も振りも上手いかと言えばそうでもないのだけれど、妙な味があり目を惹く。
森崎は例によってねっとりと。
「てもでもの涙」(北川、柚木)。 北川の衣装がカーテンから作ったようなサウンド・オブ・ミュージック感。
柚木は髪を下ろしていたが、良い手入れをしている。
全員出てきて「RUN RUN RUN」。 曲が終わって自己紹介、お題は「欠席しているメンバーの秘密」。
自己紹介では、自分の名前までははっきり言えていたが、お題の話に入ると当該メンバーを渾名でしか呼ばない。 「初見の客も居るかもしれない」と言う心配りは常に有って然るべきだと私は思う。
ここから福田、牛島、小林の生誕企画。 濱野が心境などを軽く聞きつつ、それぞれ一曲。
福田は「secret base 〜君がくれたもの〜」。 歌詞は飛んだが遣り切ったのは良かった。
牛島は「虫のバラード」、これが面白かった。 音符を細かくなぞるように歌う「つんく♂唱法」に似ているのだけれど母音が弱く子音で抜くところは坂本九に近い。 押し付けがましくなくて良い。
小林は「明日も」。 これは以前一度歌ったことがあったが、歌う予定だった曲が喉の調子が悪くで出来ないのでこちらにしたとのこと。 小林は音域に合わない曲でも歌いこなせるのだけれど、無理をしない曲の方が声の質に合っているように思う。
生誕の三人で「ハート型ウィルス」、全員で「竹内先輩」「タンポポの決心」で〆。
全体曲では後列の石川が良い。 前に出ていない時の方が凄みが増す。 騙されたい。
会議室で公演を打てるのも、あと半月余。 遅きに失した感は有るが、全体曲でのフォーメーションや振りはサマになって来た。
ディアスポラ(神学的ではなく今日的な意味に於ける)から暫くは出稽古と言うか巡業と言うか、オリジナル曲で他所のライブに出て、新規の客を掴んだ上で改めて定期公演をやるとの事。 暮れか、遅くとも年明けか。
ともあれ、この会議室とは「長いお別れ」。
濱野は会議室からの実質的追放を「エクソダス」と表現しているが、原因はPIPメンバーにあり、能動的ではなく受動的なものであるので(私の表現が正しいかはさておき)「エクソダス」と言うのは自らを美化しすぎなのではないかと思う。
グラビア系カメラマンのグループ展 "sharaku project" も4回目を迎えた。今回の会場は箱崎の路地裏にある、製版会社が新たに作ったギャラリー。
最寄り駅は水天宮前で、駅からの距離は近いのだけれど一寸判りにくいところにある。 新しくは無いビルの入り口部分が不自然に新しく、ギャラリー然とした設えになっているので前まで辿り着けばそれと分かる。
エレベーターで3階まで上がると会場。
柱が邪魔になる部分はあるのだけれど、広い。 梁は低いのだけど、天井板を取っ払ってあるので高さは稼げていて、圧迫感は無い。 暗すぎず明るすぎず見やすい環境。
今回もテーマが「ヌード」と言うことで、18歳未満は入場お断り。
吉田裕之
巨大なカラー7点。 画布のような紙にプリントしてある、吉田らしい遊び心。
ぱっと見て見渡せない大きさになると、写真から受ける印象もがらりと変わるのだけれど、柱が邪魔になる位置での展示になっていて、引いて見られなかったのは残念だった。
ブレザー系の制服(夏服)を脱いだり着たり。 綺麗に纏まってはいるが、気障にはならぬ匙加減が上手い。
野澤亘伸
露悪的と言うか挑発的と言うか、生々しいのをカラーで7点。 こちらも大きなプリント。
エロは好きだしグロも(或る程度は)許容できるがスカは御免蒙る。 好悪の悪の部分しかないので論評はしない。
そのあたりの「感情を逆なでする」部分までが狙いだったとしたら、まんまと術中に嵌った事になる。
小池伸一郎
大小取り混ぜてカラー18点。 オーバー気味に飛ばした白バックで針金と戯れるヌード。
先ず感じたのが「焼き難そう」。 私がプリントする訳では勿論無いのだけれど、思わず暗室作業の煩雑な手間を考えてしまう厳しい構図。
拡大率を大まかに決めて、ピントを合わせて、拡大率を直してピントを合わせ直して、さらに拡大率を追い込んでピントを微調整して・・・と言う、賽の河原の石積みのような果てしない作業が脳裏をよぎってゾッとする。
背景に何も無い所で、間合いの取り方とポーズだけで作った構図。 技術とセンスの高度なバランス。
親指に針金を括りつけた足先だけだけを切り取った小品が実に良かった。
上野勇
カラー4点だが、見せ方が凝っている。
