Beobachterは矢張り出入りしており、掲示板の些細な言辞に過敏に反応して恫喝めいた書き込みを残して行った。 NaziのEpigonenとしての彼等の言動はまさに教科書通りで非常に判りやすいのだけれど、素朴且つ情緒的で有り過ぎて現代社会に於ては大きな広がりを持ち得ない為現代に於けるファシズムの実践例とはなり得ず、従って私の好奇心をも刺激し得ない。
来る者は拒まない主義なので書き込まれた雑言に対してもそれなりに応対はするけれど、もはや積極的に関わる気になれないのはその為でも有る。
※なんだか判らない単語が有ると思いますが独和辞典でも調べて下さい。
普通は来た方が良いんでしょうけど、私は無い方が良い。 目線が来ているって事は、被写体の意識がこちらに向いている事になり、間接的に自分が写ってしまいます。 私の理想は「撮影者は透明でありたい」って事なので顔がこちらを向いていても目線は外れている方が良いのです。 しかし「私以外のどこかを見て下さい」と言うと大抵のモデルさんは困惑してしまいますね(苦笑)
何に納められてるんでしょう?読みたい・・・。
コンビニなんかだとポスレジのお蔭ですぐ切られてしまうような商品も、近所の酒屋だと暫らく置いてくれるので、ジュース類も極力近所の酒屋を利用している。
ウーロン茶はいろいろ新商品が出ても伊藤園が一番旨いように思うし、UCCのメロンクリームソーダも疲れているときには見ると買ってしまう。
最近好んで買っているのが表題のバニラコカコーラ。 多分あまり売れていないんだと思うが、アイスクリームを買わなくてもコーラフロートの味が楽しめてコップも汚れないのが嬉しい。 ペプシのツイスターと共に、幼少のみぎりに喫茶店で飲んだコーラの味に近いように思う。
今やっている仕事も、そう長く続けられるような物ではないので、潰しが利くうちに商売替えしたいのだけれど、さしあたって何か資格が有る訳でもなく、それどころか優しくないから生きていく資格が無いくらいで、どうにもしょうがない。 世の中、先に死んだ者勝ちかもしれない。
街の中にファーストフードのチェーン店が無いので、コンビニ飯にするか、朝からやっている地元の店で食うかって事になる。 折角酒田まで来たのなら是非地元の店に行っていただきたい。 私も地元民ではないので、知っている店は限られているが、その中から2、3挙げてみる。
喫茶「ケルン」
ト一屋中町店の並び。 朝7時からやっている。 モーニングは3種で、トースト600円、チーズトースト700円、サンドウィッチ750円。 コーヒー単品だと400円。 アイリッシュコーヒーなど、他にもいろいろ有る。 椅子やテーブルも良い味。
「海鮮どんや とびしま」
飛島への定期船発着所の横に出来た「さかた海鮮市場」の2階にある食堂。 朝7時から9時半までが朝の営業、昼は11時から6時まで。 ・・・だと思っていたのだけれど、リンク先には営業時間:AM7:00〜PM6:00なんて書いてある。
「五郎兵衛食堂」
清水屋のはす向かい。 7時からやっている。 定食は丼飯と味噌汁、漬物、焼き魚、納豆or卵で500円。 他にも色々メニューは有るにはある。 絵に描いたような大衆食堂なので、それが厭な人にはお薦めしない。 そう言うのが好きな人には堪らない店。
仕事中に眩暈がしたと思ったら地震。 (しかし、「ぢしん」ではなく「じしん」と入力しないと地震に変換されないのはどうかと思う。)
終業間際に立て続けに揺れたので、その都度見回りをしなければならず、予定より遅くなってしまった。
間に合わないの目に見えていたが、どうだったかだけでも聞く為に市ヶ谷と言うか四ツ谷と言うか、とにかくそっち方面へ。
最寄駅から電話しても誰も出ず、市ヶ谷に着いてから電話しても誰も出ず、とうとうライブインマジックに到着。
とりあへず、上のチャクチャクに入って見ると、客で埋まっていると思っていた店内はがらがら。
「まだ着いていないんだよ。」と牧田社長。 SHIPのメンバーと引率のプロデューサーS氏は途中で止った新幹線に缶詰めにされているらしいが、どうも山間部かトンネルの中らしく、電話も通じないようだ。
