飯田橋の ii-BRIDGE で開催中の写真集を見せる写真展へ。
フォトテクニックデジタル主催の「私的写真集選手権」の入賞作品と応募作の全てを展示。
ii-BRIDGE の入り口はガラス面積が大きくで開放的。
扉は常に開け放たれており、中で楽しそう何かが行われている事は伝わってきて、入らないまでも足を止めてゆく通行人も見られた。
入賞した出品者は写真集からの選り抜き的にパネルで1枚から2枚展示し、その下に写真集が置かれている。
観覧者はそれを順繰りに手に取って見る。
大き目の机に椅子が4脚設えられており、そこに座って見ることも出来る。
入賞作品以外は、入り口に近いところの机の上に纏めて並べられていた。
しっかりと製本したものから冊子状のもの、果てはリングで纏めただけのものまで装丁は様々。
応募作品の全てを見られると言うのは面白い。
写真だけで押して行くものと、キャプションを入れるものとあったが、文字が目に引っ掛かると言うか、流れて行かずに文字が言葉として残る写真集は、フォント選びにも心を砕いていた。
入賞作品には流石に無かったが創英角ポップ体を安易に使っている写真集は、総じて陳腐なものだった。
どこまで凝った装丁にするかと言う事と、写真集として心を動かされるかどうかは別なのだけれど、入賞したものは少なくとも人に見せることを前提とした体裁にはなっていた。
入賞していない作品の中では、前述のリングで纏めただけのものであったり、悪い意味で「なんだこりゃ」なものも無くはなかったが、とりあへず自分の撮った写真を写真集と言う形にして人に見せようとする強い意志のようなものは篭められていた。
それに中てられてしまって思いの外消耗したのだけれど、良い意味で「これは!!!」と思うものと悪い意味で「これは…」と思うものと両方見ることによって、自分にとって良い写真集とはどんなものか、朧気乍ら掴めて来た。
・ページが繰りやすいこと
・判型と割り付けに意味があり、変化が有ること
・写真の順序や配置に意味があり、物語が感じられること
この辺りを満たしていると、写真そのものの好悪はさておき、写真集には入って行ける。
印象に残った物をいくつか。
「未完成組曲」
A4を横に使っており、見開きで使うとパノラマ的な構図になる。
それを要所々々で生かしつつ、変化に富んだ割り付けで飽きさせない。
カラーで始まり、モノクロが挟まってカラーに戻る構成も良かった。
「きみ と ぼく」
A5くらいの冊子に、写真は敢えて小さく手札判程度に小さく入れて、余白を多くしてある。
頁の下半分が余白。 この余白が利いている。
「fragile」
B5くらいの冊子なのだけれど、こちらもスクエアフォーマットの写真をページ中央に置いて、上下に余白を取っている。
「泡沫えれじい」
河川敷に暮らす猫の暮らしの記録。
街の野良よりも生活環境は厳しいらしく、痩せていて尖った顔付き。
蛇や鼠、昆虫などを狩る姿から塒で寛ぐ姿までを腰を据えて撮っていて、切なくも美しく、愛らしくて力強い。
「メッセージ」
卒業式の一日を追った冊子。
ピントが甘かったり、写真としては粗も多いのだけれど、上手過ぎないところに生々しさが有る。
この技巧に頼らない写真として強さが、入賞に繋がったのだと思う。
「カヤメンタリー 4」
展示されている写真集には撮影者が被写体の一人として 写り込んでいるものから影も見せないものまで様々あったが、この写真集は撮影者と被写体の関係性の上に成り立っていつつも、撮影者が透明であるのが良い。
時間を掛けて撮る事の出来る状況では無い事が分かる繁華街や店の中でのカットも、仕草や表情だけでなく、背景も含めてきっちり切り取れているおり、流してページを繰っても面白いが、一枚々々をつぶさに見ていくと、見る度に発見がある。
「鳥の歌」
入賞作以外では、これが印象に残った。
モデルの女性が雨の降りしきる中、濡れ鼠になって行く様を追った連作が面白い。
写真集を見る写真展とあって、私を含め長逗留してじっくり見ていく向きが多かったように思う。
二時過ぎに見始めて、気が付いたら夕方。
こってりと濃い写真展であった。
フォトテクニックデジタルのサイトを見たところ、編集部からのお知らせの中に写真展「私的写真集選手権」Vol.4開催 パネル展示・参加者募集と言うものがあり、これを読むとパネルとともに展示されていたのは入賞作品と言う訳ではなく、有料でこの展示方法も選択できたと言う事らしい。
入賞作品との違いは、どうなっているのか分からなかった。
写真の配置が文法に則ったもので固まってしたまっているものが散見されて、そこは惜しかった。
印刷の都合もあるとは思うが、判型と割り付けまで含めて考えていない写真集は、アルバムの域を出ていなかった。