主力機としてRTSII、これを露出計代わりにしてライカD-IIIとローライコードとプラウベル。 押さえでフジカST605もしくはペトリV2に超広角。 フィルムは35mmがコニカパン100、ブローニーがアグファAPX100.
最近どうもマンネリ気味なので、気分を変えて最近使っていないカメラを持ち出すことにした。 安定したネガが欲しいので、当分フィルムは変えない。
ペトリ35(45mm/f1.9付き)にワイド・テレコンバージョンレンズを付けて見る。 蛇腹はバルダックス(75mm/f2.9トリオプラン付き) で絞り気味にして被写界深度を深めに撮ってみる。 フジカには最近使っていない標準レンズ(オプトンテッサー50mm/f2.8、プリモター50mm/f3.5、ヘリオス44-4 58mm/f2)あたりを付けて見る。
ペトリ35(45mm/f2.8付き)で押してみる。 ライカにはズマリット50mm/f1.5を付ける。 とにかくこんな感じでやって見ようと思う。
アイドルのものに限らず、噺家の楽屋撮った奴とか木村伊兵衛とか ちくま文庫 で出ている奴などもいろいろ持っていますが、場所を取らなくてなかなか良いです。
然し乍ら、写真と言う物は、引き伸ばす大きさによって見え方が可也り変わってくるので、大きな版形から文庫版に変えて構成がそのままだと、見づらかったり冗長だったりする事があります。 例えば小さな写真をコラージュして有ったりすると、文庫版まで縮小したらもうなんだかわかりません(苦笑)。
そこまで極端でなくても、A3とかB5なら見開きで視野一杯にどーんと来る写真も、文庫版だとただの小さい写真になってしまいます。 レンズの焦点距離の違いによる効果も、引き伸ばす大きさによって変わってきますから、ちゃんと編集しなおしたものをお求めになる事をお奨めします。
ここ2た月くらい、就業時間が10時間を切らない。 実質拘束時間と通勤時間、睡眠時間を引くと殆ど時分のために使える時間が無い。
何のためにへらへらふらふらしてるんだか判らない。 ・・・と言うか、全然ふらふらへらへら出来ていない。 由々しき事だ。
20日に「おはよう庄内割引きっぷ」で酒田へ移動。 市内散策と土門拳記念館、白鳥の餌付けなんかをしてから浪漫亭でクズヲタ忘年会。
明けて21日はゆっくり起きて1時からSHIPクリスマスライブ→2時半からクリスマスパーティー。 終了後、土産とつまみを買って新幹線で帰京予定。
りえくらぶのサイトで社長と所属タレントの日記が計3本スタート。
阿部千明の日記
桑原彩美の日記
かがわりえ(しゃちょー)の日記
但し、りえりえの日記は9/26で止っている。 かなり忙しそう。 ・・・と書いたそばから更新されていた。
仕事を終えて帰ろうと思ったら、上司たちが深刻な面持ちで鳩首会議。 我々にもふりかかる火の粉かもしれないが、それは月曜日以降の話。
後味の悪いまま退社。
一週間働いて精神的にかなり疲れているので、今週はプリント作業をせず、都内某所でだらだら過ごす事にして、暫らく動かしていなかったプレイステーションとソフト2本を持って都内某所へ。
先週の残りの酒とつまみを突付いたり呷ったりしつつ、島津貴久で天下統一。 九州を制圧した所で寝た。
馬鹿が五月蝿くて聞き取り難い部分もあったが、星野を中心に聞き耳を立てる。
「これ迄で一番泣いた一年だったけれど、素敵な笑顔にも出会えた」と星野。
歌以外は全くの素人のところから、よく此処まで来たと思う。 見るからに必死に踊っていたのが、ごく自然に柔らかい表情で動けているし、大島や折井と顔を見合わせて微笑む余裕すら出来た。
星野の振りの特質については、また項を改めて。
夏まゆみから一人づつ花を貰う段では、「ピンクはひぃちゃん(駒谷)にとっておいてあげて下さい。」と残り物を貰う星野。
開演までには着ける筈がなんだかんだで忙しく、七時を廻ってから到着。 土日にしては何時になく平和なカフェにて観覧。
八階に昇ると「制服が邪魔をする」も終盤、カフェに着いた頃、「夏が行っちゃった」。
今日の星野は何やらポニーテール状の髪型。 モニター越しに見るには判りやすくて良い。
モニターで見ていると、動き方に特徴のあるメンバーが目を惹く。 中西然り峯岸然り、大江もまた然り。
増山の髪の毛の躍らせ方の上手いのには関心した。 「頭のてっぺんから爪先まで」なんて言い方をよくするが、この娘は髪の毛の先の先まで神経が通っている感じ。
アンコールのイントロ部分、星野が隠し芸?の一反木綿(一反木綿に見立てた、顔を描いた白い布を頭上に掲げて走り回る捨て身の一発芸)で登場、美味しいところを全部持って行ってしまった。
