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墨田ペトリ堂の身辺雜記 「二面楚歌」


ペトリあんてな
二面楚歌 断章
二面楚歌 グラビアレビュー備忘録
寒空文庫(仮)
写真日記二面楚歌 隠居所
petri's fotolife
酒田へ行きたい
ザ・インタビューズ

投票などするな!

投票行為は君たちの人間性の否定なのだ。
投票を依頼してくる連中など無視せよ。
連中は諸君の敵だ、連中は権力を握りたがっている。
すべての政治家はそれが共和派であれ、王党派であれ、
共産党であれ、われわれの敵だ、
投票用紙を破り捨てろ、
投票箱をぶち壊せ、
候補者だけでなく、選挙管理委員たちの頭もなぐり割れ。


1933年11月 CNT(Cofederacion Nacional del Trabajo)の声明より


2001-01-15 [長年日記]

_ 青春18きっぷの

余り券を消化するために、午后から横須賀線で南へ。
 北鎌倉でぶらぶらしようか、それとも鎌倉から江ノ電の乗ろうか、いっそ久里浜迄行ってしまおうか、と、考えているうちに電車は鎌倉駅を出発してしまった。 逗子の駅が近づいて来た頃、車窓に岩殿寺の看板が見えたので、逗子で降りる事にした。
 この寺は鏡花の「春昼」「春昼後刻」の舞台となったところで、駅からは離れているし、別に何があるわけでもないので人影も殆どなく、山門には100円ご報謝くださいとか何とか書かれた箱があるだけ。 鎌倉あたりの寺と違って商売っ気が無い。
 梅には未だ早かったが、寺内のそこここには水仙が咲いていて、良い香りが漂っていた。 坂東二番の札所になっているだけあって、石段も本堂も整備が行き届いており、小説にあるような寂れた破れ寺の雰囲気は既に無かったが、墓地へ続く細い石段は磨り減ったつま先上がりの石段が残っていて往時の面影を留めていた。
 寺のある山の周りはぐるり住宅地に取り巻かれているのに、山の上は非常に静かで、時折通過する電車の音が聞えるだけだった。
 帰りに石段を降りると、山門の脇に鏡花の文学碑があった。



「按ずるに筆は一本也、箸は二本也。 衆寡敵せずと知るべし」
斎藤緑雨


文責:墨田ペトリ堂
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