既存誌の増刊と言う体際の物も多いが、グラビア誌も増えてきた。 顔付けの面白かった物をサルベージ。
中井りか
巻頭10ページ18カット、撮影は藤代貴則。
撮影者のクレジットが胡麻粒のように小さい事からも、この本に於ける写真と言うものの扱いが窺い知れる。
カメラマンも編集者も「首切り」「串刺し」と言った人物を撮る上での禁忌に無頓着。 被写体とは或る程度向き合えているが、画面全体に神経が行っていない。
ヘアメイクもスタイリストも仕事は出来ているので、編集者にどんな絵でどんな物語を紡ぐかのイメージが出来ていない、カメラマンに伝えられていない、もしくは丸投げ、と言う事なのであろう。
ページ毎に色味もバラバラ。 グラビア誌を作るだけの力量がそもそも無いようでもある。
中井りかは静止画になると、その妖しげな魅力が引き出されない憾みがある。 一寸勿体ない。
違う媒体でお目に掛かりたい。
北原里英
8ページ13カット、こちらも撮影は藤代貴則。
「首切り」「串刺し」の写真がちらほら。 画面を構成する線のうち、手前に来ているものは見えていて、構図に生かしたりも出来ているが被写体より奥にあるものについては丸で見えていない。
悪くない構図だと今度はレタッチが左官屋。 漆喰で塗り固めたアイドルなんざ、ゾッとしない。
北原の撮られ方、こちらは出来ている。 一時期は表情もポーズも硬く強張っているようなところもあったが、大きな器を任せられて肚が据わったのか、カメラと上手く向き合えている。
違う媒体でお目に掛かりたい。
本間日陽
8ページ12カット、やはり撮影は藤代貴則。
人生照る日もあれば曇る日もある。 ちゃんと撮って貰える機会もまたあるだろう。
5ページ目、窓際で伏し目がちなカット。 これだけは良く撮れている。
違う媒体でお目に掛かりたい。
柏木由紀
7ページあるインタビューの中に5カット、撮影は桑島智輝。
色々有って住み替え(兼任だが)をしたうらぶれ感のようなものが髪や肌に出てしまうのを糊塗せずに写し取りつつ、きちんと絵にもしている。
最後の見開きのカット、今の柏木の、それでもゾクリとさせられるところを掬い取っている。
違う媒体でお目に掛かりたい。
高倉萌香
4ページ7カット、撮影は大石隼士。
背景を描く線に貫かれているカットはあるのだけれど、正中線を外していたり、目の高さに通していたり、気にならないようにする工夫がなされている。
構図も悪くない、表情も良い、レタッチの拙さが画竜点睛だが、差し引きでプラス。
違う媒体でお目に掛かりたい。
村雲颯香
4ページ8カット、撮影は大石隼士。
正面からより心持ち斜めから撮ると映える。 撮られ慣れていない硬さはあるが、そこで無理をさせずに撮ったのが良かった。
違う媒体でお目に掛かりたい。
金子理江
4ページ6カット、撮影はM.キセキ。
写真そのものは悪くないのであるが、それを雑誌として生かし切れていない。
違う媒体でお目に掛かりたい。
黒宮れい
4ページ6カット、撮影はM.キセキ。
こちらも同じく。 この二人の一筋縄ではいかない部分を活写できてはいる。 それを生かせてはいない。
違う媒体でお目に掛かりたい。
上西恵×藤江れいな
インタビュー込みで11ページ9カット、撮影は山内洋枝。
インタビューに添える為の写真。 それ以上でも以下でもない。
違う媒体でお目に掛かりたい。
吉田朱里
10ページ19カット、うち見開き1か所、撮影はLUCKMAN。
撮られ慣れていて見せ方も巧い。 商売用の見せたい自分しかカメラの前には晒さない退屈さはあるが、吉田朱里を支持する層はこれで良いのだろうし、そこに特化してセルフプロデュースでなんとかしたからこそ、一旦底まで沈んでも浮かび上がって来た分けでり、これはこれで良い。
違う媒体でお目に掛かりたい。
しかし、巻末グラビアに一番力が入っていると言うのも解せない。
総評
酷い出来だった。 これで1389円と言うのは費用対効果が悪すぎる。 二度と買わないとは言わないが、指名買いは出来ない。
角川の編集能力の低下、雑誌造りを担える人材の枯渇が如実に表れた一冊。
写真にも印刷にも紙にも金を掛けないグラビア誌は、やはり碌なものにならない。
山口真帆
巻頭6ページ12カット、撮影はHIROKAZU。
佇まいに色気はあるが、いざ水着になってみると、体型には特筆すべきものが無い。
そこを仕草と表情で魔法に掛けて、見る者を誑かす。 尻尾が何本あるか定かではないが、ただの狐ではなさそう。
水着になると硬さも見られるが、その硬さが切迫感を醸していて訴求力が有り、服を着ているカットは目で殺しに来る。
水着映えしないが故に水着映えする、なんとも妖しく、不思議な12カット。
松川菜々花
巻末5ページ14カット、撮影はTakeo Dec.
表情が諧調に乏しく、ほぼ全カット歯見せ笑顔。
写真の選択や配置にも首を傾げざるを得ないところが有るにしても、被写体として退屈。