下ではpinkishがなんとか繋いでいるとの事。 とりあへずビールを頼んでテレビで地震のニュースを見る。
南の空からチヌークが飛んできて防衛庁の屋上ヘリポートに暫らく停まって、誰かピックアップしたのか、北へ飛んでいった。
地上では黒塗りが出たり入ったり。 背広が吸い込まれていく。
始発で都内某所へ移動。 昼過ぎまでひたすら寝る。
# アイライフ [皆さんが待っててくれたと聞いたときジワッと来ちゃいました。 凄い人たちですね。]
ジリオラ・チンクェッティとエディット・ピアフでうじうじだらだらごろごろする。
昼前に起き出してカップ麺を食らう。
月一回開催される謎の寄席「倉庫の二階」の10月の会を観に行ってきた。出演は立川らくB(快楽亭ブラ汁改メ)、立川談大、立川千弗、立川キウイ。
「強情灸」キウイ
「転失気」らくB
「饅頭こわい」千弗
<中入り>
「牛ほめ」談大
「フリートーク」キウイ、千弗、らくB、談大
談大さんは上手い。キウイさんは良くウケる。千弗さんは佇まいが素晴らしい。らくBさんの子供はイヤミが無くて良い。
入り今一つ。お席亭のやる気が持続するように願う。
# Dwightsa [cialis prescription drug <a href=http://www.rwuk.org/?pro..]
ここ二日ばかり、戸島の事を考えていた。 まぁ、いろいろありまして。
そんな訳で「私にとって、戸島花とは何だったのか」、その辺りを振り返ってみることにした。
最初に戸島に関する記述が現われるのは、2006年の4/9の
AKB48(Aチーム)を忠臣蔵に例えると
だった。
この頃は大江と戸島が棒組で「おーとじ」と称していた。
忠臣蔵が判らないと何が何やらサッパリだとは思うが、あの頃はこう言う事を考える余裕があった。
次に戸島に関する記述が出てくるのは、2006年の5/28の
AKB48 Aチーム昼公演。
さらっと触れただけだが、触れようにも見せ場らしい見せ場が無かった。
2006年、6/16の
AKB48 チームA公演
この間に「Aチーム」から「チームA」に呼称が変わっている。 こまごまと感想を書き始めたのは、この頃からだったようだ。
戸島のアルカイックスマイルなんて書いてある。
2006年、6/22.
DVDを借りて見る
初期「クラスメイト」に言及。
あの頃は休んでも歌入りオケがそのまま流れていたので、戸島が休んだ回に初めてあのパートを戸島が歌っていたことに友人が気付き、それから戸島の歌に聞き耳を立てるようになった。
2006年、6/24.
AKB48 チームA公演
「未来の扉」が終ってから「AKB48」のイントロでジャケットを脱ぎ損ねた事が。
ここは星野の隠れた見せ場で、脱ぎ損ねてバツの悪そうな顔をするのを楽しみにしていた。
2006年、6/27に忠臣蔵に続いてのネタ企画
AKB48 チームAを航空機に例えると
こう言うのを考えるのが好きなんですが、最近はそんな余裕も無いし、メンバーが増え過ぎて個々人に対する印象が相対的に希薄に成って来ていて、ネタも浮かばない。
2006年、7/12.
AKB48 チームA公演
この日は戸島の誕生日企画の日だったのだけれど、「涙の湘南」が渡邊から小嶋に差し替えられた日でもあった。
この日初めて、戸島の涙を見た。
2006年、7/23
AKB48 花やしきツアー
バスの中で戸島にお菓子を貰ったのを思い出した。
2006年、8/1
AKB48 チームA公演
戸島は浴衣の着こなしが上手かった。
2006年、8/2
AKB48 チームA公演
「アンコール…無しヨ!未遂事件」の日。
いつもと違って明らかに舞台の上の様子がおかしいのに、いつも通り陽気に盛り上がっている客席が気持ち悪くて、いつも以上に醒めた気分で公演を観ていたのを思い出す。
浴衣の戸島は、こまめに襟元や髪を直し、着崩さないように抑制した動きで踊りつつ、指先で柔らかくアクセントを付けていた。
この指先の動きが艶っぽくて、内心ドキドキしながら平静を装うのに苦労したのも、今では遠い想い出。
2006年、8/9
AKB48 チームA公演
私的千秋楽。
戸島が「業の深いヲタエピソード」を暴露されたと書いてあるが、肝心の内容が書いてない。 何をやっておるのか、私は。
2006年、8/21
AKB48 チームA夜公演
「誰かのために」公演二日目。
