終らない、兎に角もう・・・。
先週の日曜は朝から飲まず喰わずだったので、とても銀箱を持って帰る気にならず、都内某所に置きっぱなしにしてあった。 週末までに回収しようと思っていたもののそれもならず、仕事場→都内某所→自宅→熊谷→ごりぱん邸・・・と言う無茶苦茶な移動になってしまった。 結局、ごりぱん邸に着いたのは1時頃。 仮眠したりしつつ5時頃出発。
7時から朝飯と言う事で、それに合わせて目覚ましを設定。 私は全林野の組合歌で爽やかに目覚めたが、キムラさんは「ハクション大魔王の歌」が3回流れても起きず、死んだように眠っている(息はしていた)。 時間も時間なので起こしたが、目覚ましが鳴った事にすら気付いていなかったようで驚いた。 こんな感じで20分くらい目が醒めないことも有るそうだ。 死なないでいただきたい。
キムラさんの携帯にはこの他に「ルパン音頭」「富士サファリパーク」などが入っていた。 相変わらず腐っている。
「人間ドックに入る朝、空腹に耐え兼ねてカルピスぐんぐんグルトを飲んだのがあばらの三枚目に引っ掛かってレントゲンに写った」とか言うくらいの碌でも無い食生活を送っているキムラさんが、茶碗に3杯飯を食っておかずも残らず平らげた事からも、ここの飯の旨いのが判る。
車をパーキングに叩き込んでからケルンへ行ってコーヒーを啜りつつ小田原評定。 そもそも酒田へ来て何をしようという目的が最初から無いので、この後何をするか全然決まらない。 とりあへず清水屋で観光用チャリを借りてぶらぶらする事にした。
私は慣れてしまっているから気にならなかったが、キムラさんは自転車の錆び加減がツボだったらしく。 「一体どうやったら自転車がここまで錆びるのか?」と苦笑していた。 まぁタダなんで文句は言えないが、確かにメンテナンスは無きに等しい。
日和山の坂を登り、上喜元の酒蔵の前から家坂邸の前をかすめて出町へ。 皇大神宮と境内の摂末社を見せる。 金毘羅さまの社殿前のあれこれを細かく説明。 日吉町あたりを回ってから香梅咲と旧相馬屋の間の「逢引き小路」へ。 さらに今町の厳島神社から泉流寺の方へ回り、小野太右衛門商店を見せようと思ったら休みだったので、外観だけ観てどう言う店か説明。 目ざといキムラさんは車庫にいすゞの作っていたフローリアンの顔をしたトラック「ファスター」を発見。 カメラに収めていた。
仏壇のさとうさんへ寄って買い物をしてから昼飯。 色々迷ったが、米沢屋で焼きそばを食った。 毎度々々ソースはついつい多めにかけてしまう。
食後にモアレへ行ってジェラート。 今月の新作の一つに「黒糖焼酎」が有ったので食べてみたが、これが実に旨い。 ラムよりも軽くて爽やかな感じ。
自転車を返してから車で移動。
傑作選と土門拳賞と文楽。 「筑豊のこどもたち」のるみえちゃんが一寸ツボで、涙腺が危なくなる。 我ながら相当疲れている。 奥の椅子で鴨を見ながら暫らく休んだ。
ここは休み休みのんびり見られるのが良い。
木村屋で晩飯用のパン。 さいとう精肉店でレバー唐揚げ。 杉山麹店で「醤油の実」と「塩納豆」。 塩納豆は一寸怖いんだが試しに買ってみた。
私が寝ている間に国道をあっちへ行ったりこっちへ行ったりして米沢へ。 大峠で3ナンバーの旧マーチに乗ったシャバ憎の走りっぷりが実に下衆なのでちとからかってみたら、物凄い勢いで逃げていき、下の駐車場で燃え尽きて止っていた。
喜多方から若松を経由して郡山へ。 郡山からは流石に高速で。 深夜帰宅。
コンビニエンスストアで事前に入場券を買っておいたので、入場券売り場に出来た長蛇の列を横目にエレベーターへ直行。
お陰で七時半前には展望台に上がれた。
ここ二週「目当て」で来ている客が多く、人だかりがしているので、ステージ横のテーブルでも誰かしらリクエストを書いており、そこで更に人が立ち止まる良い循環で動いている。
常連客のリクエストも、一時期の耳を塞ぎたくなるようなものは減り(無くなっては居ない)、折井も話を拡げやすいものになってきている。