アンコールの感想コーナーもそれに言及する者多数。
「みっちー(星野)の芸?パフォーマンス?は、シンガーソングライターには勿体ないと思いました。」と峯岸。
「がんばってそんがーしんぐらいたーになってください」と小嶋。
これは中で見たかった。
今月も書評イベント的なものに混ぜていただいた。
日の暮れ方に東神奈川へ。 諸式高騰の煽りで、日栄軒は11日から値上げ、ネギ大盛りも有料になるとの事。
世知辛さを噛み締め乍ら会場へ。
私以外の十冊はこちら
丸岡巧
久世光彦「卑弥呼」(2000/新潮文庫) ※親本・1997/読売新聞社
サイプレス上野「ジャポニカヒップホップ練習帳」(2016/双葉社)
大槻ケンヂ「おまけのいちにち(その連続)」(2015/PARCO出版)
とり・みき「メカ豆腐の復讐」(2016/イースト・プレス)
大塚幸代「初恋と座間のヒマワリ」(2013/リイド社) ※電子書籍のみ
小林銅蟲「めしにしましょう」1巻(2016/講談社イブニングKC )
山名沢湖「結んで放して」(2016/双葉社 ACTION COMICS )
施川ユウキ「バーナード嬢曰く。」3巻(2016/一迅社 REX COMICS )
小原愼司「青猫について」1巻(2016/小学館 ビッグスピリッツコミックススペシャル)
太宰治「人間失格 グッド・バイ 他一篇」(1988/岩波文庫)
倉庫の二階・村田席亭
大西信行「正岡容 -このふしぎな人-」(1977/文藝春秋)
マイウェイ昌彦「人気独占! 拍手のあらし ザ・一人芸」(1989/高橋書店)
マイウェイ昌彦「みんなで楽しめる ザ・宴会芸」(1989/高橋書店)
種村季弘「徘徊老人の夏」(2008/ちくま文庫) ※親本・1997
「月刊シナリオ教室」2016年12月号(シナリオ・センター)
「短歌」2016年12月号(KADOKAWA)
「幸縁会会報」平成28年12月1日号(談幸幸縁会事務局)
小島なお「歌集 サリンジャーは死んでしまった」(2011/角川書店)
川上ゆう「ソノ先が、知りたくて」 (2016/双葉文庫)
亜衣まい「【朗報】ソープ部の顧問になったんだけど研修といってエロいことするの楽しすぎwww」(2014/ぷちぱら文庫 Creative)
ドジブックス・佐藤晋
夏目漱石「吾輩は猫である」(1990/岩波文庫) ※改版
吉本隆明「読書の方法 なにを、どう読むか」(2006/光文社知恵の森文庫)
曽根幸明「曽根幸明の昭和芸能放浪記」(2007/廣済堂)
猪又孝・編「ラップのことば」(2010/ブルース・インターアクションズ)
クリス松村「「誰にも書けない」アイドル論」(2014/小学館新書)
井上二郎(チャーミング)「芸人生活」(2015/彩図社)
爆笑問題 町山智浩「自由にものが言える時代、言えない時代」(2015/太田出版)
MELODY KOGA 「やさい」(2016/ MARUTENN BOOKS )
「漫画アクション」2016年12月20日号 ※こうの史代×のん スペシャル対談 (双葉社)
「悲劇喜劇」2017年1月号 ※特集・落語と演劇 (早川書房)
私の十冊は、こんな感じ。
Akihabara48 Welcome book vol.1(2006/AKS)
「涙は句読点 普通の女の子たちが国民的アイドルになるまで AKB48公式10年史」(平成28年/日刊スポーツ新聞社)
由良拓也「由良拓也のらくがき帖」(1994/二玄社)
立川流トンデモ落語の会 「本家立川流 第七号」(2005/立川流トンデモ落語の会)
萩原朔太郎「猫町 他十七篇」(1995/岩波文庫)
作:萩原朔太郎 絵:金井田英津子「猫町」(1997/パロル舎)
仲谷明香「非選抜アイドル」(2012/小学館新書)
東京都写真美術館「東京・TOKYO 日本の新進作家 vol.13」(2016/Case Publishing)
村田兼一「魔女の系譜」(2016/玄光社)
「スクランブルエッグ 第2号」(1995/Pen Station)
久世光彦「卑弥呼」は、読売新聞の夕刊に連載されていたもの。
「吾輩は猫である」の手法を取り入れて書かれており、時代の風俗を鏤めたり、文学小ネタを織り込んだりしてあるとのこと。
後書きの先にある新潮社の出版物紹介のページ。 久世光彦の著作の後に作品の中で触れられた著作がズラリ並んでいるのも面白い。
曽根幸明「曽根幸明の昭和芸能放浪記」は、ですます調の淡々とした文章で血生臭いあれこれがサラリと書かれているのが却って恐ろしい。
