会の直前に師匠が亡くなると言う奇禍。 色々あって告知が行き渡らなかったりもしたようだが、八割方埋まった。
「浮世根問」春樹
「宮戸川」談修
「悲しみにてやんでい ~談吉バージョン~」キウイ
「片棒・改の改」談笑
<中入り>
「町内の若い衆」左談次
「鼠穴」談吉
談吉さんのブログにも当日のことなど。
「前売券」「予約」「当日券」と、別に扱わなければならないところ、列は一本。 当日券の列を分けて売ったのは良いが、先に入れようとまでしてしまったので予約の客が激昂。
列を3本作って「前売り」「予約」「当日」の順で入れるのが正解ではあるのだけれど、こうした事に慣れた古参の前座さんが居なかったようではあった。
しかし不手際は不手際だが怒鳴り散らすのはみっともない。 他山の石とする。
揉めたのはコレ位で・・・って、私はとっとと入場してしまったので分からないのだけれど、少なくとも怒号が中まで聞こえるようなことは無かった。
前の方の席、センターブロック、上手・下手、後方と埋まって行き、前述の通り八割からの入り。
友人曰く「日暮里寄席で見掛けるお客さんが多かった」とのこと。
前座ながら手堅い「浮世根問」に始まり、談修、キウイ、談笑とそれぞれがそれぞれの持ち味を出して盛り上げたところでヒザの左談次師がサラリと「町内の若い衆」。 空気を換えたところで本日の主役。
一門の弟子連が密葬が終わるまで知らされなかった中、談吉さんだけは最期の日々に寄り添い、送ったとのことがマクラで語られ、そこから「鼠穴」。
門下から離れてしまった人の高座でよく見るのが「談志の悪いところだけ似ている」という皮肉なのだけれど、似ているところはありつつも全く厭味が無い不思議。
引き込むところは引き込み、すっと引いて笑わせるところは笑わせ、客の感情を操る凄みは既に二つ目のそれではなかった。
終演後もしばらくは立ち上がる気にならず、客が満足そうに出て行くさまを眺めていた。
「最期は家族だけで送りました」ってのが全くの美談にされてしまう事には矢張り未だ抵抗はあるのだけれど、その中に談吉さんが居たというのは救いでもあり、それが談吉さんの芸に生きているのを見られたのは有り難かった。
誘った友人の感想を聞きたくも有りつつ、楽しく話したり飯食ったり出来る精神状態には無く、かと言って素面で帰る気にもなれず、馴染みの悪仲間と安中華屋にしけ込んで語り合って深夜帰宅。
二た月に一度、奇数月の28日に開催される落語芸術協会若手の落語会。 開演が六時半と早いのだけれど、九時頃までみっちり且つゆるゆると。
「なにやら新作」可女次
「持参金」桃之助
「明烏」鯉太
<中入り>
「味噌蔵」笑好
「藪入り」笑松
今回は空前の入りで出演者も受け付けの人も私も驚く。 高座に上がった人が皆嬉しそうに驚いていたのが面白くもあり、微笑ましくもあった。
買って行ったビール飲んだりおいなりさん食ったりしながらのんびり見つつヘラヘラ笑って(時々居眠りして)過ごす至福の二時間半。
わたしはこういうのも良いと思うのである。
来年も奇数月の二十八日に開催とのこと。