晴れた日曜の午後とあって、ごった返すと言う程ではないが、なかなかの集客。
作者在廊中となると更に混むので、早めに行っておいて良かった。
画廊での写真展なので当然販売もしているのだけれど、「被写体が誰某である」と言うのと売れ行きには特に相関が無さそうなのが面白い。
良いと思われた、手元に置きたいと思われた作品が買われて行く。
売約済の作品の横には赤いシールが貼られるのだけれど、私が見ても面白いと感じる写真が売れていた。
結果としてどうなるかは見る人夫々の嗜好に係るので措くとして、撮影者としては性的興奮を惹起せしめることは意図しておらず、美しいと思ったものを美しく切り取って写真として形にしている。
私が気に入ったのは美しいものに隠し味として悪戯心と諧謔を一滴垂らしたもの。
この一滴が効いている。
中央線に乗ったところで洒落のきつい土砂降りになり、駅で遣り過ごしてからギャラリーニエプスへ。
「66から」とタイトルにあるように、当初はリコーフレックスで撮影した写真を中心に展示する予定だったが、選んでいるうちにそれ以外の物が増えてしまったとの事。
左側の壁、パリはローキーに柔らかく。
右側の壁、ヨルダンはハイキーにかっちりと。
ローキーなプリントは「黒」と「黒と灰色の間の色」の間の色。
ハイキーなプリントは、白く飛んでしまうところは飛んでしまうに任せて、残ったところの黒と灰色で絵を作る感じ。
ヨルダンとパリ、土地々々の光と空気、撮影者の心情や気分などが写真に出ているように感じられた。
ヨルダンで撮影した作品のテストプリントを見せた戴いたのだけれと、テストプリントの常で色味を確認した後の処理が雑になり、定着不足で変色してしまったプリントが幾つか有った。
出そうとして出せるものでは無く、変色も進行してしまってこのままの色では保存出来ないのだけれど、その変色ぶりがまた味わい深かった。
バライタ紙の手触り、定着不足のプリントの匂い。
撮ってフィルム現像してプリントしたくなる、物狂おしい後味の写真展。