いろいろあったんだけど、徹夜明けでバタンキューだったんで今頃。 あと突っ込みに反応とか。
わたしがぐだぐだ書いた所為か6/2分の更新でわんこ閣下が松浦マンセーな文章を書いています。 つっこみ1さらにつっこみ2。 「あみちょん」ってのは鈴木あみの事でしょうか? あんなのは問題外のさらに外で「かわいい」とすら思いませんでした。 曲がどうでもひとまずかわいいと思える松浦はやはり偉大なのかも知れません。
澁谷さまには喜んでいただけたようなので私はあれで良いと思っています。 現場には行ってませんが(苦笑)
とりあへず、全角になっていたタグを半角に修正(苦笑)。 半角で単語登録したタグなんか全角で書く訳無いのに気を抜くと全角にされてしまう。 これだからWindowsは嫌いだ。
スタンド-プレー※goo国語辞典の「スタンドプレー」より引用。
〔grandstand play から〕 (1)野球などのスポーツで、観客の拍手を受けようとして行う派手なプレー。 (2)自分の存在を目立たせようとして意識的に行う行為。
嫌いな訳じゃないんですよ、素材は良いと思うだけに つんく♂ 色に塗りたくられてしまうのはどうにも勿体無いように思うのです。 わんこ閣下は つんく♂ の曲を是認された上で「あやや=ミヒャエル・シューマッハ説」を唱えておられますが、私はもう一寸まともな作家の曲も聞きたい。 「松浦=ファン・マヌエル・ファンジオ」くらいになる素材なのではないかと思うのです。
今日も今日とて悪臭の中で仕事。 冷房効率が下がるのを承知の上で、大型換気扇を回して風向きを変えて、なんとか少し臭い粒子がこちらにくるのを防いだが、気を抜くとモロに吸い込んでしまう。
お蔭で食欲も落ちたから、多少体重を落とせるかもしれない。
臭いから解放されたいがために仕事の効率は上がっているが、精神的には可也疲れていて、今日も帰宅してパソコンを立ち上げてから記憶が飛び、こんな時間になってから起き出して日記を書いている。 悪循環。
帰りにコンビニに寄ったら、もう売り始めていた。 疲れていると食べたくなる。
わんこ☆閣下がジャムパンが食べたいと言っておられます。 そう言えば新宿でも売り子を見なくなりましたね。 監視カメラの効用でしょうか?。
メーカーから買うって訳には行かないか。
# 果歩 [臭い中お疲れ様です。おしっこもれてますよとか言えないしね。]
AKB48絡みでは、表紙と巻頭に前田敦子、センターグラビアに大島優子、巻末の企画グラビアに前田亜美。
モノクロページも連載投稿ページに小野恵令奈、「部活のこと」に秋元才加とテンコ盛り。
前田敦子
8ページ7カット、袋綴じで見開き1箇所。 撮影は中山雅文。
ニューヨークで撮った写真集からの先行クラビア。
国内で撮って撮れない写真ではないようにも見えるが、ニューヨークで撮った事ではなく、前田敦子がニューヨークに居る事が重要。 行きたい国としてニューヨークを挙げていた(「国」なのかはさておき)前田敦子らしく、終始機嫌が良い。
この「機嫌が良い」と言うのは前田の場合重要で、ハズレカットも含めて表情は良い。
カメラマンの巧拙より、前田の機嫌で成立したグラビア。 6ページ目の窓辺に腰掛ける写真がそれを象徴している。
大島優子
渡辺達生の撮影で8ページ11カット。
仕事師と仕事師が組んだ仕事なので全カットハズレ無し。
私の好みからは外れる「間の良い写真」が多いが、質は高く、アップで撮ったカットが特に良い。
7ページ目に、思わず息を呑む。
前田亜美
3ページ6カット。 撮影は長野博文。
企画連載グラビアも巻末に落ち着いたようだ。 北原と指原は酷い出来であったが、長野博文に丸投げしたらしい今週はそれなりに。
前田亜美が撮られなれていると言うこともあってか、表情も柔らかい。
但し、トランプの兵隊のような平べったい体形が出てしまった上に塩っぱい表情になってしまった写真であったり、それがベストとは思えない写真が使われているのは相変わらず。
1ページ目のアップは秀逸。
「部活のこと」
秋元才加が語るAKB48以前のバスケットボールに明け暮れた無軌道な日々を語る衝撃の3ページ。
無茶苦茶なことをやってきたから、落ち着いた今があるし、大抵の事には堪えられるというのは良く判る。
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富久町から坂を上り、四谷四丁目のギャラリー・ニエプスへ。
子育てで写真から離れている10年の間に撮り溜めたと言う写真群から、撰り抜いてプリントしたもの。
育っていく子供の成長の記録であり、育てる側の心象の記録でもある。
デジタルカメラで撮ったものをモノクロームに加工して出力したとの事だったが、粒感のある美しいプリント。
暗室作業の経験が矢張り生きるようで、銀塩の風合いを感じさせるもの。
子供と過ごす日常をさらりと掬い取ったようでいて、一本芯のような物はあり、寄ったり離れたりして見ているうちに気付く構図の厳しさ。
手間も時間もかけられない中で撮られた一と齣が、生まれ持った美的感覚と習慣として身に付いた構図を切る技術によって、切り取られた瞬間から作品としての命を宿している。
そしてそれが、プリントされることによって生まれ出た。
人形や縫いぐるみをズラリ並べて川の字になって眠ったり、暗がりの部屋の真ん中に据えた灯篭の周りにやはり人形や縫いぐるみを取り巻かせて何やら祀りを執り行ったり、物心がつく手前の時期の子供の不思議な行動を捉えた写真が神々しく、妖しく、美しい。
子供と共に暮らす日常と言うのは、(恐らく私は経験しないまま人生を終えると思うのだけれどそれはさておき)、時間的にも精神的にも「それ以外の何か」に割けるゆとりを持ち難いようで、身の回りの「撮る人」同士の夫婦でも、母となった人はカメラを置いてしまうことがままある。
そんな中で、纏めたり発表したりする時間的精神的ゆとり迄は持ち得なかったとしても、日常の中でカメラを持ち続け撮り続けた営為は、尊いものだと思う。
寄ったり離れたり、行きつ戻りつじっくり見て、咀嚼し、消化することで分からなかった事が分かり、見えていなかったものが見えてくる。
滋味溢れる写真展であった。
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