僞和風の曲で始まるのがそもそも不快だったし、相変わらず戸島は冷蔵庫の残り物で作ったごった煮みたいなユニットに放り込まれっぱなしで、どうにも楽しめる部分が少ない上に客が殺到してチケットが買い辛くて、相変わらずチームAとは縁の薄い日々が続く。
2006年、8/23
AKB48 チームA夜公演
他の人の話を聞いている時の戸島に言及。
感情を抑制しきれずに破綻した時の戸島は、実に良い表情だった。
戸島の出ていた「ライダー」について。
遠くない未来の「さようなら」を思いながら聴く。
と書いてある。
2006年、8/25
戸島の美意識
意地でも引っ込まないで直すってのが気に入った。
秋元だと、早めに見切りをつけて引き千切って投げ捨てている(そして小林が拾う)だろうと思う。
今晩はとりあへずここまで。
お誘いいただいたので行ってみた。
会場のアストロホールは、明治通り沿い、舶来廉価衣料品店の向かいにあって、シャレオツ善男善女やオノボリ婦女子ばかりの一角に、場違いな「むくつけきおのこ」の集団。
整理番号順に入場なのだけれど、入場待機列は横の路地にあり、危うく入場し損ねるところだった。
それ以外は目立ったスタッフの不手際などはなく。
入場してみるとかなりの詰め込みっぷり。 縦長で前後の高低差はあまり無いハコなので、最後の方で入った人々は碌に見えなかったろうと思う。
馬鹿の一つ憶えで何でもMIXな客は少な目。 ぴょんぴょん跳ねる馬鹿も多少は居たが、のべつ跳んでる訳でもなかったので許容範囲。 客での不快な出来事は関係者エリアで喋りながら見ている頭の悪いライターが居た事くらい。
新しい曲が何曲かお披露目になっていたが、その中に「キラピュアパワー」(正式表記不明)なるものが。 客席のどよめきが少なかったことから見て、そっち方面からの流入は少ないと見た。
「mini LIVE」と銘打たれていたが、持ち歌がまだ少ない事も有ってか、ダラダラと喋る部分が多かったのが気になったが、全体としては楽しく。
振り付けもフォーメーションも無駄に高度化しておらず、楽しげに歌い踊るさまを見る側も楽しめる。 これがアイドルの楽しさなのではないかと思う。
高度な動きを否定はしないし、楽しそうに演っているももいろクローバーなどは観ていても楽しい。 しかし目を三角にして演ってるのを観ても、私は楽しめない。 AKB48を含めてそんなのが増えすぎた。
私の耳に引っ掛かる曲はほとんど無かったが、Dreamの「Heart on Wave」みたいな曲がツボに嵌った。 シンセで始まり、泣きのギターが入ってピアノが絡まるあのままの作り。
長谷部優を12人集めて作ったDreamのような感じで、「なんでこの娘入れたんだろう?」と思うような毛色の変わったのは居らず、私には物足りなくあったが、万人向けではある。
一緒に観ていた友人がこのグループの良さとして「地下擦れしていない」ことを挙げていたが、スタッフが業界人前としている割にやっている事は牧歌的で、入れ込まずに付き合うなら楽しく過ごせるのではないかと思った。
予定調和のアンコールは無し。 最後の曲の後で挨拶をして終演。
只でさえ狭い階段に花なんざ置いたものだから通れる幅が2/3くらいになってしまっていて、終演後は将棋倒し寸前の混乱。 その中を掻き分けて出て行ったのは、AKB48でも札付きの客だった。 ここでも悪貨は良貨を駆逐するのだろうか。
# unkaputtbar [アンコールはあった気がします。アンコールの後で『夢の引力』をもう一度やった記憶があるのですが……]
広尾の駅から少し歩いたところにあるギャラリーで開かれた写真展。企画意図などは こちら で見て頂くとして。
作品の販売を伴う写真展でありつつ、ギャラリーの人がにじり寄って来て営業を掛けられたりすることも無く、落ち着いて観る事が出来る。
作家によって陳列の仕方はさまざまで、ぎっちり並べられてしまうと光の加減で見づらいことも有ったが、私の見たかった写真家の作品はゆとりを持って並べられていたのでじっくり見ることが出来た。
ぎっちり並んでも概ね見やすいのは、展示する側が写真の見方・見え方を知っているからだと思う。 以前、世田谷美術館で見たフェリックス・ティオリエ展がそうだったのだけれど、絵画を専門にするところだと、乳剤面のてかりを勘案せずに光を直に当ててしまうことがあって、こうなると実に見づらい。
