昼頃起き出して昼飯。 冷蔵庫のクズ野菜とベーコンとチーズでリゾット・・・の様な物。 喰い終わってからつらつら時刻表を見ていたら17:06上野発黒磯行きに乗ればその日のうちに仙台に着ける事が判明。 時計を見ると15:46。 何だかめんどくさくなってひとっ風呂浴びてから適当に荷造りをして上野へ。 売店でチキンカツサンド、缶チューハイ、ジャワティ(瓶)締めて¥520-。
黒磯と福島で乗り換えだったのだけれど、それぞれ3分程しか時間が無く、宿泊場所の手配もへったくれも無いまま仙台着。 何とかナニやら取込み中のかみやんを捕まえて寝る場所は確保したものの、なにせ取込み中なので連絡が来る迄街の中をぶらぶらする事にした。
広瀬通りの吉野屋で並。 ¥400-。
住民の反対運動やら、一斉取り締まりやらでなくなるかとも思われたアーケードのギター小僧たちはどっこい生き残っていた。 一番町のフォーラスのあたりは国分町から流れてくる酔っ払いやヤンキーが多い所為かあまりいなくて、藤崎の前辺りから大町のアーケードに一番多いようだ。 しかしクリスロード→ハビナ名掛丁と駅に近づくにつれて人通りが減り、暗くなるにつれてギター弾きも減って行く。 やはり明るくて人通りも多い東二番丁から藤崎にかけての大町のアーケードが一番多く、50mおき位、つまりお互いの音が干渉しない程度の間隔を空けて陣取っている。
やはりゆずもどきのさわやか(風)青年で、オリジナルの物をやっていそうな奴はいなかった。 琵琶をかき鳴らして平家物語とか三上寛とかそこ迄は言わないから、せめて拓郎くらいやってほしいものだ。 同じ事を皆でやっていて楽しいのだろうか。 詰まらん。
客のいないやつらは淡々と、客・・・と言うかグルーピーみたいなのを抱えているやつらはそれをいじったりリクエストを聞いたりしながら、街灯の下で明るくさわやか(風)にやる者、暗がりで自分の世界に入る者、色々だった。 ・・・とここまで書いたところで道路向いにニット帽をかぶったにいちゃんがどっかと腰を下ろした。 何を始めるのかと思ったらブルースギター、歌無し。 なかなか上手いけど誰も立ち止まらない。 上手い下手と客の数は比例しない。
変わった頃から降り出した雨は段々強くなり、アーケードの屋根でパラパラ音を立てている。 気温も下がって来たようだ。 座っている奴より立ってギターを弾いている奴の方が多いのは寒いからなのかも知れない。 今日はいつもより厚着をして野宿対応で来ているのだけれど石の上に直に腰掛けていると流石にケツから冷えてくる。 寒いので少し動く事にして駅へ移動。
交差点で無気味なものを見た。 和服らしき物を身にまとい、紺色の風呂敷状のものを尼さんかぶりにした婆さんが、風呂敷包みを篭に満載した自転車をからころ押していた。 何故にからころ音がするのかと言えば後ろの車輪にはタイヤもチューブも何も無いからなのだけれど、これがまた夢野久作的でどうにも気味が悪かった。
構内は0:00〜4:00迄閉鎖。 西口地下自由通路は0:10〜5:25迄閉鎖。 只ひとつ解放されている駅からams西武への地下道には先住民の家屋が立ち並んでおり、香しい匂いが立ち篭めていて長時間そこにいるのはかなりきつい。 もと来た道を引き返して藤崎の前あたりで座っていたら漸く電話が入りかみやん邸へ。
今日はボイトレだったから事務所に行って、久しぶりにエタカやってたんだぁ。
パーティー組んでやったから楽しかったぁ。レベルも上がったしね。
明日もやるからみんな一緒に遊ぼうよ!
おやすみぃ!
