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墨田ペトリ堂の身辺雜記 「二面楚歌」


ペトリあんてな
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酒田へ行きたい
ザ・インタビューズ

投票などするな!

投票行為は君たちの人間性の否定なのだ。
投票を依頼してくる連中など無視せよ。
連中は諸君の敵だ、連中は権力を握りたがっている。
すべての政治家はそれが共和派であれ、王党派であれ、
共産党であれ、われわれの敵だ、
投票用紙を破り捨てろ、
投票箱をぶち壊せ、
候補者だけでなく、選挙管理委員たちの頭もなぐり割れ。


1933年11月 CNT(Cofederacion Nacional del Trabajo)の声明より


1999-08-07 [長年日記]

_ 朝起きると

既に愛知県に入っており、回ってきた車掌に検札をしてもらっているうちに蒲郡を過ぎて、あれよあれよと言う間に終点の大垣に着いた。 私は急いで列車を降りて接続列車のホームを目ざしたが旅慣れない喇叭工大生くんが必死に付いてきただけで宗教大学生くんはどこかへ行ってしまい、米原で姫路行きの新快速に乗り換えた工大生とも別れた私はようやく一人になり、うつらうつらしいてるうちに大阪駅に着いた。

_ 中央改札の

出口附近で待ち合わせた筈のカボさんが見当たらないのでそのへんをうろうろしたら、柱の陰でしゃがんでいた。 とりあへず朝飯を、と言う事になってプロントに入りったものの、何も考えずに勢いでカルボナーラを頼んでしまったために左手でフォークをぐるぐる回すのに苦労した。 腹も落ち着いたので、かみやんが写真展をやっている奈良へ向かった。 環状線で鶴橋と言う肉臭い駅に出て、そこから近鉄奈良線に乗り換えたわけだが、カボさん奈良に着く迄私が持って行った怪しい本を読み続けていた。
   かみやんが出していたのはYJP展と言う写真展で、(ちなみにYJP展とはイエロー・ジャップのパンパンとくんずほぐれつ・・・なんてことは勿論無く、奈良在住の吉川さんとニューヨーク在住の比嘉さんと言う二人のカメラマンのお眼鏡にかなった若い写真家を集めてやっている写真展です。)二年前に行われた前回と同じく私が誉める事のできる作品は、かみやんの物と平田恵子さんの作品のみであったが、面倒なので今年はいちいち貶さない事にした。 一通り・・・と言うか、かみやんの作品のみ鑑賞したあとて本人をめっけて昼飯がてら撮影にくり出した。 かみやんの御希望でお好み焼き屋で昼飯をやっつけた後東大寺方面へ。 東大寺に近付くに連れて怪しい太鼓の音が聞こえてきて、何だろうと思っていると赤・青・黄の三角の旗がそこいら中にはためいていて、そこかしこにインディアンのテントが立っている。 「虹の祭り」と言うイベントらしいが旗は何故か三色なその祭りのパンフレットを強引に手渡されて、何となく見るとそこには

「地球にごめんな祭」

 はやくもげんなりしつつ大仏殿を目ざして原っぱを横切ると、テントの脇では太鼓の音に合わせて暗黒舞踏のような踊りが淡々と踊られ、ステージの上ではナルチシズムたっぷりの自然保護歌が自然保護もへったくれも無く電気をガンガンに使って大音響で演奏されていて、毒気に当てられた我々ダメ人間一行はふらふらになりながらも大仏殿から二月堂へ回ってべたべたの観光写真を撮影した。 更に春日大社へと向かう道すがら崩れかけた門の中で「おみやげ全品百円」と言う札をみつけて思わず吸い込まれると、心地よい日影と木漏れ日と冷たい飲み物とが揃っていてそこで暫く呆けているうちにやる気のかけらも消え失せてしまい、若草山を柵の外から覗いた後帰路に着いた。 会場に戻るとフォトワークショップだかなんだかで外回りをしていた人々が戻って来つつ有ったので「しろちくわ(謎)」に会わない様に逃げるように大阪へ戻った。 天王寺のマクドでバチコン氏と待ち合わせて街へくり出したが、案内されたのは飛田新地で「元は赤線だけど今は普通の民家」っていうのを想像していた私は、現役ばりばりの私娼窟を目の当たりにして非常に吃驚した。 面白い物を見せてもらったけれどアレは写真に撮れない。 撮るには相当の覚悟が必要だ。 その後商店街を抜けて行ったのだけれど、やけに寝っ転がっているおっちゃんたちが多いと思ったら「あいりん生活相談所」の看板が、ふむふむそう言う事かと納得しつつ天下茶屋から地下鉄に乗ってメタル邸へ。 駅から歩いてすぐのマンションの八階にあるメタル邸はパソコン部屋、洗脳部屋、寝室、リビングに分かれており、こ綺麗ながらそこかしこにミッフィー、ピングー、キティ、サル、ゾウ、etc.の人形が脈絡無く置かれているのだけれど「ただ可愛いだけではない何か」が充満していてかなり良い雰囲気。 飯を喰う前に近所の甘味処「かどや」へ。 甘味処と言っても「かどや」は氷屋が片手間にやっているうちに本業になってしまった様な雰囲気の殺風景ながらもこざっぱりとした店で、私は抹茶ソフトとサイダーを頼んだ。 この抹茶ソフトなる物はブランデーグラスみたいなコップの底ににコーンフレークを敷いてソフトクリームのトグロが巻いた上に抹茶シロップ(かなり濃い)がかかっている物でなんと¥250-安い。 良く冷えた瓶の三ツ矢サイダーも旨く。 店の外で飲んだ「冷やしコーヒー」も麦焦がしのような味で何とも旨かった。 そのあとで元禄寿司へ。 ここもすし屋なのに「ナニワ」で

酔っ払い客:にぃちゃんカニサラダまだか?
 職 人 :いま一生懸命にぎってます。
酔っ払い客:・・・そうか。

と下手に「少々おまちください」なんて言わないのが面白かった。
部屋に戻った後こちらの持って行ったCD、カボさんとバチコン氏のおすすめCDを聴き、私の持って行った怪しい本を見せ、バチコン氏が学生時代に撮った「水曜前日」という30分乍らなかなか濃い映画を見て、朝迄音楽と本と写真と映画の話をして、夜明けの散歩をした後、力つきて寝た。
 


「按ずるに筆は一本也、箸は二本也。 衆寡敵せずと知るべし」
斎藤緑雨


文責:墨田ペトリ堂
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