混みそうなので早めに出たが、九時前に着いて既に蕎麦屋の前辺り。
あとから来たのが何やら写真を撮っているなぁ、・・・と思ったら楽屋口近くに並んでいた連れ合いだか何だかに話しかけて、なし崩しに割り込みやがった。
中に入ってみたら桟敷のド真ん中に陣取って居やがる面の皮の厚さ。
こういう客もいる。 割り込まれた後ろの客が何も言わないのが悪い。
「天保水滸伝 相撲の啖呵」神田松之丞
六月四日の自分の誕生日の会で天保水滸伝を通しで演るんだが、浚う場がない。 「朝練」ですからと前置きして天保水滸伝の発端を。
これはまぁ照れ隠しのようなもので、読み始めればみっちりこってり。
過剰と言えば過剰であり、見る者を聴く者を巻き込む力が強いので草臥れるのであるが、この過剰さが見られるのも今のうちであると思われ、今しか見られないものに浸り、味わう。
「大岡政談 鰯屋騒動 伊勢の初旅」神田春陽
立川談志の「人情八百屋」の元になったと言う演目。 担ぎの八百屋が長屋で出会った親子に掛けた情けが仇となる。 「唐茄子屋政談」のようでもあり、「人情八百屋」のようでもあり。
陰惨な場面もあるのだけれど、春陽先生が要所々々で空気を入れるので重くなり過ぎない。
心地よい疲れを感じつつ、広小路亭へ移動。
朝練講談会で松之丞さんが顔付けの苦労を語っており、愛山先生がトリと言うのも魅力的だったので広小路亭へ。
日本橋亭から流れるかと思いきやそんな事も無く、そこそこの入り。
聴きたいものと苦手なものが混在し、後者が多い。 最初と最後が聴きたいので耐える。
開口一番で前座が二人。 十五分ずつ貰えるのは良い。
最初見たときは良い印象の無かった神田みのりさんが、かなりこなれて来ていた。
「天保水滸伝 鹿島の棒祭り」神田松之丞
「相撲の啖呵」の続き。 お馴染み平手造酒が例によって酒飲んで暴れるお話。
繁蔵んトコへ転がり込むまでのぶぶんをたっぷりと、残り時間を袖に訊いてから、残り10分で棒祭り。
平手の酒の上の悪さ、駄目さ加減と、剣客としての凄みを堪能。
紫先生の髪型が後家の切髪のようで年相応でもあり、召し物にも演目にも合っていた。
蘭先生は出で立ちから口調から客の弄り方まで女である事を前面に出したもので、私が最も苦手な部類なのだけれど、修羅場の言い立てになると、これが上手い。
良し悪しではなく、巧拙でもなく、好きか嫌いかに係る部分なのだなぁ、と改めて。
「就活物語」神田愛山
「行った方が良いですよ」と方々から言われつつ、なかなか足を運べず、生で聴くのは今日が初めて。 初めてなのに難易度の高い演目。
現代が舞台の新作なのだけれど、これまで聞いた講談の新作と違い、会話より地の文の方が多い。
地の文と会話のバランスが講談を講談足らしめている事を再確認。
客の弄り方に愛山先生の人としての面倒臭さが出て来るが、語り口は飽くまでも格調高く、聴いていて心地よい。
色々有ったが差し引きでプラス。
どんな講釈が見たい(聴きたい)のか、いよいよはっきりしてきたのも収穫だった。