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墨田ペトリ堂の身辺雜記 「二面楚歌」


ペトリあんてな
二面楚歌 断章
二面楚歌 グラビアレビュー備忘録
寒空文庫(仮)
写真日記二面楚歌 隠居所
petri's fotolife
酒田へ行きたい
ザ・インタビューズ

投票などするな!

投票行為は君たちの人間性の否定なのだ。
投票を依頼してくる連中など無視せよ。
連中は諸君の敵だ、連中は権力を握りたがっている。
すべての政治家はそれが共和派であれ、王党派であれ、
共産党であれ、われわれの敵だ、
投票用紙を破り捨てろ、
投票箱をぶち壊せ、
候補者だけでなく、選挙管理委員たちの頭もなぐり割れ。


1933年11月 CNT(Cofederacion Nacional del Trabajo)の声明より


2011-10-23 「よかったさがし」 [長年日記]

_ 月刊ヤングチャンピオン烈 2011 No.11

ぱすぽ☆
表紙と巻頭グラビア7ページ33カット、撮影は細居幸次郎。 クリアファイルがオマケで付く。
集合で始まり、個別3カットずつを並べて集合で〆る流れ。
秋田書店の雑誌に載るグラビアは、総じて色がおかしい。 友人曰く「エアブラシで描いたリアル風なイラストっぽい」こってりした肌の色。
秋田書店は無理にグラビアを載せないほうが良いのではないか。 大川定男が撮っていた頃からこんな感じは有って、それは大川定男の撮り方の問題だと思っていたのだけれど、問題の根はもっと深いところにありそうだ。 出版社としての美意識が歪んでいる。

載せた事で雑誌が売れ、載った事で名が売れる互恵の関係が理想なのだけれど、これだけ不細工に撮られてしまうと載った側の利益は限りなく少なく、寧ろダメージキャンペーンに近い。( パリまで行くのを厭わなかった友人も、これを買うのは躊躇したらしい。)
担当色の水着とパーカーを揃いでと言うのも短絡的で芸が無い。 パーカーはともかく、体形もバラバラな10人に同じ水着と言うのも無理が有るし、ぱすぽ☆の売りである十人十色の個性も生きてこない。
予算の制約はあると思うが、通底しつつも個性に合わせた差異のある衣装を用意して然るべき。 予算もノウハウも少ないのかもしれないが、そもそも工夫が足りない。
こうして見るといつも貶してばかりいるような気がする米村弘光であるが、こと「個性に合わせた差異」に関した工夫に関しては格が違う。 爪の垢を煎じて飲んで頂きたい。

辛うじて「らしさ」の出た写真は増井みおの個別3カットと玉井杏奈の個別中央くらい。
逆光で撮ったり木陰に入れたり、細居幸次郎も出来る工夫はしているが、ド真昼間の浜辺と言うロケーションは如何ともし難く、表情は眩しげな凶相であり、水に入ったんだか潮風の所為なのか汗だくなんだか、髪はベッタベタのボッサボサ、のっけから落ち武者の集合写真のようなのが載っていて驚き、呆れ、泣いた。
カメラマンの仕事以外の部分が酷過ぎてどうにもならない。

こんな事なら竹中とクルーで相談して衣装とロケ地を探させてやった方が良かった。

頑張って「よかったさがし」をしてみたが、無駄骨であった。 敢えて褒めるとなると、パーカーでの集合のカットが人気順の並びではなく、色相にあわせたものであった事くらい。 今年見た中でも最低のグラビア。

_ 更新情報

コラム置き場にコラム未満の戯れ文

AKB48 旧チームAで綴る昭和史

をアップロード。

_ インフィニティ2写真展

広尾の駅から少し歩いたところにあるギャラリーで開かれた写真展。企画意図などは こちら で見て頂くとして。
作品の販売を伴う写真展でありつつ、ギャラリーの人がにじり寄って来て営業を掛けられたりすることも無く、落ち着いて観る事が出来る。
作家によって陳列の仕方はさまざまで、ぎっちり並べられてしまうと光の加減で見づらいことも有ったが、私の見たかった写真家の作品はゆとりを持って並べられていたのでじっくり見ることが出来た。
ぎっちり並んでも概ね見やすいのは、展示する側が写真の見方・見え方を知っているからだと思う。 以前、世田谷美術館で見たフェリックス・ティオリエ展がそうだったのだけれど、絵画を専門にするところだと、乳剤面のてかりを勘案せずに光を直に当ててしまうことがあって、こうなると実に見づらい。

私の好みの写真も、そうでない写真も取り混ぜてあったのだけれど、こうして買おうと思えば買う事も出来て、それでいて押し付けがましくないと言うのは珍しく、有り難い。
写真には(きちんとプリントされた写真には)印刷では伝わらない微細な情報が詰まっている。 写真展で良く出来た図録を買う事が出来ても、どうしてもオリジナルプリントには劣る。
付いた値段は決して安くは無いが不当に高くもなく、その写真が好きで堪らなければ私のようなルンプロでも手の出せる価格。
こうして写真を買う事によって、部屋を片付ける動機付けになるのではないか、そんな気もした。
ハービー山口の家族らしき人々を逆光で撮った写真、小林幹幸のボートを漕ぐ少女の写真、この二枚が悩ましかった。

2時過ぎから「ファインアート及び現代アートとしての写真 または作品紹介」と言うお題でギャラリートーク。 小林 幹幸、北島 明、ハービー・山口、福川芳郎(ブリッツギャラリー)、鶴田 直樹(途中から)、豪華な面子。
福川氏による現代アート業界のはじまりと発展、現代アートの表現手段としての写真の導入などのレクチュアから始まり、それにまつわる話やそうでもない話が文字通り談論風発。
2時間余に渡って続いた中で印象に残ったのは
「一番大事なのは胸にギュッときたもの」
「コンセプト勝負だと、頭でっかちなディベート写真になりがち」
「コンセプトを隠れ蓑にして自分を見せない人が居る」
「目と心と頭のバランスが大切」「心で感じたものをどう伝えるか(頭で)考える」
結論としてこうなった訳ではなく、私の心に響いたのがこうした言葉たちであったということ。

写真を生業として選んだ先輩たちが仕事としての写真に飲み込まれて作品を撮らなく(撮れなく)なって行ったさまを目の当たりにしたり、そしてそこまでのめり込めなかったり、技術も無かったり、様々な要因で道楽として写真を続けることを私は選んだのだけれど、やりようによってはこうして「工芸」ではなく「美術」としての作品を作ることが出来ると言う事を見せてもらえたのが一番の収穫だったかもしれない。



「按ずるに筆は一本也、箸は二本也。 衆寡敵せずと知るべし」
斎藤緑雨


文責:墨田ペトリ堂
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