祐天寺のギャラリーカフェ的なお店で開かれている写真展へ。
フォトクロームは話せば長くなるがペトリカメラが製造を請け負い、すったもんだの挙げ句販売はされずにお蔵入りになり、何かの切っ掛けで世に出てしまった謎のカメラ。
販売されなかった専用のフィルムを使う構造上、当初の仕様では撮影できず、物好きが魔改造して撮影できるようにしてある。
ペトリカメラ盲目的耽溺期(ロゴの入ったシリカゲルすら集めていた)に買うか買うまいか悩んで、結局買わなかった曰く因縁のあるカメラ。
私には「撮る工夫」が思いつかなかった。
それを使えるようにしてしまったという事は、少なくとも私より業の深い道楽者であり、出来上がった写真も、矢張りどうかしていた。
突き抜けた道楽は面白い。
元々は大名刺判くらいの専用印画紙に直接カラー印画するものだったようだが、前述の通りブローニーであったり35mmであったり、フィルムを使えるようにしてある。
レンズは100mm/f4.5。 三枚玉らしく、アウトフォーカス部分は結構暴れる。
ここまで暴れるなら買っておくべきだったかもしれないなどと後悔もしつつ、もう暗室は閉めてしまったので後の祭り。
写りは矢張りペトリ。 カラーだと、ペンキを塗った部分、ビニール、雑草など、庶民の身の回りにあるようなものがそれらしい色で写り、モノクロだと力弱く柔らかい写り。 締まった黒を出しているプリントも有ったが、焼きで苦労したのではないか。
ギャラリーカフェなのでコーヒーを一杯いただいていたら、旧知のカメラ仲間が入ってきた。 常連らしい。
どうかしているカメラを使ったどうかしている写真展だったが、常連もどうかしていたので安心した。
また伺いたい。
衛藤美彩の乃木坂46加入以前の活動がこの写真集で現在に繋がり、肯定された。
私の好みからは外れるが、衛藤美彩にとっては意味のある仕事であったと思う。
「写真集としての見せ場として水着もあります」的な乃木坂メンバーの写真集にありがちな取って付けたようなものではなく、水着やそれに類するものを纏ったカットふんだんに有り、「そこから先」も有るのだけれど、その前後にも紙幅を割いているので唐突さは無い。
ミスマガジン時代からの積み重ねもあり、衣装の布面積の多寡で表情がブレないのは流石。 美点を強調して粗は隠す身のこなしも見事。
ただそれはカメラに対して常に一寸構えているからでもあり、正体を現さないしたたかさには感嘆しつつも、演出の入った「見せるための表情」が多い物足りなさも感じる。
これは求められる自分を演じた衛藤美彩の責任ではなく、「講談社的、あまりに講談社的」な写真集としての構成上の問題ではあると思う。
次があるとしたら、予め作った物語に当て填めて作る「講談社的な文法」からは外れた、衛藤美彩そのものを撮った写真集が見たい。