早めに着きすぎたが時間を潰せるような所は無い。
外をうろついてみるも余りに寒く、入り口に戻ると整理券の配布が始まっていた。
受け取って整列、しばらく待って開場。 番号順に入場し、近すぎず遠すぎず、全体を俯瞰できる位置に着席。
開演前の前説で携帯・スマホの電源は完全に切るようにお願いがあったが、まぁ聞いちゃいない。 良い年をした大人がそれを聞き流して弄っている。
案の定着信音がなる場面も。
例によって土橋亭の冗長な挨拶で始まる。
出演順はこれから籤引きで決めるとのことで、番号札の入った封筒を選ばせて中を改める。
錦魚、談奈、らく里で中入り。 ヒザでらく朝、トリは志ららの順。
サラ口は軽い噺を、中トリは中トリ、トリはトリらしいネタを遣るだろう的な事を土橋亭はパァパァ喋っていたが、手前ぇの人生が掛かったところでそんなことになる筈も無く、五人が五人大ネタを掛けていた。
このあたりからも企画としての雑さ加減が垣間見える。
一人目は義理でも二人目は良いと思った演者にとのお願いもあったが、二人目は義理のある演者に有利になるように入れるのが人間の
エゴと言うものであり、そうしたものと向き合った落語家の後継者が吐く科白でもなかろう。
「寝床」 錦魚
「井戸の茶碗」 談奈
「谷風情相撲」 らく里
<中入り>
「佃煮屋」 らく朝
「包丁」 志らら
「寝床」
義太夫に因んだマクラを振り始めたところでそれと察した客がざわつき、大根多が並ぶ会になることを覚悟する。
さら口で大根多と言うこともあってか始めは硬さもあったように感じられたが、尻上がりに調子を上げてサゲまで大過無く。
「井戸の茶碗」
細川の家来の筈が加藤清正の家来と言ってしまったり、細かいウッカリや仕込み違いなどはありつつ、そのあたりをうまく丸めて一席遣りおおせるところがこの人らしくあった。
ところどころで妙に現代に繋げるクスグリを入れたのは余計だったように感じたが、ベタな方が受ける真打ちトライアルの客筋からするとこれで良かったのかも知れない。
「谷風情相撲」
「佐野山」で演られる事が多いが、講釈由来の噺と断っていたので「谷風情相撲」としておいた。 相撲噺を十八番にしている文字助師もこれでやっていたと記憶している。
相撲の小咄のマクラで都々逸の後半が出て来ないハプニングもありつつ、そこは端折って先に進み、全体としては上々の出来。
中入りで
「あそこはどれくらい減点すれば良いんですかねぇ?」
「致命的ですよね。」
などとしたり顔で喋っている客が居た。 こうした本質の見えないバカでも審査員気取りでおやかってしまう。 客に評価を委ねると言うことは、こんな悲喜劇も生む。
噺が本筋に入って盛り上がるとマクラの些末な瑕疵はどうでもよくなる。 まぁ、それと分からぬようにウヤムヤにするのもうでなのであるが。
「佃煮屋」
心筋梗塞をテーマにした自作の健康落語。 「細かいことを気にしすぎずおおらかに暮らすのが予防になる」と言う教訓を織り込んである。
商社の食品部門の部長が心筋梗塞の発作で仮死状態からの臨死体験を経て江戸時代の佃煮屋の番頭に転生。
そこでおおらかに暮らすヒントを得る筋書き。主人公以外の役柄が希薄だったり、筋が刈り込み不足のところもまだあるが、これまで聞いた健康落語の中では出来の良い部類。
細かいところを気にしすぎる例として血液型の小噺。 マクラとは言え医者が疑似科学ってのはいただけない。
「包丁」
真打ちトライアルにあたって師匠から出された課題を真に受けすぎて萎縮していた感はあったが、前回今回と「らしさ」の片鱗くらいは垣間見られた。
小唄はまぁナニがアレだが、スラップスティックコメディとしてはそれなりの出来で、 酔った振りをして口説きに掛かって肘鉄を喰らう下りの馬鹿馬鹿しいやり取りに「らしさ」の片鱗は見られた。
このあたりを膨らませつつ他を端折るくらいに思い切ってしまっても良かったのではないか。
開票までの間繋ぎに理事3人(里う馬、談四楼、志らく)で講評めいたもの。 途中で演者5人を呼び込む。
当初「一位は無条件で真打、あとは状況によって」的な話であったが、5人全員十月一日を以て真打と言う事で決定したと発表。
満場の・・・かどうかは判らないが、大きな拍手が起きていた。
私も落としどころとしては良いと思う。 終演後に話した知己も概ね同意見であった。
「この日の一位は志らら、全6回の総合得点では らく朝一位」とのみ発表。 この日の2位や全得票全順位などは発表されず、 土橋亭がダラダラ喋って居るうちに時間切れと言う感じ。
最悪の結果は避けられたが、様々な禍根も残した訳で後味としては悪いトライアルであった。