場所が慶應日吉キャンパスで、しかもOB・OGの集まりと言う事で気乗りはしなかったのだけれど、撮れるかも知れないと言う事もあり、足を運んでみた。
日吉駅はOG・OGと思しき人々でごった返していた訳なのだけれど、慶應らしいなと思ったのは混雑を極めるトイレの出入り口で行き交う人々が自然に体をかわしていたこと。 このあたりのスマートさは慶應ならではなのかもしれない。
イベントの趣旨としてはどうだったのか知らないが、「アイドルすぎる34歳」で自らを売り出すことに成功した脊山がPIPメンバー(とプロデューサーたる濱野智史)にダメ出しをしていく形。 それが辛辣に成り過ぎないように吉田豪が要所々々で混ぜっ返して行く。
イベントそのものが始まる前から批判的な言動が言葉の端々に出ていた司会の池澤あやかは終始仏頂面で袖から見ていた。
何が語られるか見る・聞く前から「アイドル論」の字面への拒否反応が出てしまっており(其れは「司会」と言う自らに課せられた仕事からの逸脱でもあるのだけれどそれはさておき)、終了後にツイッターで辛辣な濱野・PIP批判。
それが濱野へ向けられるのであればまだ分かるのだけれど、言いっ放し・書きっ放しと言うのが実に子供染みて居おり、自らの前半生への悔恨と呪詛にまつわる遣り場の無い怒りを、ぶつけても問題にならない相手に投げつけて溜飲を下げているようで些か薄みっともなく、且つ業界の闇の深さを垣間見たような後味の悪さがあった。
自らの性を商品として消費されてしまうところから芸能活動が始まった池澤と、自らの性を効率的に商品化して現在の立ち位置を築いた脊山と、アイドルが必ずしも性を商品化したものでは無いと言う事に気付いた濱野(そしてその説明が絶望的に下手だと来ている)では考えも話も噛み合いようも無い。
それを横目で見ている吉田豪は楽しそうであった。 目の前に旨そうな「世相の粗」。
「目当て」で通っている客との馴れ合いに近い環境で微温湯に浸かってきたPIPメンバーにとっては、ブランディングだなんだと公衆の面前で詰問され続ける人民裁判は荷が重く、対応しきれないままダメ出しされっぱなしで終了。
人民裁判部分が予定より延びて、ライブは2曲。
音響も見せる環境も悪いので、このあたりの臨機応変な対応は良かったと思う。
脊山は大島優子を例に挙げて、グループを踏み台にするくらいの気概を求めていたが、AKB48を踏み台に出来たのが過去何人居たのか、考えなくても分かる。 そしてAKB48を踏み台にする事をスタッフも現在の客も許容せず、滅私奉公を強いているのも周知の事実である。
池澤にしても脊山にしても、媒体を通して見た虚像としてのAKB48しか知らないから較べて腐す事に疑問を感じていないけれど、週末ごとに握手をするのが仕事の殆どという現状に鑑みれば、濱野の方が余程「人を預かる」「人を育てる」と言う事に於いて責任を自覚しているように私は思う。