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墨田ペトリ堂の身辺雜記 「二面楚歌」


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投票などするな!

投票行為は君たちの人間性の否定なのだ。
投票を依頼してくる連中など無視せよ。
連中は諸君の敵だ、連中は権力を握りたがっている。
すべての政治家はそれが共和派であれ、王党派であれ、
共産党であれ、われわれの敵だ、
投票用紙を破り捨てろ、
投票箱をぶち壊せ、
候補者だけでなく、選挙管理委員たちの頭もなぐり割れ。


1933年11月 CNT(Cofederacion Nacional del Trabajo)の声明より


2008-10-23 振り返る木曜 [長年日記]

_ 戸島花をどう書いてきたか その1

ここ二日ばかり、戸島の事を考えていた。 まぁ、いろいろありまして。
そんな訳で「私にとって、戸島花とは何だったのか」、その辺りを振り返ってみることにした。

最初に戸島に関する記述が現われるのは、2006年の4/9の
AKB48(Aチーム)を忠臣蔵に例えると
だった。
この頃は大江と戸島が棒組で「おーとじ」と称していた。
忠臣蔵が判らないと何が何やらサッパリだとは思うが、あの頃はこう言う事を考える余裕があった。

次に戸島に関する記述が出てくるのは、2006年の5/28の
AKB48 Aチーム昼公演
さらっと触れただけだが、触れようにも見せ場らしい見せ場が無かった。

2006年、6/16の
AKB48 チームA公演
この間に「Aチーム」から「チームA」に呼称が変わっている。 こまごまと感想を書き始めたのは、この頃からだったようだ。
戸島のアルカイックスマイルなんて書いてある。

2006年、6/22.
DVDを借りて見る
初期「クラスメイト」に言及。
あの頃は休んでも歌入りオケがそのまま流れていたので、戸島が休んだ回に初めてあのパートを戸島が歌っていたことに友人が気付き、それから戸島の歌に聞き耳を立てるようになった。

2006年、6/24.
AKB48 チームA公演
「未来の扉」が終ってから「AKB48」のイントロでジャケットを脱ぎ損ねた事が。
ここは星野の隠れた見せ場で、脱ぎ損ねてバツの悪そうな顔をするのを楽しみにしていた。

2006年、6/27に忠臣蔵に続いてのネタ企画
AKB48 チームAを航空機に例えると
こう言うのを考えるのが好きなんですが、最近はそんな余裕も無いし、メンバーが増え過ぎて個々人に対する印象が相対的に希薄に成って来ていて、ネタも浮かばない。

2006年、7/12.
AKB48 チームA公演
この日は戸島の誕生日企画の日だったのだけれど、「涙の湘南」が渡邊から小嶋に差し替えられた日でもあった。
この日初めて、戸島の涙を見た。

2006年、7/23
AKB48 花やしきツアー
バスの中で戸島にお菓子を貰ったのを思い出した。

2006年、8/1
AKB48 チームA公演
戸島は浴衣の着こなしが上手かった。

2006年、8/2
AKB48 チームA公演
「アンコール…無しヨ!未遂事件」の日。
いつもと違って明らかに舞台の上の様子がおかしいのに、いつも通り陽気に盛り上がっている客席が気持ち悪くて、いつも以上に醒めた気分で公演を観ていたのを思い出す。
浴衣の戸島は、こまめに襟元や髪を直し、着崩さないように抑制した動きで踊りつつ、指先で柔らかくアクセントを付けていた。
この指先の動きが艶っぽくて、内心ドキドキしながら平静を装うのに苦労したのも、今では遠い想い出。

2006年、8/9
AKB48 チームA公演
私的千秋楽。
戸島が「業の深いヲタエピソード」を暴露されたと書いてあるが、肝心の内容が書いてない。 何をやっておるのか、私は。

2006年、8/21
AKB48 チームA夜公演
「誰かのために」公演二日目。
僞和風の曲で始まるのがそもそも不快だったし、相変わらず戸島は冷蔵庫の残り物で作ったごった煮みたいなユニットに放り込まれっぱなしで、どうにも楽しめる部分が少ない上に客が殺到してチケットが買い辛くて、相変わらずチームAとは縁の薄い日々が続く。

2006年、8/23
AKB48 チームA夜公演
他の人の話を聞いている時の戸島に言及。
感情を抑制しきれずに破綻した時の戸島は、実に良い表情だった。
戸島の出ていた「ライダー」について。
遠くない未来の「さようなら」を思いながら聴く。
と書いてある。

2006年、8/25
戸島の美意識
意地でも引っ込まないで直すってのが気に入った。
秋元だと、早めに見切りをつけて引き千切って投げ捨てている(そして小林が拾う)だろうと思う。

今晩はとりあへずここまで。



「按ずるに筆は一本也、箸は二本也。 衆寡敵せずと知るべし」
斎藤緑雨


文責:墨田ペトリ堂
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