白づくめ集団の「パナウェーブ研究所」って実はハイレッド・センターらしい。
面白いんですが、そんなわけも無さそう。 あともう一つ似ているのがあるんだけど書きにくい事柄に触れなきゃならなくなるので割愛。 「砂の器」にちょろっと出てくるんだけど・・・。 聞いた話だと、山梨でクリスト風インスタレーションをやった人が誤爆でガサ入れを喰らったらしい(苦笑)。 赤瀬川のコメントが読みたいんだけど、どこか書かせませんかねぇ?。
昨日の日記で「夢から現実に引き戻す提言」って表題にしたんですけど、夢から現実に引き戻すって言うより夢を見るために現実から目をそらさないって事なんじゃないかと思った。
提言として上がっているのは。
なもさんの緊急提言
ごりばんさんの提言とその反響への回答
raffineさんの1つの課題と2つの提言
かりんさんの提案(笑)
・・・といった所。
横山(仮)さんも書いてるんだけど、あそこはリンク貼っちゃって良いのか判断がつかないのでとりあへず情報のみ。
いろいろ考えてるんですが、ちと余裕がなくてまとまらないので保留。
クリストはヤバイです! マジで設営事故って殉職者だしてます。
赤瀬川より岡崎乾二郎に喋らせた方が実のあること云いそうな気はする。知的な見識を野卑を気取って語る趣味はどうにかならんかとは思うが。
広島の《灰塚アースワークス》や鳥取砂丘《ユーラシア・アート・プロジェクト》で挙げられるような、ランドアートを地方の町村でやるっていうのは地域コミュニティのヴァリューアップの旗印や草の根エコ運動と結び付いて、全国、そして世界的に広まっています。
現代美術の商業主義化への反動として60年代アメリカで出現したものの(従ってカウンターカルチャーの一つの発露と捉えられるし、ハイレッド・センターらの活動時期とも対照しやすい)、かえって莫大な資金を要求するようになったため、70年代以降はアメリカの景気低迷とともに衰退しました(そいでかえってビンボーでもなんとかなる身近な自然に目を向けるコンセプトにシフトしたようだ。あんまり生態系に配慮してるとは思えないけどさ)。
一方でランドアートは人口稠密地を離れた特定の景観に一時的に設営される形式で展開される場合が多く、殆どの観客は生で実物を観ることがないという逆説的な特徴があります。つまり実態としてはメディア無しには成立し得ない表現形式です。
それでも運良く現場で観ることができた者には壮大さを感じさせ根源的なロマンティシズムを掻きたてるランドアートですが、じゃあ札幌雪祭りや大文字焼とどう違うのか。定義付けは簡単ではありません。「観光」というのが一つの関連概念である点は疑いないんですけどね。
大自然の中に現れた明らかに人為的なシーンに人影が写って居ないのがランドアートだとしたら、人間たちを大量動員し、特定の時間と空間を埋め尽くしひしめき合う群れの圧倒的存在感の行為は何と呼べばいいんだろう。「まちゅり」、ですかね。
と、そう思うとウッドストックに代表されるような昔の巨大ロックコンヴェンション/ジャンボリーといった「げっつ・とぅぎゃざー」なイベントって、ぐるっと一回りしてランドアートと近いとこにある(ついでに云うとこれは先駆的マルチメディアだ)。
不景気な時代に地方の町興しとしてなんかやってみるべ、ってのは聞いたことあるような話ではある。そーか60年代アメリカのヒッピー文化に地方アイドル振興のヒントが(ないない)。
safe generic propecia finasteride <a href=http://dstvmediasales.com/sitemap.php?farm=is-viagra-for-women>is viagra for women</a> viagra private prescription price http://dstvmediasales.com/sitemap.php?farm=propecia-how-to-use - propecia how to use order cialis online without prescription http://dstvmediasales.com/sitemap.php?farm=why-viagra-doesnt-work - why viagra doesnt work cheapest viagra