私の好みの写真も、そうでない写真も取り混ぜてあったのだけれど、こうして買おうと思えば買う事も出来て、それでいて押し付けがましくないと言うのは珍しく、有り難い。
写真には(きちんとプリントされた写真には)印刷では伝わらない微細な情報が詰まっている。 写真展で良く出来た図録を買う事が出来ても、どうしてもオリジナルプリントには劣る。
付いた値段は決して安くは無いが不当に高くもなく、その写真が好きで堪らなければ私のようなルンプロでも手の出せる価格。
こうして写真を買う事によって、部屋を片付ける動機付けになるのではないか、そんな気もした。
ハービー山口の家族らしき人々を逆光で撮った写真、小林幹幸のボートを漕ぐ少女の写真、この二枚が悩ましかった。
2時過ぎから「ファインアート及び現代アートとしての写真 または作品紹介」と言うお題でギャラリートーク。 小林 幹幸、北島 明、ハービー・山口、福川芳郎(ブリッツギャラリー)、鶴田 直樹(途中から)、豪華な面子。
福川氏による現代アート業界のはじまりと発展、現代アートの表現手段としての写真の導入などのレクチュアから始まり、それにまつわる話やそうでもない話が文字通り談論風発。
2時間余に渡って続いた中で印象に残ったのは
「一番大事なのは胸にギュッときたもの」
「コンセプト勝負だと、頭でっかちなディベート写真になりがち」
「コンセプトを隠れ蓑にして自分を見せない人が居る」
「目と心と頭のバランスが大切」「心で感じたものをどう伝えるか(頭で)考える」
結論としてこうなった訳ではなく、私の心に響いたのがこうした言葉たちであったということ。
写真を生業として選んだ先輩たちが仕事としての写真に飲み込まれて作品を撮らなく(撮れなく)なって行ったさまを目の当たりにしたり、そしてそこまでのめり込めなかったり、技術も無かったり、様々な要因で道楽として写真を続けることを私は選んだのだけれど、やりようによってはこうして「工芸」ではなく「美術」としての作品を作ることが出来ると言う事を見せてもらえたのが一番の収穫だったかもしれない。
渋谷と恵比寿の間の明治通り沿い、どちらの駅から歩いてもほぼ等距離だが、人混みを避けられる分恵比寿からの方が歩きやすいかもしれない。
バス停は都バスの渋谷車庫もしくは東二丁目が最寄になる。
入ってすぐ右側の壁にはインスタックス(所謂「チェキ」)で構成されたインスタレーションを額装したもの、右奥には大キャビネくらいの大きさのプリントを厚手のアクリル板に貼り付けたもの、左と正面の壁に全紙くらいのプリントが11枚、さらに大きなものが2枚。
アパートと思しき室内で撮った物が中心で、ほぼ水着(下着)で一部着衣。
仕事着として割り切れているからか、衣装によっての感情の揺らぎは感じられず、柔らかい表情でカメラと向き合えている。
所謂「グラビアポーズ」ではなく、撮り撮られる中で出来た形になっており、自然ではないが不自然でもない。
大きな写真はプリントも柔らかめで、しっとりした湿度を感じさせるものの、じめじめはしていない匙加減の妙。
薄暗いこともあって絞りは開け気味、深度も浅めなので一寸逃げてしまっているものもあったが、表情を採ってそれを生かしたであろう物以外はかなり厳密。 それでいて凝り固まった感じもしない。
これはモデルの感の良さもあり、撮る側・撮られる側の呼吸が合っているからでもあったと思う。
アクリル板に貼られた小品。 プリントそのものは綺麗なのだけれど、大判のものに比べると明らかに焼きが硬い。
プリントが小さくなると、より硬く見えがちではあり、実際硬く焼けてしまったりもするのだけれど、画竜点睛を欠く感。
今回の写真展は写真集との連動企画ではなく、写真展単体で行われているのだけれど、その分出版には適さない形態でのプリントもあり、その点に於いても面白い。
私のようなルンプロには手の出にくい値付けではあるが、プリントと写真の質から考えると妥当な価格。
写真と言うものは印刷すると情報量がかなり減殺されてしまうので、「プリントで所有する」ことには大きな意味がある。
写真にしても絵にしても、一と目で見渡せる大きさを超えると印象が変わる。 然程多くない出品点数でも物足りなさを感じなかったのは、写真の質もさることながらその辺りも影響していると思われる。
会期中にもう一度見に行きたい。
risa-mono-chrome+ 吉木りさ×松田忠雄
会場:tokyo arts gallery
会期:10月19日(土)- 10月27日(日)
