直江津から07:53発の↓信越本線で長岡へ
長岡から09:29発のとき307号で新潟へ
新潟から10:19発のきらきらうえつで酒田着12:48
もしくは
07:20発のくびき野1号で新潟へ
このあとは同じです。
これから暗室です。 更新途絶。
印画紙がないんだった。 ヨドバシの閉店に間に合わないのでゆっくり行く事にした。
ヤングジャンプ今週号の巻末に蜷川実花撮影のグラビア。 生で喰える物をわざわざごった煮にしたような感じ。 岡本奈月の無駄遣い。 こんなのにカネは払えないので立ち読みで済ませた。
昨日の夕食は、身内にささやかな祝い事が合ったので鰻丼であった。 普段はスーパーで買って来る安物を喰う事が多いのだけれど、祝い事である為か今回はちゃんとした鰻屋(宮川)の蒲焼。
半身の鰻なんざ居る訳が無いので、一と切れ半で一と串になっているのはいただけない。 まぁ、価格に見合った量と言う事なのだろう。
串が3本打ってあるのを見ただけで、蒸しが利いているのが判る。 柔らかく蒸し上げてから焼くので、2本だと返すときに千切れてしまうのだ。
ご飯を盛った丼の上に鰻を乗せてからたれを掛ける。 良くあるドロっとした物ではなく、さらっとしたもの。 指についたのを舐めてみると、さっぱりしていてこれがまた旨い。 山椒も荒挽きで薫り高い。
口に運ぶと口の中でとろけるように柔らかく、脂は乗っているが蒸しが利いているからしつこくない。 久しぶりに旨い鰻を喰った。
あまり旨いので一気に掻き込んでしまい、気がついたら6割方なくなっていた。 今度何時こんな鰻が喰えるか判らないので、残りはゆっくり噛み締めた。
こう言うのが「鰻」であって、箸で千切れないくらい皮が硬くて、生臭いくらい脂ぎっていて、噛むと歯に骨が触るようなのは、魚類としては「鰻」なのだろうけれど、食い物としては「鰻」と呼びたくない。 暫らくはあの手のものしか口に入らないと思うのだけれど、あれは蒸せば柔らかくなるだろうか?。
鰻を喰いながら家の者と話をしていたら蕎麦屋のはなしになった。 うちの親父は通ふって失敗する事が多く、一人でやらかす分には良いにしても、私と一緒に飲み食いしているときにもおっ始めるから堪らない。 以前、一緒に蕎麦屋に入ったときも、1番粉と3番粉を取り違えていて、さらしなを喰いながら「いやぁー、3番粉で打った蕎麦は風味が合って旨い。」などと知ったかぶって店の親爺に厭な顔をされた事が有る。 今度もその伝だろうと話半分に聞いていたら「蕎麦屋で酒を呑むときは『てんぷらぬき』とか『おかめぬき』とか、麺を入れないのを頼むらしいね。」などと言い出した。
それを言うなら「おかぬき」「てんぬき」だし、一緒に飯を喰っているときに通ぶってそんな物を頼まれたら蕎麦も酒も不味くなるので、「てんぷら蕎麦一つ、抜きで御願いします」ぐらいの事を言うように言い聞かせておいた。 暫らく親父と外で飯を食うのは止めよう。
すったもんだで辞めてなりたかったものが「秋葉ちゃん」なんですかね?
こんな奴の話しが元でわんこ☆閣下と険悪になるってのも馬鹿々々しい。
http://dictionary.reference.com/search?q=artiste
英語にはe抜きの方だけだったのが、そっちが専ら『画家』を指すことになってしまったため、所謂パフォーマーらが自称としてフランス語から借用してきたようだ(いつのことか。OEDが手許にあれば載ってるはず)。美容師や調理人まで含むのもフランス由来だからかな。
こちらもヤンジャンの例のページは10秒で流しました。特に注目するモデルもいないし、この作家にこういうテーマはダメでしょ。不自然なほど彩度を強調する作風ですから和モノは基本的に合わない。組写真での積層的な表現がスタイルでもあって少ないカットでキメる勝負にも向かない。構図の重点が散漫なものやチャンスを外れた画が出てきてしまう。モデルが3人以上入ってくると途端にばらつきが露呈します。ただ写真の巧拙とその画の支持は一致しないもので、女子にはそういうカットの方がウケがよかったりする。プリクラ鑑賞の感覚なのかなと解釈してます。
食い物の「鰻」には変体仮名の採用(「うふぎ」とか「うちぎ」とかに見えるやつ)を希望します。
うちでは親父と外で飲むと「オマエは女に億手だから見本を見せてやる」とナンパを始めます。そういう自分だって大したことない上にヤバい酔客として退かれてるのに気が付いてない。一度顔にビールひっかけて席を立ったら背後から杯を投げつけてきて、そのとき初めて父親を殴り倒しました。和解してからはかえって関係は好くなりましたが、もう二人だけで外で飲むことはないでしょう。どっちも堪忍に難い話だけれど、「立ってるものは親でも使え」の諺に倣い自らを諌める歪んだ鑑として末永く遠くの方に安置しておこうと思ってゐます。