東京都写真美術館へ。
纏まった数のアジェのオリジナルプリントが、見やすい環境で見られて入場料は600円。 これには感謝すべきだろう。
ここまでは良い。
鶏卵紙に焼き付けたアジェのオリジナルプリントは、古びてこそいるがアジェの意図を反映したプリントに成っている。
画面構成が巧みで、写したい建物や彫像・人物を一と目でそれと分かるように簡潔に配置している。
鶏卵紙の限界も有ると思うが、あっさりしたプリントで暗部を潰さないのも分かりやすさに貢献。
仕方がないと言えば仕方がないのだけれど、三階の展示スペースを埋めるには如何せん数が少ない。
続いて、アジェを「発見」したベレニス・アボットがプリントし直した物が展示されるのだけれど、黒の締まった美麗なゼラチンシルバープリントになってしまっている。
プリント作業はネガに残された情報を解釈するものなので、アジェのネガでありつつアボットの意志が反映され、美しくはあるのだけれどアジェのプリントの特徴であった「わかりやすさ」は影を潜める。
アボットやマン・レイに「発見」された事で、最晩年のアジェは日の目を見る訳だが、それは誤解・曲解を多分に含んだ評価であり、シュルレアリスムの先駆としての評価には戸惑いも見せているのだけれど、そのあたりの説明は無い。
アジェがどんな写真をどう言う意図で撮ったかは横に置いて、アジェがどう評価され、解釈されたかのみが語られて行く。
マン・レイは「マン・レイ」以上でも以下でもなく、アジェの影響より独自性の方が目立つので、「ひきつがれる精神」の企画意図は先ずここで破綻する。
ベレニス・アボットからウォーカー・エバンズ、リー・フリードランダーへの流れまではなんとか「アジェの影響」を感じられるのだけれど、森山大道から先の本邦の写真家の作品群はこじつけも甚だしい。
アジェからの直の影響としては木村伊兵衛から桑原甲子雄への流れに触れるべきであり、そこから荒木経維に繋ぐならまだ分かるが、1920年代までのフランスの写真家の影響を1970年代以降の日本にいきなり繋げるのは乱暴に過ぎる。
そもそもの話、マン・レイらによるアジェの解釈には無理があり、その系譜に有るものが企画したからこその「こじつけ」であり、
(写真展の説明にシュルレアリスムの先駆として持て囃された「日食の間」を持ってきているのがそれを象徴している)
世に出た瞬間から解釈と曲解の歴史であってた事を象徴していると言う点に於いて、また「改めて踏み付けにして見せる」と言う点に於いて、アジェと言う写真家の不幸を分かりやすく見せてくれた写真展であった。
地下一階から地上の三階まで、四つの展覧会・上映会が、それぞれ別の料金で開催されているのだけれど、受付には展覧会一覧も料金表も無い。
受付の係員の一人が展覧会一覧の表をもって来場者の対応をしていてたが、現場に設備の劣悪さの尻拭いをさせる設えに成っているのが先ずいただけない。
一階の総合受付の横にあったミュージアムショップを二階に移した事も含め、改装して不便になると言うのが分からない。
何の為の改装だったのか。