アップトゥボーイの(・・・と言うかオマケの)購入を頼まれたのもあって劇場へ。
写真交換会やら大堀生誕やらで今夜も無茶な混み様。 冷房からは強い風が吹いているが、人が多過ぎてまるで効いていない。
梅田と河西が休演。 研究生から内田が代演。
例によって冒頭の小芝居は全く聞き取れず、文字通りの聾桟敷。 何時の間にか一曲目が始まっていた。
小芝居からの微妙な空気を引き摺って、一曲目は淡々と。 二曲目から漸く盛り上がり始める。
今日は音量調整があったお蔭でMCも含めてほぼ聞き取る事ができた。 客の方も昨日の今日で心配だった向きも多かったと見えて、先日よりは静かだった。
自己紹介で移籍の件に触れるものは無く。 しかし客の多くは知っている訳で、モニターを見つめる客も聞き耳を立てる感じ。 気が付くと大堀が居ない。
お題はコンサートでのハプニングとかなんとか。
内田がチームKの楽屋に入るとターザンみたいな人が居たと言う話。 「アーアア〜♪」と胴間声で古典的なボケを挟む当事者の秋元。
インフルエンザでコンサートに出られなかった奥。 「家から応援してました。」
「ほんとにぃ〜?」と訝しむ宮澤が楽しい。
エンドロール(大島、野呂、松原、宮澤)
梅田パートに宮澤。
矢張りチグハグな感じ。 宮澤からは合わせようとする意思を感じるが、残りの三人は盛り込みすぎて肝心なところで揃わない。
独り善がりの意地の張り合いみたいなダンスバトルを見せられても、客はおいてけ堀を喰らうばかり。 難度の高い事を演っているのだろうが、見世物としての質は低い。
この曲に限らず、大島優子は単位時間内に出来る事を何でも芝居仕立てに盛り込んで行く足し算の芸。 全体曲でも基本的に同じなので、群集に埋没する事は無いが、逆に言うと群集にはなれない。 芝居の幅が狭まっているような気がする。
わがままな流れ星(小野、小林)
小野のキラキラパワーは、ちゃんと出ていた。
これからも出ると思う。 少し安心した。
小林はまだまだもっさりした感じだが、大きく動けてはいた。 まぁ及第点。
愛の色(奥、大堀、近野、増田、宮澤)
一曲挟んで宮澤が再登場。 大堀が居たかどうかは記憶があやふや。
抱きしめられたら(大島☆、倉持、佐藤(N))
大島の盛り込む芸を目の前でやられると、大抵引き摺られてペースを乱すのだけれど、佐藤(N)はぶれない。 戸島に通ずる「刈り込んだ芸」。
虫のバラード(秋元)
劇場の外に居ても生声で聞こえるような迫力。 曲は嫌いなのだけれど、聴き込んでしまう。
内田、大島、野呂、松原で間繋ぎ。
野呂が始めて移籍の件に触れる。 湿っぽくさせない話術。
流れで内田の昇格話。 発表の時は心配になるくらい震えていたとか、楽屋で鏡を見ながら笑っていたとか。
弄られても「念願のチームKに入れたので・・・」と喜ぶ内田が微笑ましい。
後半全体曲の近野。 綺麗な動き。
間繋ぎでは面白いものか見られた。
内田の頭のてっぺんより、秋元の顎の先のほうが高い位置にある。
小林のコンサートこぼれ話。 身長よりはるかに高く上がるセリの上でリハーサル中、恐がっているとスタッフに「やめる?」と訊かれて、そっちの方が怖いので小野に判断を丸投げしたとのこと。
歌の中で小野が殴るような所作があり、それを狭いセリの上でどこまでよろけるか計算するのが大変だったと言う話を聞いて、初日の精彩を欠いた原因を知る。
何か心配事が有ると、あからさまに態度に出る。
九時を廻ってから大堀の生誕イベント。
今回は文句無く。 良かった。
前回が私にとっては最悪に近い公演だったのでどうなるかと思ったが、エンドロールを除いては良い公演だったと思う。
研究生について考えてみた。
叩き台用。
「逆上がり」公演全篇通しての感想としても当て嵌まるんですが、「夏まゆみ的」では無いな・・・と。、
嘗ては定期的に駄目出しに来る夏まゆみの統制と、メンバーの自己主張の鬩ぎあいのようなところが有って、河西あたりの本来の振り付けから逸脱した部分は矯められ、小林あたりの出来てない部分は直されて、公演の統一感のようなものが醸されていた訳です。
それが必ずしも良かったとは思わないし、夏まゆみがPA席で見ている日のつまらなさ加減たるや泣きたくなるくらいだった訳ですが、ここまで統一感が無いとあの頃が懐かしく思い出されます。
醤油豚骨のラーメン屋がはまりがちな陥穽として、スープを濃くして魚粉を入れて味を複雑化すると、飽和した旨味が単純化して魚肉ソーセージの味になってしまうってのがあります。
連中のやっている事も同じで、盛り込みすぎて却って詰まらない。
相手を活かさないと、自分も活きない。 あれは殺し合いです。
現代美術的な意味合いに於いての「ハプニング」として見れば価値はあるかもしれないけれど、Showとしては無価値だと私は考えます。
相変わらず人を踏みつけにするようなやり方ではあり、人倫にもとると言えばもとるのだけれど、大衆宣伝の定石は押さえているから、合目的的ではあると言える。
ゲッベルスは「伯林奪取」の中でこう書いている。
ベルリンは魚が水を必要とするように、センセーションを必要としている。 この町はそれで生きているのだ。 そのことを認識しない政治的プロパガンダは、的をはずすだろう。
私を含めて逆撫でされた感情の影響下でこうしてこの件について書いている訳で、秋元の狙い通り見た者聞いた者に深く印象を刻むことには成功している。
戸賀崎氏は、言いっ放しで居なくなってしまう事によって、判りやすい悪役になる事に成功した。 この辺りの役割分担も上手い。
エンドロールについてはバトルになってもいいんじゃないの?
この曲はあの四人の自己主張が原動力になってるわけだから...
優子の動機は別だがエンドロールは干されの意地でもあるし
ドラマを見せるのがAKBの本質だと思うけれど
エンドロールの4分間は演者の組み合わせによって生じる
淡くて儚いドラマなんでは?
独り善がりの意地の張り合いに見えるかのしれないけど
それでおいてきぼりになってたらもったいないよ