一点は背後に光源を置いて透過光で見せる顔のみ判然としない裸体の群れの組んず解れつ。 もう1点は天井から吊り下げた円筒形のプリントを内側に入って見る、360度パノラマ。 全周から等身大に近い14人の裸体が迫ってくる圧迫感。
仕掛けは大胆だが照明の組み立ては繊細で、一旦梁に当てたライトが柔らかく筒の中を照らすようになっている。
見世物小屋めいた猥雑さはありつつ、写真としては綺麗に纏められていて、見せ方は外連味たっぷり。
写真展と言う形でしか見せようの無い写真のかたち。
松田忠雄
カラー6点+小品1点。 セーラー服の女子を脱がせたり、ビニールテープで拘束したり、ビニール袋で梱包したり、それを集積所に棄てたり。
展示スペースに何気なく吊り下げられた薬瓶。 中になにやら入っているのに気付いてよくよく見たら梱包された裸体像のポジ(ポジと言うか、透明な板にうっすらとプリントされた写真と言うか)が入っている。
あたかも被写体の魂をそこに封じ込めたかのような、儚げな美しさ。
屋内も屋外もピントは薄めだが、ボケがなだらかなので合焦しているところへ視点が導かれる。 展示スペースが隣り合わせの上野勇とは好対照の外連とは無縁の写真。
ざっと流して見た時に引っ掛かったささくれのようなものが、二度三度見返すと正体を現す。 些か判り難くは有るが、じっくりと見れば見るほど何かしらの発見が有り、そこでなければならないところに合焦しているも見えてくる。
三輪憲亮
ブツ撮りとポートレートの狭間にある、ゴリッとしたヌードモノクロで7点。
残酷なまでの質感描写なのだけれど、矢張りレタッチ過多な部分はあり、そこが目に入ると見る側に掛かっていた魔法が解けてしまう。
画竜点睛を欠く感はありつつ、プリントそのものは美麗。
門嶋淳矢
カラー6点。 ナナ・ムスクーリ的眼鏡とショートボブのウィッグを付けた、ほぼヌードだが上手く隠したボンデージ。
目のアップ、口腔内のアップなどもありつつ、汚くは無い。 バイブレーター、開口器、ボールギャグ等の象徴的な小道具を配しつつ、生々しくは使わずに野卑にならぬぎりぎりの線で止めているのが良い。
秘すれば花。 仄めかすだけでも、見るものの心に波は立つ。
それぞれがそれぞれの世界を構築しており、見入ってしまうと切り替えが大変。 ベンチに腰掛けて見た物を咀嚼して、一息ついてから次に進み、行きつ戻りつ過ごす。
見ることと考えることの楽しさが詰まった写真展であった。 会期中にもうニ三度見に行きたい。 十月三十一日まで。
場所が慶應日吉キャンパスで、しかもOB・OGの集まりと言う事で気乗りはしなかったのだけれど、撮れるかも知れないと言う事もあり、足を運んでみた。
日吉駅はOG・OGと思しき人々でごった返していた訳なのだけれど、慶應らしいなと思ったのは混雑を極めるトイレの出入り口で行き交う人々が自然に体をかわしていたこと。 このあたりのスマートさは慶應ならではなのかもしれない。
イベントの趣旨としてはどうだったのか知らないが、「アイドルすぎる34歳」で自らを売り出すことに成功した脊山がPIPメンバー(とプロデューサーたる濱野智史)にダメ出しをしていく形。 それが辛辣に成り過ぎないように吉田豪が要所々々で混ぜっ返して行く。
イベントそのものが始まる前から批判的な言動が言葉の端々に出ていた司会の池澤あやかは終始仏頂面で袖から見ていた。
何が語られるか見る・聞く前から「アイドル論」の字面への拒否反応が出てしまっており(其れは「司会」と言う自らに課せられた仕事からの逸脱でもあるのだけれどそれはさておき)、終了後にツイッターで辛辣な濱野・PIP批判。
それが濱野へ向けられるのであればまだ分かるのだけれど、言いっ放し・書きっ放しと言うのが実に子供染みて居おり、自らの前半生への悔恨と呪詛にまつわる遣り場の無い怒りを、ぶつけても問題にならない相手に投げつけて溜飲を下げているようで些か薄みっともなく、且つ業界の闇の深さを垣間見たような後味の悪さがあった。
自らの性を商品として消費されてしまうところから芸能活動が始まった池澤と、自らの性を効率的に商品化して現在の立ち位置を築いた脊山と、アイドルが必ずしも性を商品化したものでは無いと言う事に気付いた濱野(そしてその説明が絶望的に下手だと来ている)では考えも話も噛み合いようも無い。
それを横目で見ている吉田豪は楽しそうであった。 目の前に旨そうな「世相の粗」。
「目当て」で通っている客との馴れ合いに近い環境で微温湯に浸かってきたPIPメンバーにとっては、ブランディングだなんだと公衆の面前で詰問され続ける人民裁判は荷が重く、対応しきれないままダメ出しされっぱなしで終了。