そんなこんなで「何が」「どう」琴線に触れたか話しているうちに、他の人の選んだ別の本との関りが出てきたりする。
面白かったのは、著作に接している人とツイートでしか知らない人とでは所謂「サブカル蛇おじさん」の評価が異なっていたこと。
私なんぞは、あのプライドの高い人特有の、自分の好きなアイドルを肯定するためにそれ以外を否定するような振る舞いが嫌いなのだけれど、著作に親しんで来た人は同情的。
逆に松谷創一郎については、ツイートと書いた記事でしか知らない人は否定的、私は多少付き合いがあり「数字には強くて理詰めの文章は書けるが、人情の機微にとことん疎いしょうがない人」と言うのがあるので「まぁまぁ」となる。
そう言うものなのである。
Akihabara48 Welcome book vol.1(2006/AKS)
AKB48の正式名称が"Akihabara48"だった頃、劇場で販売されていた冊子。
2006年の2月19日発売。 (1stシングルの「桜の花びらたち」は2/1発売)
AKB48のシステムの紹介(実際にはそうならなかった1軍2軍システム)、公演楽曲とメンバーの紹介、コラム、客が撮ったお台場イベントの写真コンテスト。
このコラムを書いているのが、後述する岡田隆志。
奥付のSpecial Thanks に電通から12人、電通テックから1人。
「涙は句読点 普通の女の子たちが国民的アイドルになるまで AKB48公式10年史」(平成28年/日刊スポーツ新聞社)
今年の春に日刊スポーツから出た、公式10年史。
かなり綿密に、運営側には都合の悪そうな事も含めて取材されている良書。
初期の客を集めて昔話をさせる座談会に呼ばれて行ったが、相当マズそうな事以外はだいたい反映されていて驚いた。
これの編集にも岡田隆志。
「スクランブルエッグ 第2号」(1995/Pen Station)
岡田隆志が編集長を務めていたアイドルと芸能スクールのミニコミ誌。
表紙と巻頭にアイドル時代の浜崎あゆみ、「お芝居がやりたい。歌はそれからでいい」
エッセイに、後に椎名林檎になる人。
仲谷明香「非選抜アイドル」(2012/小学館新書)
草創期のAKB48の活動は、劇場公演と呼ばれて出た外部イベント(電通が絡んでいるのでCMなどのタイアップは当初からあった)のみ、後ろ盾はあったものの知名度は低く、マキタスポーツの言うところの「第二芸能界」にあるグループだった。
それが売れ出すとテレビに出られる連中と出られない連中に分かれて来る。 出られる連中は知名度が上がり、外部の仕事も増える、出られない連中は劇場公演に出続けて、そこで見つけてもらうしかない。
(当時はまだ「握手会」が仕事の殆どと言うバカバカしい状況にはなかった)
劇場公演に外部仕事で穴をあける連中の代演に如何に出られるようにするかに特化して努力を重ねて一定の成功をみたのが仲谷明香。
その後AKB48を辞め、事務所も辞める際にはきな臭い話も有ったが、新しい事務所に移り、とりあへずは声優として飯を食えている。
現在は劇場公演での出来不出来より、握手会での社交性がのし上がる為には必要になってしまい、また握手会対応で相対的に客がついても、絶対的な人気の量には繋がらない八方塞がりの状況にある。
なので第二芸能界の住人であるメンバーが立つ瀬も浮かぶ瀬も無く、それに絶望してか辞めて行く連中が近年になく多い年となったが、それはまた、別の話。
萩原朔太郎「猫町 他十七篇」(1995/岩波文庫)
作:萩原朔太郎 絵:金井田英津子「猫町」(1997/パロル舎)
萩原朔太郎の短篇小説3本と散文詩13篇、随筆2篇が集められたもの。 紙幅の1/3くらいが解説に充てられている。
表題作の「猫町」は道に迷った際に既知の街並みが未知の街並みに感じられるさまを幻想的且つ何かに酩酊したかのような筆致で描いたもの。
それを絵本に仕立てたのが金井田英津子の「猫町」。
絵だけでなく、書体やレイアウトも含めて物語の怪しげな感じを視覚的に伝える為に組み上げられている。
由良拓也「由良拓也のらくがき帖」(1994/二玄社)
レーシングカーデザイナーとしてインスタントコーヒーのCMに出て「違いの判る男」になっていた人がカーグラフィックに連載していた落書き随筆をまとめたもの。
宮崎駿の雑想ノートと並ぶ良書。 車だけでなく、飛行機や船まで、動くかっこいいものについて描いているのだけれど、線画だけの雑なイラストが三次元的に生き生きと描かれている。
