今年も面白いもの詰まらないもの、唸らされるもの首を捻らざるを得ないもの、息を呑むもの唾棄すべきもの、様々な写真展を見た。
それぞれの感想などは「2016 写真展まとめ」に。
見た後で「写真を撮ろう」と前向きに思えた写真展としては。
石川栄二写真展 「みずとか はなとか はっぱとか」
檜画廊写真展「街の記憶・建物の記憶」
写真展「私的写真集選手権」Vol.4
舞山秀一写真展 [progress]
写真展 『’Inhabitants’ 居住者』
ササガワ ヨウイチ写真展「ヨコハマ モダン スタイルズ」
人そのものより「人の気配」を感じられる写真が私は好きなのだけれど、それをどう切り取るかについて自分とは違う視点で撮られたものを見た後、どう写るのか試してみたり、考えたり。
女性を撮ったものとしては
村田タマ写真展「いまは、まだ見えない彗星」
村田兼一「作家生活20周年を斜めから観る」展
七菜乃写真展 私の女神たち -My Venuses-
it’s me 桑島智輝 × 杉本有美
村田兼一「魔女の系譜」出版記念展
Noriko Sakai 30th Anniversary Concert ~熊本地震復興支援写真展~
私には撮れない種類の写真なので、感嘆するほかない。
村田兼一の写真展は、二度とも財政がカツカツの状態で観に行き、熱に浮かされるように写真集を購ってしまって大変なことになった。
七菜乃の撮る女性の躰は、現実でありつつもそうでない何かのように見える不思議なものだった。
写真展と言うものの企画の仕方、運営の仕方について考えさせられたものとしては
声かけ写真展
『シースルー写真展』1・2
月刊槙田紗子×魚住誠一写真展
Noriko Sakai 30th Anniversary Concert ~熊本地震復興支援写真展~
ミスiD×青山裕企 写真展「わたしだけがいない世界。」
Photo Infinity Tokyo 2016
声かけ写真展は、主催者の趣味嗜好を肯定し喧伝するために、故人を含めた撮影者を利用主義的に扱うところからして不快だった。
被写体がアイドル(もしくはそれに準ずるもの)である写真展でありがちだったのが、写真には用が無くて被写体と接近遭遇を目的とした来場者が多く、写真の前を塞いで屯してしまうこと。
そう言う人がが寧ろ写真の購入者であったりはするので、無碍にも出来ないのであるが。
ミスiD×青山裕企 写真展「わたしだけがいない世界。」は、ミスiDと言う出鱈目な企画の派生イベントらしいいい加減さで、写真を見せると言う事について殆ど何も考えていないに等しい見辛さだった。
Photo Infinity Tokyo 2016は写真そのものの質は悪く無いのだけれど、飲食店街と仕切りなしで接しているので見る環境としては最悪に近かった。
小林幹幸はもっともらしい発言の割に、やっている事は雑なのがいただけない。
圧倒されて帰ってきたものとしては
ZOO 舞山秀一 写真展
東京・TOKYO 日本の新進作家vol.13
刺激を受けるとかそう言うレベルのものでは無く、頭を抱えて帰宅。
今年は神保町画廊、ギャラリー・ニエプス、 tokyoarts gallery などに足を運ぶ機会が多かったが、秋口に東京都写真美術館が(多少問題はありつつも)再開され、年明けにはルーニィが広くなって小伝馬町に移転。
来年はアンテナをより高くして、写真を見て行きたい。