人民裁判部分が予定より延びて、ライブは2曲。
音響も見せる環境も悪いので、このあたりの臨機応変な対応は良かったと思う。
脊山は大島優子を例に挙げて、グループを踏み台にするくらいの気概を求めていたが、AKB48を踏み台に出来たのが過去何人居たのか、考えなくても分かる。 そしてAKB48を踏み台にする事をスタッフも現在の客も許容せず、滅私奉公を強いているのも周知の事実である。
池澤にしても脊山にしても、媒体を通して見た虚像としてのAKB48しか知らないから較べて腐す事に疑問を感じていないけれど、週末ごとに握手をするのが仕事の殆どという現状に鑑みれば、濱野の方が余程「人を預かる」「人を育てる」と言う事に於いて責任を自覚しているように私は思う。
新曲の振り入れやレッスンなどを優先するとのことで、ライブとしての開催の無い週末の会議室で短めに撮影会。 北川、髙城、御坂、山下の4名は予め欠席の告知があったが、気が付いたら瑞野と沢村もいなかった。
仔細あってグリコ製品の細長いお菓子を持った写真を撮る趣向。 そちらはみなさんにお任せして、私は何時もの落穂拾い。
天井の螢光燈のみが光源で、部屋の端に行くと些か暗いという厳しい条件。 最新のカメラで撮っていた知己はisoが10000を超えるという修羅場になったようだが、私の数世代前のカメラにはそんな状態で絵を作る機能は無く、iso=800で撮影。 どう言う撮らせ方をするのか現場に行くまで分からなかったのでレンズは28mmから240mmまで持っていったが、近接で撮りたい人が多く混み合って撮り辛く、ノボフレックスの Noflexer 240mm/f4.5 に固定してでアウトレンジ戦法に徹してみた。
小室志織(PIP: Platonics Idol Platform)
柚木萌花(PIP: Platonics Idol Platform)
工藤千里(※左 PIP: Platonics Idol Platform)
橋田唯(PIP: Platonics Idol Platform)
その他の写真はこちらに。
牛島千尋のみ、撮ったものが全滅。 ひとえに私の技倆不足であります。
アイドルグループが入れ替わり立ち代わり、30分ずつ出てくる数珠繋ぎ番組を観覧。
出演は目黒川女学館、アイドル諜報機関LEVEL7、choice?、PIP: Platonics Idol Platform、notall。 司会のカオポイント石橋哲也は時間帯によって出たり出なかったり。
離合集散世の習いと言えど、choice? が3人になっていたのには驚いた。
受付を済ませると紙を一枚渡された。 今回は瞬間芸をやることになっているが、ドッキリ企画になっており、司会の石橋がCM中など要所々々で番組スタッフやPIPメンバーに当り散らす形で駄目出しを重ね、その緊迫した状況下でメンバーがどのように振舞うかを眺めると言う悪趣味極まる企画。 根多ばらしをしないように釘を挿す為の紙っぺらなのであった。
こう言う仕事をやっていれば理不尽な目に遭うのは日常茶飯ではあるのだけれど、為にする理不尽を知らぬ顔の半兵衛で眺めると言うのはどうにも性に合わない。 仕組まれた茶番とは言え、憎からず思っている連中が踏み付けにされる様を笑ってみている事は私には出来かねるので、顔色が分からぬよう、後ろのほうで観覧。
放送されない部分ではにべも無い駄目出しを重ねる石橋も、放送される部分では司会者としての仕事振り。
声色を作る為にアメ横の魚屋のあんちゃんみたいな咳払いをする牛島に「死ぬ間際の正岡子規かよ!」と突っ込みを入れたり、空井のやる里崎のバッティングフォームの真似に「軸足が違うんだよ」と形を示すなど、石橋哲也の芸人としての冴えは垣間見られたので、企画の悪趣味さの割に楽しめる場面もあったのは不幸中の幸いであった。
最終的には残り5分少々のところで怒りに任せ(たことにし)て司会を放棄して裏に引っ込んじゃう石橋のあとを受けて率先してマイクを握り、顔色を変えずに粛々と進行をした羽月がイイシゴト。
野呂圭介よろしく裏から「大成功」のプラカードを持って出てきた石橋が種明かしをして大団円と言う流れではあったのであるが、茫然自失の体で口を半開きにして立ち尽くす濱野舞衣香にはもののあはれを感じた。
リーダーの石川だけは企画を知らされており、グループのラインやメールで不安感を煽っていたことが暴露されたり、なんとか笑いのめして空気を軽くしようとする石橋。 良い芸風だと思う。