都内某所へ行く気力も無く、自宅で寝たり起きたり。
誰も何も作っていない。 親父が貰ってきたまぐろのカマを使って何か作る事にした。 親父曰く「筋がかたくて食えない」。 そんな物ぁ火を通せばいいのだ。
まぐろのバター焼き クリームソース
フライパンを熱してバターを溶かし、塩胡椒をしたまぐろを入れて表面を焼いたら中火に。 牛乳を少し注ぎいれて蓋をして蒸し焼きに。 ミディアムレアくらいの状態でまぐろは皿に移し、牛乳を1/3くらいまで煮詰めてソースにする。
面倒だったのでいい加減に作ったが、蒸し焼きにする時にはワインか日本酒を使い、クリームソースは出来れば生クリームを使い、別の鍋で煮詰めた方がよい。
昨年末から今月4日までの日記を書き足した。
全員ハイタッチ会との触れ込みであったが、接触イベントは煩わしいのでライブのみ観覧。
開演時間の少し前に現地に到着。 ハイタッチの権利を求めて列を成す亡者どもの行列を横目に見やすそうなところを確保、・・・と思いきやテレビカメラが林立し始めて河岸を変えたりしつつ開演待ち。
予想通りというか何と言うか、7分程押して前説。 ここで秋田恵里の体調不良による欠席が発表されたのだけれど、客の反応の薄さに驚く。
このグループはステージの出来には拘らないので、今日も音響と進行が雜。 歌入りオケに何本か生かしたマイクの音を被せており、生声で聞こえるのは煽りと決め科白のみ。 そこで何かやっている生々しさが無い。
間奏でトンボ切りながら舞台を横切ったり、エッジの利いた演出も有るにはあったが、基本的に振り付けもフォーメーションも緩めで、歌も生歌感が無い割に上手くも下手でもなく、中庸といえば中庸。 不快なところは無いが、面白味は薄い。
曲調も総じてイカ天期のビーパン系バンドのような、一本調子の判り易いアップテンポ。 一と言で済ませると「素人騙し」。
まぁこれはキング移籍後のAKB48についても言えることだし、それが売れているのだから商売としては正解なのだろう。
前の方は流石に激しく盛り上がっていたが、客の多くはただ立って見ている感じ。
静かに見たいからそうしている風ではなく、どう振舞って良いか分からずにそうしている感じなのだけれど、予定調和や同調圧力から自由な「何もしなくてよい環境」と言うのも快適なのかもしれない。
しかし白昼の屋外で光る棒を振っていると言うのも不思議な光景であった。
ライブは4曲で終了。 これも「ホントは3曲の予定だったけど、もう1曲演ります!!」とメンバーに言わせる演出。 囲み取材やら何やらであとが詰まっているにしても、アンコールが無いことを暗に示す進行ってのは稚拙に過ぎた。
そこからメディア向け記念撮影→囲み取材→ハイタッチ会・・・という流れだったのだけれど、しゃしゃり出てきた司会者が無能と呼ぶには無能に失礼なくらい無能。
記念撮影も段取りが二転三転、上手や下手の客に対して密集して飛び跳ねたら怪我どころでは済まない舞台正面に寄れと言い出したり、怒号が飛び交ってすぐ撤回したり、出たがりの馬鹿というのは全く始末が悪い。
SUPER GIRLS は可愛くない娘は一人もおらず、歌も踊りも喋りもそこそこ出来る。
然しグループの冠を外すと何も残らない、悪い意味で「烏合の衆」。
これは人生を賭けるに足るものなのだろうか。
ハイタッチ待ちのハイエナの群れを横目に次の現場へ移動。
コラム置き場に
検閲は何の為に有るのか
をアップロード。
AKB48お抱えの「運営チーム」がやっていると思われる Google+ の検閲も、サイバエージェントが金貰ってやってるんじゃないかと思えるくらい低劣であることが解った。
AKB48の研究生であった愛迫みゆ(上遠野瑞穂)の所属するグループのフリーライブ。 予備知識は殆ど無しでの観覧。
会場はベルサール秋葉原の地下一階ホールの西側半分くらいに仮舞台を組んだ物。
オケも曲も衣装も少々安手ではあるものの、振りも揃っているし歌は安定した生声。 フォーメーションもそれなりに練られていて、どう読んで良いか分からないグループ名以外は貶すところも無く。
(※ちなみに「ラブリードール」と読む)
上遠野の愛迫みゆは、暫く見ぬ間に随分と派手な外見になってはいたが、顔の構成が比較的地味なので、それを補う意図が有ったのかもしれない。
客は目当てで来ている人ばかりでは無さそうで、煽っても反応が薄かったが、そこは深追いせず上手く捌いていた。 away 、重馬場に強そうなしたたかさ。 これも場数を踏んでついた度胸のなせる業であろう。
