三日目になって中々の入り。
「青龍刀権次(3)爆烈お玉」玉川太福/玉川みね子
五年喰らって市ヶ谷監獄に入っていた権次。 生まれ故郷に帰って地道に暮らそうと思い立つも、生き別れた家族を探すうちにまたもや仇敵に巡り合ってしまう。
すぐに頭に血が上り、怒ると粗忽に拍車が掛かる小悪党の悲哀。
爆烈お玉は最後の最後に漸く出て来て、さぁこれから・・・と言うところで続きは次回。
良く出来ている。
「清水次郎長外伝 荒神山の間違い (3)飯田の焼き討ち」 神田春陽
こちらもおっちょこちょいの馬鹿が先走ってしくじる話。
大立者の出番は少ないのだけれど、脇役に味が有るのでじわじわと盛り上がり、さぁこれからと言うところでまた次回。
一回が30分としても十日で300分=5時間。 木戸銭が千円ポッキリと言う気楽さもあるが、続き物を細切れでじわじわ聴いていくかつての寄席の愉しみを追体験。
北島明、小林幹幸、笹口悦民、設楽茂男、中村和孝、舞山秀一、皆川聡。 6人のカメラマンがお仕事抜きで撮った写真展。
(それは恐らく世間的には写真なのであろうが) 私には写真であるようには思えなかったものもあったが、美術・工芸として捉えれば確かに美しくはあった。
会場は南青山の小原流会館の地下にあるhpgrp GALLERY TOKYO。 入口に扉の無い開放的な空間で入りやすいが、それは内と外との境目が無いと言う事であり、落ち着いて見られないのはいただけない。
地下一階に入る他のテナントは全て飲食店で、昼時に行った所為もあってか厨房からの排気が滞留し、様々な食べ物の匂いで溢れている。
悪臭ではないのだけれど、五感のうちの一つが常に刺激され続けている中で別の五感の一つを働かせると言うのは、中々に骨が折れた。
高いところから照らされているので、額装されたガラスの反射などは然程気にはならなかったが、照明は天井の蛍光灯のみ。 カラーの作品もある中、色温度についてどう考えているのか、考えていないのか。
写真を「見て貰う」と言う点に於いて、会場選びが雑だったのではなかろうか。
設楽茂男
木の葉や木片、貝殻などをじっくり撮った静物。
蝋燭の炎を撮った一点のみ、ガラス有りの額装だったが、ほかは全てむき出しのプリント。
スーっと浮き上がってくるように見えて驚き、瞬きをすると元に戻る。
小林幹幸
いつものスクールガール物。
写真そのものではなく、何かを足すことによって作品として成立させている。
自己模倣に陥りかけているような、美しくはあるが哀しい写真。
北島明
物と人の組み写真で7点。
真っ黒も真っ白も無い、黒に近い灰色と白に近い灰色とその間の色のなだらかな諧調が美しいプリント。
舞山秀一
長い事撮り続けている動物園の写真。
ぱっと見て全体を見渡せる大きさを超えると、受ける印象がガラリと変わる事を改めて感じる大写しの孔雀。
他の写真もそうなのだけれど、寄って細部を見て、離れて全体を、行きつ戻りつして見ていると、動物の居る部分に視線か吸い寄せられるような不思議な感覚。
これが面白かった。
前述の通りで私の思う「写真」とは異なる出品作も多く、図録のサイズにすると判らなくなってしまう作品も有ったので図録は見送り。