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墨田ペトリ堂の身辺雜記 「二面楚歌」


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酒田へ行きたい
ザ・インタビューズ

投票などするな!

投票行為は君たちの人間性の否定なのだ。
投票を依頼してくる連中など無視せよ。
連中は諸君の敵だ、連中は権力を握りたがっている。
すべての政治家はそれが共和派であれ、王党派であれ、
共産党であれ、われわれの敵だ、
投票用紙を破り捨てろ、
投票箱をぶち壊せ、
候補者だけでなく、選挙管理委員たちの頭もなぐり割れ。


1933年11月 CNT(Cofederacion Nacional del Trabajo)の声明より


2000-01-09 [長年日記]

_ 例のごとく

昼頃起き出して昼飯。 冷蔵庫のクズ野菜とベーコンとチーズでリゾット・・・の様な物。 喰い終わってからつらつら時刻表を見ていたら17:06上野発黒磯行きに乗ればその日のうちに仙台に着ける事が判明。 時計を見ると15:46。 何だかめんどくさくなってひとっ風呂浴びてから適当に荷造りをして上野へ。 売店でチキンカツサンド、缶チューハイ、ジャワティ(瓶)締めて¥520-。

黒磯と福島で乗り換えだったのだけれど、それぞれ3分程しか時間が無く、宿泊場所の手配もへったくれも無いまま仙台着。 何とかナニやら取込み中のかみやんを捕まえて寝る場所は確保したものの、なにせ取込み中なので連絡が来る迄街の中をぶらぶらする事にした。

_ とりあへず

広瀬通りの吉野屋で並。 ¥400-。

住民の反対運動やら、一斉取り締まりやらでなくなるかとも思われたアーケードのギター小僧たちはどっこい生き残っていた。 一番町のフォーラスのあたりは国分町から流れてくる酔っ払いやヤンキーが多い所為かあまりいなくて、藤崎の前辺りから大町のアーケードに一番多いようだ。 しかしクリスロード→ハビナ名掛丁と駅に近づくにつれて人通りが減り、暗くなるにつれてギター弾きも減って行く。 やはり明るくて人通りも多い東二番丁から藤崎にかけての大町のアーケードが一番多く、50mおき位、つまりお互いの音が干渉しない程度の間隔を空けて陣取っている。

_ 多いのは

やはりゆずもどきのさわやか(風)青年で、オリジナルの物をやっていそうな奴はいなかった。 琵琶をかき鳴らして平家物語とか三上寛とかそこ迄は言わないから、せめて拓郎くらいやってほしいものだ。 同じ事を皆でやっていて楽しいのだろうか。 詰まらん。

客のいないやつらは淡々と、客・・・と言うかグルーピーみたいなのを抱えているやつらはそれをいじったりリクエストを聞いたりしながら、街灯の下で明るくさわやか(風)にやる者、暗がりで自分の世界に入る者、色々だった。 ・・・とここまで書いたところで道路向いにニット帽をかぶったにいちゃんがどっかと腰を下ろした。 何を始めるのかと思ったらブルースギター、歌無し。 なかなか上手いけど誰も立ち止まらない。 上手い下手と客の数は比例しない。

_ 日付けが

変わった頃から降り出した雨は段々強くなり、アーケードの屋根でパラパラ音を立てている。 気温も下がって来たようだ。 座っている奴より立ってギターを弾いている奴の方が多いのは寒いからなのかも知れない。 今日はいつもより厚着をして野宿対応で来ているのだけれど石の上に直に腰掛けていると流石にケツから冷えてくる。 寒いので少し動く事にして駅へ移動。

_ 東二番丁の

交差点で無気味なものを見た。 和服らしき物を身にまとい、紺色の風呂敷状のものを尼さんかぶりにした婆さんが、風呂敷包みを篭に満載した自転車をからころ押していた。 何故にからころ音がするのかと言えば後ろの車輪にはタイヤもチューブも何も無いからなのだけれど、これがまた夢野久作的でどうにも気味が悪かった。

_ 仙台駅の

構内は0:00〜4:00迄閉鎖。 西口地下自由通路は0:10〜5:25迄閉鎖。 只ひとつ解放されている駅からams西武への地下道には先住民の家屋が立ち並んでおり、香しい匂いが立ち篭めていて長時間そこにいるのはかなりきつい。 もと来た道を引き返して藤崎の前あたりで座っていたら漸く電話が入りかみやん邸へ。

_ 先ずは

ビールを呑み乍らリハビリ談義。

 「左手の親指の付け根の肉が欠落していてピント合わせがつらいんですよ」
 「だったら指立て伏せみたいに腕を立てて、人指し指と小指の間で円を描く様に親指を行ったり来たりさせるといですよ」
 「なるほろ」

 ・・・とそれから困ったちゃんの話から、写真展・写真の話だの音楽の話だのをぐたぐだと。
 このうちのCDラックはまた腐っていて、種ともこだの松岡英明だの岡村靖幸だの大江千里だの米米クラブだの千年コメッツ(一部笑、帝国陸軍の格好をして人魚の肉を喰らうと言う甘粕風味のプロモを作ったりしていた怪しいバンド)だの高校生のみぎりにはパチパチなんぞを買っていたのであろう事が良く判る偏り方で笑えた。 しかし私も「尾崎覚醒剤騒動」までパチパチを買っていたので人の事を笑ってばかりもいられない。
 そのあとは大学受験の話から高校の生徒会の話から遅刻の言い訳自慢とか大学祭の筋肉少女帯のコンサートでオーケンが例のごとく脱ぎ出した途端に来賓がなだれを打って帰って行った話とかダメな話をしつつ共産趣味だのなんだのネットの話になり、「二十一世紀まで江口◯史を愛せなかった水◯麻里」とか廃人しか判らない様な腐った話をしつつ私が出入りしてる怪しいサイトを色々と廻って・・・と言う事は掲示板の書き込みから私の裏稼業が思いきりバレて・・・ってな感じで盃を重ねつつビール2・、日本酒小瓶一本、うめ酒一本、ワイン小瓶一本が二人の胃袋に納まって行った。
 その間かみやんは「あぁ、この人だけは信用しちゃいけない・・・」とうわごとの様に繰り返していた。 何故だ(笑)
 しかしかみやんにはいきなり押し掛けた上にヤケ酒をつきあわせるような事になってしまって申し訳なかった。 自棄酒の原因は全く以て個人的な事であって、今年一発目の人生の破たんが翌日に迫っていたからであったのだけれど、そんな事をいちいち説明するのも野暮なので勝手に暴走して酔っ払って寝てしまって重ね重ね申し訳なかった。
 結局七時頃迄呑んでいたらしい。

 -今日のBGM-  ショパン 練習曲第3番ホ短調作品10の3(笑) 


「按ずるに筆は一本也、箸は二本也。 衆寡敵せずと知るべし」
斎藤緑雨


文責:墨田ペトリ堂
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