それなりに可愛らしく、それなりに楽しく、それなりに快適。 そこそこの幸せは確実に手に入る現場。
昼の部だけで済まそうと思っていたが、思いの外良かったので夜の部も観覧。
一寸早めに会場へ入ると、盛り上げ無理強い系歌姫が熱く暑く歌っていてたじろぐ。 こう言うのがどうも苦手で帰りたくなる。
『アキバ大好き祭』フリーライブで驚いたのは、ほぼタイムスケジュール通りに進行していたこと。 チケットの確認作業などが無いにしても、時間にルーズな業者が多いプレアイドル業界に於いては珍しい。
死に損ないの由比正雪みたいな総髪の老人が壊れた茶運び人形の如くクルクル回りながら踊っていたのが視界に入ったのが不快だったくらいで、それ以外に取り立てて不快なことも無く。
この「不快なことが無い」と言うのも稀有な事で、アイドルの現場には何かと不愉快なあれこれが付きまとう。
後篇もほぼ時間通り開演。 袖で円陣を組んで気合を入れてから舞台に出て来た一曲目。 予定と違うオケが流れてしまったのだけれど、すぐに気付いて止めさせる愛迫みゆ。
とりあへず誰目当てという訳でもなく、巨視的に観覧。
3:2になったり、2:3になったり、4:1になったり、はたまた2:1:2になったり、目まぐるしく組み替えるフォーメーション。 立ったりしゃがんだりして高低差もつけており、見ていて飽きない。
振り付けは歌詞と連動させる遣り方なのだけれど、振りの動きに語彙が少ないので一寸単調なのと説明的過ぎるのが瑕だが、頑張った仕事だとは思う。
夜は昼以上に、ざっと見てニ束から三束くらいの客が入り、これだけの客の前で演るのは初めてとのことで声も上擦り気味。 嬉しさと晴れがましさの入り混じった甘酸っぱい時間。
他の四人の漲るやる気が空回りしたり、段取りが飛びそうになったりする度に、愛迫みゆが手綱を引いて落ち着かせていた このあたりも良い仕事。
振り付け指導での一と齣、「右手をあげて~」との指示。 いつもの癖で左右に振っててしまう客がちらほら。
「高城れにさんになっちゃった」と、指導担当のメンバーも苦笑い。
告知では、細かい仕事ながらライブの予定が週末ごとに入っていた。 場数を踏ませる事の意味を送り手が分かっている。
持ち時間の15分は過ぎてしまっていたが、トリと言う事でお目こぼしがあったのか、もう一曲披露。 これは愛迫みゆの作詞とのこと。
生歌で且つパート割が細かく、5人それぞれに見せ場がある佳曲。 歌詞が一寸ベタなのだけれと、それもご愛敬。
愛迫みゆは、初期のAKB48で大島優子や折井あゆみが担っていた役回り。 仕切らなくても廻るようになれば、更に良くなると思う。
今日は思わぬ拾い物をした。 眼福。
外苑前の交差点から西通りを南へ少し下った路地裏にある「ときの忘れもの」と言うギャラリー。
ここに来たのは2012年6月、ドアノーとブレッソンを見に来て以来。
入って右の壁に1999年に撮影したもの、左の壁に2014年に撮影したもの。 どちらもベルリン。
1999年に撮影したものの内、入り口寄りの二枚が当時プリントしたもので、残りはすべて最近のプリント。
被写体との向き合い方、切り取り方に大きな変化はないと思うのだけれど、街の空気なのか撮影者の心持ちなのか、2014年に撮ったものの方が何というか写真が重い。
1999年のベルリンは街も荒れており、曇天なのだけれど、荒れたなり、曇天なりの軽さと明るさがある。
翻って2014年のベルリンは綺麗に出来上がっているもののつるりとした捉えろのどころの無さが、晴れた空にも重さがあり、夜の闇は深い。
私は2014年のベルリンの夜に惹き付けられた。
聳え立つビルの背後の夜空の、黒より黒い黒。 黒と灰色の間の色の黒寄りの部分と、ビルの放つ輝きの対比の妙。
一枚でも写真として成立する強さを持ちつつ、対比させても、纏めて見てもより面白い。
年々厳しくなる印画紙事情の中、今作り得る最良のプリントが目指されており、全体を見てもそれとは判りにくいのだけれど、細部に目を凝らすと秘術を尽くして焼かれているのが判る。
入念に仕上げられていつつ、「これみよがし」なところが無いのも良い。
プリンタで出力する写真も長足の進歩を遂げてはいるが、銀塩には銀塩の素晴らしさが矢張り有った。
# どん [↓にエタカの動作環境に関するFAQがあるので、見て下さい。 http://www.gamania.co.jp/faq..]
# メロン泥棒 [うちはGASHに登録下だけで、まだお金払ってないよ。]