P107からの「オタクについて」の項。 オタクというものの由良拓也なりの解釈は「没入する深度」にあるような文章。
立川流トンデモ落語の会 「本家立川流 第七号」(2005/立川流トンデモ落語の会)
「正岡容を浅草で語る」の会で触れられた、安藤鶴夫的な演芸との向き合い方と正岡容的な演芸との向き合い方、本寸法ではないけれど愛おしい芸をどう評価するかについて考えつつ、本棚を整理していたらこの号が出てきた。
アンツル的な落語の対極にあるもの。
快楽亭ブラック師の除名と大病、立川談笑師の真打昇進がトピック。 談笑師の弟子は、トンデモ落語会から離れて以降の高座を見た人々なので、この頃の芸風は知らない。
村田兼一「魔女の系譜」(2016/玄光社)
フォトテクニックデジタルの連載を纏めたもの。
カラーで撮ったものと、モノクロで撮って彩色したものとあるのだけれど、彩色したものが私の好みに合う。
必要なところにしか色を乗せていないので、色が五月蠅くない、邪魔にならない。
カラーで撮った物にも通底していて、余計な色が無い。
この写真集に絡めて神保町画廊の話など。 この写真集も出版記念写真展の際に購ったものであり、年間を通して面白い写真展を開催している。
東京都写真美術館「東京・TOKYO 日本の新進作家 vol.13」(2016/Case Publishing)
現在開催中の写真展。 こちらについては別項にて。
東京都写真美術館へ。
纏まった数のアジェのオリジナルプリントが、見やすい環境で見られて入場料は600円。 これには感謝すべきだろう。
ここまでは良い。
鶏卵紙に焼き付けたアジェのオリジナルプリントは、古びてこそいるがアジェの意図を反映したプリントに成っている。
画面構成が巧みで、写したい建物や彫像・人物を一と目でそれと分かるように簡潔に配置している。
鶏卵紙の限界も有ると思うが、あっさりしたプリントで暗部を潰さないのも分かりやすさに貢献。
仕方がないと言えば仕方がないのだけれど、三階の展示スペースを埋めるには如何せん数が少ない。
続いて、アジェを「発見」したベレニス・アボットがプリントし直した物が展示されるのだけれど、黒の締まった美麗なゼラチンシルバープリントになってしまっている。
プリント作業はネガに残された情報を解釈するものなので、アジェのネガでありつつアボットの意志が反映され、美しくはあるのだけれどアジェのプリントの特徴であった「わかりやすさ」は影を潜める。
アボットやマン・レイに「発見」された事で、最晩年のアジェは日の目を見る訳だが、それは誤解・曲解を多分に含んだ評価であり、シュルレアリスムの先駆としての評価には戸惑いも見せているのだけれど、そのあたりの説明は無い。
アジェがどんな写真をどう言う意図で撮ったかは横に置いて、アジェがどう評価され、解釈されたかのみが語られて行く。
マン・レイは「マン・レイ」以上でも以下でもなく、アジェの影響より独自性の方が目立つので、「ひきつがれる精神」の企画意図は先ずここで破綻する。
ベレニス・アボットからウォーカー・エバンズ、リー・フリードランダーへの流れまではなんとか「アジェの影響」を感じられるのだけれど、森山大道から先の本邦の写真家の作品群はこじつけも甚だしい。
アジェからの直の影響としては木村伊兵衛から桑原甲子雄への流れに触れるべきであり、そこから荒木経維に繋ぐならまだ分かるが、1920年代までのフランスの写真家の影響を1970年代以降の日本にいきなり繋げるのは乱暴に過ぎる。
そもそもの話、マン・レイらによるアジェの解釈には無理があり、その系譜に有るものが企画したからこその「こじつけ」であり、
(写真展の説明にシュルレアリスムの先駆として持て囃された「日食の間」を持ってきているのがそれを象徴している)
世に出た瞬間から解釈と曲解の歴史であってた事を象徴していると言う点に於いて、また「改めて踏み付けにして見せる」と言う点に於いて、アジェと言う写真家の不幸を分かりやすく見せてくれた写真展であった。
地下一階から地上の三階まで、四つの展覧会・上映会が、それぞれ別の料金で開催されているのだけれど、受付には展覧会一覧も料金表も無い。
受付の係員の一人が展覧会一覧の表をもって来場者の対応をしていてたが、現場に設備の劣悪さの尻拭いをさせる設えに成っているのが先ずいただけない。
一階の総合受付の横にあったミュージアムショップを二階に移した事も含め、改装して不便になると言うのが分からない。
何の為の改装だったのか。
# echo [最後まであのイベントに期待していた僕とLiweさんは、間違っていました。]