逃げ場の無い狭い店内でラインダンスに巻き込まれることを想像するだに恐ろしく、回避しようかと思いつつも現場に行ってみたら、なんとか巻き込まれずにやり過ごせそうな場所を見つけたので見て行く事にした。
ラインダンス厭さに端で見ようとする客は私だけではないらしく、沸きたい方面からちょっと距離を取って立つ人もちらほら。 その間に容赦なく後から来た客が割り込んで行く。
簡易ステージは階段付き。 ワイヤレス受信機からPA機材からスピーカーまで、結構な量を持ち込んでいたのだけれど、頻繁にハウリングが発生。 収束は割と早かったのだけれど、これはPAの腕よりハウるや否や咄嗟にマイクの向きを変えるメンバーの練度によるものだと思われる。
機材が増えれば関わる人も増える。 関わる人が増えれば Negicco の当人たちが食っていくだけでなく、関わる人々の食い扶持も稼ぎ出さなければならない。
売れなきゃ 続かない
食えなきゃ 続けられない
それは重々承知しているのだけれど、引っ掛かる何か。 「この売れ方で良いのか。」
出囃子は完全に小西風味。 風味と言うかカルピスとコーラスの関係のようなピチカート的な何か。
いろいろ思うところはあったが、メンバーが楽しそうだったのは良かった。
幸いラインダンスに巻き込まれることも無く、然程不快な思いもせずにすんだが、一般客も買い物をしている店内イベントで小規模とは言えサークルモッシュが起こっていたのには呆れた。 そう言う客が増えたという事。
それが厭な客は、静かに去って行った。
ラクーアでのイベントの二回目を観覧。 開演前に延々流されていたPVの茅野しのぶインスパイア系制服崩し衣装ではなく、独自色のある衣装で登場。
CDの売り方で下手を打って反感を買った所為か、優先観覧スペースには空席もあったが、その周りを家族連れの民間人を含めた人々が何重にも取り囲む。
橋本環奈の知名度もあり「Rev.fromDVL? 何それ、シラネー」的な冷笑は見る限りに於いては無く、「これがアレか!」的に情報としてある程度浸透している感じ。
歌って踊ってに関してはかなりのレベル。 何と言うかテーマパークのアトラクションのような、健全で練り上げられたステージ。 タップダンスやアイリッシュダンスを取り入れたような振りもあり、見せ場も多い。
冗長に過ぎる仕込み過多な自己紹介さえ簡潔に纏められれば、何処へ出しても務まると思う。
橋本環奈を効果的に中央に据えつつ、「が率いる」ではなく「を擁する」に見える演出も良く出来ている。 金のニオイのする現場を取り巻く壮大な悪意が見え隠れするのは舞台の下だけで、歌い踊る様だけを見ている分には素晴らしい。
観覧スペース後方で怒号が飛び交い、何かと思ったら盗撮だか痴漢だか置き引きだか、男が警備スタッフに3人がかりで取り押さえられていた。 取り押さえられた男は執拗に逃走を試みるので警備スタッフは暫くそちらに掛かりきりになり、見張りが居なくなった隙に職業盗撮カメラマンが湧いて出ていやまぁ撮る事撮る事。
1人はカメラに黒いトレーナーか何かを巻き付けて、警備スタッフを気にしながら撮っていたが、もう1人の爺いの方はもう大っぴらにキヤノンの白レンズ持ち出して撮り捲くっていた。 それだけ金になるのであろう。
もしかすると、捕まった男も同じ穴の狢かもしれない。
面白かったのは媒体への出演告知の中に、地方AM局の番組が含まれていたこと。 これまでは合法的手段では聴きにくかった番組も、有料サービスではあるがネット環境さえあれば聴くことが出来るようになったので、告知する事に意味が出てきた。
吉本興業のお家芸であるところの殿様商売が災いしたところは大いにあったが、舞台の上で起こっていることを見ている分には実に楽しい。
広告塔となった(された)メンバーだけでなく、グループとして売れて欲しい。
MEGA WEB はゆりかもめの青海駅に隣接し、都バスのバス停も至近。 実にトヨタらしい無駄の無い立地。
Negicco 目当てで来ている客以外は、車を見に来た家族連れと海外からの旅行者。
例によって撮影・録音は禁止なのだけれど、旅行者向けの掲示などは無く、そちらはほぼ取り放題。
彼らの目には果たしてどう映ったであろうか。
公式グッズとして売られているにしても、明るいところで光モノを振っている連中の精神構造が私には判らないし、その中に混じって観たいとも思わないのだけれど、心に斜眼帯とシャドーロールを付けて視野を狭搾して対象だけを見て・聴いていると、やはりNegicco は楽しい。
本編が終わってアンコールの声が掛かり「圧倒的なスタイル」。
目当てで来ていない一般客がいる場所でそれなりに知られた持ち歌があると言うのは強い。
ここ一週間のキャンペーンでの手応えもあったと思うのだけれど、実に楽しそうに歌い踊りつつ、観覧エリアの外周を廻って客を煽る。
このあたりは Negicco の真骨頂。 ここまでは良かった。
間奏部分で舞台に駆け戻り、例のラインダンス。
私はこれが厭さにいつも遠目から見ているのだけれど、年々ラインダンス参加への同調圧力は強くなっているように感じる。
混み合う前方観覧エリアは仕方ないにしても、比較的空いていた後方観覧エリアでラインダンスから逃れ得たのは最後方で柵ギリギリまで下がって体をかわしたほんの数人だけであった。
前は圧縮、後ろはサークルモッシュ、どこに逃げても巻き込まれるラインダンス地獄。 もはやのんびり楽しめる Negicco は地球上の何処にも存在しない。 「チケットが売れていない」とボヤいていたが、それもむべなる哉。 のんびり楽しみたい客を排除してしまったのだから仕方が無い。
私は全体主義の息苦しさは為政者から齎されるものではなく、大衆が自ら求め、追い立てていくものだと考えているのだけれど、Negicco の目に見える形での盛り上がりを安易に求めすぎた結果のラインダンス同調圧力も、そうしたい客が導いた結果であり、(意図したかどうかはさておき)ラインダンスをやりたくない客を排除して、現在の状況がある。
客に気持ちの悪い儀式(ラインダンス、肩組み、大移動など)への参加を強いるアイドルの現場で「そうしない自由」が "客によって" 否定される気味の悪さ。
来なくなる客は大抵何も言わず語らず去って行く。
Negicco は(客も送り手も)文革期に突入した印象。 何処かで釦を掛け違ってしまったのではないか、そんな気がしている。