諸事多端でチケットを買いに来る余裕もなく、貰ったキャンセル待ち券も三桁になんなんとする番号。 虚しくカフェ観覧。 無駄に人が多い。
歌の間は静かで、MCになると喋り始める客が多い。 逆にしてくれると有り難いのだけれど、まぁ向こうには向こうの都合が有るのだろう。
「青春ガールズ」の出だし。 着ていたベストを脱いで振り回すところで勢い余って放り投げてしまったのが居て、上手側のステージにフワリと落ちた。 いつまでもおんぶに抱っこでは不味いと思うが、結局動きの中で拾って片付けたのは渡邊。
派手にすっ転んでいたりもしたが、松岡の思いきりの良い動きが目を惹く。 身体の柔らかさを生かした、撓めが利いた動きが美しい。
ビルの裏手でチームAの時によく見た音響屋と擦れ違って奇異に思ったのだけれど、チームBにしては珍しく、腕の良い音屋が入っていたようだ。
中で見ていた友人の話では収録が行われていたそうで、そのために呼ばれたようだが、流石に良い仕事をしていて、マイク音量をかなり上げてあってもハウリングが殆ど起こらず、起こっても直ぐに収束していた。
こうでなくては。
「Blue rose」。 もうすぐ辞めて行く渡邊を見ながら色々考えていたら、「キスはだめよ」の振り付けがなかなか揃わず、大きな鏡が無いのでメンバーの部屋に集まって、窓に映る自分たちの姿を見ながら自主練習をしたなんて話を思い出した。
その当事者たる浦野と渡邊の居るこのユニット。 私は四人四様、それぞれの解釈の違いを面白く見ているが、見方を変えれば統一感が無いとも言える訳で。 劇場から足が遠のいている友人の発した「ゆるい」と云う言葉が頭に浮かんだ。
「ゆるい」のだろうか。 私はゆるいとは思っていないのだけれど、そう思う人も居るし、それが間違いであるとは言い切れない。
ただ、少なくとも私は「ゆるい」とは思っていないので、反証として考えた事を書き記しておく。
秋元と同じパートを受け持つ浦野の遣り方が「ゆるい」ようでいて「ゆるくない」事を象徴していると思う。
秋元の力強く俊敏な動きを超克しようとするのではなく、飽くまでも浦野らしい動きで別の何かを作り上げる。 縦に踏み越えるのではなく、横に別のものを築いて超える。 親鸞の言う「横超」のような感じ。 それぞれがそれぞれに「自分なり」と言うものを探して演っているからこその多様性だと思う。
チームKの1stでも感じた、同じセットリストを再演した公演に通底する「縮小再生産」のイメージ。 チームBの2ndは再び再演になる訳で、それをどう乗り越えていくのか、楽しみでもあり、不安でもある。
途中で引っ込んでしまった井上は、結局最後まで引っ込みっぱなし。
終演後に2ショットポラが何かの予約を入れていた客に、劇場スタッフが「今日は無理そうです」と説明しているのを耳にしながら家路につく。