前日の東京は26度だかで夏日、それに比べると流石に肌寒い。 駅前で夜行バスを降りたら、丁度市内循環の「るんるんバス」が来たので乗車。 100円。 中町で下車。
少し早すぎたのでまだケルンは開いておらず、五郎兵衛食堂へ行ってみた。 相変わらず言葉の通じにくい爺さんとの判ったような判らないようなやりとりをしつつ、納豆定食を食う。 500円。
ご飯と味噌汁、納豆、焼き魚にお新香。 味噌汁の具は適当な大きさに切った厚揚げと筍、漉してない味噌糟がどろっと沈殿。 焼き魚は鮭の尾っぽに近い部分が大根おろしを添えてデーンと。 お新香は、キムチを「朝鮮漬け」と言った時分に良く有ったような、唐辛子の入った白菜漬け。
大粒の良く粘る納豆でご飯を先ず半分戴いてから焼き魚に取り掛かる。。 鮭も旨い。 味噌汁を啜ってみる、旨い。 合間に白菜漬けに箸を伸ばしてみる。 あー、昔有った有った、こういう漬物、旨い。 綺麗に平らげて外に出た。
ケルンに行ったらもう開いていた。 とりあへずコーヒーを頼むと「お食事は何か召し上がりますか?」と訊かれた。 で、出てきたのがポテトサラダドッグパンに挟んだホットサンド。 これがまた、旨い。
ドッグパンを横に開いてトースターで焼き、辛子の利いたバターを塗って冷たいポテトサラダを挟んだ物なのだけれど、パンの下側は中迄とことんカリッとしており、上ッ側は外カリの中フワ。 かぶりつくと中のポテトサラダは冷たい。 旨かった。
ケルンのご先祖は代々呉服屋で、明暦年間にはもう有ったらしい。 それを先代が料亭に商売換えし、更に大旦那が喫茶店にしたのだそうだ。
戦後、昭和22年頃だったと言っていたが、寺島町(今の東向島)に居た頃、朝からやっていた「キムラヤ」と言う喫茶店に入ってみたら、壁際に肘掛から簡易テーブルが出る椅子が並んでいる。 客はそこでパンを食いながらコーヒーを飲んでいて、 大旦那もコーヒーとパン、パンはキムラヤなので「アンパン」を頼んでみたが、アンパンは無いと言う。 じゃあ何が有るのかと訊くと「皆さん大抵トーストを召し上がります。」 ってんでトーストとコーヒーを頼んでみたらこれが旨い。
これが忘れられなくて、酒田に戻って朝から営業している喫茶店を始めたのだそうな。 以来、朝食はずっとパンらしい。
元呉服屋のこだわりとして、襟無し前開きの唐桟のシャツを愛用していると言っていた。 和服の生地で仕立てたシャツってのも粋で良いものだ。
酒田へ行くたびに、なんだかんだで3杯以上ここでコーヒーを飲んでいる計算になるので、10枚綴りのチケットを買ってみた。 1杯あたり50円安くなる。
しかし、600キロ離れた町の喫茶店のコーヒーチケットを買うってのは、我ながらどうかしている。
日吉町の相馬楼の横の路地へ。 ケルンの大旦那の話によると、相馬楼と香梅咲の間の路地は昔、芸者衆と客が待ち合わせに良く使っていたので、「逢引き横丁」と呼ばれていたそうだ。 もっとも、今では酔客が暗いのを良い事に「しゃー」っとやるので「ションベン横丁」だとか。
撮影会の参加費は2000円なのだけれど、それには商店街の出店の物を食い放題ってのも含まれているので、開演まで飲んだり喰ったり。
日々進化するSHIPは今日も新しい試みをしており、見応えのあるライブ。 花見会場だけあってふりの客も多かった。
晴れた日の外で撮るのは久しぶりなので、手拍子もなにもせず黙々と撮影に勤しんだ。
花見会場の日和山公園は人出が物凄かったので、道路を挟んだ日枝神社の境内森の公園で撮影開始。 花もあり、木漏れ日で光線も柔らかく撮りやすい。 カメラの七桜の人がトロ箱の蓋で作った即席レフ(ちゃんと表は白、裏は銀になっている)を用意してくれたので非常に助かった。
撮影慣れしている客がメンバーそれぞれに一人は付いていたので、その客がその場を仕切りつつ撮影するのは前回と同じだったが、会場が広すぎて一度一人に付いてしまうと他へ行かれないのが辛い所。
日和山公園の端のほうの花見客が少ない所へ移動して更に撮影。 ここでも撮影場所がばらけてしまって大変だった。
更に酒田港へ移動したのだけれど、これは完全に蛇足だった。 全く日陰が無いところで長時間女の子を立たせるのは良くないし、潮風に当てつづけるのも更に良くない。 風が吹きっぱなしなので、髪の毛も見る間にベタついて来るし、乱れるしで写真にならない。 光線がきつく、太陽の位置も低いので眩しくて順光では撮れないし、逆光位置だとレフを当てても光量が追いつかない。 こういうことは日記に書く前に現場で言うべきなのだが、撮るだけ・目の前の現場を仕切るだけで精一杯で、ここまで考える余裕が全く無かった。 関係各位にこの場を借りてお詫び申し上げたい。
次回からは機材を整理し、当日までの予定も無理の無い物にして、余裕を持ってイベントに臨みたい。