珍しくCDの音が飛んだり、曲を掛け間違えたりする日で、流石に折井も狼狽えていたが、狼狽えながらも何とか繋いでいたのは流石。
カフェ・ラ・トゥールから一品頼むコーナーでは、「最近嵌っているので」と、アイスココア。
テリヤキチキン・アンド・タマゴも気になるが、食べながら喋る訳にも行かないとのこと。
リクエストでレミオロメンの「粉雪」が掛かったのだけれど、丁度サビの部分で通りかかった女子二人組が、拳を固め、眉間に皺を寄せて、五木ひろしのような形で唄いながら歩いて行ったのが、自棄に可笑しかった。
「小林香菜、東京一周俳句十番勝負」の続き。
今回は日本武道館から。
氷川きよしのコンサートに群がるご婦人の群れを横目に一句・・・と思いきや、氷川きよしの似顔絵を描く小林。 例によってぜんぜん似ていない。
移動して東京駅へ。 こんなトコで俳句が詠めるかとゴネる小林宗匠。
赤レンガを詠み込んだのは良かったが、「赤毛のレン」がどうしたこうした。 まぁ、これが小林。
赤毛のアンのテーマソングが歌える(フジテレビ「世界名作劇場」のものを指すと思われる)と言い出す小林。 歌いだしてみれば「アルプスの少女ハイジ」の歌、しかもうろ覚え。
躁鬱の波が激しい小林だが、躁の波が来ているようだ。こう言う時の小林は面白い。 現場は大変だと思うが。
さらに東京タワーへ移動。 本年度の東京タワーイメージガールである梅田彩佳の後釜を狙う野望を詠み込む小林。 あの破滅的なDJっぷりを現場で見た者としては、見たいような見たくないような・・・。
次回まで続く東京一周吟行。 10/22更新予定とのこと。
小林の即物的且つ場当たり的且つ投げやり的デッチアゲ俳句はワニブックスモバイルにてご確認を。
先日行われたチーム対抗運動会は、現3チーム制の終焉を彩る葬送イベントだったように思われてならない。
AKB48の歴史は、好きだった何かが終わり、新しい何かが始まる事の繰り返しであった。
それは「あなたとクリスマスイブ」の早すぎるお蔵入りに始まり、第一次ユニット改変、「会いたかった」公演に於けるユニットコーナーの金太郎飴化と続き、デフスターとの契約終了による過去楽曲お蔵入り、研究生大粛清etc...
デフスター時代が「過去」だとすると、それ以前は「大過去」となった。
戸島や中西やコマタニが辞めたのが「さきの大戦」だとすると、星野が辞めたのがノモンハン事件、折井が辞めたのが上海事変、宇佐美が辞めたのなんざ尼港事件みたいなもので、当時の衝撃たるやかなりの物であったが、もはや当時を知る人の方が少ない。
「歴史に真実は無い、あるのは解釈だけだ」とニーチェは書いている。
メンバーがAKB48劇場から去っていく場合、(突発的な何かが無ければ)「卒業」の美名で彩られて、形だけでも祝福されて来たが、辞めるに到った理由はひとそれぞれであり、それがどこまで当人の意思であったかは窺い知れない。
棺蓋って評価定まると言うが、辞めて一年を経て漸く連中が辞めたことの「意味」が定まった様な気がしている。
「意味」さえ定まれば、漂っていた魂も浮かばれる。
幸いなことに私は、好きだったメンバーに殉じて劇場を去れなどど言うトンチキを知己に持たなかったので、時として「宇佐美難民」呼ばわりされたり「一体誰のファンなんですか」と野暮なことを訊かれたりしつつも、こうして劇場周辺をうろうろしている事が出来た。
然し乍ら、劇場周辺をうろうろするだけでも結構な労力と資金力が求められるようになって、それすらままならなくなりつつある。
昨年の件が先にあったので、今般のチーム解体劇もそれなりに落ち着いて眺めることが出来た。
落ち着いたと書きつつも、こうして纏まらない文章を纏まらないまま書き連ねている訳であるが、纏まらないまま筆を置き、献花の代わりにこの一文を捧げて葬送の辞とする。
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