# Dwightsa [cialis 100 <a href=http://dstvmediasales.com/sitemap.php?..]
飯田橋の ii-BRIDGE で開催中の写真集を見せる写真展へ。
フォトテクニックデジタル主催の「私的写真集選手権」の入賞作品と応募作の全てを展示。
ii-BRIDGE の入り口はガラス面積が大きくで開放的。
扉は常に開け放たれており、中で楽しそう何かが行われている事は伝わってきて、入らないまでも足を止めてゆく通行人も見られた。
入賞した出品者は写真集からの選り抜き的にパネルで1枚から2枚展示し、その下に写真集が置かれている。
観覧者はそれを順繰りに手に取って見る。
大き目の机に椅子が4脚設えられており、そこに座って見ることも出来る。
入賞作品以外は、入り口に近いところの机の上に纏めて並べられていた。
しっかりと製本したものから冊子状のもの、果てはリングで纏めただけのものまで装丁は様々。
応募作品の全てを見られると言うのは面白い。
写真だけで押して行くものと、キャプションを入れるものとあったが、文字が目に引っ掛かると言うか、流れて行かずに文字が言葉として残る写真集は、フォント選びにも心を砕いていた。
入賞作品には流石に無かったが創英角ポップ体を安易に使っている写真集は、総じて陳腐なものだった。
どこまで凝った装丁にするかと言う事と、写真集として心を動かされるかどうかは別なのだけれど、入賞したものは少なくとも人に見せることを前提とした体裁にはなっていた。
入賞していない作品の中では、前述のリングで纏めただけのものであったり、悪い意味で「なんだこりゃ」なものも無くはなかったが、とりあへず自分の撮った写真を写真集と言う形にして人に見せようとする強い意志のようなものは篭められていた。
それに中てられてしまって思いの外消耗したのだけれど、良い意味で「これは!!!」と思うものと悪い意味で「これは…」と思うものと両方見ることによって、自分にとって良い写真集とはどんなものか、朧気乍ら掴めて来た。
・ページが繰りやすいこと
・判型と割り付けに意味があり、変化が有ること
・写真の順序や配置に意味があり、物語が感じられること
この辺りを満たしていると、写真そのものの好悪はさておき、写真集には入って行ける。
印象に残った物をいくつか。
「未完成組曲」
A4を横に使っており、見開きで使うとパノラマ的な構図になる。
それを要所々々で生かしつつ、変化に富んだ割り付けで飽きさせない。
カラーで始まり、モノクロが挟まってカラーに戻る構成も良かった。
「きみ と ぼく」
A5くらいの冊子に、写真は敢えて小さく手札判程度に小さく入れて、余白を多くしてある。
頁の下半分が余白。 この余白が利いている。
「fragile」
B5くらいの冊子なのだけれど、こちらもスクエアフォーマットの写真をページ中央に置いて、上下に余白を取っている。
「泡沫えれじい」
河川敷に暮らす猫の暮らしの記録。
街の野良よりも生活環境は厳しいらしく、痩せていて尖った顔付き。
蛇や鼠、昆虫などを狩る姿から塒で寛ぐ姿までを腰を据えて撮っていて、切なくも美しく、愛らしくて力強い。
「メッセージ」
卒業式の一日を追った冊子。
ピントが甘かったり、写真としては粗も多いのだけれど、上手過ぎないところに生々しさが有る。
この技巧に頼らない写真として強さが、入賞に繋がったのだと思う。
「カヤメンタリー 4」
展示されている写真集には撮影者が被写体の一人として 写り込んでいるものから影も見せないものまで様々あったが、この写真集は撮影者と被写体の関係性の上に成り立っていつつも、撮影者が透明であるのが良い。
時間を掛けて撮る事の出来る状況では無い事が分かる繁華街や店の中でのカットも、仕草や表情だけでなく、背景も含めてきっちり切り取れているおり、流してページを繰っても面白いが、一枚々々をつぶさに見ていくと、見る度に発見がある。
「鳥の歌」
入賞作以外では、これが印象に残った。
モデルの女性が雨の降りしきる中、濡れ鼠になって行く様を追った連作が面白い。
写真集を見る写真展とあって、私を含め長逗留してじっくり見ていく向きが多かったように思う。
二時過ぎに見始めて、気が付いたら夕方。
こってりと濃い写真展であった。
フォトテクニックデジタルのサイトを見たところ、編集部からのお知らせの中に写真展「私的写真集選手権」Vol.4開催 パネル展示・参加者募集と言うものがあり、これを読むとパネルとともに展示されていたのは入賞作品と言う訳ではなく、有料でこの展示方法も選択できたと言う事らしい。
入賞作品との違いは、どうなっているのか分からなかった。
写真の配置が文法に則ったもので固まってしたまっているものが散見されて、そこは惜しかった。
印刷の都合もあるとは思うが、判型と割り付けまで含めて考えていない写真集は、アルバムの域を出ていなかった。
# Intoxica [『小栗虫太郎ワンダーランド』(紀田順一郎責任編集、沖積舎・刊)です。12年前の小冊子なのに今見たらBK1でもAmaz..]